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バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

バニャーニャ物語 その18 紅茶がおいしい夜でした

2012-08-15 22:33:30 | ものがたり



                  

作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その8」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







         バニャーニャ物語 その18 紅茶がおいしい夜でした!




 窓から入る風が、ひんやりと肌をなでていく、秋の夜でした。
「明日のメニューにはポルチーニのチャウダーをのせよう」
ジロは、去年採ってすっかり乾燥させておいたポルチーニ茸を袋から出して、
たっぷりの水にひたしました。
一晩たてば、きっとポルチーニからすばらしい旨味が出て、
秋の訪れを堪能できる美味しいチャウダーができるでしょう。
 デザートは、サツマイモのタルトにしようかな、とジロが考えていたとき、
スープ屋の入口の鈴がチリン、と鳴って、モーデカイが入ってきました。

「やあ、ごめん、ごめん、すっかり遅くなっちまったよ」
「陽が落ちるのが早くなってもう暗いから、どうしたかな、と思っていたんだ」
モーデカイが店のテーブルの上に大きなカバンを下ろすのを手伝いながらジロがいいました。
モーデカイは今朝早くから、国境の街へおつかいに行ってきたのです。
「きょうは配達が多くってさ。
はい、これ頼まれていた紅茶だよ」
モーデカイがカバンから、大きな紙袋を取り出してジロに渡しました。

「あれ、いつものと違うね」ジロが、お茶の缶を見ながら言いました。
「うん、お茶屋のおやじにすすめられて飲んでみたら、すごく香りがよかったんで
これにしてみたんだけど、気にいるといいなあ」
「モーデカイが美味しいって思ったんだったら、間違いないよ」
ジロがさっそく缶の蓋を開けて、香りを吸い込みながらいいました。
「うわー、ほんとにいい香りだ」
コーヒーが苦手なモーデカイはけっこう紅茶の味にはうるさくて、
国境の街の大きなお茶屋さんで選んできてくれる紅茶にはジロは絶対の信頼をよせています。

「よし、さっそくいま淹れるから、いっしょに飲んでいかない?」
「そりゃありがたいな」
 ジロはとっておきの濃い緑色のポットに、封を開けたばかりのお茶の葉と、
熱いお湯を注いで、堅焼きのビスケットを添えてテーブルに置きました。





 夏の終わりから秋のはじめにかけて、バニャーニャでは雨の日がつづきました。
そして、その雨があがると季節はがらりと様相をかえ、空はぐんと高くなり、
空気は澄んで、風がちょっと肌寒いくらいになりました。

「うーん、うまい!」
ジロがカップに注いだお茶をひと口飲んで、
舌の上の香りを味わうように目を閉じて満足そうにいいました。
丁寧に淹れたお茶はこっくりとした色。
湯気といっしょに香気がたちのぼります。
「紅茶の美味しい夜だねえ」モーデカイが、しみじみとした調子でいいました。





 そのころカイサは・・・・・。
テーブルの上に広げたいろいろな葉っぱや枝や木の実を前に、とほうにくれていました。
「うーん、やっぱりこれも気にいらないか・・・・」

 氷の洞窟からもってきた氷の花が溶けて、なかから出てきた1匹の虫。
それは見たこともない不思議な形をした虫でした。
長い間、冷たい氷のなかに閉じ込められていたにもかかわらず、
それは、おどろいたことに氷が解けると同時に、息を吹き返したように、
動き始めたのです。
シンカが「雨ふり図書館」にあるありったけの図鑑で調べてくれましたが、
どこにもこんな虫は載っていませんでした。

 しかしこの虫は、もう一か月近くも、
綿にしみこませた水を
そのストローのような口でときどき吸うだけで、
カイサがあげるどんな食べ物も食べようとしません。
「困ったねえ・・・・・・早く食べられるものが見つからないと、生きていけないよね。
あしたも、さがしてみるか・・・・・・」
カイサはため息をつきながら、虫をハチミツの空き瓶にいれて、枕元において眠りました。






 つぎの日の午後のことでした。
用意したポルチーニ茸のチャウダーはすごい人気で、
お昼にはすっかり売り切れてしまいました。
 お客さんが途絶えた合間に、ジロがピーナッツクリームのサンドイッチをかじっていると、
戸口の戸が、ばーん!と、音をたてました。
びっくりして見ると、
なんと、そこにはあのラ・トゥール・ドーヴェルニュ王国の
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルが立っているではありませんか。



ナナはハアハア吐息をきらしながら、戸口に仁王立ちになって
ジロをにらんでいます。

「わあ、ナナさんじゃないですか、久しぶり!
またバニャーニャに来てくれるなんて。
さあ、はいったはいった」
ジロが笑顔でそういうと、ナナはなおもハアハア荒い息をしながら、
いきなり大声でいいました。
「カイサはどこなの?
 あっちこっち探したのに、家にもいないじゃないの!」

 「カイサはたしか、虫のエサさがしに毎日あっちこっちいってるみたいですよ」
ジロがいいました。
「とりあえず、ナナさん、なにか飲み物でもいかがですか?」
ジロがイスをすすめながらいいました。
ナナさんったら、いつもこんな調子だからな。
でも、また来てくれるなんで、きっとバニャーニャが気に入ったんだな、と思いながら。

「ふん、このびんぼったらしい食堂も、相変わらずだわね」
ナナは少し落ち着いたようで、スープ屋の店内を見回しながらいいました。

「またナナさんに会えるなんて、きっとカイサも大喜びですよ」
ジロが、きのうモーデカイが仕入れてきてくれた香りのいいお茶を淹れながらいいました。
「ふん、私がはるばるドーヴェルニュから来てあげたっていうのに、
 虫のエサをさがしているですって!ゆるせないわ」
ナナはまた激高しそうになりながら、喉が渇いていたのか
ジロの淹れたお茶をひとくち飲みました。
「あら・・・・・・・」

「ふん、こんなド田舎にしては、ま、マシなお茶だわね」
「ところで、こんどはシャルルさん、いっしょじゃないんですか?」

「もちろん、国王の娘である私がひとりっきりで旅をするはずがないじゃないの!
あいつったら、バニャーニャに着くなり、ジャマイカインのコルネとキノコ話で夢中になっているのよ。
秋になるのを待ちかねて、ナナさま、またカイサさまにお会いにバニャーニャに行かれては、いかがでしょう?気候もよろしいですし、なんてうるさかったのは、
また自分がコルネとキノコをさがして食べたいからなのよ。
ったく、調子のいい軟弱者なんだから」

「あれ?シャルルさんは、今度はナメナメクジはだいじょうぶだったのかな」
ジロが、カラになったナナのカップにお茶のおかわりを注ぎながらききました。
はじめてバニャーニャに来た時、シャルルはナメナメクジの森でひどい目にあったのです。

「ふん、またシャルルがこの前みたいにかゆくて寝込まれたらたまらないじゃないの、
今度は近くの岬まで船で来て、コルネにボートで迎えに来てもらったのよ」
ナナがそういったとき、開けっ放しになっていた戸口から、
「ジロ、いるぅ?」とのんびりした声がして、フェイが顔をのぞかせました。
そして、テーブルに座っているナナをみると、「ぎゃっ!」と叫んで
後ずさりました。

「その失礼な態度、許せないわ!」
がたんと椅子を鳴らして立ち上がり、
ナナがフェイを怖い顔でにらみつけていいました、

「いえ、ちょっとびっくりしちゃったもので。
あのぅ、また・・・・・またいらしたんですね」
フェイが、しぶしぶといった様子で店に入って来ながらいいました。
「ナナさんはね、またカイサに会いにきたんだけど、
どこにいるか、わからないんだ。フェイ、知らない?」
ジロが、フェイにもお茶を用意しようと立ち上がりながらいいました。
「さあ、まだ虫の食べ物が見つからないとかいって、
毎日さがしまわってるみたいだったけどな」





 同じころ、ホテル・ジャマイカインでは、
再会を喜ぶシャルルとコルネが、さっそく美味しいキノコの話で盛り上がっていました。

「もうそろそろ、バニャーニャの森には私の国では見たことのない
キノコがいっぱい生え出しているんだろうと思うと、いてもたってもいられなくなりましてね。
ナナさまをそそのかして・・・・いえその、おススメしてこうやってやってきたわけです」
シャルルが満面の喜びを浮かべた笑顔でいいました。

「あのリュウゼンコウは我が国の歴史でも最上の品質でして。
おかげで、我が国はいままでよりさらに高品質の「一なる香油」をつくることができ、
空前の繁栄を謳歌しておるのです。
これもみんなバニャーニャのみなさんのおかげだと、国王も、ことのほかお慶びで。
ナナさまも、ラ・トゥール・ドーヴェルニュ国特製の「一なる香油」をぜひひとビン、
カイサさんに届けたいと、思っていらっしゃったわけでして、
つまり今回の訪問はわたくしめの
キノコ欲を満たすためだけではないのであります」

「いやあ、ひとりで賞味するより、
美味しさがわかる人といっしょに食べるキノコの味は格別だからね。
明日はさっそく、森へキノコ狩りといきましょうや!」
コルネもうれしそうにいいました。


 ジャマイカインで夕ごはんを済ませたナナとシャルルは、
日が暮れて暗くなった道を、
バニャーニャの西にあるカイサの家に向かって、歩いていました。
「ナナさま、待ってくださいませ。長旅をしてやっとバニャーニャにたどり着いたばかりですのに、そんなに早く歩かれては、お体にさわりますです」
シャルルが先を行くナナにいいました。
「うるさいわね!私はあんたのように、軟弱ではないのよ。
もうカイサも家にかえっているはずよ。
今夜じゅうに、これを渡すと、わたしは決めているんだから」

 カイサの家には灯りがついていました。
ナナがいきなりドアを開けようとするのをなんとか押しとどめて、
シャルルがノックしました。
「はーい・・・・いまごろ、だれだろう?」
そういいながらドアを開けたカイサのびっくりした顔。

「ナナちゃんじゃない!!!いつバニャーニャにきたの?!
また会えたなんて、うれしいよー」
「いつ来たのって、きょうの午後には着いていたのに、
どこをさがしてもアナタがいなかったんじゃないの!
まったく、あちこちさがしまわってしまったわ。
いったいどこに行ってたというの?」

「うん、ちょっとね、この虫がなんにも食べないんで
困っているんだよ。だからあっちこっち探していたの」
カイサはナナに会えたうれしさに、顔を輝かしていましたが、
ちょっと疲れているようにも見えました。
このところ、虫が何も食べないので、カイサもすっかり食欲をなくしていたのです。

「カイサさん、ちょっとお痩せになったのではないですか?」
シャルルもカイサの顔を見て心配そうにいいます。
「うーん、そういえば、きょうも何食べたっけかな?」
「いけませんです!食べものこそ、体をつくり、心を強くするのです」
シャルルが間髪をいれず、きっぱりといいました。
「カイサさん、明日はごいっしょに、キノコ狩りにおいでになりませんか?
コルネがキノコ料理に腕を振るってくれることになっています。
美味しくて滋養のあるものをしっかり召し上がって、力をつけてください」
シャルルが力を込めていいました。

「ありがとう!そうだね、またナナちゃんと歩きたいし、
いっしょに行くことにしようかな」
「こんな田舎でほかにすることもないし。私もいっしょに行ってあげることにしようかしらね。
あ、シャルルがどうでもいいキノコのことなんかいうから、
肝心なことを忘れるところだったじゃないの。
私がここに来たのは、カイサにこれを渡すためなのよ」
ナナはそういうと、肩にはおったケープのなかから、
上等そうな絹の綾織りでできた、小さな布袋を取り出して、カイサに差し出しました。


