言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

辞書の「誤謬」(06/10/01)

2006-10-01 22:48:05 | 辞典
   このブログを書く際、常に手元に欠かせないのは辞書類だ。毎回、少なくとも数種類の辞典、事典を参考にする。

   文字や意味を調べるのに頼りになる辞書だが、絶対視すべきではない。言葉足らずの説明や肝心の語釈の間違い、まれには誤植もある。

   簡にして要を得た小型の国語辞書として定評のある『岩波国語辞典』。その第3版の第1刷(1979年12月4日発行)に何とも皮肉な誤植があった。「誤謬」という漢字が間違っていたのだ。語の定義だけでなく規範意識にもすぐれた『岩波国語辞典』を初版から愛用している私は、第3版についても発売されるとすぐ購入したらしく、問題の第1刷を持っている。それにはこうある。

      ごびゅう【説謬】あやまり。「――を犯す」

   注意深く見ないと読み飛ばしてしまいかねないが、「誤謬」の「誤」を「説」という間違った字のまま印刷・発行してしまったのである。この辞書の用例に従えば、自ら「誤謬を犯した」わけだ。

   この「誤謬」は次の刷りから「正された」ことは言うまでもない。こうしたことがあるから辞書は新しいものができても初刷版の購入は見送り、2刷以降を買うべきだ、といわれるが、辞書マニアとしてはミスを見つけるのもまた楽しみの一つだ。

   誤植のようなケアレスミスとは違って語釈、語の定義の間違いは、辞書の根幹に関わる。一例として「酢豆腐」をみてみよう。

   手元にある『広辞苑』の第4版と第5版には、
      (知ったかぶりをする人が酸敗した豆腐を「酢豆腐という料理だ」と称して食べたという笑話から)知ったかぶり。きいたふう。半可通。
   
   とある。なんだか、この文を引用している私自身を指しているようでいささか気がひけるが、それはさておき、『広辞苑』の初版では、語義の1番目になんと「生豆腐に酢をかけた食品」と実在する料理として載せられていた。「きいたふう。半可通」という正しい語義が挙げられていたは2番目だった。

   ウエッブ上のフリー百科事典『Wikipedia』も「虚構記事」の項の中で、
      《『広辞苑』の第3版には、酢豆腐についての虚構記事が含まれていた。「酢豆腐」という落語の題材からとった言葉で、半可通を意味する。酢豆腐なる食べ物は実在しないのに「豆腐料理の一種」と記載されていた》

   という主旨の解説をしている。しかし、私の持っている第3版(3刷)では正しい説明になっているので、あるいは第3版の途中の刷りから訂正したのかもしれない。

   『国語辞書事件簿』(石山茂利夫著=草思社)によれば、『広辞苑』の前身の『辞苑』も、その親辞書の『広辞林』、『辞林』などの辞典も同工異曲の語釈をしていたといい、このうち『広辞林』は昭和58年発行の第6版でも直っていないそうだ。先行辞書の孫引きで「誤謬」までもが踏襲されてきていたのである。

   辞書は引くだけでなく、読むのも楽しい。しかし、誤謬を犯されては困る。

「利休鼠(ねずみ)の雨」の色(06/09/20)

2006-09-20 11:26:52 | 言葉の遊歩道
  古代の日本語には、色を示す固有の言葉は四つしかなかった。それは、「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色である(06/08/18号の「虹は何色か」参照)。

  このうち「アオ」について、「日本国語大辞典」第二版《注》は「本来は、黒と白の中間の範囲を示す広い色名」とし、さらに「語誌」欄の中で、上代から用いられ、その色相は青、緑、紫、さらに黒、白、灰色も含んでいた、と補足説明している。

  前回(06/09/15号)で述べた「緑の黒髪」や「青毛の馬」という表現は、古来の日本語の言い回しに則っているわけだ。

  また、「黒と白の中間の色」にしぼって直截に言うと、灰色またはねずみ色になる。“ねずみ色”とくれば、名曲「城ヶ島の雨」の「利久鼠の雨がふる」の一節が思い浮かぶ。作詞は北原白秋。
  
