goo blog サービス終了のお知らせ 

バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

お詫びとお知らせ

2012-04-15 09:17:49 | ものがたり





 毎月15日―すなわち今日!が更新日ですが
今月はまだ挿絵ができておらず、
『バニャーニャ物語 その15 謎の少女カルロッタ』のアップは
あす16日の夜になりそうです。


 挿絵が遅れているのは、
ひとえに私の原稿ができるのが遅かったためです。
 きょう訪問してくださった方、
申し訳ありません。
来週、ぜひまた来ていただけたら
うれしいです。

 鈴木海花


バニャーニャ物語 その14 迷探偵!バショー

2012-03-15 15:47:01 | ものがたり


                    その14 迷探偵!バショー


作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 霧のふかい夜でした。
「これじゃまるで、白いスープのなかを歩いているみたいだな」
スープ屋のジロは、半島の東のはずれにあるバニャーニャ・アパートの1号室にすむ
ダロウェイ夫人にとどけるスープをだいじにかかえながら、
道をいそいでいました。

「ジロ、こんどの夏にはこの霧みたいなひんやりしたスープ、つくって」
とつぜんカイサの声がきこえて、
ひとの形をした霧がジロのほうに流れてきたと思うと、
カイサが姿をあらわしました。



「わあ、びっくりしたー。
あれ、カイサひさしぶりだね、何かに姿を変えたのって」
「うん、もののなかにはいってその姿になると、
あとで、すんごくつかれちゃうんだ。
だから、このごろはずっとやってなかったんだけどね」
 そう、カイサは、どんなもののなかにも入り込めて
姿を変えることができる特別な力を
ひいおばあさんから受けついでいるのです。
でもカイサはひいおばあさんが言い残した言葉とおり、
この力をむやみに使うことはありません。

「でもね、今夜はなんだか、
霧のなかに入ってみたい気分になっちゃったんだ。
霧になるのって、すてきよ。
ちょっとつめたくて、体がなくなったみたいに軽くて、
ゆっくり踊っているみたいで。
ジロは今夜もダロウェイおばあちゃんのとこにとどけもの?
霧で迷子にならないように、いっしょに行こうか」
「うん、助かるよ。今夜のスープはね、バラの花のコンソメ。
ダロウェイさんの大こうぶつだよ」

 ふたりがバニャーニャ・アパートの入り口にやってきたときでした。



1階の2号室に住むパンプルムースさんが、
大声でわめきながら、部屋から飛び出してきました。
「なんてこった、おれの大傑作が消えちまったんだ!」
パンプルムースさんは、バニャーニャの東の山から切り出した石灰石をつかって
作品をつくる彫刻家。
彫刻は、ひとつできあがるまでにたいへん時間がかかるものです。
いままでにつくった作品は9つ。
それがみんな姿を消してしまったというのですから、
パンプルムースさんがとりみだすのも無理ありません。



ジロとカイサは、興奮してわめきつづけるパンプルムースさんを
なんとか落ちつかせて話をきくことにしました。

「霧がではじめた3日前から、
おれは新しい作品のアイディアをもとめて、
野山をさまよっていたんだ。
霧にすっぽりつつまれていると、
すごいアイディアがわいてきた。
そいでさっそく石を彫りはじめようと家にもどってきたら、
今までの作品がひとつのこらず姿を消してたってわけだ。
いったい誰だ!
おれの命よりだいじな作品をもってっちまったのは」

パンプルムースさんがまた興奮しはじめたのをみて、カイサがいいました。
「あたし、バショーを呼んでくる。
霧に乗っていけば、丘の上までそんなにかからないから。
できるだけ急いでいってくるね」
そう、こんなときはやっぱり、
もの知りのバショーに来てもらうのがいちばんです。

 霧のなかを、
カイサの案内でバニャーニャ・アパートまでたどり着いたバショーは、
消えた9つの彫刻のゆくえをさがして、さっそく調査を開始しました。



「ふむ、まずはアパートの住人をしらべてみよう」
今夜のバショーは、すっかり名探偵のような口ぶりです。

 バニャーニャ・アパートは、ちょっと変わった形と色をした
3階建ての建物で、住んでいるのは5人。
バショーはまず、1階のダロウェイ夫人の部屋をノックしました。
「どうぞ、ドアはいつも開いているわ」
なかから鈴をならしたような、小さくてキレイな声が聞こえました。