「我がラ・トゥール・ドーヴェルニュ王国が誇る、世界にふたつとない<一なる香油>よ。
ありがたいと思いなさい!」
「わあ、すごーい、<一なる香油>って、世界でナナちゃんの国でしか作れなくて、
すんごく貴重なんでしょう?こんなもの、もらっていいのかなあ」
布袋からガラスでできた小瓶を、おそるおそる取り出しながらカイサがいいました。

「カイサさんたちのおかげで、<一なる香油>の調合に欠かせないリュウゼンコウを手に入れることができたのですから、これはナナさまからの、心からの感謝のしるしなのです、はい」
シャルルがいいました。
「よけいなことを言わなくていいのよ。
ちょっとした手土産なんだから、感謝のしるしなんて、おおげさな!」

「ふぁ~・・・・・」
ガラスの小瓶を鼻に近づけたカイサは、その香りに言葉もなく目をとじて
うっとりしました。
それはいままで嗅いだことのない、体と心を満たす圧倒的なパワーをもった香りでした。

「これが<一なる香油>の香り・・・・・・なんだかすごく、幸せな気持ちになっちゃった」
「ふん、やっと、「一なる香油」のなんたるかが、少しはアナタにもわかったようだわね」
「おや、小雨が落ちてきたようでございますよ。
この雨で森にはにょきにょきとキノコが・・・・・・。
明日は絶好のキノコ日和になることでしょう!」
シャルルは顔を輝かせながらそういうと、ナナといっしょに帰って行きました。



 
 朝がたは昨夜からの小雨が残っていたものの、
お昼前には木々のあいだから薄日がさしてきて
シャルルの期待通り、森のなかでは、次々とキノコが見つかりました。

「エクセレント!コルネ殿、これをご覧ください!ヤマドリタケの幼菌ですぞ、
間もなく傘が開くでしょうが、このタイミングで食すのがこのキノコの醍醐味なのです。
あっ、あれ、あそこにも、ムラサキホウキタケが。ぜひこれは色を残したまま、コルネ殿の料理の腕でソテーにしていただきたいものです」
 針葉樹の葉を敷き詰めたカゴのなかに傷つけないように、
慎重な手つきでキノコをいれながら、シャルルが弾んだ声でいいました。

「ソテーにシチューに網焼きに、と、料理はおまかせあれ」
コルネが、自分のカゴにオレンジ色のフウセンタケモドキを入れながら答えました。
「私はもう帰るわよ。靴が泥だらけだわ」ナナが口をとがらせていいました。
「うふふ、シャルルもコルネも楽しそうだね」とカイサ。

 そのとき、「コルネ殿、これはいったい!?」
熊笹の茂みのなかから、にょきっと出ていた1本の大きなキノコをつみとったのを
コルネに渡しながら、シャルルが頓狂な声をあげました。



「ううむ、見たことのないキノコですなあ」
コルネも首をひねっています。
「なんと、傘のまわりから、さかんに胞子を飛ばしておりますぞ!」

ふたりの熱狂した会話をきいて、ナナも寄ってきました。
「こんな見るからにヘンチクリンなキノコ、毒があるに決まっているではないの」
「さよう・・・・・たしかに毒を持っている可能性もなきにしもあらずですが・・・・・
なにぶんにも、食してみないことには証明はできない」
シャルルが意味ありげにつぶやきました。
「とりあえず、持ち帰ってみましょうや」コルネがいいました。



 その夜、ホテル・ジャマイカインの食堂のテーブルは、まさにキノコ尽くし。
はりきって腕をふるったコルネがつくった料理がこれでもかというほど並びました。

「わあ、ひさしぶりに、いっぱい食べちゃった。
シャルルさんのいうとおりだね、ちゃんと食べたら体に力が湧いてきたよ」
カイサがおなかをなでながらいいました。
「ああ、もううんざり。おんなじ食材でよくも飽きないものだわね。
私はもともとキノコってあんまり好みじゃないし」
ナナがシャルルとコルネを横目で見ながら苦々しい口調でいいました。

「今宵はまさに、至福のときでありました!」
シャルルが目をとろんとさせていいました。
「では、キノコの夕べもそろそろお開きとしましょうや」
コルネがシャルルに意味ありげに目配せしながらいいました。

 その夜も更けたころ。
ナナは、となりの部屋から聞こえものすごいうなり声と、
物がぶつかる音で目を覚ましました。
音は、ますます大きくなるばかりです。

「いったいこんな夜中に、なんの騒ぎかしら?」
すっかり目が覚めてしまったナナが、そっと部屋のドアを開けて廊下を見ると、
シャルルが両手を頭の上に振り上げ、踊るような格好で、
階段をころげるように、降りていくのが見えました。
びっくりしたナナがなおもドアの隙間から見ていると、
今度は、同じように両手を振り回しながら、コルネが
踊るような足取りで、階段を上ってくるではありませんか。

階段の真ん中あたりで出会ったコルネとシャルルは、
大声で吠えるように笑いながら、なおも奇妙な踊りをつづけています。

「まったく、こんな夜中に、なんの騒ぎなの!!!」
ナナがガウンをひっかけて廊下に出ていくと、
シャルルとコルネは、泣き顔で笑いながら(?)
奇妙な踊りをつづけています。

「ナナさまー、お許しください」
息もたえだえに、苦しげな笑顔を浮かべたシャルルが叫びました。
どうやらシャルルとコルネは、みんなにないしょで
あの、見たこともない怪しいキノコを食べて、
毒にあたってしまったようです。

 ふたりの苦しげな踊りは朝方までつづきました。
騒ぎをきいて、駆けつけてきたフェイが砂薬を飲ませると、
やっと気分がよくなったようです。
「症状からみて、これはワライダケの一種にあたったんだな」
フェイがいいました。
「キノコマニアっていうのは、たとえ毒があるかもしれないと思っても、
未知のキノコを見たら、食べてみないではいられないというからね」
いっしょに来たシンカがあきれたようにいいました。

 一晩中、笑ったり踊ったりしないではいられない毒にあたったシャルルは、
体力が恢復するまで、バニャーニャに留まることになりました。
ホテルの仕事ができなくなったコルネに代わって、シンカがふたりの介抱にあたり、
フェイも毎日、薬を届けにやってきます。


 
 そんなわけで、このところナナは、
「この不祥事は国に帰ったらお父様に報告して、即刻、シャルルは解雇してやるから!」
と息巻きながら、毎日ジロのスープ屋で食事をしています。
「まあまあ、シャルルさんも好きが高じて、つい度が過ぎちゃったってことで、
勘弁してあげてください」
ジロが、ナナのお皿を片付けながらいいました。
「そうだよ、シャルルさんって、あんなにナナちゃんに一生懸命仕えてるしさ」
カイサもいいます。


「そういう問題ではないのよ!」ナナがついに癇癪を起して、
テーブルをドン!と両手でたたいて怒鳴りました。
「ねえ、ナナちゃん、明日はさ、海岸のほうへ行ってみようよ。
今頃はきれいな貝殻が打ちあがるから、貝拾いしない?」
ナナが興奮しているときには、話題を変えるに限ると知っているカイサは、
さりげなくそう言いました。

「えっ?、ええ・・・・・・他にすることもないし。
あら、わたし、なんだかすごくノドが渇いてしまったわ。
あのなんていったかしら、ポ、なんとかっていう、バニャーニャにしかないっていう果物」
「ポポタキス?」
「そんな名前だったわね。ジロ、あのジュースをもう一度飲みたいのよ。
この前ここに来た時には、あっちこっちで見かけたのに、
今はどこにいっても見ないわ、あのピンクのオレンジみたいな実」
「ええ、ポポタキスが実をつけるのは、春から夏なんです。
だけど、収穫した実が地下室にたくさんありますから、
今、すぐジュースにしておもちしますよ」
ジロがいいました。

 「ポポタキスは、ほんっとに美味しいからね~。
ナナちゃんが気に入るものがバニャーニャにあってよかったよ」カイサがいいました。
「べつに、気にいったというわけではないのよ、ただ、喉が渇いただけだわ」

 「はい、お待ちどうさま、しぼりたてのポポタキスのジュースですよ」
ジロがそういって、ナナの前にジュースのグラスを置いた時でした。
カイサの上着のポケットから、
目にも留まらぬ早さで、あの氷の花から出てきた虫が
飛び出したのです。
そして、それはまっしぐらにナナの前のポポタキスジュースの入ったグラスのふちにとまり、
そのストローのような口で、ぐいぐいと、美味しそうにポポタキスのジュースを飲み始めました。

「ぎゃー、なによ!!!
私のジュースに虫が、虫が・・・・」
ナナがイスから立ち上がって、叫びました。


 カイサは、顔を輝かせながら、虫がジュースを飲むのをまじかで覗き込んでいます。
「アンタが好きだったのは、ポポタキスだったのか!
秋には木に実がないから、ポポタキスのことはすっかり忘れていたよ。
よかったー、ポポタキスならうちの地下室にいっぱい貯蔵してあるから、
これで冬がきても食べもののことは安心だね」




 「はい、新しいのをおもちしましたよ」
ジロがナナの前に、新しいグラスを置きながらいいました。
「まったく、飲もうとしているジュースに虫が飛び込むなんて、
田舎って、これだから・・・・・」
ぶつぶついっているナナに、
「ナナちゃんっ、ありがとうっ!
この虫の好きなものがわかったのは、ナナちゃんのおかげだよ」
カイサが心からうれしそうに、ポカンとしているナナの手をとっていいました。
「ああ、なんだか私もおなかが空いてきちゃったぁ。
ジロ、パプリカのスープ、まだ残ってる?」
カイサの声がはずんでいます。

 秋の夜長、空には煌々と満月が輝き、
冷たさを増した風が、川面をわたっていきました。
 





*********************************



 野外の観察で、育てててみたい虫を見つけた時、
その食べ物である食草を確保するのは、けっこう重要な問題です。
虫は必ずしも止まっていた場所の植物を食べるとは限らないので、
食草がわからないこともあり、そんなときは苦労します。
だから、未知の虫の食べ物がやっと判明した時の、カイサの気持ち、
よくわかります。

今飼っているラデンキンカメムシ(外来種なのでまだ正式な和名がない)という、
南西諸島の美しいカメムシ。



本来の食草はアカギという奄美諸島などにある木の実なのですが、
東京でそれを常備するのは難しいので、
代替食として、生の落花生を千葉の農家から取り寄せ、
富沢商店で生のアーモンドを買い、(カメムシはナッツ類が好き)
お友達の家の近所で、ヤマモモの枝を集めました。
食べものがわかり、準備できるといつもほっとします。

 カイサが飼っている虫は、どうも何かの幼虫のようです。
春にはきっと羽化して成虫になるんじゃないかな。
どんな虫になるのか楽しみです。

 






































 


































バニャーニャ物語 その17 氷の洞窟へ探検に

2012-07-13 09:47:26 | ものがたり



                  

作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 



     「バニャーニャ物語 その17 氷の洞窟へ探検に」
    
  
「ハアハア、もうだめだー、干からびる~」
川向うから、顔をまっかにしてやってきた
フェイがあえぎながらいいました。
 バニャーニャの空にはこのところ、
熟れきった金色の実のような太陽がぎんぎん輝いています。



