ここ数年、毎年上映されるナチス内幕映画。今年は宣伝相ゲッベルスの映画だ。
最初、「ショッキングな映像が流れます」と配給会社からの注意が入る。ってことはゲッベルスの焼かれた死体映像が流れるんだなと先読みするあたり、長年の経験ゆえだ。
原題は「Führer und Verführer」。訳すると「総統(指導者)と扇動者」の意で、映画はヒトラーとゲッベルスの関係を通じて描かれる。
映画は1945年のベルリン陥落から幕を開け、1938年のウィーン併合から終戦まで時系列で描く。なので時期的には「ヒトラーをプロデュースした男」という副題は少々難がある。「ナチスをプロデュースした男」ならいいのだが、宣伝的にはしんどいだろう。
映画の冒頭、登場人物のセリフは歴史的に検証を重ねたと説明が入る。加害者の視線を正確に描こうとしたことが強調される。
前述のように大戦前夜のウィーン併合から物語が始まるが、ヒトラーを出迎えるウィーン市民や歓喜に沸くドイツ国民の群衆シーンは当時のモノクロ記録映像。嫌な予感がしたが、群衆シーンは全て記録映像で、映画はヒトラーとゲッベルス、妻のマグダ、ナチスの幹部連中の会話で進み、舞台もほとんどが総統官邸、ベルクホーフ、狼の巣、宣伝省、ベルリン地下壕といった屋内シーン。画面に映るキャストも最大30人くらい。エキストラを雇う予算がなかったのか、映画として外見が非常に安っぽい。
記録映像で当時の様子を伝えることはある意味正確なのだが、逆に「映像で残っている当時と現在は違う」という逃げ道を与えかねない印象がある。人々の異様な熱狂をエキストラを使って肌感として伝えた方が効果的だと思う。
ヒトラーとゲッベルス二人の存在を通して、ナチの悪行と罪を描こうとするのだが、これにはいささか無理があって、先導的な役割は果たしたとは言え、他の幹部や巨大な官僚機構の存在があったことも間違いない。二人だけに収束させようとするには無理がある。
もちろん、ゲーリングやヒムラー、リッベントロップなどナチの領袖も登場するのだが、面白いのは劇中何度か登場するヒトラーとの会食シーン。各人の功績に応じて、毎回、ヒトラーが席次を指定する。より良い席次を得ようとする幹部連中をお互い疑心暗鬼にさせ、腹の探り合いをさせることで、結束して権力を持たせないようにするシステムが興味深い。
ほとんどが屋内シーンで、背景となる第二次世界大戦の進捗は日付と会話だけで説明されるので、基礎知識がないとかなりハードルが高い。
ゲッベルスは、数万人のドイツ軍が包囲されているスターリングラードからの聖歌生中継というニセのラジオ放送をでっちあげるが、スターリングラードで悲惨な戦いを展開するドイツ軍との対比がないので、その嘘くささや罪深さが伝わらない。
ヒトラー暗殺未遂事件も日付だけで表現されるので、何が起きたのか、なかなか分からない。(「ワルキューレ」でも描かれた、反乱側のレーマー少佐をゲッベルスが転向させる辣腕シーンは見たかった。)
映画の見せ場は総力戦演説をするゲッベルスで、演説の準備と演説シーンをカットバックしながら見せてくれる。なのだが、ここでも聴衆シーンは記録映像。虚勢を張る場面だからこそ、エキストラ大量動員で戦況との落差を表現して欲しかった。(この際、CGでも可)
いよいよ戦況が不利になってくると、戦意高揚のため、現役の兵士数千人を使って反ユダヤの映画「コルベルク」を製作する。劇中、オリジナルの「コルベルク」のシーンが流れるが、戦局が悪化する中だからこそ兵士を映画作りに動員する無意味なエネルギーをエキストラで表現してほしかった。
ゲッベルスを演じるのはロベルト・シュタットローバー。これまでも「ヒトラー/最期の12日間」とか「イングロリアス・バスターズ」などで他の役者が演じてきたが、なかなか似ている人がいない。彼も似ているとは言いがたく、もう少し目をむいたイタチのような狂信的でありながら知的な顔つきの俳優がいたらと思う。
最後、ベルリン陥落後、ゲッベルス夫妻は6人の子供を殺し、妻とともに心中する。子供の亡骸の記録映像は流れるが、ゲッベルスの死体は写されず。
期待していたのだが、いろんな面で残念な点が目立つので、
評価は★★☆☆☆。
題名「ゲッベルス/ヒトラーをプロデュースした男」
原題:Führer und Verführer
監督:ヨアヒム・A・ラング
出演:ロベルト・シュタットローバー、フリッツ・カール、フランツィスカ・ワイズ