「まあまあ、こんなにみなさんできてくれるなんて、うれしいこと」
バショー、パンプルムース、ジロ、カイサが部屋にはいっていくと、
ダロウェイ夫人はベッドに横たわったまま、
栗色のつやつやした長い長い髪の毛をひとたば、
指のあいだからサラサラと流しながらいいました。

「ダロウェイおばあちゃん、びっくりさせてごめんね」
ここによく遊びにくるカイサが、
ダロウェイ夫人の手をとっていいました。
部屋のなかには、いたるところ、
鉢植えの花や天井までとどく木があふれ、
かべにはツタがはって、まるで温室のようです。

ダロウェイ夫人は、自分でももう何歳か忘れてしまった、
というほど年をとっています。
カイサに手伝ってもらって植物の世話をするほかは、
一日のほとんどをマホガニーでできた大きなベッドで過ごしています。

顔も手足も小さくちぢみ、
シワだけでできているように見えるのですが、
夫人の髪の毛だけは、まるで別の人生を生きているかのように、
いまもつやつやと輝きながら、元気にのびつづけているのです。
「これはわたしに残された、たったひとつの美しいもの」
とダロウェイ夫人は、この部屋をおとずれる人にいいます。

「おっほん。ダロウェイ夫人、夜分におさわがせしてもうしわけありません。
じつはおとなりの2号室から、
パンプルムースさんの作品が消失しましてな。
アパートのみなさんに、なにかあやしいものを見たり音を聞いたりしなかったか、
話をきいてまわっているのです」バショーがいいました。

「まあ、パンプルムースさんのあのすてきな彫刻が消えるなんて!
そう、そういえば、きのうの晩だったかしら?
ほら、ジロがおいしい夜光貝のスープをとどけてくれて、しばらくたったころ。
うとうとしていると
パンプルムースさんの部屋でドッタンバタッンって大きな音がしていたわ」
「おさわがせして、すみませんでした。
このバラのコンソメを飲んだら、ゆっくり休んでくださいね。
だいじょうぶです、バショーがきっと犯人を見つけてくれますから」
ジロが、冷めないように厚鍋に入れて運んできたスープをわたしながら
いいました。

「バショー、これ見て!
部屋の前に、こんなにたくさん足跡があるよ」
ダロウェイ夫人の部屋から出ると、
カイサが、パンプルムースの部屋の前の床を見て叫びました。
「むっ、これは犯人たちのゲソ痕(足跡)に違いない!」
バショーは大きな天眼鏡を床に近づけて
たんねんに見てからいいました。
「ゲソ痕の種類と数からみて、犯人は複数じゃ」


 つぎに一行は2階のカパブランカの部屋を訪れました。
カパブランカは、昼間はテラスで、夜は暖炉のそばのテーブルで、
日がな一日ひとりでチェスをさしています。
伝説の天才チェスマスターとよばれ、
むかしはチェストーナメント世界チャンピオンだったのだそうです。
食後のチェスにぼっとうしているところをじゃまされて、
カパブランカはごきげんななめのようです。

「ふん、いつもやかましい音をたてる彫刻家だと思っておったが、
きのうはこれがまた特別に大きな音をたておって。
がまんづよい私もさすがに文句を言いにいこうと思ったが、
ちょうどいい手を思いついたんで、そのまま忘れてしまったのだ」
手にナイトの駒をもったまま戸口にあらわれたカパブランカが、
太く濃い眉毛をしかめながらいいました。



「その物音をきいたのは、何時ごろだったかおぼえていますか?」
バショーがききました。
「ふん、あれはたしか白のキングをチェックメイトしたときだから、
10時ころだったはずだ。
・・・・ところであんたがたは、
「チェックメイト」というのが
どんな意味か知っとるのかね?」
カパブランカはそういうと、
ぎょろっとした大きな目でみんなを見回しました。
みんなはお互いに顔を見合わせながら、首をふりました。
「チェックメイトとは、王に死を!という意味だ。
つまり、わたしは常に生きるか死ぬかの勝負の世界にいるのだ。
あのうるさい彫刻とやらがなくなったのは、ありがたい」
カパブランカはえんじ色の絹のガウンのエリにさしている
しおれた白バラの匂いをかぎながらいいました。