「ここにお座りよ、まだ削り氷あるからさ」
ジロが汗だくのフェイの腕をとっていいました。
「シロップはもうポポタキスしきゃ残ってないけど、すぐつくるね」




 ジロのスープ屋では、
午後になると木陰ができる川辺のテーブルで、
シンカもモーデカイも、
ホテルジャマイカインの泊り客をひきつれてやってきたコルネも、
もくもくと、削り氷を食べています。
風もぴたっと止んだ午後、暑さはピークに達して、
いつもより削り氷を食べにくるお客さんがつぎからつぎへとあらわれて
ジロは大忙しです。

 

 体のなかにこもった熱が、ようやく削り氷の冷たさですきっとすると、
フェイも少し元気をとりもどしたようです。
「ねえフェイ、あしたさ、みんなで寒いところへ探検に行くんだって、
いっしょに行かない?」
削り氷のお皿を運ぶ手伝いをしていたカイサがいいました。

 「ええーっ、寒いところなんて、どこにあるんだよ?」
「この削り氷をつくる氷がある、ぶどう屋敷の裏山にある氷の洞窟だよ」
モーデカイがいいました。
「ああ、去年の夏、チクチクが閉じ込められちゃったあの洞窟かぁ。
たしかにあそこは寒いくらいだったな」
とフェイ。
「こないだ氷の湖から氷を切り出しにモーデカイの手伝いに行ったときにさ、
あの湖の奥に、道がつづいているのを見つけたんだよ」
お客さんがひと段落して、やっとフェイの向かいに腰掛けたジロがいいました。

 「よおし!行こう、行こう。どうせこの暑さじゃ、お客さんもこないし、
明日は砂屋の店を休んじゃおうっと」
フェイがそういったとき、
足元で「タタタタタ!」という声がしました。

「えっ、チクちゃんも探検に行きたいの?
もう怖いから二度と行きたくないっていってたのに?」
カイサがチクチクの「タタタ語」を翻訳していいました。
「チクチクは、夏はハエをおなか一杯食べてるから、
元気が余っちゃってるみたいなんだ」
ジロが笑いながらいいました。

チクチクは去年からジロの店の裏にある物置部屋のお気に入りの片隅に
自分で集めてきた枯れ枝や葉っぱを寝床にしている、
体中にトゲトゲのある生きものです。

「じゃあ、みんなで行こう!
あしたは涼しい朝のうちに出発しようよ。
じゃあジロ、お皿洗ってしまおうよ」
カイサがいいました。

 翌朝、ジロの店の前に集合したカイサ、モーデカイ、フェイ、シンカのみんなは、バニャーニャの北を目指して出発しました。
きょうもおひさまは元気いっぱいで、
早くも強い日差しに、たちまちみんな汗だくになりました。
道端の草や木も、陽に焼かれてぐんなりしています。

バニャーニャの北側にあるイザベラさんの夏の家―ぶどう屋敷が見えてくると、ヴァイオリンの澄みきった響きが、小さな沼地の向こうから聴こえてきました。イザベラさんは、毎年大きな街から夏を過ごしに、バニャーニャにある
おばあさんから受けついだお屋敷にやってきます。

「あ、イザベラさんだ!」そう叫ぶと、カイサが駆け出していきました。
そのあとをチクチクが、ボールがころがるように追いかけていきます。

 「カイサさん、おはようございます。
まあ、チクチクさん、おひさしぶり。
あらら、きょうはみなさんおそろいで、どうなさったの?」
美しい飴色のバイオリンを小脇にかかえたイザベラさんがいいました。
「イザベラさん、おはようっ。毎日あんまり暑いんで、
これから裏の崖にある
氷の洞窟をみんなで探検に行くことにしたんだ」
カイサがいいました。

「まあ・・・・・・」
それをきくと、イザベラさんはちょっと考えこむようなようすを見せました。
「モーデカイとジロが湖の氷を切り出しにいって、
奥につづく道を見つけたんだって」
「そう・・・・・・たしか、子供のころ、ひいひいおばあさまに、
洞窟の奥の話をきいたような気がするのだけれど・・・・・・。
じゅうぶんに気を付けて行ってくださいね。
そうだわ、帰りにはぜひうちに寄って、
お昼を召し上がっていってください」。
「うわあ、ありがとう、きっとみんな腹ペコで帰ってくると思うよ」
カイサが手をたたいていいました。
「じゃあ、うでによりをかけて、用意いたしますわ」
うれしそうにそういうイザベラさんに手を振りながら
みんなは、ぶどう屋敷の裏にある洞窟に向かいました。


 洞窟の入り口から氷の湖までは、
モーデカイがすべりやすい地面に板を敷いたので、
去年の夏にみんなが来たときよりも、ずっと歩きやすくなっていました。
湖のまわりには、モーデカイが切り出した氷のキューブがいくつか
並んでいます。
「モーデカイが氷を切って運んでくれて、
ジロがふわふわに削ってくれて、それでぼくたちあの美味しい削り氷が食べられるんだねえ」
シンカがそれを見ていいました。
「ほんとほんと、今じゃ削り氷のないバニャーニャの夏なんて、
もう考えられないや」
フェイもいいます。
「いや、ここで氷を切るのは、涼しくて気持ちいいからね、
もう慣れたし、苦にならないよ」
モーデカイがみんなに感謝されてうれしそうにいいました。

「あそこに見えているのが、奥につづく道?」
体が小さいので、冷え切ってしまったらしいチクチクを抱き上げて
カイサがジロに訊きました。
「うわっ、狭くて、まっくらじゃない、ぼくここで待ってようかな」
フェイがふるえながらいいました。
「タタタタタ、タタ?」
チクチクがカイサの腕のなかで声をたてました。
「それじゃあ、探検にならないじゃん、ってチクチクがいってるよ」
カイサが笑いながらいいました。
「ちぇっ、おまえこそ、自分の足で歩いたらどうなんだよ」
フェイがチクチクをにらんでいいました。

モーデカイはもってきたランタンに灯をともしました。
なにしろ洞窟の奥に続く道は、モーデカイがはらばいになって、
やっと進めるくらい狭くて、
おまけにまっくらなのです。
みんなは、狭いトンネルのような道を、
一列で腹ばいになって進みます。
道の内側は氷でおおわれているので、
さっきまでの暑さがウソのように、
体が冷えてきました。




やがて、道はなんとか立って進めるほどに広くなり、
先の方で二又に分かれているのが見えてきました。
「さあて、どっちへ進むかだな」
シンカが腕組みをしながらいいました。
「うー、さぶ。ここから引き返すっていう道もあると思うけどな」
フェイがいいました。

 そのとき、カイサの腕のなかにいたチクチクが
いきなり転げ落ちるように飛び出したかと思うと、
ふたつに分かれているうちの、右側の道に駆け込んでいきました。
「あっ!チクちゃん、だめだよ、もどってきてーっ!」
カイサが叫びましたが、チクチクの姿はもう見えません。

 「しょうがないやっちゃなあ、いつもめんどうかけるんだからぁ」
フェイがいいました。
「どっちへ行ったらいいかわからないんだから、
チクチクが行ったほうへ行くしかないな」
シンカがいいました。
「よし、行ってみよう」ジロはそういうと、
右側の道のほうへ歩き出しました。

「チクちゃーん、チクちゃーん」
みんなは口々に呼びながら、つるつるしてすべる道を進みます。
氷の壁に声がこだまし、カンテラの灯がちらちらとゆれました。

 そうやって少し進んだとき、ジロがいいました。
「ねえ、なんだか、あっちの方が青っぽく、ぼーっと光ってない?」
「ほんとだ!」
「どこからも光は入ってきていないみたいだけどなあ」シンカがいいました。
「でもたしかに、光がみえるぞ」
モーデカイがカンテラの灯りを消しながらいいました。

カンテラの灯りがなくなると、前方の青っぽい光はさっきより
はっきりと浮かび上がりました。
「あっ!」
先にたって進んでいたモーデカイが立ち止まって
叫びました。

モーデカイが指さすほうを見たみんなは
そこに広がる光景に、言葉もなくたちすくみました。



 狭い氷の道の先に広がっていたのは、
まるで円形の広間のような場所です。
ぼおーっと青く見えたのは、
一面に咲く花の花びらのようにみえる、
青い氷から発せられているようでした。

「うっひぇー、きれい・・・・」
フェイがみとれながらため息をつきました。
「氷が結晶して、長い時間をかけてこんな花みたいに形づくられたのかなあ」
シンカがいいました。
「でも、このぼおっとした光はなんなんだろう?」
モーデカイがいいました。
「氷自体が発しているみたいだな、まるで氷の花園だ!」
ジロが感動したようにいいました。

「あっ、チクちゃん!!!」
カイサがひとつの氷の花にいるチクチクを見つけて叫びました。
「チクちゃん、ぶじでよかったよー」
そういいながら駆け寄りましたが、
チクチクはけんめいに、花のように見える青い氷をひっかいています。
「チクちゃんったら、心配かけないでよ、体がひえきってるじゃない・・・・あれ?」
カイサはチクチクを抱き上げながら、チクチクが一心不乱にひっかいていた
氷の花を見ました。

「氷のなかに、なんか・・・・・・虫みたいなのがはいってるよ!」
チクチクはみれんがましく、
まだその氷の花のほうに手をのばしてバタバタあばれています。
「チクちゃん、これはハエじゃないよ、なんか・・・・・もっときれいな虫みたいなものが、氷にとじこめられてる」
カイサはその氷の花をハンカチに包んでポケットにしまいました。

「そうだ、ちょっと溶けちゃうかもしれないけど、
イザベラさんにもこのきれいな花を見せてあげようよ」
ジロはそういうと腰にさげていた布の袋に、
氷の花を一輪折り取っていれました。

「ねえ、かなり冷えてきたよ」
シンカの体はいつも表面がちょっと濡れているので
それが凍ってきて、ぱりぱりした薄い膜のようになっています。
「わああ、たいへんだー、シンカが凍っちゃうよ」
フェイが触ってみていいました。
「そろそろ帰ろうか。こんなすごいところを発見したし」
ジロがいいました。
「氷の洞窟探検、大成功~」
帰るとわかって急に元気をとりもどしたフェイが叫びました。


 「おかえりなさい!無事でよかった!」
ふどう屋敷にたどりつくと、
イザベラさんがむかえてくれました。
前庭の木陰にすえられた大きなテーブルの上には、
美味しそうな料理が並んでいます。

「わあー、おなかすいたー」
フェイが目を輝かせました。
「そうよ、もうお昼の時間をとっくに過ぎているし、どうしたかと思って
心配しましたわ」。
イザベラさんが、みんなにお皿をくばりながらいいました。
「ごめんね、心配させて。いい匂いだなあ、これなんていうお料理?
見たことないなあ」
カイサが大皿の上にのったひらべったい料理を指して訊きました。

「これはね、私の生まれた国、ツェコの家庭料理で、
プランポラークという料理なの」
イザベラさんが答えました。
「ふううーん、いい匂いだなあ」
フェイとジロが鼻をうごめかせながらいいました。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ!」
「まわりがカリカリしていて、なかがもっちりしていて、
美味しいですねえ」ジロがいいました。
「これはね、すりおろしたジャガイモに、ニンニクやタマネギ、香辛料を混ぜて焼いたものなのよ。ツェコでは人が集まるときには
これでおもてなしするのです」
イザベラさんが、チョウのような優雅な動きでみんなのグラスに、
炭酸の効いたレモネードをついでまわりながらいいました。

「ところで、あの洞窟の奥には、なにがありましたの?」
みんながひとわたり料理と飲み物を食べるとイザベラさんがききました。
「あの奥にはね、青い氷の花園があったんです!」
ジロがいいました。
「イザベラさんにも見せたかったなあ、あ、そうだ
これ、おみやげです」
ジロは腰の布袋から、折り取ってきた氷の花を出してイザベラさんの手にのせました。
それはちょっと溶けかかっていましたが、
でもあの青い氷の花の神秘的な美しさは失われていませんでした。

氷の花を手にしたイザベラさんは、
は、っとしたように、それを無言で見つめ、
それから、みんながおどろいて、目を丸くするようなことをしました。
―氷の花びらの先を、ペロリ、となめたのです!