     雨はふるふる 城ケ島の磯に
    利久鼠の 雨がふる
    雨は真珠か 夜明けの霧か
    それとも私の 忍び泣き

    舟はゆくゆく 通り矢のはなを
    濡れて帆あげた ぬしの舟

    ええ 舟は櫓でやる
    櫓は唄でやる
    唄は船頭さんの 心意気

    雨はふるふる 日はうす曇る
    舟はゆくゆく 帆がかすむ

  「言葉の魔術師」にふさわしい巧みなレトリックの詩である。大正ロマンあふれるメロディーと相まって、歌い出しに続く歌詞の一節、「利休鼠」という言葉が一般化したと言われるが、さて「利休鼠」とは? 面と向かってそう聞かれると首をひねる向きも多いのではあるまいか。

   茶道をたしなむ人には自明のことだろうが、染色用語で「利休色」といえば、千利休にちなんで抹茶の色の黒みがかった緑を意味する。そこから、「利休鼠」は、緑色を帯びた灰色を指すのに使われる。

   時折白い雨滴が光って見える霧のような雨。当時、白秋は苦難と悲嘆の中にあった。そこからなんとか抜け出そうと苦悶する詩人。その痛切な心情を「利休鼠」に託して水墨画のように写し出した詩、とも解釈できる。

   水墨画はモノクロの世界だ。古代の日本語と似ている。「赤」、「青」、「白」、「黒」の基本4色のうち、「白」と「黒」は文字通りのモノクロだ。「青」はこれまで述べてきたように灰色をも指すが、その根底には「明るいとも暗いともはっきりせず、あいまい」というコアの意味がある。残る「赤」は、実は「青」と意味の上で対立する反対語で、「(あいまいでなく)明るくはっきりしている」というのが元々の意味だ。

    こうしてみると、古代日本語で色に関係する基本4語は、初めの頃は色彩そのものではなく、光の明暗や明瞭さを示すだけだったのかもしれない。現に、「赤」=明(メイ、あかるいこと)、「青」=漠(バク、はっきりしないさま)、「白」=顕(ケン、あきらかであること)、「黒」=暗(アン、くらい、くろっぽい)と漢字で表記する説もある。

    古代日本語は、私見だが、モノクロの世界だった、と言えそうだ。ただし、急いで付け加えれば、当時の人びとが黄やピンクや茶などの色を識別できなかったというわけではない。多様な色を表現する語があるか、ないかということと、ある色を他の色と区別できる、できないこととは必ずしも関係ないのである。音楽でド、ミ、ソという音名を知らなくとも、ドとソのどちらの音が高いかは分かるのと同じことだ。


  《注》全13巻、別冊の索引も入れると14巻からなる我が国最大の国語辞典。用例が豊富で語源にも詳しい。「青」の項だけで150行近い記述がある。「青い」も含めると225行にも及ぶ。小学館発行。

  《参考文献》「言語-ことばの研究序説」(エドワード・サピア著、岩波文庫)、「日本大百科全書」(小学館)、「日本伝統色色名事典」(日本流行色協会)

  《参考サイト》日本の色の由来(www.warlon.co.jp/products/jpcolor.html)
          北原白秋記念館(www.hakushu.or.jp/note/main2.html)

「青信号」の本当の色は?(06/09/15)

2006-09-15 23:27:56 | 言語の変化
  道路の信号機の「青信号」の色は、本当は青ではなく緑なのだ、という俗説がある。確かに緑色に見えるような気がするが、場所によっては周りの条件が違うせいかやはり青色のようにも見える。真実はどうなのか?

  警察の広報や百科事典などの資料にあたってみると、妙な言い方だが、実はどちらも正しいと言えば正しいのだ。一体どういうことか。法令上の定義、製造法の違いや言語文化の側面がからみあっている点もあるのでまず、法令上の問題から説明すると――
  世界で初めて電灯式信号機が設置されたのは1918年(大正7年)、ニューヨークの5番街だった。その時の色は、赤、黄、緑。日本初の信号機は、1930年(昭和5年)東京・日比谷の交差点に設けられたが、米国から輸入されたものなので、色も当然、赤、黄、緑だった。法令上も、「進んでよい」を示す信号の色は「緑」と定められたそうだ。

