カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

騒々しさが耳に障る。心の落着きの無い人間は、一人でいるほうがいいのかもしれない。

2013-03-26 | 人間観察
月曜日のランチは忙しかった。

今年になって今ひとつの状態だったのが、
今日は特別に忙しかった。

そして夜も、忙しかった、

ナオミさんが来た。
綾香ちゃんが来た。
メグちゃんも来た。

にぎやかだ。

僕には騒々しいくらいに店内は賑った。

本当はうれしいことだ。

僕が何もしなくても
客同士が楽しく騒ぐ。

僕は笑いながら、料理を作っていればいい。

楽なはずなのに、
僕は正直しんどい。

みんなの笑い声が、健康的に感じない。

イライラしてくる。

メグちゃんが言う。

「明日もみんなで騒ごうよ」

みんなが賛成する。

きっとこのままなら、明日もにぎやかに騒ぎ、
売上もそこそこあるに違いない。

特に男性客はうれしそうだ。

そんな雰囲気に僕はなぜか親しめない。

恐らく数年前ならなんでもないことだったに違いない。

1人でいたい。

静かにしていたい。

これが今の僕の心境だ。

疲れている。

もうすぐ、ステロイドから、モルヒネに治療が変わる。

原稿も思い通りに進まない。

何をやっても、落ち着かない状況だ。

彰子先生から電話がかかる。

出る気になれない。

「ごめん、体調が良くない」

メールを返した。

早く終わろう。

そして、少しだけでも体を休め、
原稿を書こう。

明日、メグちゃんが本当に来るかどうかはわからない。

まぁ、いいさ。

明日は明日の風が吹く。

なるがままに任せるしか、
今の僕には方法がない。

そう、明日は明日の風が吹く。

脇目も振らず・・・・??? ふと頭をかすめる若いころのこと。

2013-03-25 | 人間観察
月末の締め切りを控え、僕は必死で戦った。

パソコンのモニターに向かって、
思いのたけを思いっきりぶつけていた。

小説というのは、
ほとんどが空想の世界だと思われるのだが、
本当は、僕の実体験が基本になっている。

実体験にいろんな【嘘】や【夢】や【期待】を
付加させながら、
まるで現実に起こりそうで起こるはずのないようなことを書いて行くのだ。

だから佳境になると、
興奮して来る。

物語の元になったことが生々しく思い起こされてくる。

特に濡れ場などは、自分の体験で得た知識と、
書物などで得た知識のミックスだから、
過去の思い出に、プラス願望を付加して描写する。

その時、昔の恋人の表情や、体の線まで思いだしてしまう。

それは眠さをふっ飛ばすくらいの刺激がある。

ただ、徹夜は堪える。

57歳という年齢には勝てなくなっている。

ついウトウトしてしまい、
またふと目がさめて、書き始める。

その繰り返しだ。

競馬の誘惑や、
メールの誘惑にも負けることなく、
ただただ書き続ける。

だけど、もう限界だ。

体力も、精神力も、少し休まないと何もできそうにない。

誰かに会いたい。

無性に人恋しくなっている。

でも眠るだろう。

座っているだけでも眩暈がする。

純子ちゃんを思い出す。

由美ちゃんを思い出す。

冬美を思い出す。

由紀子を思い出す。

有紀美も思い出される。

峰子、明美、富貴子、真知子、たか子、
恵子、倉子、頼美、伸子、美智子、
茂子、美祢、陽子、みのり、真理子、
小夜、美穂子、和江、涼子、華子、
知佳、彰子、美由紀、淑子、裕子、
オリーブ、典子、幸子、澄子、敬子、
かおり、直子、眸、千紗子、聡子。

数え上げればきりがないはずなのに、
若いころに付き合った女の顔が次から次へと思い起こされる。

どんな出会いだったのか?
どのくらい付き合ったのか?
なにも思い出せない。

若かりし頃の
罪なのか。
それとも、みんなの心にも少しは残っているのだろうか?

あと5日ほど、
僕は眠る暇もない。

ずっと僕は、彼女たちの幻影に悩まされ続けるのだろう。

いい思い出であってほしい。

彼女たちにとっても・・・・。

自分らしさはどこにある?店の中にあるのか、小説の中にあるのか?最後の賭けかも知れないと思うけど。

2013-03-24 | 人間観察
今夜から徹夜をしなくては間に合わない。

原稿の締め切りが迫っているからだ。

そして体が自由に動かせない今、
店をやることも、生きることも、
辞めてしまいたくなることがある。

本当は自分に何ができるのか?

本当は自分は何をやりたいのか?

自分は本当は何をやらねばならないのか?

いまだにわからないままでいる。

何となく店を開け、何となく客が来る。

土曜日にやっているとは思っていないはずなのに、
それでも近くに来てのぞいてくれるのはありがたいことだ。

それはそれで、この店の価値が存在しているということなのだろう。

「マスター最近遊んでる?」

39歳女性が聞いた。

「どうして?」

「すこし覇気がないから。
疲れてる? それとも女遊びする余裕もない?」

ズバリだ。

これだけ脚と腕が痛くては、
少し前のように夜な夜な女の家には行けるはずもない。

しかも、締め切りと催促の電話とメールが、
とても出歩く気分にさせてくれない。

小説も暗い内容になってしまう。

まぁ、もともと僕の書くものは
比較的ネクラなものが多いけれど。

元々ひねくれ者だったのが、
病気でますますひねくれてしまったのかもしれない。

日曜日、僕はどれだけ仕事を進めることができるのだろう?