 それをきいたバショーの目が、きらりと光りました。
「ほう。そうすると、あなたはあの彫刻がなくなればいい、
とそう思っていらしたんですね」
「だったら、どうだというんだ!」
カパブランカはまたかんしゃくをおこしてどなりました。
「そのぉ、動機があると・・・・」
バショーがそう言いかけると、
カパブランカはドアをバタン、としめてしまいました。( )
「うーむ、カパブランカには動機があって、
 ひとりでチェスを指していたのだから、アリバイはない、と」
バショーがつぶやきながら、向いの部屋のドアをノックしました。
 
 2階のもうひとりの住人は、
去年からあめふり図書館の司書をしているデルモンテです。
どういうわけか、この霧深い夜に留守のようで、
いくらノックしても出てきません。
「うーむ・・・図書館はもうしまっている時間なのに」
バショーは考えこんでいます。

 そのあと一行は、屋根裏部屋へつづくせまい階段をのぼっていきました。
ここにはティキという、石のような灰色の肌をしたちいさなひとが住んでいます。
なんでもティキさんはむかし、
遠い南の島の<神さまのようなもの>だったことがあるそうですが、
あるとき悪者に追い出され、
島から島へとにげてバニャーニャにながれつき、
いらい、悪者に見つからないように、
この小さな窓しかない屋根裏部屋に
ひっそりと住んでいる、ということです。

 バショーが、きのうの晩なにか怪しい物音や人をみなかったか、
ときくと、ティキは、
「イアオラナ。アイタ・ペアペア」
と自分の島の言葉でいいました。
「???」
「あのね、ティキさんは、コンバンワ、私はなにも知らない、気にしない、っていったのよ」
カイサが通訳しました。
「なるほど・・・・・どうやらパンプルムースさんが出かけているうちに、
だれかが彫刻をぬすみだしたようですな。
犯行時間は昨夜の10時すぎ、とみて間違いないと思うが・・・・・」
バショーがいいました。

 夜も更けてきたので一行はジャマイカ・インに向かうことにしました。
今夜はもうみんなねむれそうもないので、
ジャマイカ・インでコルネのいれるとびきり濃いコーヒーを飲みながら、
夜通し彫刻のゆくえを推理してみよう、ということになったのです。

 ジャマイカ・インに着くと、
主人のコルネと砂屋のフェイがいて、
「パンプルムースの彫刻がぬすまれたんだって?」
というので、バショーたちはびっくり。
霧のバニャーニャをかけめぐって、
ウワサははやくも広まっているようです。

 「でもあんな重くて大きいもの、
どうやってもっていったんだろう?」
ジロがいいます。
「ところでデルモンテさんは、
こんな晩にどこへ行ったんだろう?」
カイサがいいました。
「そうだ、やっぱしかぎりなく、あいつがあやしいぞ!」
パンプルムースさんが叫びました。
「デルモンテだって?そういや、きのう海辺へ向かう道でやつを見かけたぞ。
なんだか見慣れない奴らといっしょで、
ひどく急いでいるようだったがな」コルネがいい香りのするコーヒーを
みんなのカップに注ぎながらいいました。

 霧の夜がふけていきました。
みんなはいつしか、興奮していたパンプルムースさんも疲れ果て、
ジャマイカ・インの食堂で、眠りこんでしまいました。

 「おーい、たいへんだぁ!」
朝早く、みんなはシンカとモーデカイの声で目をさましました。
霧は3日ぶりにすっきり晴れて、
今朝はすきとおるように青い空と海が、
バニャーニャをすっぽりとりかこんでいます。

 「きのうの夜、アイソポッドに呼ばれているような気がして、
海底へおりていったんだ」
シンカが話しはじめました。
アイソポッドは、巨大な白いダンゴムシ型をした生きもので、
海のあらゆる知恵と情報をその頭のなかにしまっている、
バニャーニャの生きた百科辞典です。

 「アイソ先生が体を向けているほうへシンカが歩いていくと、
海底の砂の上に、白い彫刻が9つも立っているのをみつけたんだそうだ」
モーデカイがいいました。
「そいつはおれの彫刻だ!」
パンプルムースがいすを蹴とばして叫びました。
「シンカ、すぐ、そこへ案内してくれ!コルネ、ボートだ、ボートをかしてくれ」

 みんながコルネのボートのところへ急ぐと、
ボートのかげから、ヤシノミ族のウルが顔をのぞかせて、
ふるえる声でいいました。
「きのうの夜おそく、う、う、海をみてたら、
き、き、きりのなかを幽霊船が、
沖へこぎだしていったよ・・・」
「それは幽霊船じゃなくて、
デルモンテとやつの悪い仲間が、
ぬすみだしたパンプルムースの彫刻を運ぼうとした船じゃ!」
バショーがいいました。
 