  しかし、赤、黄、とくれば3原色の“3点セット”から言っても「青」と続くのが自然だ。この常識から民間レベルでは「青信号」、「青色信号」という呼び方が広がり、新聞などでも使われるようになった。1947年(昭和22年)には法令上も「青」と改められた。とは言え、実際に「緑」の信号機がなくなったわけではない。警視庁のホームページによると、1973年(昭和48年)以降に製造された信号機は、呼び名通りの「青」になっているというが、日本では、色弱者に配慮してCIE(国際照明委員会)の世界標準規格の緑の範囲内でなるべく青に見えるような色度を採用している。また、信号機のメーカーによっても青が強かったり、青緑になったりと多少のバラツキがあるようだ《注》。ちなみに英語では、青信号をCIEの規格通り“green light”という。

  こうした一種のねじれが生じるのは、日本語の「青」という語がもともと「緑」との区別があいまいで、時には同一に扱われてきたからだ。藍色と近いのは言うまでもない《前回の「藍より青く」(06/08/30)を参照》。現代日本語では基本的な意味は「青い空」、「青い海原」など英語でいう“blue”系統の色の総称として使われるが、本来はきわめて幅広い語義を持つ。

  「目に青葉」とか「青々とした田んぼ」、「青竹」、「青蛙」の「青」は、実際には「緑」だ。一方で「緑なす黒髪」、「緑の黒髪」という具合に「緑」は、つやのある美しい「黒」髪を形容するのにも使われる。

   強引に三段論法風にまとめると、
[ ①青=緑  ②緑≒黒  ③∴青≒黒 ]ということになる。だから、「(青みがかった)黒」という意味の「青毛の馬」なる表現が生まれ、さらには単に「あお」だけで毛の色が黒い馬を示すようにもなったわけだ。いい加減な用法に見えかねないが、それなりの筋が通っていることは日本語の歴史をたどってみれば合点がいくはずだ。その説明は次回に試みてみよう。


《注》信号機の豆知識(http://www14.cds.ne.jp/~signal/sig_all_q4.htm) 

藍より青く(06/08/30)

2006-08-30 19:26:50 | ことわざ
  虹の7色の中で思い出しにくい色は「藍」だろう。藍は、国語辞書に「濃く深い青色」とある通り《注1》、つい青色に含めてしまうからに違いない。

   「青は藍より出でて藍より青し」という成句がある。一年草植物の藍の葉(赤みを帯びて黒ずんだ緑色)から取れる染料の青さは、原料よりも濃く鮮やかな色合いをしている、というほどの意味だ。

  この句の一部を題名にしたドラマがある。NHK朝の連続テレビ小説(1972年4月~1973年3月)の「藍より青く」だ《注2》。30年余も前のものなので筋はほとんど覚えていないが、忘れがたいのは、番組のテーマソングだ。

   海よりも空よりも青いきらめきを 
   あこがれて丘に立つ ふたつの心 
   わかちあいし夢あれば 波高く風吹けど 
   目をあげて手をとって この道を行く
という本田路津子の透明感のある、美しく伸びのある歌声が今も耳に残っている。
  
また、主題歌の「耳をすましてごらん」の方もまた素晴らしかった。
    
    耳をすましてごらん あれははるかな海のとどろき 
    めぐり逢い見つめあい 誓いあったあの日から 
    生きるの強く ひとりではないから

  きらめくような美しい旋律に詩情あふれる歌詞。そして清流のように澄んだ歌声。絶妙の組み合わせだ。二つの曲とも作詞は山田太一、作曲は湯浅譲二。ジャケットがすっかり古ぼけたLPをレコードプレーヤーにかけ久しぶりに聴いてみたが、歌の魅力は藍染めと同様少しも色あせていなかった。


   「藍より青く」という成句の原典は中国の戦国時代の儒家、荀子の「勧学篇第一」の冒頭にある言葉だが、この成句の前後の文を少し付け加えると次のようになる。

   「君子曰く、学は以(も)って已(や)むべからず。青は藍より出でて藍より青く、冰(こおり)は水これを為(な)して、水よりも寒(つめた)し」

  自己流に言葉を補って“超訳”してみると――
学問に志す者は、すべからく努力すべきであって、途中で止めてしまうことがあってはならない。青は藍の葉から取るが、原料のままでは染料にならない。人が手間をかけた工程を経てはじめて染料になり、鮮やかな青い染め物が生まれるのだ《注3》。
水は氷からできるが、工夫をこらして温度を下げないと水よりも冷たい氷にはならない。学問の成果は途中の努力いかんにかかっているのである――というような意味になろうか。

