20年ほど前、尋常でない痛みを感じて動けなくなった。
それでも痛みの穏やかなころは
飛び回っていた。
毎年毎年、
少しづつ
出来ることが少なくなっていく。
いまや、体調が良くないときは
車を運転することさえ出来ない。
そして今日も、
ランチが終わるころ、
立てなくなった。
周期が短くなってきているのはわかっている。
あきらめて、
医師の言うようにモルヒネに代えよう。
同じ死ぬのを待つのであっても、
痛みは何も産み出してはくれない。
しかし治療は放棄されたも同じ。
身体の苦痛と、
心の苦痛の
どちらを選べばいいのか迷った時期もあった。
もう迷う必要はない。
痛みから解放されるならば、
命が短くなってもいいかもしれない。
自分の命は
完全に神に預けた。
今年は辛かった。
この辛さから
来年は解放される。
それだけでも幸せだ。
誰にも相談せず、
自分で決めた。
夕刻、
医師にも決断を伝えた。
ただし、僕は入院はしない。
それも伝えた。
想像以上に身体は弱っているようだ。
あと1年、
せめてあと1年、
痛みを忘れて暮らしたい。
店を開けたのは8時前。
それでもシャッターを開けられたのは嬉しい。
しかし誰も来ない。
オーストラリアから大使館の仕事で日本に来ている男性が来た。
半年振りくらいだろう。
身体の大きな人だが、
器用に箸を使う。
日本の若者よりもずっと日本の心がわかっている。
彼は刺身が少し苦手なのだが、
刺身をサラダ感覚で食べてもらうことに成功した。
それ以来、彼は僕に会うと、
「さしみ、さしみ」と催促するくらい気に入ってくれた。
サーモン、イカ、まぐろを1センチくらいの立方体にする。
甘口のダシ醤油にごま油をたらし、わさびを少しだけ混ぜる。
そこに、立方体の刺身をつける。
さらにホワイトセロリを敷き、刺身をのせる、ダシ醤油もスプーンでかける。
刻み海苔をふりかけ、うなぎのタレを少々振り掛ける。
これが彼の好物になった。
常連の女性客にも、これが大好きな人がいる。
そして彼は最後に
《お雑煮》が食べたいという。
愉快なオーストラリア人だ。
日本語がまだ不自由なので
他の客とのコミュニケーションがイマイチだが、
結構愉しそうだ。
彼と出会って5年近くになると思う。
まだそのころは、
パンも焼いてやれた。
目の前で寿司も握ってやれた。
しかし、腕が不自由になったり、
根気がなくなった。
ステーキの串刺しの網焼きも
わずか10分ほどの時間さえ
支えられなくなった。
もう身体は限界に近くなってきているのかもしれない。
この日の客は彼一人だった。
明日からは、
明日こそは、
いつものような夜を迎えたい。
それでも痛みの穏やかなころは
飛び回っていた。
毎年毎年、
少しづつ
出来ることが少なくなっていく。
いまや、体調が良くないときは
車を運転することさえ出来ない。
そして今日も、
ランチが終わるころ、
立てなくなった。
周期が短くなってきているのはわかっている。
あきらめて、
医師の言うようにモルヒネに代えよう。
同じ死ぬのを待つのであっても、
痛みは何も産み出してはくれない。
しかし治療は放棄されたも同じ。
身体の苦痛と、
心の苦痛の
どちらを選べばいいのか迷った時期もあった。
もう迷う必要はない。
痛みから解放されるならば、
命が短くなってもいいかもしれない。
自分の命は
完全に神に預けた。
今年は辛かった。
この辛さから
来年は解放される。
それだけでも幸せだ。
誰にも相談せず、
自分で決めた。
夕刻、
医師にも決断を伝えた。
ただし、僕は入院はしない。
それも伝えた。
想像以上に身体は弱っているようだ。
あと1年、
せめてあと1年、
痛みを忘れて暮らしたい。
店を開けたのは8時前。
それでもシャッターを開けられたのは嬉しい。
しかし誰も来ない。
オーストラリアから大使館の仕事で日本に来ている男性が来た。
半年振りくらいだろう。
身体の大きな人だが、
器用に箸を使う。
日本の若者よりもずっと日本の心がわかっている。
彼は刺身が少し苦手なのだが、
刺身をサラダ感覚で食べてもらうことに成功した。
それ以来、彼は僕に会うと、
「さしみ、さしみ」と催促するくらい気に入ってくれた。
サーモン、イカ、まぐろを1センチくらいの立方体にする。
甘口のダシ醤油にごま油をたらし、わさびを少しだけ混ぜる。
そこに、立方体の刺身をつける。
さらにホワイトセロリを敷き、刺身をのせる、ダシ醤油もスプーンでかける。
刻み海苔をふりかけ、うなぎのタレを少々振り掛ける。
これが彼の好物になった。
常連の女性客にも、これが大好きな人がいる。
そして彼は最後に
《お雑煮》が食べたいという。
愉快なオーストラリア人だ。
日本語がまだ不自由なので
他の客とのコミュニケーションがイマイチだが、
結構愉しそうだ。
彼と出会って5年近くになると思う。
まだそのころは、
パンも焼いてやれた。
目の前で寿司も握ってやれた。
しかし、腕が不自由になったり、
根気がなくなった。
ステーキの串刺しの網焼きも
わずか10分ほどの時間さえ
支えられなくなった。
もう身体は限界に近くなってきているのかもしれない。
この日の客は彼一人だった。
明日からは、
明日こそは、
いつものような夜を迎えたい。