言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

囲碁から生まれた格言(06/12/10)

2006-12-10 20:28:29 | ことわざ
    「時分どき」と「つとに」を取り上げた前回のブログは、囲碁の話をマクラに振っただけで、囲碁そのものには触れなかったので、今回は碁にまつわる「ことわざ」を紹介しよう。

    「一目置く」や「定石」「岡目八目(傍目八目)」「駄目押し」。いずれも碁から生まれ、一般にも広く使われている語句だ。囲碁には、とにかく格言、ことわざの類が際だって多いのである。囲碁の勝負、技術に限ってみただけでも――

    まず、基本的な布石の心得を説いた格言としては、「一にアキ隅、二にシマリ(またはカカリ)、三にヒラキ(四ツメ、五トビ)」が知られる。「一にアキ隅」といってもどんな手を打てば良いか。これに対しては「打ち出しはザルといえども小目なり」という戯れ歌まであるが、現在は「星」から始める対戦も多いようだ。

    序盤から中盤にかけては、「攻めはケイマ、逃げは一間」とか「一間飛びに悪手なし」「ケイマの突き出し、悪手の見本」とか「二目の頭は見ずハネよ」「切り違い、一方ノビよ」「左右同形、中央に手あり」などと具体的に石の運び方をアドバイス。中盤の戦術の考え方については、「大場より急場」と足元を固める重要性を指摘した上で「(自分で)厚みを囲うな」、そして「(敵の)厚みに近寄るな」という格言で戒めている。終盤での死活をかけた攻防についても、「一ハネ、二キリ、三にオキ」「2の一に妙手あり」「両先手逃すべからず」とか、「ヘタが打ってもハネツギ6目」と、時にユーモアを交えて勝負所のテクニックを教える格言もある。

    こうした碁の格言が、優に数百はある。格言にしたがって石を置いていけば「一局の碁」になるとさえ思えるが、もちろん、それだけで勝てるほど碁は単純ではない。碁の世界は玄妙にして深淵。しかも、小宇宙にも喩えられるほど広く、盤上の変化は“人智”でははかりきれない。一流の棋士が碁を単なる「知的ゲーム」ではなく、「芸」と表現する由縁だ。従って格言の中身も、どのような角度から碁を見るかによって違ってくる。当然、相反する表現もある。

    例えば、「コスミ」。石を斜めに置くことだ。動詞にすれば「コスむ」。タイミングよく適切な場面で使えば、「コスミの妙手」と評される。中でも有名なのが「秀策のコスミ」だ。江戸時代の本因坊秀策が、隅で受ける手として愛用したことで知られる。その一方で、碁の初心者がこわごわ逃げ出す時などについ使うと、「へぼコスミ」と揶揄される。確かに「じょうずコスまず、へたコスむ」と、格言にもあるのだ。

    また、「眼あり眼なしは唐(カラ)の攻め合い」といいながら「眼あり眼なしも時によりけり」とか、あるいは、「ツケにはハネよ」と「ツケにはノビよ」のようにどちらの戦法を取るべきか迷うような格言もある。要はその時の局面によるわけだ。

    と、書いてくれば囲碁高段者と誤解されそうだが、実はいつまでたっても初段に手が届かない「級位者」である。先日の一泊碁会でも、大石の簡単な死活に最後まで気付かず周りをヤキモキさせたばかりだ。「定石を覚えて2目弱くなり」の格言に掛けて言えば「格言を覚えてもなお勝手読み直らず」のヘボの悲しさ、格言の使い分けができない。

    しかし、格言の二面性は碁に限ったことではない。次回は、一般的な格言について考えてみよう。