    藍を「師匠」に見立てれば、青は「弟子」の関係にあるとも言える。そこから「出藍の誉れ」という言葉が生まれた。弟子が師よりも優れた存在になることの譬えとして引用される定型句だ。弟子であっても努力を重ねて修行すれば、師を超えることができる、というのが本来の意味のはずだが、この言葉の近頃の使い方を見ると、弟子の名声や地位など世俗的な結果だけに重きを置きすぎて、そこに至るまでの努力や工夫《注3》を軽視しているようなニュアンスを感じ、違和感を覚えることもある。師が凡庸であっては弟子がいくら“出世”しても「出藍の誉れ」とは言い難いのではあるまいか。

    ともかく藍を生みの親、育ての師とする青には、関連する色の種類、言葉が豊富だ。「緑なす黒髪」とか、緑の「青信号」とか。青を表わす漢字も多い。次回は青の周辺を探ってみよう。


《注1》 『新明解国語辞典』(三省堂)

《注2》 現在の若い人たちにとっては「藍より……」で反射的に連想するのは、「藍より青し」の方だろう。語尾が「く」と「し」と違うだけでない。1998年から2005年までコミック雑誌に連載され、ドラマやアニメになった作品だそうで、30年余前の朝ドラとはまったく別だ。

《注3》 電子辞書に搭載の『マイペディア』によれば、刈り取った藍の葉を切り刻んで乾燥した後、積み重ねて発酵させる。これを臼でつき固めて藍玉を作り、石灰などを混ぜて加湿するなどの工程を経て染料に仕上げる。この染料に木綿などの繊維を浸して空中にさらすと濃い青色に染まる、という。

《参考文献》 岩波文庫『荀子』(金谷治訳注)、『日本大百科全書』(小学館)、『ベネッセ表現読解国語辞典』、『岩波ことわざ辞典』(時田昌瑞著)、『慣用ことわざ辞典』(小学館)など。


虹の色はいくつか(06/08/18)

2006-08-18 22:41:02 | 日本語と外国語
  虹の色はいくつか、と尋ねられたら、“現代の日本人なら”考えるまでもなく「七つ」と答えるだろう。「七色の虹」は、日本人にとって「青い空」というのと同じような定型表現になっており、小学生でも知っている常識だ《注1》。

  しかし、色彩そのものに対する認識は民族・言語、あるいは時代によっても違うので、「七色の虹」にしても万国共通の常識とは言えない。英語圏では、一般に6色(ただし、学校教育では7色)、フランスでは5色とされているものの人によっては7色とか3色、アフリカのショナ族3色、南アジアのバイガ族という人びとでは赤と黒の2色、という説もありバラバラだ《『社会人のための 英語の常識小百科』=大修館、『日本語と外国語』(鈴木孝夫著、岩波新書)など参照、注2》。

  冒頭に“現代の日本人なら”とあえて記したのは、日本でも古くは、基本的な色名としては「アカ(赤)」、「アオ(緑~青)」、「シロ(白)」、「クロ(黒)」の4色とされていた時代があったからだ。

  この4色は、「アカい」、「アオい」、「シロい」、「クロい」のように「語幹(色名)+い」の形だけで表わすことが可能だ。「アカアカと」、「アオアオと」、「シラジラと」、「クログロと」という形の副詞にもできる。つまり日本語としての歴史が古く、"成熟"した言葉とも言える。が、その後生まれたとみられるほかの色の名前は、例えば黄は「黄色い」のように「語幹+色+い」か、緑の場合だと「緑色の」というように「語幹+色+の」で表現する必要がある。もちろん、「キギと」とか「ミドリミドリと」とかいう副詞はない。

  その後、5世紀頃に中国から伝来した五行思想《注3》の影響で上記の4色に黄が加わり、青、赤、黄、白、黒の5色が基本の色名になったと言われる。

  本題の虹の色に話を戻すと、もちろん現代の日本では、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫の7色だ。しかし、7色の名を全部言えるかというと、つまずく人も多いのではあるまいか(私の場合、藍色を忘れる)。で、覚え方としては、アカ、ダイダイ……と節をつけて歌う方法もあるらしいが、セキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シと音読みして一気に7拍で暗記してしまうのが簡便だ。