 シンカの案内で、パンプルムースは力のかぎりボートをこぎました。
「おーい、この下だ」
シンカが、水面から顔をだして呼んでいるところへ着くと、
パンプルムースはボートから身をのりだして、海のなかをのぞきました。
そこはもうかなり深い場所でしたが、
海はまるで青いゼリーのようにすきとおり、
上からでも、波のせいでゆれているように見える、
9つの白い彫刻をはっきりと見ることができました。

 そのとき、パンプルムースはカミナリにうたれたように、
さとったのでした
―今あるこの場所ほど、自分の彫刻が美しくみえるところはない、と。
「おれのつくった像が、まるで海にいのちをふきこまれたようだ・・・」
 
 デルモンテはあれきり、
バニャーニャから姿を消しました。
「まんまと運び出したものの、
重すぎて船が沈みそうになったんで、
沖でほうりだしたんじゃろ」
バショーは事件が解決して満足そうです。

 パンプルムースは、海の底にしずめられた彫刻をそのままにしておくことにしました。
それどころか、新しいのができあがると、
わざわざそこへ沈めにいくようになりました。
時がたつと、白い彫刻には海草や藻がからみつき、
いっそう芸術的に見えるようになったのです。

 誰ともなく、「海底美術館」と呼ぶようになったこの場所は、
最近では沖を通りかかる船のあいだで評判を呼んでいるそうです。
晴れた日、海がことさら透きとおって見えるときには、
何艘もの船が、ここへパンプルムースの彫刻を見にたち寄ることもあります。

 ジロたちも、かわるがわるこの評判の美術館をボートで観に行きました。
青い水のなかで、立ち並ぶ白い彫刻が波にゆらめいて、
まるで生きているように見えます。
そしてその間を、色とりどりの魚や海の生きものたちが泳いでいく様子は
幻想的で、いつまで見ていても飽きないのでした。

 霧があがったあと、半島の緑はいちだんと色濃くなり、
初夏の気配が満ちてきました。
野菜畑ではソラマメの大きなサヤが天をさしてぐんぐん育ち、
明日あたり、
ソラマメのポタージュをメニューにのせようかな、
とジロは考えています。






***************************************


 いつも登場する面々の他にも、
バニャーニャにはたくさんの生きものが住んでいます。
カイサのようなヒト型の生きものをはじめ
シンカのようにギル族と呼ばれる(ギルとはエラの意)水陸を自由に行き来できるもの、
ジロやモーデカイのような動物型もいるし、
フェイのようななんだかわからないカテゴリーの生きものもいるわけで。
今回登場したバニャーニャ・アパートの住人たちも
それぞれ違う生きものなので
自由に想像して楽しんでください。

 今では引退してバニャーニャにひっそり住んでいる(?)カパブランカは
キューバ出身のホセ・ラウル・カパブランカという実在のチェスマスターがモデル。
4歳でチェスを覚え、12歳でキューバチャンピオンを破り、
その天才度、美男度の高さから
チェス界、社交界の花形としてもてはやされた伝説のグランドマスター。
老後はバニャーニャで、チェス三昧の生活をおくっているようです。

 最近あそぶのはPS3、DS、PSP(オンライン以外)などが中心だけれど
いまだにボードゲームも大好きです。
我が家ではときどきの流行があり、
オセロだったりヤッツィーだったりバックギャモンだったり人生ゲームだったり。
ボードゲームの魅力はプレイそのものに加え、
ボードや駒のデザインの楽しさというのがけっこう大きく、
そのなかでもチェスセットの美しさ、
そのロジックの冷酷なまでの完璧さは
群を抜いていると思う。

 外国の街を歩くときは
チェスセット専門店を必ずチェックします。
意外だったのは、モルジブへダイビングに行ったときに寄った首都マーレの土産物屋で
大理石製のチェスセットがたくさん売られていたこと。
なんで南の島にチェスが?と思ったのですが。
チェスは古代インド起源のゲームだったのですね。


チェコのプラハの街のチェスショップの看板には、珍しい3人用チェスが。


拙著『チェコA to Z』の表紙にもさりげなくチェス駒。


チェコで買ったチェスセット。


ポーンたちはみんな手にチェコビールのジョッキをもっている。


 チェスの起源は紀元前にさかのぼり、
古代インドのチャトランガというゲームがもとになっている、といわれています。
 市松模様の盤上で
白のキングと黒のキングが、クイーン、ポーン、ビショップ、ルーク、
そしてナイトと共に戦うゲーム。