「あっ」みんなはいっせいに声をあげました。
「イザベラさん、だいじょうぶ?それもしかして、毒だったりしたら・・・・」
カイサがいいかけるのを遮って、イザベラさんがつぶやきました。
「やっぱり・・・・・・」。

 「みなさん、ちょっと待っていてくださいね」
そう言い残して、スカートのすそをひるがえし
ぶどう屋敷のなかに駆け込んで行くイザベラさんを、
みんなは顔を見合わせながら見送りました。

 イザベラさんは屋敷のなかに入ると、
階段を駆け上がり、2階の隅に位置する
開かずの間の前に立ちました。
心臓がどきどきしています。
「コーデリアおばあさま、お部屋に入ることを許してくださいますね」
そうつぶやくと、
スカートのヒダの間から鍵束を取り出し、
古い小さなカギを部屋の鍵穴にさしこんで
まわしました。

そこは、イザベラさんのひいひいおばあさんにあたる、
コーデリアおばあさまの部屋でした。
おばあさんの遺言どおり、この部屋は扉を閉じられ、以来35年間も
誰もはいったことがありません。
でも、イザベラさんにはわかったのです。
今、おばあさまは、私にこの部屋に入ることを望んでいる、と。

イザベラさんがドアをそっと押すと、
それはイザベラさんを待っていたかのように
すうっとあきました。

部屋のなかは、乾燥した薬草のようなひなたくさい匂いがしました。
幼いころ、ひざに載せられたときのおばあさまの、
やさしく心やすらぐ匂いでした。

壁からは、
時代物の立派な額縁にはいったコーデリアおばあさまの肖像画が、
おそるおそる部屋にはいったイザベラさんに
あたたかいほほえみを投げかけています。

天蓋つきの大きなベッドにかけられたレースのカーテンがふわり、とゆれました。
美しい貝殻細工の取っ手がいくつもついた大きな引き出しも、
なにもかもが、おばあさまが愛したローズウッドの木でつくられています。
まだほんの子供のころ、
ここに入ったことをうっすらと覚えているイザベラさんを、
一気にコーデリアおばあさまの思い出が包み込みました。

「おばあさま・・・・・・きょうおばあさまは、秘密をあかしてくださるのですね」
イザベラさんはそうつぶやくと、
一歩一歩、窓際の書き物机に近づきました。
磨きこまれた、優雅な曲線のきゃしゃな書き物机の上には、
かすかに見覚えのある緑色の皮表紙の分厚い日記帳が
ひらかれたままになっていました。
かたわらのガラスのペン先には、乾いたインクがこびりついています。



イザベラさんは、黄ばんだページを、前の方にめくっていきました。
「やっぱり、あったわ・・・・・」
そうつぶやくと、イザベラさんは日記帳を胸にかかえて
部屋をでました。

庭へもどると「イザベラさん、だいじょうぶ?気分でも悪いの?」
心配していたカイサがかけよりました。
「いいえ、私はだいじょうぶよ、それよりこれをみてくださらない?」
イザベラさんがテーブルの上に日記帳を広げました。

「これは私のひいひいおばあさまのコーデリアおばあさまの日記なの。
まだ5歳くらいのときに、この家に住んでいたおばあさまを訪ねたときに、
わたしを膝にのせて、読んでくださったのを、かすかに覚えていたのだけれど、
ほら、ここ!」

『●月●日
本日、何人にも秘して、北の崖の洞窟のなかに入れり。
そこで発見せし光景、生涯忘れられまじ。
そは、青い氷の花園なり。
勇気をふるいて、その花のひとひらを食す。
先祖よりの言い伝えを確かめんとてなせることなり。
そは、
はるかいにしえより、
洞窟に秘められた、地下水から生まれたる燐光を発する氷の花なり。
花が溶け散るとき、
<万ずの病を癒し、また命満ちたるものに安らかな眠りをもたらす。
はたまた、闇の力をもあわせ持つという、計り知れぬ塩なり>と
いにしえより言い伝えられたり。

われ、この場所を秘すことを誓う。
稀有なる力を宿すモノを司ることの困難を憂うゆえなり』

 イザベラさんが震える声で読み上げるのをききながら
みんなはしばらく声もでませんでした。


「ぼくたち、コーデリアおばあさまの
秘密の花園を見つけちゃったんだね」
やがてジロがいいました。
「いいえ、コーデリアおばあさまは、いつか誰かにこのことを伝えたかったのだと思いますわ。だってまだ小さな私にこの日記の一節を読んでくださったのですもの。
きょうまで、わたしはそのことをちっとも思い出さなかったのだけれど、
みなさんのおかげで、思い出すことができたのです。
バニャーニャの氷の花園は、
バニャーニャのみんなのものですものね」

イザベラさんが感慨深げにそういうと、
「あ、ほんとだ、塩の味がするよ!」
さっそく溶けかけの氷の花をなめてみたフェイがさけびました。
みんなもつぎつぎに、氷の花をなめてみました。
「うーん、いい味だなあ(ペトペトに入れてみたらどうだろう?)」モーデカイがいいました。
「悠久の時が、水と鉱物、植物や動物からつくりだした複雑な味がする(ぜひ成分を分析してみたい)」
シンカがしみじみとした調子でいいました。

「塩辛いのに甘い、不思議な塩だなあ(乾燥させて砂薬に混ぜたらどうかな)」
フェイがいいました。

「たいへんなモノを見つけちゃったな。でもこれをなめると、なんだか体のなかに力が湧いてきたような気がする(ダロウェイ夫人のバラの花びらのコンソメに入れてみたらどうだろう?)」
ジロはそんな風に思いながら、舌の上で溶けていく氷の花の味を味わいました。

 ぶどう屋敷を出たみんなは、
それぞれの思いにふけりながら、
すっかり陽が落ちて涼しい風が吹き渡る道を、
ゆっくりと、言葉すくなに歩いていきました。
「なんだか、長い一日だったなあ」
ジロがいいました。
道端の草原から、ジジっ、ジジっ、という草ゼミの声が聴こえます。



疲れ果てて寝息をたてているチクチクを腕に抱いたカイサは、
このとき、ポケットのハンカチのなかで溶けた氷の花から、
小さないきものが、いまにも息を吹き返そうとしているのをまったく知りませんでした。






**********************************

 夏は氷ですよね。
今年はもう7回もかき氷を食べた!
お店で食べるほかに、家でもちょこっとつくって食べるので
それを入れるとかなりのかき氷度。
 夏は氷のことを考えて、気持ちだけでも涼しくなりたい。

 それから、塩というのも、
なかなか神秘的なミネラルだなあ、感じます。
大流行の「塩こうじ」も、調味料として定着してきた感がありますし、
我が家でもいままでは塩を使っていた場面で
塩こうじを使うことも増えました。
バニャーニャで発見された塩氷の花、
ポポタキスの実につづく、バニャーニャ限定名産品として
いろいろに活躍しそうな気がします。
 



 バニャーニャの夏の話を書くときに、セミの鳴き声はどうしよう?と考えました。
日本の夏にセミしぐれは、なくてはならないものです。
でも、それだけにセミの鳴き声がすると、あまりに日本そのものになってしまう。
とういことで、アブラゼミやニイニイゼミ、ヒグラシ、クマゼミなど、
それぞれ特徴のなるセミはバニャーニャにはいません。
でも、まったくセミがいないのはさびしいので、
この間虫さがしにいった石垣島で出会った、体長1,5センチという
小さなクサゼミを登場させることに。


石垣島でみた1,5センチの小さなセミ。

 セミの羽化はほんとうに神秘的で美しいし、あの眼の離れた顔や、
支脈の通った翅など、セミの形態は大好きなのですが、
夏の朝、ベランダのすみにひっくり返っていて、
近寄ると、ギヤー、ギヤー、バタバタするのがちょっと苦手。
なにもそこまであばれなくても、と思ってしまう。
でも石垣島のクサゼミは、名前の通り、草の上に静かにとまっていて
鳴き声も「ジジ、ジジ」と地味で、大好きになりました。
バニャーニャでは、クサゼミの声を聴くと、
もう夏も盛りを過ぎたんだな、とみんなが感じるようです。





 ぶどう屋敷のイザベラさんがみんなにつくってくれた美味しいお料理プランポラーク。
このツェコという国の家庭料理は、
私がときどき作るチェコのブランボラークというジャガイモの料理です。

 『よりみちチェコ』という本の取材で行ったチェコの家庭料理で、
ぜひ作り方を本に載せたいと、
滞在先のお宅で、実演していただきました。

 チェコのジャガイモと小麦粉は、ちょっと日本のとは違います。
ねっとりしていて深い味わいがあるジャガイモ。
さまざまな挽き方で種類の多い小麦粉。
どちらもお土産に買って来たいくらいおいしかった。
でも農作物は持ち出しができないので、
仕方なく日本で手に入る材料で、ときどきつくってみます。
どちらかというと、この料理にはメークイン系のジャガイモが合うように思います。


レシピは次のとおり。
ビールにすごく合うし、
簡単だし、
おなかもいっぱになるので、
ぜひ、お試しください。




<ブランボラークの作り方>


材料(15センチくらいの丸型のもの5枚分)

●ジャガイモ(中5個くらい)
●牛乳 適宜
●小麦粉 適宜
●塩 小さじ1(ちょっと塩味濃い目のほうがビールに合う)
●マジョラム (たっぷり!)
●ニンニク(ひとかけ)
●卵 1個




*牛乳と小麦粉の量が、適宜となっているのは・・・・・・・
 この取材の日は、早朝に朝市に行き、そのあともスケジュールがぎっしり。
 ブランボラークをつくりはじめたのはもう夜の9時でした。
 実演してくれたのは、泊めていただいた家のお料理得意のご主人で、
 子供の靴をつくっている会社の社長さん。
 時間がないこともあり、つぎつぎと材料を投入するので、
 牛乳と小麦粉の量をきっちり測ることができず、
・・・・・・適宜ということに。
 なので、少しずつ加えながら写真の感じを参考につくってみてください。
 全体を混ぜたときに、ゆるめのお好み焼きという感じが目安です。

作り方手順


① チーズおろしくらいの粗さのおろし器で、
     皮をむいたジャガイモをおろし、変色しないうちに
     手早く牛乳、塩を加える。







② 卵を割りいれたら、マジョラムをたっぷり振る。




③ 小麦粉を加え、よく混ぜる。







このように量が多いときは、手で混ぜるのがチェコの男子厨房流?