  一応、7色を正規の虹の色数としている英語では、Red,Orange,Yellow,Green,Blue,Indigo,Violetとなるが、この頭文字を順にとってRoy G. Biv(ロイ・G・ビヴ)と人名ごときものを作り上げるか、色の名を逆順にしてvibgyor(ヴィブギオール)と単語風に一口で読む手もある。また英国では”Richard Of York Gave Battle In Vain.”(ヨーク家のリチャードは戦いを挑んだが、無駄だった)という文の形にして覚える方法もあるという(友清理士著『英語のニーモニック』=研究社)。


《注1》虹の色は物理的には太陽の可視光線の中で波長の長い赤から最も短い紫までの連続階調からなる。この事実をプリズムで発見したニュートンが7色に分類した。
  しかし、『日本大百科全書』(小学館)によると、虹の7色が同時にそろって現れることは非常にまれで、どの色が現れやすいかは雨滴の大きさによる。大きい雨滴(直径1~2㍉)の時は、赤、橙、緑、紫色がはっきり出る。また小さい雨滴(直径0.2~0.3㍉)のときは、橙、緑の二色ぐらいとなり、虹の幅も広くなる。

《注2》知見にあふれた名著『日本語と外国語』の中で鈴木孝夫氏は、「英国人に直接尋ねてみると、8や9だと言う人があるかと思うと、中には無限ではないか、と言う人もいる。たしか学校で習ったが忘れたとか、あるいは6か7だったかはっきりしない人もおり、本当に一人ひとりがばらばらだ」(一部省略)と述べている。

《注3》木(緑色)、火(紅色)、土(黄色)、金(白色)、水(黒色)。
  
  

「黄色い花嫁 」(06/08/01)

2006-08-01 00:08:13 | 翻訳
 「巌頭乃感」に記された「ホレーショの哲学」(06/07/27号参照)は、語法、語義の間違いだったが、翻訳のミスないしはズレには、文化の違いによるものも多い。

  ちょうど1年前の夏、京都で1週間余にわたって「世界合唱シンポジウム」《注1》という国際的なコーラスの祭典が開かれた。この一大イベントに広報担当として関わっていた私は、大会の公式言語の英語から日本語に翻訳されたプログラムの内容を点検中、ある日のコンサートの曲目を目にして違和感を覚えた。「黄色い花嫁」。トルコの合唱団が歌う予定のこの曲は隣国・アゼルバイジャンのフォークソングだというが、曲名が解せない。黄色い肌をした花嫁、ひょっとして日本人の花嫁という意味なのか、あるいは衣装の色を指しているのか。

  トルコの合唱団がシンポジウム事務局に提出していた英文の資料を見ると、確かに"Yellow Bride"とある。字句通り日本語に移し替えれば「黄色い花嫁」となる。常識的な訳に見えるが、「黄色い」と「花嫁」という二つの単語の結びつきがしっくりこない。それに、黄色人種の身としてはどこか差別語的な感じも拭いきれない。どうしても気になるので、インターネットでアゼルバイジャンの関連サイトを検索し、E-mailで問い合わせてみた。

  返事はすぐに来た。しかもサイトの管理者本人から直々だった。それによると、原題は"Sari Galin"、英語訳の"yellow"は「黄色またはブロンドの髪」の意味だという。"yellow"が髪の色を指すとは思い及ばなかったが、ともかく「金髪の花嫁」という題名なら納得がいく《注2》。この歌はもともとアゼルバイジャンの山村地帯に伝わるフォークソングで、その一帯には金髪の人びとがいる、という親切な説明も書き添えられていた。

  サイトの管理者は、米国のカリフォルニアに住みながら"Azerbaijan International"という英文雑誌の編集長をしている女性だった《注3》。その後のメールのやりとりを通して、英語に堪能なのはもちろんアゼルバイジャンの文化に誇りを持っている知識人とうかがえた。

  "yellow"、必ずしも「黄色」とは限らないと同様に、金髪といえば"blonde"と機械的に当てはめるのも短絡的――我が身にも覚えがある。

  フォスターの有名な「金髪のジェニー」《注4》。中学校の音楽の授業で英語の歌詞も教わり、"I dream of Jeanie with the light brown hair"と何気なく歌っていたものだが、後年、歌詞をよく見ると「金髪」にあたる個所は"the light brown hair" なっている。それどころか、題名からして"Jeanie with the light brown hair"だ。直訳すれば「明るい茶色の髪のジェニー」となる。今風に「茶髪(ちゃぱつ)のジェニー」としては詩情あふれる名曲のイメージが狂ってしまう。
  
