子供の頃、熱いものを食べたり飲んだりするとき、
『ふーっ、ふーっ』なんてやったのを思いす。
でも今は『ふーっ』なんてのはため息の象徴。
寂しい限りです。
医者に「ステロイドを打つよ」と言われたとき「ふーっ」。
医者に「ステロイドを止めようか」と言われても「ふーっ」。
歩いて医者に行く時も疲れてしまって「ふーっ」。
市場でも、店でも、深夜に仕事をしていても
最近は、この「ふーっ」君が身近になってきた。
僕に愚痴にも似た文章は、
相手の定まらないストーカーのように、
空を彷徨っているだけなのかも知れません。
衰えかかる命を知るというのは、
洞穴の中から空を除くようなものなのかも。
脚を痛めた競馬の馬は、小屋で死ぬのを待っているだけのかも。
みんな「ふーっ」と、疲れきった呼吸の音を発していたような気がします。
僕のため息は、誰になら聞こえるのだろう?
それと、また僕の身に、不安が襲う。
ステロイドを中断する?。
約ひと月間、モルヒネを試験的に投与してくれるそうだ。
痛みにはそのほうが効果的で、副作用も少ないとの説明を受けた。
ステロイドの副作用が強く出すぎていて、
このまま続けることは、内臓に与える負担が大きすぎるそうだ。
ステロイドでせっかく(?)膨らんだ身体も、2ヶ月くらいで元に戻ってしまうらしい。
ってことは、痩せちゃうということで、体力が落ちるということも含まれていて、
何となく不安ではあるのだけれど。
まぁ、僕の身体に合うならば、モルヒネも仕方ないことかも知れない。
少しばかり、将来の夢を阻まれてしまったような感も拭い切れないまま、
最後の薬で、病を治すことを断念しなくてはならなくなった。
モルヒネを常用しなくてはならないということは、
一生モルヒネを続けなくてはならないということで、
もう、治療なんかではなくなってしまう。
医師が、僕の病気は治らないと宣言したのと同じことなのだ。
万が一にも、病を克服できたなら、
そんな夢は断たれてしむことになる。
ダイエットだと思えばいい?
ステロイドを辞めれば、
きっと体は元に戻る。
175センチ、65キロの身体に戻るのかもしれない。
でもそれは、死にも耐えがたい屈辱でもある。
治療を放棄され、
痛みと交換に、
一生麻薬を投与され続けるということだ。
卑屈で卑劣な男が、
今から屈辱の人生を送らねばならなくなるのか?
そんなことをしてまで、生きることのみに執着するのか?
拒否するということは、
瘠せることを放棄し、
痛みに耐えながら、
苦しみのたうちまわって死ぬということ。
受託するということは、
痛みと交換に、
身体をボロボロにしながらも、
まさに生きる屍になること。
拒否する勇気があるのだろうか?
容認できる広い心があるのだろうか?
病院のベッドでは、医師の言葉しか聞こえてこない。
僕は帰って、自分の答を整理したい。
少なくとも、少しくらいの夢が持てる人生に
軌道修正しなくては
僕の人生は、死んだも同然だ。
今なら、死を選ぶ人の気持ちがよくわかる。
死を選ぶのか、死を選ばなくてはならない状態に追い込まれているのか?
僕の人生の後半って、
本当に何だったんだろう?
僕の人生って?
『ふーっ、ふーっ』なんてやったのを思いす。
でも今は『ふーっ』なんてのはため息の象徴。
寂しい限りです。
医者に「ステロイドを打つよ」と言われたとき「ふーっ」。
医者に「ステロイドを止めようか」と言われても「ふーっ」。
歩いて医者に行く時も疲れてしまって「ふーっ」。
市場でも、店でも、深夜に仕事をしていても
最近は、この「ふーっ」君が身近になってきた。
僕に愚痴にも似た文章は、
相手の定まらないストーカーのように、
空を彷徨っているだけなのかも知れません。
衰えかかる命を知るというのは、
洞穴の中から空を除くようなものなのかも。
脚を痛めた競馬の馬は、小屋で死ぬのを待っているだけのかも。
みんな「ふーっ」と、疲れきった呼吸の音を発していたような気がします。
僕のため息は、誰になら聞こえるのだろう?
それと、また僕の身に、不安が襲う。
ステロイドを中断する?。
約ひと月間、モルヒネを試験的に投与してくれるそうだ。
痛みにはそのほうが効果的で、副作用も少ないとの説明を受けた。
ステロイドの副作用が強く出すぎていて、
このまま続けることは、内臓に与える負担が大きすぎるそうだ。
ステロイドでせっかく(?)膨らんだ身体も、2ヶ月くらいで元に戻ってしまうらしい。
ってことは、痩せちゃうということで、体力が落ちるということも含まれていて、
何となく不安ではあるのだけれど。
まぁ、僕の身体に合うならば、モルヒネも仕方ないことかも知れない。
少しばかり、将来の夢を阻まれてしまったような感も拭い切れないまま、
最後の薬で、病を治すことを断念しなくてはならなくなった。
モルヒネを常用しなくてはならないということは、
一生モルヒネを続けなくてはならないということで、
もう、治療なんかではなくなってしまう。
医師が、僕の病気は治らないと宣言したのと同じことなのだ。
万が一にも、病を克服できたなら、
そんな夢は断たれてしむことになる。
ダイエットだと思えばいい?
ステロイドを辞めれば、
きっと体は元に戻る。
175センチ、65キロの身体に戻るのかもしれない。
でもそれは、死にも耐えがたい屈辱でもある。
治療を放棄され、
痛みと交換に、
一生麻薬を投与され続けるということだ。
卑屈で卑劣な男が、
今から屈辱の人生を送らねばならなくなるのか?
そんなことをしてまで、生きることのみに執着するのか?
拒否するということは、
瘠せることを放棄し、
痛みに耐えながら、
苦しみのたうちまわって死ぬということ。
受託するということは、
痛みと交換に、
身体をボロボロにしながらも、
まさに生きる屍になること。
拒否する勇気があるのだろうか?
容認できる広い心があるのだろうか?
病院のベッドでは、医師の言葉しか聞こえてこない。
僕は帰って、自分の答を整理したい。
少なくとも、少しくらいの夢が持てる人生に
軌道修正しなくては
僕の人生は、死んだも同然だ。
今なら、死を選ぶ人の気持ちがよくわかる。
死を選ぶのか、死を選ばなくてはならない状態に追い込まれているのか?
僕の人生の後半って、
本当に何だったんだろう?
僕の人生って?