④ニンニクをつぶして加え、さらに混ぜ、(ゆるめのお好み焼きくらいの感じ)
 フライパンに多めの油をしいて、たねを流しいれる。
(ひっくり返すのがけっこう難しいので、慣れないうちは小さ目がいい)




⑥片面がかりっとするまでよく焼く。
返して、もう少し焼いたらできあがり!
あたたかいうちが美味しいので
チェコ人は手でちぎって食べる。
チキンやカマンベールチーズをいっしょにのせて焼いてもよい。






 10月のバニャーニャ展を目指して
この『バニャーニャ物語』と親サイトである『虫目で歩けば』を
まとめた入口となる構成を作りたいと思っているのですが
まだイメージがはっきり湧かず、
今回は従来どおりになってしましました。
秋までには、なんとかしたいです。


 今月も、読んでくださって、
ありがとうございました!





 



サイトリニューアルのため今月は休載します

2012-06-15 10:58:46 | ものがたり
 

                  

作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 










 <お知らせ>


 毎月15日に更新している『バニャーニャ物語』ですが、
来る10月に、原宿の絵本の読める喫茶店『シーモアグラス』での
展覧会開催に向けて、サイトをリニューアルすることにしました。
つきましては、その準備のため、今月は休載いたします。
 次回更新は、7月15日を予定しています。
ちょっと間が空いてしまいますが、
どうぞ、また遊びに来てください。


 また、明日6月16日(土)は、
親サイト『虫目で歩けば』でお知らせしていますとおり、
イベント『虫愛ずる一日』を開催します。
こちらも、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 





『虫愛ずる一日 2012 indoor編』
開催日時     :2012年6月16日(土)11:00~18:00
場所       :アーツ千代田3331 B104
協力       :NPO法人『むしむし探し隊』

内容       :展示―標本、写真、漫画・絵本の原画、イラストレーション、木版画、陶器など。
          販売―虫をモチーフにしたアクセサリー、刺繍ボタン、陶器、クッション、手ぬぐい、
             セレクトグッズ、Tシャツ、立体切り紙細工、書籍など。

トークショー   : 6月16日13:00~14:00(800円 先着40名限定)
           (『むし探検広場』『昆虫エクスプローラ』の川邊透さん
            時事通信社『昆虫記者のなるほど探訪』の天野和利さん
            蛾愛ずる姫君 川上多岐理さん、『メレンゲが腐るまで恋したい』の
            メレ山メレ子さん、『虫目で歩けば』の鈴木海花)

鍋嶋通弘の虫の立体切り紙ワークショップ:6月16日 14:30~16:00(材料費込1800円 先着15名限定)

上記有料プログラムへの参加お申し込みは、
下記事項を明記し
mushimezuru@hotmail.co.jp
鈴木海花宛て、メールでお願いします。

●トークショー(あるいはワークショップ)に参加希望。
●お名前
●電話番号
●確認返信用メールアドレス

*トークショー、ワークショップとも、まだお席に余裕があります。
お申込みお待ちしています!

 
 去年京都で開いた『虫愛ずる一日 in 京都』のトークショーに出演してくださった
アース製薬研究部飼育棟の有吉立さんが、はるばる赤穂からいらして、
今年もイベントのトークショーに出演してくださいます。

 有吉さんは、ゴキブリ退治研究に使われるゴキブリを100万匹(!)飼育していらっしゃいますが、殺虫剤には関係なさそうな虫もたくさん飼育していて、その数90種。好きな虫はカメムシとか。

 
 トークショーのパネラーはこれで
川邉透(『むし探検広場』『昆虫エクスプローラ』管理者)さん、
天野和利(時事通信社 『昆虫記者のなるほど探訪』『虫撮る人々』管理者)さん、
川上多岐理(蛾愛ずる姫君)さん、
メレ山メレ子(『メレンゲが腐るほど恋したい』管理者)さん、
鈴木海花の、6人になりました!








バニャーニャ物語 その16 「カルロッタ、海に還る」

2012-05-15 15:01:57 | ものがたり


                   
               「バニャーニャ物語 その16 カルロッタ、海に還る





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 




         




 オレンジ色の長ぐつに同じ色の傘をさしたカイサは、
雨のなかを、丘の上の石舞台に向かう山道を歩いていました。
道は草深く、雨が長ぐつの中にまで入ってきます。
道の両側の雑木林の木々は、たっぷりと葉をしげらせて、
あたりは緑と雨の匂いでいっぱいでした。




 夏がやってきたかと思えたバニャーニャですが、
シンカのようすがおかしくなった翌日は、
冷たい雨が降り出しました。
 空気は水気を含んで重く、肌寒いくらい。

 シンカのようすを見に行ってくる、というモーデカイと丘のふもとで別れたカイサは
 風邪をひいて元気がない、というバショーに、
きのうの晩つくった野菜スープをいれたいれものをピンク色の手提げにいれて、
届けに行くところです。

 
 白い花崗岩でできた石舞台にある、一本の大きなブナの古木。
バショーはもうずっと昔から、この大きなブナの樹を住処にしてきました。
この樹の根元あたりからは、斜面に沿って石の段々があり、
さらにその下に半円の形をした石の舞台があります。
舞台の後ろは絶壁。
その向こうには紺碧の海原が広がっています。

 「バショー、どこにいるの?おーい、野菜スープもってきたよー」
ブナの枝の下に入って傘をつぼめながら、カイサが大きな声でいいました。

「ふおーい、コホコホ・・・・・・」とバショーが口ごもりながら、
みっしりと葉の繁った枝の陰から顔をのぞかせました。
バショーは今ちょうど、おいしい青虫をほおばったところだったのです。
なので、口のなかのものをあわてて飲みこんでから、
カイサのいる樹の根元の方へ降りてきました。

 バショーは青虫やコガネムシなんかが好物でしたが、
虫が大好きなカイサの目の前では
遠慮して食べないようにしています。
もちろんカイサも、バショーが、虫が好物なのは知っています。
でもバショーの心遣いはうれしいといつも心の中で思っています。

 カイサは、まだちょっと目を白黒させているバショーのようすに、笑いをかみ殺しながら、
手提げから出した野菜のスープを、バショーに差し出しました。
「風邪ひいちゃったってきいたから、
きっとビタミン不足じゃないかと思ってさ」

 バショーはそのスープをありがたくもらいました。
青虫ほどは美味しくなかったけれど、
誰かがこうやって自分のことを気にかけてくれているなんて、
うれしいものです。
「あー、おかげで生き返ったようじゃ。
雨のなかを登ってきてくれて、ありがとう!」
とバショーはカイサにいいました。

 「ここ、雨にぬれなくていいね」
カイサが空になったビニールの手提げを、
樹の下に敷いて座りながらいいました。
「そうじゃよ、樹っていうのは、ありがたいもんじゃよ」
ふたりはしばし、誰もいない石舞台や、
その向こうに、白くくだける波が泡立っている海を見下ろしていました。

 「こんな日は、このロウィーナの石舞台で『テンペスト』が上演されたのを思い出すんじゃ、コホコホ」
とやがてバショーが、遠くをみるような目をしてつぶやきました。
「『テンペスト』って、嵐っていう意味だっけ?」とカイサ。
「ああ、シェークスピアじゃよ」
シェークスピア?
カイサの知らない名前でした。

 「『テンペスト』は偉大なる劇作家シェークスピアの傑作のひとつじゃ」
「ああ、お芝居の名前なのか。それがこの石舞台で演じられたの?」
「気が遠くなるほど昔のことじゃが」
カイサは今ではあちこちがくずれた石舞台に衣装をつけた俳優たちが立ち
苔の生えた石段に観客たちが座っている光景を思い浮かべようとしましたが
あんまりうまくいきませんでした。

 「バショー、さっき<ロウィーナの石舞台>っていったけど、
ロウィーナって、なんのこと?」
「ロウィーナちゅうのは、この石舞台のある野外劇場を
ひとりでつくりあげた女の人の名前じゃよ」
バショーがいいました。
「えっ、女の人が!ひとりでここをつくったの?!」
カイサはあまりの意外さにびっくりして息が止まりそうになりました。

 「ロウィーナは劇作家のひとり娘でな。
20歳の時、この断崖に劇場をつくる、と決心したんじゃ。
ロウィーナは憑かれたように来る日も来る日も
花崗岩のガケをひとりで切り出し、
手押し車で石を運び、
ドリルで石の板を彫って・・・・
完成までに60年かかった」
カイサは驚きに目を見開いたまま、
バショーの話にききいりました。

 「ついに劇場が完成すると、
バニャーニャのものたちは、自分たちだけでここをつかうのはもったいないと、
国境の街や海の向こうからも俳優やお客さんを呼ぼうと計画してな。
ロウィーナはもちろん大喜びで、みんなで準備をすすめて。
そのころはまだ国境の街への森にナメナメクジはいなかったんじゃ。
だから大陸からけっこうたくさんの人が
バニャーニャにやってきたものじゃ」。
カイサは、ロウィーナという女の人に思いをはせました。
その狂気ともいえる決心の固さと執念を思うと、
彼女が運んだ石の重さまでが手に感じられるようでした。

 「この石舞台にそんな話があったなんて、知らなかったなあ・・・・・・。
ところでねバショー、きのうからシンカも具合がわるいんだよ」
カイサが顔をくもらせていいました。
「ほう、シンカが風邪をひくなんて、めずらしいな」
バショーがいいました。

 「ううん、風邪じゃなくて。
なんでも、海のなかでカルロッタっていうのに会ってから、
まるでたましいを抜かれたみたいにフニャってなっちゃったの」
カイサがそう口にしたとたん、
バショーは目をかっと見開き、
くちばしをわなわなと震わせながら叫びました。

 「なんじゃとっ! カ、カルロッタじゃと・・・・・
なんで、それを早くいわんのじゃ。
カルロッタという名を、
またきくことになるとは・・・・・・・」

 「バショー、カルロッタって、いったい誰なの?」
「カルロッタっていうのは、
そうさな、
わしらの力ではいかんともしがたい、
自然の力みたいなもので、
シンカが見たときはたぶん、ギル族の姿をしていたかもしれん。
カルロッタは、さまざまに姿をかえるんじゃ」

 「バショー、なんとかシンカをもとにもどす方法はないのかな?」
カイサが必死の顔つきで尋ねました。
「ふむ・・・・・・・
あれをふたたび取り出さねば掘りださねばならぬ時が来たのかもしれん。
しかし、こんどもうまくいくとは限らんが・・・・・・」
「ねえ、おしえて!うまくいくかどうかはわからなくても、
とにかくやれることをやってみようよ」。

「よし!わしはひとっぱしり、みんなを集めてこよう。
話のつづきは、それからだ」
バショーはそういうと、
風邪なんかふっとんだように、
ばっさばっさと翼をはためかせて
丘のふもと目指して飛んで行きました。

 ジロ、フェイ、コルネ、
そして手につるはしを持って石舞台に集まってきたモーデカイたちに、
カイサはさっきバショーからきいた話をしました。
「ひぇーっ、ここってそんな昔につくられたんだねえ」フェイがいいました。
「女の人がひとりでつくったなんて!」とジロ。
「ロエナってのは、スゲエな」とコルネ。

「もう、わしの他には誰も知らない、ずいぶんと昔のことじゃ。
 カルロッタは、そのころのバニャーニャにも現れたんじゃよ。

 劇場ができて、しばらくたったころのことじゃった。
今のシンカと全く同じような、ようすのおかしいものが
バニャーニャにどんどん増えていった。
まるで自分を失ったように、目はうつろ、
気を付けていないと食べることさえ忘れてしまうので、
どんどん体が弱っていったものもあった。
そして、かれらが口にしたのが、カルロッタという名前じゃった。