最初、「ショッキングな映像が流れます」と配給会社からの注意が入る。ってことはゲッベルスの焼かれた死体映像が流れるんだなと先読みするあたり、長年の経験ゆえだ。
原題は「Führer und Verführer」。訳すると「総統(指導者)と扇動者」の意で、映画はヒトラーとゲッベルスの関係を通じて描かれる。
映画は1945年のベルリン陥落から幕を開け、1938年のウィーン併合から終戦まで時系列で描く。なので時期的には「ヒトラーをプロデュースした男」という副題は少々難がある。「ナチスをプロデュースした男」ならいいのだが、宣伝的にはしんどいだろう。
映画の冒頭、登場人物のセリフは歴史的に検証を重ねたと説明が入る。加害者の視線を正確に描こうとしたことが強調される。
前述のように大戦前夜のウィーン併合から物語が始まるが、ヒトラーを出迎えるウィーン市民や歓喜に沸くドイツ国民の群衆シーンは当時のモノクロ記録映像。嫌な予感がしたが、群衆シーンは全て記録映像で、映画はヒトラーとゲッベルス、妻のマグダ、ナチスの幹部連中の会話で進み、舞台もほとんどが総統官邸、ベルクホーフ、狼の巣、宣伝省、ベルリン地下壕といった屋内シーン。画面に映るキャストも最大30人くらい。エキストラを雇う予算がなかったのか、映画として外見が非常に安っぽい。
記録映像で当時の様子を伝えることはある意味正確なのだが、逆に「映像で残っている当時と現在は違う」という逃げ道を与えかねない印象がある。人々の異様な熱狂をエキストラを使って肌感として伝えた方が効果的だと思う。
ヒトラーとゲッベルス二人の存在を通して、ナチの悪行と罪を描こうとするのだが、これにはいささか無理があって、先導的な役割は果たしたとは言え、他の幹部や巨大な官僚機構の存在があったことも間違いない。二人だけに収束させようとするには無理がある。
もちろん、ゲーリングやヒムラー、リッベントロップなどナチの領袖も登場するのだが、面白いのは劇中何度か登場するヒトラーとの会食シーン。各人の功績に応じて、毎回、ヒトラーが席次を指定する。より良い席次を得ようとする幹部連中をお互い疑心暗鬼にさせ、腹の探り合いをさせることで、結束して権力を持たせないようにするシステムが興味深い。
ほとんどが屋内シーンで、背景となる第二次世界大戦の進捗は日付と会話だけで説明されるので、基礎知識がないとかなりハードルが高い。
ゲッベルスは、数万人のドイツ軍が包囲されているスターリングラードからの聖歌生中継というニセのラジオ放送をでっちあげるが、スターリングラードで悲惨な戦いを展開するドイツ軍との対比がないので、その嘘くささや罪深さが伝わらない。
ヒトラー暗殺未遂事件も日付だけで表現されるので、何が起きたのか、なかなか分からない。(「ワルキューレ」でも描かれた、反乱側のレーマー少佐をゲッベルスが転向させる辣腕シーンは見たかった。)
映画の見せ場は総力戦演説をするゲッベルスで、演説の準備と演説シーンをカットバックしながら見せてくれる。なのだが、ここでも聴衆シーンは記録映像。虚勢を張る場面だからこそ、エキストラ大量動員で戦況との落差を表現して欲しかった。(この際、CGでも可)
いよいよ戦況が不利になってくると、戦意高揚のため、現役の兵士数千人を使って反ユダヤの映画「コルベルク」を製作する。劇中、オリジナルの「コルベルク」のシーンが流れるが、戦局が悪化する中だからこそ兵士を映画作りに動員する無意味なエネルギーをエキストラで表現してほしかった。
ゲッベルスを演じるのはロベルト・シュタットローバー。これまでも「ヒトラー/最期の12日間」とか「イングロリアス・バスターズ」などで他の役者が演じてきたが、なかなか似ている人がいない。彼も似ているとは言いがたく、もう少し目をむいたイタチのような狂信的でありながら知的な顔つきの俳優がいたらと思う。
最後、ベルリン陥落後、ゲッベルス夫妻は6人の子供を殺し、妻とともに心中する。子供の亡骸の記録映像は流れるが、ゲッベルスの死体は写されず。
期待していたのだが、いろんな面で残念な点が目立つので、
評価は★★☆☆☆。
題名「ゲッベルス/ヒトラーをプロデュースした男」
原題:Führer und Verführer
監督:ヨアヒム・A・ラング
出演:ロベルト・シュタットローバー、フリッツ・カール、フランツィスカ・ワイズ