 チャトランガは戦いの好きな王に戦争を止めさせるためにつくられた、
という説もあるほど、好戦的な男性のゲーム、
ということもできますが、
世界チャンピオンにも、ごくわずかながら女性棋士がいます。
ハンガリー出身のユディット・ポルガーはそのひとり。
歴代最年少の15歳4か月でグランドマスターとなりました。

 チェスには、ゲームそのもの以外の盤外の楽しみも多く、
世界に伝播していく過程で、
ヨーロッパの王侯貴族たちは
権力、財力、知力を誇示するために、
歴史、民俗性、地域の素材、モチーフを異にする
工芸品、財宝といっていいような盤と駒をつくりました。
莫大な費用と職人の技を駆使してつくられたものは、
秘宝として代々伝えられ、
中世美術の傑作として大英博物館に収められている「ルイスの駒」のように、
謎めいた物語をもつものもあります。
「ルイスの駒」はセイウチの骨でつくられた駒で、
19世紀、スコットランドのルイス島に袋詰めで埋められているのが発見されました。
 チェス駒の素材は、実用的なものは木やプラスチック製ですが、
石、黒檀、象牙、骨、陶、金銀、宝石など、
じつに90種以上もあるといわれます。


 シンプルの美を極めた将棋の駒も美しいけれど、
その対極にあるような、
駒と盤の無限のバラエティが楽しいのがチェスセットなら、
誰でもが自分のチェスセットをつくることができる!
たとえば、テーブルウェアをモチーフにしたこんなチェスセットも。
かわいい!




 自分でテーマを決めて、チェスセットをつくってみたいな。
虫チェスセットとか。
虫がモチーフだったら・・・・キングはゴライアスハナムグリ?
ルークはハチの巣?ポーンはやっぱりアリかしら・・・・・。

 
ラングラーのノヴェルティグッズとして企画編集した『COWBOY CHESS』の表紙。
デザインはバニャーニャの挿絵を描いている中山泰。


カウボーイのモチーフで、紙のチェスセットがつくれる趣向。


チェスセットの紹介ページには我が家の駒たちが。
一番下に見えるのは、謎を秘めた「ルイスの駒」のレプリカ。



 最新テクノロジーを駆使したコンピュータチェスも興味深い。
初めて人間がコンピュータとチェスの対戦をしたのは1967年。
その後1990年代までは人間がコンピュータに勝っていたのですが、
1997年、IBMの「ディープ・ブルー」というコンピュータが
ついに世界チャンピオンを負かしました。
しかし1秒間に2億近い手を考えることができるコンピュータも、
ゲームの進行を先読みする能力は人間の半分くらいらしい。

 現在では、レイティング1600(中級ぐらい)のプレイヤーの90パーセントはコンピュータに負ける、
というデータがあるけれど、
人間には機械にない感情というものがあり、
それが戦いを微妙に左右するという。
それにしても、2億以上もの手を読むことができる機械に人間が勝つって
すごくないですか。人間、がんばれ!

 チェスはまたダイナミックなロマンを秘めたゲーム。
絵になるゲームでもあるところから、
映画や小説にもときおり登場します。
テレビでも、ガラスのチェスセットを愛用する『相棒』の右京さんとか、
コロンボ刑事シリーズにもチェスマスターの殺人事件があったし、
『ハリー・ポッター』のあの巨大なチェスセットは迫力!

 チェスが出てくる小説もいくつかあります。
『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル)はもちろん、
『ディフェンス』(ウラジミール・ナボコフ)、
『僧正殺人事件』(ヴァン・ダイン)、
『高い窓』(レイモンド・チャンドラー)などなど。
どれも名著ですが、断トツに面白いのが、キャサリン・ネヴィル著『8エイト』。
宇宙を司る「8」の公式。
その謎は伝説のチェスセット「モングラン・サーヴィス」に秘められていた
―時空を超えて広がる壮大で知的な冒険ファンタジーです。





 バニャーニャ・アパートの住人のひとりであるティキさん。
「ティキ」というのは、南太平洋の島々の古代信仰の神さまでした。
しかし17世紀にキリスト教がこの地域にはいってきたとき、
偶像崇拝として、あとかたなく一掃されてしまったのです。