 そんな半島のみんなのようすに心を痛めたロエナは、
毎日この石舞台から海をみつめて、考えこんでおった。
そして生涯でただひとつの脚本を書いたんじゃ。
国境の街の向こうから有名な俳優たちを集めて、
その芝居―『カルロッタ、海に還る』が、この石舞台で上演されたんじゃよ」


みんなは、息をつめてバショーの話に聞き入りました。
「それで・・・・・・どうなったの?」
フェイが先をうながしました。
 「俳優が最後のセリフを言い終った時じゃった。
海に不思議な青緑色の光があらわれ、
魂を失っていたものたちは、みんな目が覚めたように、
自分をとりもどした。
妙なことに、国境の街との境にある森に、
大量のナメナメクジが姿をあらわしたのも、そのころだった。
いらい、カルロッタの名前をきくことは久しくなかったのだが」。

 「それじゃあ、その芝居ってのをまたここでやれば、
シンカの魂がもどるかもしれないってことか」
コルネがつぶやきました。

「モーデカイ、舞台の真ん中の、この四角な石を、
つるはしで持ち上げてみてくれんか」
バショーがいいました。

モーデカイがつるはしで、ぶ厚い石の板をもちあげると、
その下から、鉛を貼った大きな箱があらわれました。
「ここにはロエナの書いた芝居の脚本と、
あのときに使った衣装がおさめられておる。
二度と使わないですむように、という祈りを込めて」。

「はあー、これはまたすっげえ豪華な衣装じゃないか」コルネがいいました。
「これが脚本だな」とジロ。
「でもさあ・・・・・・これを着てセリフをいう俳優がいないじゃない」とフェイ。
「今度は、バニャーニャのみんなが演じればいいんじゃ!」
バショーが力強くいいました。

 ジロが脚本をひらいて、みんなに読んできかせました―
それは・・・・・・
あるときのこと。
どうしたわけか、にわかに海のあちこちで凶暴化した生き物たちが増え、
手を焼いた竜王は、海の精カルロッタに、かれらを鎮めるように頼む。
竜王はほうびとして、海の財宝をカルロッタに贈る約束をするが、
海が鎮まっても、王は約束をたがえ、カルロッタを追放してしまう。
ひどく失望したカルロッタは、
ひとり海の深淵に消えていく・・・・・
という話でした。

「カルロッタはきっと、すべてのことに失望して、
その深い悲しみが、
みんなの魂をうばうことになったんじゃない?」
カイサが考え深げにいいました。

さて、お芝居をするには、まず役柄を決めなければなりません。
舞台監督は、かつて上演されたのを観ているバショーがつとめることになりました。
竜王は文句なく体の大きいモーデカイの役。
カイサがカルロッタ、
暴れん坊のサメはコルネ。
サメの家来のミズダコがフェイ。

「ぼく、やだなあ、タコってくねくねするんでしょう?
かっこ悪いよ」とフェイは文句をいいました。
「じゃあ、ぼくのウツボと代わる?」とジロ。
「ひゃー、この衣装のウツボの顔、こわすぎるよ。
しょうがない、タコでいいか・・・・・・」
フェイはしぶしぶミズダコの役を引き受けました。
 そして、乱暴者たちに苦しめられる小さな魚たちの役は
アザミさんやウル、ティキさんたちに頼むことになりました。

「シンカにも何かやってもらえないかな」、
さっきから、みんなから離れてぼーっとしているシンカをみて
カイサがいいました。
「このクラゲっちゅうのは、
セリフがないから、今のシンカでもできるんじゃないか?」
コルネがいいました。

「さあ、そうと決まったら、稽古じゃ、稽古じゃ」
バショーが舞台監督らしく、パンパンと手をたたいていいました。



 セリフを覚えたり、
通し稽古をやったりで、大忙しの一週間が過ぎました。
「本職の俳優たちのようにはいかんが、
シンカの他にも、ようすのおかしなものたちがバニャーニャに増えてきているそうじゃ。
もう一刻も猶予はできん。
上演は、あすの夜じゃ!」バショーが宣言しました。


 暑い夏の一日が終わり、
太陽が沈むころ、
石舞台に、バニャーニャじゅうのものたちが
ぞくぞくと集まってきました。
石を彫ってつくられた階段状の客席はまたたくまに満員になり、
座れないものは、そのまわりに立って観ることになりました。


 石舞台の左右には、大きな松明がたかれ、
刻々と夕闇に包まれていく石舞台を幻想的に見せています。
海が強く香り、
舞台の後ろのガケに打ち寄せる波の音が、
観客をいっきに、異世界に誘いこみます。

 ドラが鳴り、お芝居がはじまりました。
サメやミズダコやウツボなどが、
小さい魚たちを追い回して、大立ち回りを演じます。
タコ役をいやがっていたフェイですが、
舞台に立つと、体をくねらせて観客の大喝采を浴び、
すっかりタコになりきっています。



 モーデカイの竜王は、
「そなた、勇敢なる海の精カルロッタよ、
海の狼藉ものをこらしめてくれんか。
されば、ほうびをとらせようぞ」
というむずかしいセリフを言うときに
ちょっと声がかすれましたが、
なんとか間違わずに言い終えることができました。

 銀色の顔に、青と緑の目玉をつけたカイサ扮するカルロッタの
不気味で神秘的な雰囲気に
観客たちは息をのみました。



 カルロッタが、みごと乱暴者たちをやっつける場面では
みんなから拍手がおこりました。
そして、海の財宝をほうびにあげる約束を破った竜王には、
みんなから非難の声があがりました。

 絶望したカルロッタが、
海にひとりさびしく消えていく最後の場面。
カイサが舞台の後ろの崖にさっと消えると、
みんなから「あっー!」という驚きの声があがりました。
舞台後ろの崖には、足をかける仕掛けがあるので、
もちろん、カイサはほんとうに海に落ちることはありませんでしたけれど。

 カイサの演じるカルロッタの姿が、
ガケの向こうに消えると同時に、
出演者全員が声をかぎりに、歌います。
『おお、カルロッタ
その瞳は青く、
その瞳は緑
千尋の海にすまう
海の精よ
孤立無援のたましいよ』

 すると・・・・・、
「あ、あれを見ろ!」
「海が、海が!」
観客が立ち上がって、舞台の後ろの海を指さしながら、
口々に声をあげはじめました。

 その様子に、演じていたジロやモーデカイたちも、
びっくりして振り返りました。
海が一面、冷たい燐光を放つ青緑色の絹の布で覆われたようにゆらめいています。



 そのとき、
「あれ・・・ねえ、みんな何してるの?」という声がして、
ジロがそっちを見ると、
シンカが、頭にかぶっていたクラゲの衣装を手に持って不思議そうにながめながら、
目をぱちくりさせています。

 「シンカ!もとにもどったんだね!」
ジロがそう叫ぶと、たちまちみんながシンカを取り囲みました。
「やったぁー!シンカがもとにもどったぞ」フェイが叫びました。
その声に、ガケの後ろに姿をかくしていたカイサも
舞台に上がってきて、シンカに駆け寄りました。
「わあい、いつものシンカがもどってきた。よかった、よかった」
「えらく心配しちまったぜ」コルネもいいます。
「シンカ、何もおぼえていないのか?」モーデカイがききました。

 「うん、ぼくどうしちゃったの?
なんだかずうっと夢をみていたみたいでさ・・・・・
えーっと海底美術館に行ってから???」

 「よかったワイ、よかったワイ、こんどもまた
ロエナの芝居が、カルロッタを鎮めてくれたのじゃろう」
バショーが感激のあまり、
つばさで涙をぬぐいながらいいました。

 「あれ、海が青緑色に光ってる。
あれは海ホタルだな」
そういうシンカの目は、
すっかりいつもの博学なシンカの目でした。
青緑色のサテンをしきつめたように波打ちながら、
光は沖へ沖へと遠ざかっていきます。

 カイサが、シンカの肩に手を置いていいました。
「ううんシンカ、あれは海ホタルじゃなくて、
海に還って行く、カルロッタなんだよ」
 バニャーニャのものたちは、
はるか沖の地平線の向こうに
青緑色の光が消えて見えなくなるまで、
カルロッタを見送りました。

 みんなが帰ってしまったあとの石舞台では、
バショーがひとり、いつまでも海を見つめていました。









**************************************

 前回途中までだった、ベルギーの小さな谷の町―デルビュイでの
ちょっとこわかった体験のつづき。

 夕食をパスして、ひとり宿に残った私でしたが、
なんとしても今夜こそは家族に電話をかけたいと思い、
7時半になると、一階にある管理人室に向かいました。
国際電話をかけるには、管理人につないでもらわないといけないのです。

 さて、この宿。
その昔、デルビュイの貴族が、3人の娘と住んでいたという、
3階建ての、複雑な間取りの大きなお屋敷。
バスルームなどは、空色のタイルを敷き詰めて、
とても快適にリノベーションされていたのですが、
なにしろ屋敷自体は古いので、
歩くとあちこちで床がギシギシ。

3階の部屋を出ると、廊下は真の闇。
人が歩くのを感知して、黄色い小さい灯りがつくのですが、
それが遅いので、廊下に出てしばらくは、闇のなか。
(閉所恐怖症の私は、闇がかなり苦手。黒い空間が迫ってきて
押しつぶされるような気がする)

 なんとか1階まで降りて、管理人のいる部屋のドアについている、
恐ろしく武骨で重いノッカーをたたいてみました。
ところで、このドア。
西洋の時代劇に出てくるような代物で、
とにかく厚い硬い木でつくられていて、
前に立つと、取りつく島がない、という感じ。
なんどもノッカーをたたいたのに、誰も出てこない。
横着な管理人が居留守をつかっているのでしょうか。
ドアに耳をつけてみました。
ドアがあまりに厚いせいか、ひとの気配は感じられませんが、
かすかに、テレビのような音がする。
「いるくせに!まだ7時半なのに、どうして出てこないのよ!!!」
しかし、いくらノッカーをたたきつづけても、
ドアは開かれず。
なんだか、気持ちがすごく追い込まれてしまい、
さっきより胃の痛みも増して途方にくれましたが、
「ここは世界に名だたる美食の町。もしかしたら夕食時間には
管理人は何があってもドアを開けないことにしているのかもしれない。
もうすこし、あとで来てみよう」と
いったん部屋へ帰ることにしました。

 1階から2階へ上がった時、
階段の脇に、さらに数段の階段があり
そこに部屋があるみたいで、ドアが開いており、
灯りがもれていました。
灯りに誘われるように、私はその数段の階段をのぼりました。
部屋の入口には小さなテーブルが置かれていて
その上に、キャンディのカゴがあります。
そして、明るい部屋をそっとのぞいてみると・・・・・
向こう向きにイスに座った20人ほどの人がいっせいに振り向き、
こちらを見ました。

その顔の白かったこと!(白人だから?)
いちように無表情だったこと!
何かの会合の最中で、
邪魔したことを咎められるんじゃないか、と
私は急いで、自分の部屋にもどりました。

部屋で悶々としていると、なんだか胃だけでなく、
下痢もはじまったみたいです。
何度かバスルームに通い、
なんとか治まったところで、
もう一度、管理人のところへ向かいました。