  色にまつわる文化の違いは髪の毛に限らず数多くある。次回は、虹は何色(なんしょく)かを取り上げてみよう。


《注1》国際合唱連合と開催国の合唱連盟の主催。3年に1回開かれる。昨年の京都大会には49カ国・地域から約6000人が参加した。7月27日~8月3日の期間中、毎日ワークショップ/セミナー、コンサートなど盛りだくさんの音楽イベントが催された。

《注2》結局、曲名の英語表記は"The Blonde Bride"に改められた。

《注3》なぜ米国に居を構えているのか分からないが、アゼルバイジャンの熱烈な愛国者であることは間違いない。注文したわけでもないのに、米国から拙宅宛に豪華な装丁の雑誌"Azerbaijan International"と、該当の曲が入ったアゼルバイジャンの音楽CDまで送ってくれた。  

《注4》日本語の歌詞は、http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kinpatsuno.html と http://www.worldfolksong.com/foster/song/jeanie.htm を参照。

   

ホレーショの哲学(06/07/27)

2006-07-27 22:52:48 | 日本語と外国語
  茨城には日本三大名瀑の一つ、袋田の滝があるが、隣県の栃木にもやはり三大名瀑の一つがある。日光の華厳の滝である。この名が一躍世に知られるようになったのは、明治36年(1903)5月、旧制一高の学生・藤村操が滝のかたわらのナラの大木の幹に、美文調の"哲学的な遺書"を書き残して投身自殺(注1に漱石との関わり)したのがきっかけだ。

 「巌頭乃感」と題した遺書(注2に全文)は「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、この文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない身ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有の感性からか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか出典はあるのか。ずっと謎だった。ホレーショというのがシェークスピアの「ハムレット」の登場人物と知ったのは、中年になってからである。

  しかし、疑問は完全には氷解しなかった。「ハムレット」を通読してみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに向かって"There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"と語る個所だ(第1幕、第5場)。

  字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのである。

  英語学者の渡部昇一著「英文法を撫でる」(PHP新書)によれば、この場合の"your"は、話者と聞き手の間に信頼のこもった親近感を作り出し、ごく個人的な肯定的判断や否定的判断を示す働きをしているので「君の」という意味ではない、という。実際、多くの辞書も、「あなた(たち)の」という一般的な語義とは別立てで、「{しばしば興味・非難・軽べつなどの意味を含んで}皆の知っている、例の、あの」(学研「スーパー・アンカー英和辞典」)という意味を掲載している。

  ちなみに、現行の福田恒在訳が「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」、また小田島雄志訳が「この天と地のあいだにはな、ホレーシオ、哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」と"正しく"表現しているのは当然としても、はるか明治時代の坪内逍遙も「この天と地の間にはな、所謂(いわゆる)哲学の思いも及ばぬ大事があるわい」と訳している。「当時としては驚くべき正確な」(渡部氏)英語力だ。

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《注1》哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
  また、"この事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
  今年は、「ホトトギス」誌上に連載していた「吾輩は猫である」が完結してからちょうど100年の記念の年にあたる。

《注2》巌頭乃感
悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

バラの棘(06/07/25)

2006-07-25 22:41:15 | ことわざ
 不可能の代名詞ともいわれた青いバラの開発の成功で、バラは青、赤、黄と絵の具の「三原色」がそろったわけだ。しかも、白ははるか昔からあるので、今後はさらに多彩な色のバラが自在に生まれることが期待されるが、バラの特徴はその美しさの陰に棘(とげ)を持っていることだ。バラの花を国の表象とする英国には、No rose without a thorn(とげのないバラはない=参考)という諺がある。

 バラのことが文献に歴史上初めて登場するのは、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』と言われるが、その中で、バラは棘のある植物の譬えとして取り上げられている。人を傷つけるもの、という意味合いだ。聖書にも、「彼ら汝らの肋(わき)を刺す茨とならん」(旧約『士師記』=注1)とか、「我は肉体に一つの棘を与えらる。すなわち我を撃つサタンの使いなり」(新約『コリント後書』=注2)とある。どうもバラの棘は、一種の凶器、武器と受け止められていたように思える。

 グリム童話の『いばらひめ』(『眠りの森の姫』)は、姫を求めてイバラの城に入った王子がイバラに引っかかって傷だらけになり、身動きが取れなくなってしまうという物語だ。

