日時:10月4日
映画館:サロンシネマ
パンフレット:B5版820円。
リース・ウィザースプーンって、最近の活躍作こそ観ていないが、割と早くから意識してきた女優さん。トンガリあごが印象的なのだが、ウチの奥さんには「ウィレム・デフォーの女版」と映るらしい。
よって、本作も「リースが幻のタスマニアデビルを探し求めて、1600キロを旅する映画」と認識されているかも知れない。(んな訳がない。)
さて、ワタシも山歩きが好きなのだが、何年も続けていると、「より高く、より遠く、より長く」とどこぞの宰相みたいなことを思うようになってくる。最近はどんどん歩く距離が伸びてきて、ロングトレイルにも興味が出だしてきた。果てしない荒野とか寂寥とした平原とか出てくる映画はそれだけでポイントが高いし、普通の映画でも背景の景色を歩いたら何時間かかるかなんて考えている。
よって、この映画は期待度が高かった。母を失い、自分を見直すために、リースがカリフォルニアからオレゴンまで砂漠と森林と雪山を3ヶ月かけて歩くのだ。何と憧れることか。(あまりにもベタな邦題なので、ワタシなら原題を生かして「ワイルド・ロング・トレイル」とするところだ。)
開幕早々、不注意でブーツを落としてしまう「山あるある」をしでかしてしまうリース。最初の頃はいかにも素人的なダメダメを連発してしまうリース。山好きにとっては自虐ネタとも言える内容で噴き出さずにはいられない。あの荒野で帽子をかぶらないなんて、とても考えられないが、そこは映画と言うことで目をつむろう。
1600キロを踏破する過程でリースは半生を振り返るのだが、この描写がとてもよく分かる。ワタシが山歩きをする時にはほとんど一人で、他人に会うことは少ない。たぶん山歩き1回あたりの平均出会い人数は0.3人くらいだ。3回に2回は誰にも合わない。(途中で何かあったら、おそらくどうにもならない「127時間」事態になる。)
ひとりぼっちで歩いている最中は、周囲の状況や自然に気を配りながらも、結構、あんな風に自分の半生を考え直していることが多い。何かとイヤなことも思い出すのだが、最後に目的地にたどりついた時にはそんなこともリセットされている。
今年の8月、炎天下、這う這うの体でたどり着いた山頂でお決まりのウィスキーを一口すすると、足元ではフンコロガシが一所懸命フンを転がしていたことがあった。何だか、フラフラの自分とフンコロガシの懸命さの取り合わせが無性におかしくて、一人でケタケタと笑いだしたことがあったが、この映画で主人公が見せる感情の発露なんか、ものすごくよく分かる。
効果音の使い方も印象的で、山にいるとあんな風にしか音が聞こえない。自然の営みだけでなく、遠くに聞こえるエンジン音とかもリアルだ。劇伴がほとんど排除され、生録の効果音だけが聞こえているあたり、70年代の映画っぽくていいなあ。というか、この映画そのものが70年代のロードムービーなんですけどね。出会う連中がほどよく個性的で、みんないい感じなんだよ。
音楽の使い方も良くて、「変な歌を聴くと頭から離れない」というぼやきもその通り。たぶん、これから「コンドルが飛んでいく」が頭から離れない。日本では別の面で有名な曲なだけに、ベタすぎるこの選曲は止めて欲しかった。(笑)まあ、ワタシは山で力尽きそうになるとマカロニ・ウエスタンか第三帝国楽曲を聴いて、アドレナリンを注入するのだが。
元々、セクシーさには縁の無いリースだが、化粧っけなしで余計なものがそぎ落とされた顔立ちは迫力があって、別の意味で色気を感じてしまう。トレイル前の自暴自棄ぶりとトレイルを通してたくましくなった後とのコントラストが素晴らしい。
これから山歩きをしたら、毎回、この映画を思い出すことになるだろうし、いつかはしてみたいこんな旅への憧憬を募らせていくんだろうな。山歩きをしている時は苦しくて仕方ないくせに、下山するとさみしくて、次の行き先を考えてしまうんだから。
ところで、この映画はR-15指定。主人公がドラッグをやって、行きずりのセックスに溺れるからだと思うが、それでこの映画の客足が鈍るとしたら、残念なこった。
映画館:サロンシネマ
パンフレット:B5版820円。