ああ、家族の声がききたい!!!
一言でもいいから、家族とつながりたい。
気持ちは追い詰められるばかりです。

しかし、再度試みてみたものの、
厚いドアは、開きませんでした。
ドアの前で、もうひざが折れそう。
今夜もだめか―明日はまた移動だから
電話は無理そうだし・・・・・・ああ。

仕方なく部屋に向かう途中、
さっき灯りのもれていた部屋を見ると、
ドアは閉まり、あたりは暗闇に包まれていました。

部屋にもどると、外はまた雪が降り始めたようで、
窓のあたりが雪明りでほの明るく見えます。
ツインの部屋だったので、ベッドがふたつ。
私は壁側のベッドで横になろうとしました。
そのとき・・・・・・・・

隣のもう一台のベッドに
向こう向きに、誰かが座っている!
暗いシルエットなのに、
なぜかそれは女性だ、と感じました。

これは娘?
あまりの家族恋しさに、娘の幻をみているのでしょうか?
でも次の瞬間、私の心にはっきり浮かんできたのは、
コレは、私の打ちひしがれたさびしい気持ちにつけこんできた
ナニカだ、ということ。

 あの夜、どうやって眠ることができたのか、
覚えていません。
翌日他のスタッフにきくと、
『いのしし亭』のディナーが終わったのは
真夜中過ぎだったそうです。





 さて、石舞台の話をしましょう。
バニャーニャという世界を最初に思い描いたとき、
まず考えたのは、ここにロウィーナの石舞台をつくりたい、ということでした。

 バショーが語った石舞台の来歴は、ほとんど実話で、
バニャーニャの石舞台は、イギリスはコーンウォール半島の南西端にある
ランズ・エンド(世界の果て)から少し行ったところにある
ミナック劇場がモデルです。


(井村君江著『コーンウォール』より転載させていただきました)

 ミナック劇場は、花崗岩を掘りだして作られた野外劇場で、
今でも毎年5月から9月の4か月間オープンしています。
イギリスでもっとも独創的で美しい野外劇場と形容されるこの劇場ですが、
この劇場はとんでもなく重く深い来歴を秘めているのです。
 この劇場は、ロウィーナ・ケイド(1893年生まれ)
というひとりの女性によってつくられたのです。

バショーが語ったように、
ロウィーナ・ケイドは20歳のとき、ここに劇場をつくることを決心し、
なんと完成までに60年!!!かかったといいます。
毎日毎日、女性の身で岩を削り、石を運び、
という気の遠くなるような作業をつづけ、
1932年に初演。演目はシェークスピアの『テンペスト』でした。
初演後すぐに亡くなってしまった、というロウィーナの生涯に思いをはせると、
その執念というか、石の重さというか・・・・
言葉を失ってしまうような鬼気迫るものがあります。

石を運ぶ手押し車に座る晩年のロウィーナ・ケイド。
(『井村君江著 コーンウォール』より転載させていただきました)

一年でたった4か月しかオープンしていないので
なかなかチャンスがありませんが、
いつかここで『テンペスト』を観たい、と思いつづけています。


カルロッタ騒動もおさまったバニャーニャには、
暑い暑い夏がやってきたようです。



<お知らせ>です!

 今年10月初旬に、原宿にある「絵本の読める喫茶店」シーモアグラスさんで
バニャーニャ展を開かせていただくことになりました。
『バニャーニャ物語』をどんなふうな展覧会にするか、
いろいろ考慮中。
詳細が決まりましたら、またお知らせしていきます。

バニャーニャ物語 その15 わたしの名は、カルロッタ

2012-04-16 19:04:39 | ものがたり


                   
               「バニャーニャ物語 その15 わたしの名は、カルロッタ」





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 シンカは玄関ドアの前からはじまる階段の上で、
手をかざして、海を見渡しました。
水平線は、強い日差しの下で碧く燃え上がっていました。
夏がきたのです。

 「きょうもあめふり図書館に行く前に、
ちょっと海底美術館まで散歩してこよう」
シンカはそうつぶやくと、
階段を下りて行きました。
海水がひたひたと寄せている15段目までくると、
静かに体を投げ出すように、海に入りました。

 この瞬間がなんともいえなくシンカは好きです。
陽に焼かれた肌が、海水でさっと冷やされ、
波が体を浮力で受け止めてくれるこの瞬間―シンカの呼吸は、
自然と肺からエラにきりかわります。
ギル族のシンカは、陸上では肺で、水中では首の両脇にある小さなエラで
息をするのです。
エラのなかに、新鮮な海水が満ちてくるときの
気持ちが切り替わって高揚するような感じは、
ギル族だけにしかわからないでしょう。

 シンカの家は、バニャーニャの東側、「めまいの崖」にあるくぼみに
建っています。
「めまいの崖」は断崖絶壁で、
陸地側からは険しい道を降りなければならないので
めったに訪ねてくるものはありません。




 でもシンカはこの波の音と海鳥の声、そして風の叫びに囲まれた
孤独な暮らしがけっこう気に入っています。
大好きな博物学の研究に没頭したり、
バニャーニャに生えている植物や海の生物の観察記録をつけたり、
好きなことに熱中するにはかっこうの住処ですから。
そして、ひとりの時間にたまらなくさびしくなったときは、
ホテル・ジャマイカ・インやジロのスープ屋に行けば、
仲良しのみんなに会うこともできますしね。


 波にゆれる丈高い海草の黒い森を泳いで過ぎると、
海底はがらり様相を変え、上から降り注ぐ日の光がまだらに踊る、
灰色の砂地が見えてきます。
シンカはギル族だけにできる方法で
重心をすべて足にあつめて砂地に立ち、
向こうに見えてきた海底美術館に向かって、
水の中をスローモーションのような速度で歩き始めました。

 耳のなかに、陸上にはない、
どこか遠くから水を伝わってくる音がひびいてきます。
「カトゥーーン、コトゥーーン・・・・・・」
クリスタルを震わすような、密やかな音。

 バニャーニャの海底美術館。
ここには、彫刻家パンプルムースが、
どろぼう一味に盗まれてしまったものの
運ぶ途中で海に投げ捨てられた作品が
海底の砂地にめりこむように立ち並んでいます。
(その14 「バショーは迷探偵」参照)
この海底の作品展示場所がすっかり気に入ったパンプルムースが
その後も彫刻をここに沈めにきているので
そきどき、作品がふえたりします。

 なかには砂の上に横たえられたり、
半分埋められているものもあり、
彫刻の表面には、すべすべした貝殻のタカラガイがはっていたり、
花のような触手をゆらめかしながら小さなエサを捕るケヤリやカンザシゴカイといったいきもの、
不思議な色合いをしたフリソデエビやカニたち、
イソギンチャクや色とりどりのウミウシなどもいつしか住みつくようになりました。
シンカはきょうも、彫刻と海の生きものたちが織りなす光景のなかを
ゆっくりと散歩しました。



 さあ、そろそろ図書館にいかなくちゃ、
と思ったその時でした。
彫刻の間に見え隠れしながら、何かがゆっくりと動くのが
目にとまりました。
大きな魚?と思って振り返ったシンカは
びっくりして立ち止まりました。
彫刻の向こうを横切ったのは、驚いたことに
シンカと同じギル族の、女の子のようでした。

 バニャーニャのどこかに、
自分以外にもギル族が住んでいる、
というウワサはきいたことがありましたが、
見かけたのははじめてです。

 「あのぅ・・・・」
シンカがそう話しかけると、
口から出た細かな泡がビーズのように連なって
きらきらと光りながら相手の耳元にとどきました。
ギル族が水中で話をするときに使う方法です。
すると、女の子は振り向いて、彫刻のあいだから、
じっとシンカを見つめました。
その目をみたとたん、シンカの心臓はドキンとおどりあがり、
背骨のあたりがゾクっとしました。



シンカを見つめる2つの瞳は、右が青、左が緑。
まるで宝石のような、神秘的な光を含んでいます。

「あ、あの・・・・きみもギル族だよね?」
シンカがそういった泡のビーズが届くと、
女の子はゆっくりとうなずきました。
「ぼ、ぼくこのあたりじゃあギル族に会ったことがなくて・・・・・。
ぼくはバニャーニャのめまいの崖に住んでいるんだけど」
女の子は相変わらずシンカを見つめたまま、
またかすかにうなづきました。

「きみはよく、ここにくるの?」
シンカがなんとかありったけの勇気をふりしぼってまたきくと、
「ときどき・・・・・・」
と、いう声を運んで泡がシンカの耳に届きました。
「ぼく、シンカっていうんだ、よ、よろしく」

「わたしの名は、カルロッタ」。
そう答えた瞬間、シンカを見つめる女の子の目のなかの
海の深淵の青と、ラグーンのエメラルドのような緑色が
いっそう深みと輝きを増して、
シンカは体じゅうにトリハダ立つのを感じました。

 そしてカルロッタと名乗った女の子は、
とうとつに背を向けると、
もやのようにかすんで見えるはるか沖のほうを目指して
歩いて行ってしまいました。
一度も振り向きませんでした。

 シンカは、まるで金縛りにあったように、
水のかなたに小さくかすんでいく、
カルロッタの後姿が見えなくなるまで、たちすくんでいました。



                              







 
 「あっつくなってきたなあ。
ぼくさ、どっちかっていうと、夏は苦手だなあ。
ねえジロ、今年も早く削り氷やってよ」
あめふり図書館へ向かう道でジロといっしょになったフェイが
汗をふきふきいいました。

 「うーん・・・・・・どうしようかと思っているんだ。
削り氷を店で出すと、すごく忙しく夏が終わっちゃうんだもん」
図書館の前の道に落ちていた
まだ青いつやつやしたどんぐりの実のついた小さな枝を拾いながら
ジロがいいました。

 青いドングリは、図書館の屋根にまで枝を伸ばしている
ミズナラの大木から、落ちてきたのでしょうか。
「あ、小さな穴があいてるよ。
きっとこのなかには、虫が住んでるんじゃないかな。
カイサにあげよぉっと」
ジロがドングリの枝をポケットに入れながらそういうと、
「ええーっ、削り氷のない夏なんて、もう考えられないよー」
顔を真っ赤にしながらフェイがいいます。
「氷を切り出しに行ってくれるモーデカイとも相談してみるよ」
ジロが冷たい井戸水を詰めてきた水筒をフェイに差し出しながらいいました。

 図書館のなかは、ほんのりと暗くて、古い本の匂いを含んだ空気が
吹き抜けの高い天井から、降りてきます。

 「あれ?きょうはシンカ、いないのかな?
錬金術の本がもっとあるか、教えてもらいたかったのに」。
フェイがそういって、図書館のなかを見回しました。

 パンプルムースの彫刻を盗み出して、
途中の海で舟が沈みそうになり、
海に投げ出したまま姿を消した図書館の司書デルモンテのかわりに
このところ午後になると
あめふり図書館の本については誰よりもよく知っているシンカが、
司書を引き受けているのです。

 「きょうは夏の冷たいスープのアイディアがのっている本を
さがしに来たんだけど」
ジロがそうつぶやくと、
「きょうは、シンカはいないよ」
カウンターの上にある青い線のはいったノートに
自分の名前と借りたい本の名前を書きこんでいたウルが、
顔をあげていいました。
ヤシノミ族のウルは体が小さいので
鉛筆をつかって字を書くのはひと苦労のようです。
「ちぇ、自分でさがすのかぁ。めんどくさいなあ」
フェイがぶつくさいいました。