 日本では、バラはその昔「ウマラ」、「ウバラ」と呼ばれ、それが「イバラ」、「バラ」に転化したとされる。

 竹林を初めて見た茨城の地は、私にとって第二の故郷とも言うべき所だが、その県名は奇しくもグリム童話の「いばらひめ」が眠っていた"イバラの城"と同じ発想に由来している。奈良時代初期に諸国の地誌、伝説、産物などを編纂した風土記の茨城版ともいうべき『常陸風土記』には、蛮行を繰り返していた賊を退治するため、ウバラで城を築いたことから「茨城」と名付けた、と記述されている(注3)。



《参考》多くの英和辞典は、直訳を掲げた後に意訳も出しているが、その語釈は辞書によってさまざま。
  「世の中に完全な幸福はない」(研究社「リーダーズ英和辞典」)というストレートな訳から「どんな幸福なときにもどこかに悲しみや失望が多少あるものだ」(小学館「プログレッシブ英和中辞典」)や「この世に完全な幸福はない;忍ばねばならない部分がある、の意」(学習研究社「スーパー・アンカー英和辞典」)とかみくだいた説明調、あるいは「どんな幸福にも不幸が伴う」(大修館「ジーニアス英和辞典)といった"両面型"もある。
  ともかく上記の各英和辞典に共通しているのは、バラを幸福の象徴とみなしている点だ。それは、本場・英国の辞書、例えばかなり古い版だが「The Pocket Oxford Dictionary」(第5版)が、"rose without a thorn"の語義を"impossible happiness"(あり得ない幸福)としていることに因ったためだろう。
 ただ、戦前から名著として洛陽の紙価の高い『熟語本位英和中辭典』(岩波書店)と最近の「カレッジライトハウス英和辞典」(研究社)が、共に「楽あれば苦あり」としているほか、「ランダムハウス英和大辞典」(小学館)が「楽は苦の種、苦は楽の種;ままならぬは浮き世の習い」と日本語の諺に置き換えているのが目を引く。私見を言えば「禍福は糾(あざな)える縄の如し」といったところか。
 なお、No rose without a thorn.と同じ意味でEvery rose has its thorn.という英語もある。

《注1》They shall be as thorns in your sides.

《注2》There was given to me a thorn in the flesh, a messenger of Satan to buffet me.          (三省堂『英語イメージ辞典』より)


《注3》或るもの曰へらく、山の佐伯、野の佐伯、自ら賊(あた)の長(おさ)と為(な)り、徒衆(ともがら)を引率(ひきい)て、国中を横しまに行き、大(いた)く劫(かす)め殺しき。時に黒坂命(くろさかのみこと)、此の賊を規(はか)り滅ぼさむとて、茨(うばら)を以(も)ちて城(き)を造りき。所以(このゆえ)に、地(くに)の名を便(すなわ)ち茨城(うばらき)と謂(い)ふといひき。

青いバラ(06/07/07)

2006-07-07 20:39:48 | 日本語と外国語
 七夕に竹飾りは欠かせない。短冊に願い事を書いて庭に立てた青竹の枝に結ぶ。この行事には、牽牛星(彦星)と織女(姫)星が天の川を挟んで年に一度、7月7日の夜だけ会うというロマンティックな伝説が秘められている。木に竹を接ぐようだが、ロマンの香り高い花木と言えば薔薇(バラ)の花が一番だろう。だから文学に取り上げられるケースも数多い。

 たとえばシェークスピアの全作品に登場する植物およそ150種のうち断然多いのはバラだそうだ。「ロミオとジュリエット」では、恋する少女の切ない思いをバラに託してジュリエットが「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」と、ロミオに偶然聞かれていることも知らずにバルコニーで愛を独白した後「名前なんてどうでもいいんじゃないの?バラと呼んでいるあの花を、別の名前で呼んでも同じように甘く香るでしょう」《注1》と恋心を訴え続ける有名な場面がある。この後段のセリフは現在ではもう少し簡略化され、「バラはどんな名で呼ぼうとかぐわしい」《注2》という諺になっている。


