かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

この歳まで生きてきて一番楽しかった時期は

2019-01-20 07:31:17 | ブログ記事
まず感動したのは、
最初の子を産んだときですね。

難産だったから、余計に生まれてきてくれたときは感激が大きかったです。

それから、生まれてからも感動の連続でした。

もともと赤ちゃんは好きだったのですが、
自分の子供がこんなにかわいいとは思っていませんでした。

もう私の見る世界が、わが子のことで染まってしまいました。

親になるって、こんなに幸せなことだったんだと確認しました。

次に楽しかった時期は、
年子で生んだ子供たちが小学生になって、
障碍者枠で某一流企業に採用されて働いたころでしょうか。

結婚前、銀行に勤めたときは、
難聴であることを伏せての採用でしたから、
仕事する上で、非常な苦労がありました。

が、今度は、難聴であることを条件にしての採用でしたから、
聞こえないところは周囲の人たちが助けてくれましたし、

仕事内容も、配属された部署が教育部だったから、
銀行時代の、ある意味単調な仕事より、やりがいがありました。

にわか先生になって社員に教える場面もありました。

読み書きをしないといけない場面も多く、
読み書きの好きな私は、仕事しながら勉強させてもらっているような気分でした。

実際、仕事ながら何かを勉強して、それを発表するという機会などもありました。

ある発表会は、女性社員だけによるものでしたが、

そのとき、私は、既に34歳になっていましたが、
他の短大を出たばかりの若い人たちと比べると、
私の発表の仕方は、落ち着いていて断然よかったと
他の男性同僚社員たちに褒められまくりました。

そのせいでもないでしょうが、
同じ部の、他の課の男性からラブレターのようなものをもらったりもしました。

採用されたときに私を担当してくれた人事部の若い社員からも、
その後も、
特別に親切にしてもらいました。

また直属の課長は、真面目な人でしたから、そんなことはしませんでしたが、
隣の課の課長などは、懇親会の時などは、私に付きまといました。

ある意味では、ちょっと問題でしたけど?(笑)

でも、もちろん何もありませんでしたからね。ただモテただけです。(苦笑)

あの頃が私の人生一番のモテ期だったのかも。

私自身は、すでに二人の小学生の子持ちでしたから、
すっかりオバサン気分でしたが、
社会に出ると、まだこんなにモテるんだと、ちょっと感動でした。

この時期、どういうわけか、若い銀行員時代よりもっとモテたかもしれません。

銀行員時代は、ほとんど若い女性プラスお爺さん?の職場でしたし・・・。
若い男子行員は主に外回りするんですよ。(笑)

こういうふうに、仕事以外でも、楽しいことがいっぱいの職場でしたが、
しかし、もともと身体の丈夫でない私は、
仕事と家事の両立が身体に堪えて、だんだん咳が出るようになりました。

今から考えると、心臓弁膜症の悪化だったのですね。

そこへ、折あしく妊娠までしてしまいました。

咳は日増しにひどくなり、
その上、どうしてもほったっらかしになる子に問題も出てきました。

夫は、もう一人子供がほしいと望みましたから、
後ろ髪をひかれる思いで退職して、第3子である次男を生んだのは35歳のときでした。

第2子の長男からは9年ぶりの出産でした。

それからは、ずっと専業主婦でしたが、
また機会があれば、外で働きたいと思っていました。

が、
3人も子がいると、パートの仕事くらいしかできません。

が、パートの仕事というのは、難聴だというと断られるんですね。

短時間の即戦力がほしくて雇う仕事に難聴者は困るのでしょう。

そんなわけで、以後は専業主婦に甘んじましたが、
私自身は、もう一度、外で働きたかったです。

インターフォンの音を聞き逃すので

2019-01-20 04:31:31 | ブログ記事
宅急便の再配達のお願いをすることが多い。

が、郵便局の「ゆうパック」だけは受け取りに行く。

なるべく再配達を避けたいから。

というのが、
再配達をしてもらって、また受け取り損ねたら、申し訳ないから。

昨日も行ってきた。

一昨日、不在票が入っていたから、
昨日行くつもりで、服も着替えていたが、
出る前にパソコンのメールチェックすると、
友人からメールが入っていて、
その返事を書いているうちに行きそびれて、行けなかった。

私にとって、メールは電話替わりだから、こういうこともある。

それで、今日行ってきたのだ。

寒いから、最近は買い物も控えているが、
宅急便は保管の期間を過ぎると送り主に返されてしまうから、焦る。

荷物は、先日の母の一周忌のときのお返しの品だった。

寒かったが、自転車で行ってきた。

郵便局の本局は遠いことと、
荷物が大きかったり重かったりしたときに、持ち帰るのが大変だから。

が、自転車に乗るのは、最近の私には危険が伴う。

以前から聞こえにくいことから危ないことはあったが、
最近は運動能力も落ちているから、危険度が増している。

自転車に乗れなくなったら、こうして受け取りにも行けなくなる。

ゆうパックはこうしているが、

クロネコヤマトとか佐川急便の荷物だったときは、

遠い営業所まで受け取りに行くこともできないから、

再配達のお願いの電話をしてから、

玄関の外に

「在宅していますから、窓を叩いてください」

と書いた白板をおいておく。

と同時に、

私のいる食堂はレースのカーテンも開けて、外から家の中が見えるようにしておく。

外から丸見えになるから荷物を受け取るまでの数時間は落ち着かないし用心も悪い。

トイレにも、おちおち行けない。

もうどうしてこんな苦労をしないといけないかと嘆かわしくなる。

*

★難聴の不便は数々ありぬれどインターフォンが聞こえぬことも

★自宅まで届けてもらふ宅急便受け取れざれば受け取りに行く

★他の人はこんな困難さうざうもせぬとふ困難ここに書きおく

★言はざれば人の苦労は目に見えぬゆゑにブログに書いて知らしむ