 読みたい本を探し出すのにジロもフェイも時間がかかったので
ふたりが図書館を出たころには、もう陽が傾きはじめていました。

 「おっとたいへんだ、急いで帰って夜のスープの用意をしなくちゃ」
急ぎ足で歩きながらジロがそういうと、
「ぼく、もう夕ご飯つくるのめんどうくさくなっちゃった。
ジロのとこで、食べることにするよ。
今夜のスープはなに?」
「えーと、ムラサキジャガイモの冷たいポタージュと、
 ハヤトウリとカモ肉のとろりクズ仕立てスープだよ」。
ジロが息を切らしながらいいました。

 ふたりがジロの店のドアを開けたところへ
ホテル・ジャマイカ・インのコルネが、
川向うから手を振りながら走ってくるのが見えました。

 「ハア、ハア、ハア・・・・。
シンカを見かけなかったか?
きょうのディナーに出す
エスカベッシュ用の魚を獲ってきてくれる約束だったのに
あいつ、まだ来ないんだよ。
お客さんは腹をすかせて待ってるし、
もしかして、ここにいるんじゃないかと来てみたんだけど
・・・・・・いないみたいだな」
コルネが顔中を汗にして、
がっかりしたようにいいました。
「おかしいなあ、あの真面目なシンカが約束を忘れるなんて考えられないし。
きょうね、あめふり図書館の方にもシンカは来なかったんだよ」
ジロがいいました。

 「シンカのうちにも寄ってみたんだけどさ、
いない・・・・・・」
とコルネがいいかけたとき、
「ああーっ、あっちから来るの、あれシンカだよ!」
フェイがミズキの木立の方を指さしていいました。

 川と反対側の森のなかから現れたシンカは、
なんだか、ようすが変でした。
熱でもあるみたいにフラフラしながら、道をジグザグに歩いてくるし、
みんなの顔を見ても、心ここにあらず、といったようすです。

 「おいおい、シンカ、魚はどうしたんだい?」コルネがきくと、
シンカは
「ん?あ、魚かぁ」といったきり、目をトロンとさせています。
「ねえシンカ、だいじょうぶ?」
フェイがシンカの肩をゆすって心配そうにいいました。

 そこへ、晩ごはんをジロの店で食べようと
カイサとモーデカイもやってきました。
「みんな集まって何してるの?」
みんなは口々に、シンカの様子がおかしいことをカイサに話しました。
「ほんと、なんだか目がポカーンとしているし、体もふにゃふにゃ。
どうしちゃったんだろう。
シンカはきょうも海底美術館へ散歩に行ったはずだよ。
このごろは毎日そうだもの。
だから何かあったとすれば・・・・・・」

 「海の中ってことか。
それだったら、やっぱりアイソポッド先生が何か知っているんじゃないかな?」
ジロが腕を組んで考え込みながらいいました。
「そうだな、アイソ先生に相談してみるのがいいと思うよ」
とフェイもいいます。
「でも、海底の泥の原にいるアイソ先生にどうやってきくんだよ?」と
コルネ。

 「アイソ先生の所へ行くときはいつもシンカの中に入って行くんだけど、
このようすじゃ無理だよね。
でも、なにか海の生きものの中にはいって
先生のところまで行けるかどうか、やってみる!」
「カイサ、無理しちゃダメだよ」ジロがいいました。
「シンカの一大事だもん、とにかくやってみるよ」

 カイサはひいおばあさんから受けついだ特別な力をもっています。
どんなモノにも入り込めるその力は、とてもエネルギーを使うので、
カイサはときどきしか使いません。
でも、海底の泥の原にいるアイソポッドに会うには
このくらいしか方法がなさそうです。
カイサはぽーっとしているシンカの世話をジロに任せて、
フェイとモーデカイといっしょに、海に向かいました。


海岸はもう暗くなりはじめていました。
カイサは、打ち寄せる波にのって砂浜に顔を出した1匹のカニを見つけました。
「カニさん、お願い!
いっしょにアイソポッド先生のとこまで行ってほしいの」
心配そうに見守っているフェイとモーデカイの前で、
カニの振り上げたハサミに指を触れると、
カイサの姿はすうっと見えなくなり、
カニはちょこちょこと砂の上を横歩きしながら、
やがて海の深みへと見えなくなりました。

 海の中は真っ暗でした。
カニのなかにはいったカイサは怖い気持ちに耐えながら
黒い水のなかを進みました。
波になびく海草の森を抜けるときには、
おそろしくて目をつぶらないではいられませんでした。

やがて、岩が点々と砂地から突き出している地域を通り越すと、
砂と泥ばかりの荒涼とした場所につきました。
「たしか、前にシンカとアイソ先生に会いに行った時には
この辺だったと思うけどな」


 カイサがそう思った時でした。
海面のはるかかなたから差し込む月光に、
ぼおっと、浮かび上がるものがありました。
それは、きのうもきょうもあすも、
黙々と泥を食べ続けている、
アイソポッド先生でした。


カニの姿のカイサは、
巨大なダンゴムシのようなアイソポッドの象牙色の体に近寄ると、
カニのハサミの先からすばやくアイソポッドのなかに移りました。



アイソポッド先生の頭のなかは、
整理されていない幾万の海の知恵や情報であふれていて、
カイサはたちまち、めまいにおそわれました。
めまいが治るのを待って、カイサはアイソポッドに、
シンカのようすがおかしいことを話しました。



  すると・・・・・・
どこからか甲高い声がひびいてきました。
「カルロッタは、海の精」
「たましいを奪う、海の精」
「その右目は青く、左目は緑」

 「えっ?カルロッタって、だれ?
海の精って、なに?
右目が青くて、左目が緑って・・・・・・どういう意味?」
カイサはけんめいにアイソポッドにたずねましたが
アイソポッドは、同じ言葉をくりかえすばかりでした。

 海からもどったカイサは、カニの体から抜け出すと、
心配そうに駆け寄ってきたフェイとモーデカイに
アイソポッドの言葉を伝えました。

 「カルロッタは海の精、ってアイソ先生がいったんだね」
モーデカイが首をひねりながらいいました。
「右目が青くて、左目が緑なんて、
なんだか気味悪いよねえ」
フェイもいいます。
 
 「うん、たましいを奪う、ともいってた。
アイソ先生の教えてくれることって、
いつも謎めいていて、わかりにくいんだけど、
でもたぶんシンカがあんなふうになっちゃったのは、
そのカルロッタとかいう海の精に
たましいをもっていかれちゃった、
っていうことなんじゃないかな」
カイサはかすれた小さな声でそういうと、
海岸の砂の上に、ばったりと倒れてしまいました。

 カイサを背負ったモーデカイとフェイは、
ジロの店へ向かいました。

 今夜は満月。
「どうやったら、シンカをもとにもどすことができるんだろう?」
途方にくれたようにつぶやきながら歩く二人を、
ホオズキのような赤い月が見下ろしていました。


(次回につづく)




***************************************



 夏のはじめの、凶暴なまでに濃く繁茂する樹々が大好きです。
今回はバニャーニャのあめふり図書館脇のミズナラの大木と、
ジロの店の森側にあるミズキの樹を登場させました。

 ミズナラは30メートルにも達することがあるという落葉広葉樹で、
男性的な風格を備えた樹とも形容され、
そのギザギザの葉のあいだに抱かれるように付く
ドングリがかわいい。



 チョッキリやゾウムシなどは、ドングリが青いうちに、
中に産卵して、孵化した幼虫が土に潜りやすいように、
ドングリのついた枝ごと切り落とすので、
道に落ちている青いドングリには、たいてい虫の卵がはいっています。
今年はこれを拾って、土をいれた容器のなかで育ててみようかな。

切り落とされて道に落ちていた青いどんぐり。




ときどき虫さがしに行く生田緑地の森の奥には
こんな素敵なドングリの本が、ひっそりと広げられています。



 ミズキもまた大好きな樹です。
そよ風にゆれる扇状に横に幾重にも張り出した枝振り、
そこに点々と乗っかっているような白い小さな花群。



 ミズキはまた、カメムシやゾウムシなど、
いろいろな種類の虫が集まる樹でもあり、
見上げていると、ここにはいろんな生き物が住んでいるんだろうなあ、と
その懐の深さに抱かれるような気持ちになります。

 子供のころ飼っていたシロという猫。
青と緑と片方ずつ目の色が違っていました。
見ていると、なんとなく心がゆらいだものです。
シロの目を思い出しながら
カルロッタの話を書きました。

 
 アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』という、
こわ~い作品があります。
マデリンという美しい女性が、不遇の死をとげた先祖のカルロッタに憑りつかれ・・・・・・
というお話ですが、
別に幽霊とか血まみれのお化けとかが出てくる映画ではないのに、
ヒッチコックのサスペンス映画には思い出すたびに
ゾクっとする、後をひく怖さがあります。
何回観ても、同じ個所で、同じように新鮮な(?)恐怖を感じるのです。
カルロッタという名前にどこか不吉な匂いを感じる一方、
いつか自分の書く物語のなかで、この名前を使ってみたい、と思っていたのは、
『めまい』の恐怖が、ずっと私のなかに影を投げかけつづけているからでしょう。

 ところで、霊感などゼロのわたしは、
幽霊とか、超常現象とかには、まったく鈍感なのですが、
いちどだけ、もしかしたらアレは・・・・・という体験をしたことがあります。
 それはグルメの取材でベルギーに半月も滞在したときのことでした。
いくらグルメの取材とはいえ、毎日毎日、フルコースの重い食事をとり続けて、
旅の後半になると少々体調がおかしくなっていました。

 真冬でした。
深い雪の中、ベルギー南部の谷間にあるデルビュイという小さな町。
ここにある世界の食通の憧れとして名高い「いのしし亭」というレストランに行ったときのこと。

 デルビュイは、どこもかしこも、石畳の坂ばかりの町でした。
坂道ばかりの上に雪が降りつづいているので、歩くのにひどく滑ります。
深い谷間の底にあるような町なのでどこか閉塞感があり、
箱庭に迷い込んだような雰囲気がありました。

「いのしし亭」は特にジビエ料理で有名で、メインは赤ワインと相性のいい
濃厚ソースの鹿肉や鴨肉。
食前酒や前菜からはじまり、最後のデザートのチーズまで、
たっぷりと4時間はかかるフルコースです。
野生動物の肉が好きで、ジビエを楽しみにしていた私ですが、
 これをお昼と夜の2回食べることになった、ときいたときには、
胃がため息をもらしました。

昼食が終わったのが、夕方の4時。
なのに、夕食はなんと7時半からというではありませんか。
しかもどういう事情があったのか、夕食のメニューは今食べ終わったばかりの昼食と同じだといいます。
グルメ取材のライターとしては、取材中の料理はひとを押しのけてもすべて味見をしてきた私ですが、
さすがにこの時は胃も、そして1週間以上も家族に連絡していなかったことから精神的にも疲れが溜まっていた。
しかも同じ料理を1日に2回というのでは、好奇心もしぼみます。
ついにネをあげて、夕食はパスし、
私は休息するために、ひとりホテルに残りました・・・・・・。
長くなるので、つづきは、次回に。

 バニャーニャのお話のほうも、次回につづきます。
「海の精 カルロッタ」に魅入られてふにゃふにゃになっちゃったシンカ。
バニャーニャいちの博学の徒であるシンカですが、
こんどばかりはピンチッ!