いっそ、僕の本を店に並べて、
みんなに見せびらかしてみようかとも思ったりもした。

それも恥さらし。

何も知らずにやって来るからこそ、
客は楽しめる。

僕の店は誰のためにある?

僕のため?

それとも客のため?

そんなことさえ、57歳になっても
いまだに結論を出せないでいる。

彰子先生に会いたい。
Y子さんに会いたい。

情けない自分と決別したい。

明日も明後日も、きっと死ぬまでこうしているのだろう。

昨日と同じように・・・・。

得した気分で損をする。哀れな人たちへの苦言も聞いてはくれないだろうけれど…。

2013-03-23 | 人間観察
ランチの常連が、若い人たちを連れてきた。

しかしこの人たちの口には合わないようだ。

「ここ高いね、マスター」

「この商品で高いという人は少ないけどね」

「そんなことないよ。そこのビルには●●って言う店があるけど、
あそこは、500円でヒレカツがお代わり自由で、
ご飯も味噌汁もお替りし放題なんだぜ。
ここは少し儲け主義じゃないの?」

「本マグロと天然ハマチの刺身にブリの照焼と小鉢、
あさりの味噌汁と天日干しのお米で1280円が高いと思われるなら、来ないほうがいい」

時々来る女子高生が隣で笑う。

「大学出て働いてる人なのに、
食べ物の価値もわからないんだ。
かわいそうね」

ほかの客もあっけにとられている。

「もうこんな店来ない。ふざけてる。
同じ食べるなら気分良く食いたいから」

連れてきた先輩も恐縮してしまった。

「マスターすみません、こいつら、腹が膨れればいい人種だから」

彼らはお金を払って出て行った。

お米は1合、原価で100円。
ヒレカツも普通のものなら、100円はかかる。
味噌汁に野菜、原価だけでも300円近いものになる。
場所代も光熱費も、駐車場代も、人件費もかかる。

これらを500円でお代わり自由にして儲かるはずがないし、
それができるというのは、
原価がもっと安いものしか使っていないということなのだ。

保存料と着色料にまみれた冷凍食品と、
飼料に使うような安い米と、悪くなりかけた野菜を使うしかない。

それでも儲かるから店はやっていけるのだ。

かわいそうに彼らには理解できないのだ。

得したつもりで、
まがいものを身体に取り入れ、結局は損をしてるってことに気がつかないでいるのだ。

僕は最近思うことがある。

女性の多くが、エステに通っている。

年間50万もの大金を払って。

ネイルサロンに通い、風俗まがいの洋服を身につける。

髪を染め、肌を露出し、箸もまともに持てない。

彼女たちの人生に何の役にも立っていない。

お茶やお花を習っていれば、
立ち振る舞いなどは一生の財産だ。

着付けを習えば、
格式高いセレモニーにも恥をかかない。

みんな現実を追いかけながら、
現実を見ていない。

得してるつもりで
損してるということにも気がつかないでいる。

悲しいけれど、これも現実。

大事にしたい、自分の人生。

大事にしたい自分の知的財産。

誰もが死を免れることなど出来やしない。

だからこそ、生きているうちに、
価値ある人生を送りたい。

死ぬときに、損をしたとは思いたくないから。

男は【男気】と【粋】を捨て、女は【歳時記の楽しさ】を捨てた。日本の未来を憂う。

2013-03-22 | 人間観察
カウンター文化は、男のカッコ良さを育ててくれた。

女性を連れて、板前と食材の話や、酒の歴史を語り、
粋な食べ方や会話を学んでいった。

熱燗で日本料理を食べ、最後はダシの茶漬けで締める。

それは実に粋だった。

女は家庭で、歳時記を楽しみながら料理を作っていた。

「もう土筆の季節なんだね」

女は家庭で夫や子供に、花鳥風月を教育した。

土筆は卵とじや天麩羅、新玉ねぎやフキノトウとかき揚げをしたり、
毎日が素材と味覚と味を楽しんだ。

夫はそんな食事に季節を感じ、
子供は、母の愛を感じ、季節の新しい発見をする。

しかし、男も女も、日本人の美しさを捨ててしまったようだ。

初めて来店した夫婦は、入って来るや否やテーブル席に座った。

「飲まれるのだったら、この店ではカウンターに座られたほうが
サービスがいいですよ」

カウンターに座っている常連が言った。

「私たちは、テーブルのほうが落ち着きますから」

案の定、二人は魚もきちんと食べられないばかりか、
箸もきちんと持てなかった。

土筆を出した時、
「これ土筆? こんなの食べられるの?」

釣りイワシの刺身を食べた時、
「私たち、イワシはいつも回転寿司で頼むのよ」

京人参を出した時、
「この人参、色粉で染めてあるんじゃない?
身体に悪いもの出しちゃぁだめよ」

朝採りのタケノコを刺身で出した時
「スーパーで買う水煮のパックのほうが柔らかいわよ」

もう何も言いたくないという感じだ。

常連客も気分が悪くなったようだ。

「いつもどこでどんなものを食べてるんだ?」

すると御主人が嬉しそうに答えた。

「僕たちは本当はカウンターが大好きなんだ。
回転寿司でも必ずカウンターだし、
デニーズでもそうだし、
吉野家でも、朝定はカウンターなんだ」

みんな日本文化を捨ててしまった。

四季折々の自然を食べることも捨ててしまった。

こういう大人に育てられた子供は
いったいどんな大人になって行くのだろう。

日本人が壊れている。

日本が壊れていく。

10年後、僕は生きているかどうかはわからないが、
日本はその時、存在しているのだろうか?

日本文化は、日本の風習は、
案外、フランスなどで根付いて行ったりして・・・・。

想像することさえ、おぞましく思ってしまう。