 バラは甘美な香りもさることながら、その華麗にして典雅な美しさから「花の女王」とも呼ばれる。愛、喜び、美、純潔、の象徴とされる。そのせいもあって、"rose"を含んだ英語の慣用句、熟語にはプラス・イメージのものが多い。"roses and sunshine" が「すばらしいもの」、"a bed of roses" は「安楽な生活」(バラの花びらを敷いた床、の意から)、"smell like a rose" は「なんら非難されるところがない、クリーンだ」といった具合だ。

 赤、ピンク、白、黄……。バラは花の色も多彩だが、「青いバラ」はなかった。そこから "a blue rose"「ありえないもの、できない相談」(研究社「リーダーズ英和辞典」)という熟語が生まれ、不可能の代名詞ともされてきた。
 
 ところが――バイオテクノロジーの遺伝子組み換え技術を駆使した品種改良が急速に進み、2004年6月にサントリーが「世界で初めて”青いバラ”の開発に成功した」と発表したのだ。商品化されて店頭に出回る日も間近い。

 そうなれば、"a blue rose" の「不可能」は意味を成さなくなってしまう。ともかく「青いバラ」の花言葉として、早くも「奇跡」や「神の祝福」が候補に挙がっているとか。
   

 《注1》  What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet;

《注2》  A rose by any other name would smell as sweet.

続・初めて見た竹林(06/06/23)

2006-06-23 22:07:26 | 言葉の遊歩道

 生まれ故郷の釧路に「竹」がまったくないわけではない。笹竹の類なら子どもの頃から知っていた。ただ、一般的な竹のイメージから見ると余りにも細く小さいので、たとえば「破竹の勢い」という熟語を挙げると、何本もの竹を踏みつぶして突き進んでいくような印象を持っていた。ところが、辞書には「竹は一節を割ると後は一気に次々と割れていくところから」生まれた言い回し、とある。なるほど、笹竹ではなく、孟宗竹のような”本物”の竹を手に取り、実際に割ってみるとよく分かる。同様に「竹を割ったような性格」という言葉が文字通り「竹はまっすぐ割れることから、さっぱりとした気性」を意味することも合点がいく。

 しかし、「雨後の竹の子」は、竹の実物を見ただけでは今一つピンとこなかった。むろん、意味も用法も知っており、自分でも何回となく使ってきた言葉なのだが、得心がいったのは、水戸市郊外の友人宅の裏庭で竹の子採りをしてからだ。初めての体験だったので最初のうちは竹の子探しに熱中したが、何本もの竹の子が庭のあちこちにニョキニョキ顔を出すのには驚いた。掘っても掘っても、日が変わるとまた次々と生えてくるのだ。ましてや雨の降った後ならさもありなん、と実感した。
 
 一知半解のまま覚えていたのは「竹の子生活」という言葉だ。なにせそれまで筍なるものは缶詰製品しか知らなかったので、戦後間もない頃の貧しい暮らしぶりの比喩として、筍ぐらいしか食べられない状態を表現している言葉かな、と漠然と思っていた。しかし、ほんの少し頭を働かせれば、生の筍はともかく缶詰は、当時かなりの高級品で生活困窮者には縁遠いはずなのだから、間違いに気付いてしかるべきだった。それにしても「竹の子の皮を一枚ずつはぐように衣類などの持ち物を売って生活費に充てる生活」の喩えとは恥ずかしながら知らなかった。この言葉、近頃トンと聞かれないような気がする。

 以上、竹にちなんだ慣用語との個人的な関わりを二、三挙げてきたが、「竹」を題材にしたのは自分の無知さ加減を示す象徴的な例と思ったからだ。その由来どころか意味もよく知らずに使ってきた言葉や読み方を間違えていたことば、用法を曲解していたコトバは数限りない。そうした過去の失敗は、年齢を重ねるにつれて気づく事例が増えてくる。今になって知るのは恥ずかしい。しかし、知らないままでいるのはもっと恥ずかしい。
 

 《参考》1回目のブログ(06/06/15)で竹取物語のかぐや姫についてひと言触れたが、その二、三日後、読みさしの岩波新書(新赤版)「日本語の歴史」(山口仲美著)を開いたところ、偶然にも竹取物語の冒頭の一節が引用されているのを見て驚いた。古典文法の変化の一例として係り結び(ぞ、なむ、や、か、こそ)に言及した個所で、「その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける」を挙げていた。その続きを、他のテキストを参考に紹介すると「それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり」 となる。この「人」こそがかぐや姫というわけだ。