リース・ウィザースプーンって、最近の活躍作こそ観ていないが、割と早くから意識してきた女優さん。トンガリあごが印象的なのだが、ウチの奥さんには「ウィレム・デフォーの女版」と映るらしい。
よって、本作も「リースが幻のタスマニアデビルを探し求めて、1600キロを旅する映画」と認識されているかも知れない。(んな訳がない。)
さて、ワタシも山歩きが好きなのだが、何年も続けていると、「より高く、より遠く、より長く」とどこぞの宰相みたいなことを思うようになってくる。最近はどんどん歩く距離が伸びてきて、ロングトレイルにも興味が出だしてきた。果てしない荒野とか寂寥とした平原とか出てくる映画はそれだけでポイントが高いし、普通の映画でも背景の景色を歩いたら何時間かかるかなんて考えている。
よって、この映画は期待度が高かった。母を失い、自分を見直すために、リースがカリフォルニアからオレゴンまで砂漠と森林と雪山を3ヶ月かけて歩くのだ。何と憧れることか。(あまりにもベタな邦題なので、ワタシなら原題を生かして「ワイルド・ロング・トレイル」とするところだ。)
開幕早々、不注意でブーツを落としてしまう「山あるある」をしでかしてしまうリース。最初の頃はいかにも素人的なダメダメを連発してしまうリース。山好きにとっては自虐ネタとも言える内容で噴き出さずにはいられない。あの荒野で帽子をかぶらないなんて、とても考えられないが、そこは映画と言うことで目をつむろう。
1600キロを踏破する過程でリースは半生を振り返るのだが、この描写がとてもよく分かる。ワタシが山歩きをする時にはほとんど一人で、他人に会うことは少ない。たぶん山歩き1回あたりの平均出会い人数は0.3人くらいだ。3回に2回は誰にも合わない。(途中で何かあったら、おそらくどうにもならない「127時間」事態になる。)
ひとりぼっちで歩いている最中は、周囲の状況や自然に気を配りながらも、結構、あんな風に自分の半生を考え直していることが多い。何かとイヤなことも思い出すのだが、最後に目的地にたどりついた時にはそんなこともリセットされている。
今年の8月、炎天下、這う這うの体でたどり着いた山頂でお決まりのウィスキーを一口すすると、足元ではフンコロガシが一所懸命フンを転がしていたことがあった。何だか、フラフラの自分とフンコロガシの懸命さの取り合わせが無性におかしくて、一人でケタケタと笑いだしたことがあったが、この映画で主人公が見せる感情の発露なんか、ものすごくよく分かる。
効果音の使い方も印象的で、山にいるとあんな風にしか音が聞こえない。自然の営みだけでなく、遠くに聞こえるエンジン音とかもリアルだ。劇伴がほとんど排除され、生録の効果音だけが聞こえているあたり、70年代の映画っぽくていいなあ。というか、この映画そのものが70年代のロードムービーなんですけどね。出会う連中がほどよく個性的で、みんないい感じなんだよ。
音楽の使い方も良くて、「変な歌を聴くと頭から離れない」というぼやきもその通り。たぶん、これから「コンドルが飛んでいく」が頭から離れない。日本では別の面で有名な曲なだけに、ベタすぎるこの選曲は止めて欲しかった。(笑)まあ、ワタシは山で力尽きそうになるとマカロニ・ウエスタンか第三帝国楽曲を聴いて、アドレナリンを注入するのだが。
元々、セクシーさには縁の無いリースだが、化粧っけなしで余計なものがそぎ落とされた顔立ちは迫力があって、別の意味で色気を感じてしまう。トレイル前の自暴自棄ぶりとトレイルを通してたくましくなった後とのコントラストが素晴らしい。
これから山歩きをしたら、毎回、この映画を思い出すことになるだろうし、いつかはしてみたいこんな旅への憧憬を募らせていくんだろうな。山歩きをしている時は苦しくて仕方ないくせに、下山するとさみしくて、次の行き先を考えてしまうんだから。
ところで、この映画はR-15指定。主人公がドラッグをやって、行きずりのセックスに溺れるからだと思うが、それでこの映画の客足が鈍るとしたら、残念なこった。
題名:わたしに会うまでの1600キロ 原題:Wild 監督:ジャン=マルク・ヴァレ 出演:リース・ウィザースプーン、ローラ・ダーン |