 イースター島のモアイは残りましたが、
ティキは今はもう、この地域の島々を訪れても、
その姿は土産物やレプリカにしか見ることができず、
わずかにマルケサス諸島に残っているだけです。

 でも、土産物に身をやつした今も
どこかブキミなこの神さまは同時にユーモラスで
なんとなく、追放されても世界のどこかにしぶとく生きているような気がします。


うちのティキさんたち。

 不遇な運命をたどった神さまでも、
バニャーニャでなら生き残っていけそうな気がします。

バニャーニャ物語 その13 「一なる香油」

2012-02-15 20:32:58 | ものがたり





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 







 きのう降った雨がすっかりあがり、ホテル ジャマイカ・インの前庭で、
水滴を宿したエニシダの黄色い花房が、きらきらと輝いている午後でした。

 ジャマイカ・インの厨房は、そんなに大きくはありません。
でも主人のコルネが腕によりをかけて
お客さんたちの食事をつくるお気に入りの場所です。
厨房の壁には、
かつて七つの海を渡る帆船の船長だったころ
世界のあちこちで集めたスパイスのビンやら
料理の合間にちょびっとコルネが楽しむ上等なラム酒、
磨き上げた銅のフライパンや鍋などが並んでいます。

 ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルと
そのお供シャルルの滞在もきょうで5日目。
他の宿泊客が出立してしまうと、
さっきから厨房にこもって、
コルネはなにかやっているようです。

 やがて「いっちょ、あがりーっと」という声がして、
スイングドアをひじで開けたコルネが
食堂のテーブルで体をもじもじさせているシャルルの前に、
大きな白いお皿をおきました。
お皿の上には、6種類のキノコが
生のまま並べられています。




 ラ・トゥール・ドーヴェルニュ国王のひとり娘ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルのお供の旅で、
ナメナメクジの森でナメナメクジになめられてしまったシャルルは、
コルネの手当てのおかげで、きょうになって、
ひどいかゆみと悪夢はだいぶおさまってきましたが、
まだ全快とはいかないようです。
体じゅう、かきむしったカサブタだらけ。
かゆくて、たえず体をもじもじさせています。

 でも、目の前に置かれたお皿を一目見たシャルルは
とつぜん、かゆみを忘れてしまったかのように、
体をしゃきっとさせ、目を輝かせました。
「こ、これは!」
そういうと、お皿に顔を近づけて、しげしげとキノコを眺めました。
 
  キノコ料理が大好きなコルネは、
シャルルが無類の美食家で特にキノコ料理には目がなく、
国では「キノコ狂いのシャルル」と異名をとっている、
というのをきいて、すっかり意気投合。
きょうも、ナナが出かけてしまったのをいいことに、
朝とったばかりの春キノコをシャルルにふるまうことにしたのです。

「えー、左から順番に、
シイの老木に生えるバニャーニャアミガサ、
お次はミズナラの木に生える紫色のムラサキフウセンタケで、
ぬめぬめしている水色のがヌメリササタケといいまして、
黄色いのはカラマツ林に生えていたキイロナギナタダケ、
そのとなりが傷つけるとピンクの汁がでてくるハイイロカラチチタケ、
それにササクレヒトヨタケです。
きのう降った雨で、今朝は春キノコがにょきにょき出てきて、
採りきれないほどでしたよ」

 コルネはお皿の上のキノコのひとつひとつについて説明すると、
「いましばらく、お待ちを」というなり、また厨房に消えました。
そしてほどなくまたスイングドアが開いて、
こんどは、それぞれに料理されたキノコを載せたお皿が
シャルルの前に置かれました。
「目で見たあとは、味わわなくっちゃね」

 シャルルはもうすっかりかゆみを忘れたように、
目をつぶると、目の前で湯気をたてている、
きのこ料理の香りを胸いっぱい吸いこんでから
さっそくひとつを口に運びました。

「なんと!こんなすばらしい香りと歯触りのアミガサダケは初めてだ」
「そうでしょ、そうでしょ。バニャーニャだけに生えるこの赤いアミガサだけは、
他では味わえませんからね。
でもこの旨さをわかってくれるお客さんは、そうはいませんけどねぇ」
コルネが心からうれしそうにいいました。

 「うーん、秋のキノコももちろんすばらしいが、
春キノコにはそのぉ、新緑の森の精のかぐわしい息づかいのような
独特のアロマがあるのですねぇ。
いやあ、どれも初めて口にするものばかりで、
じつに美味でござりまする」
ひとつ、またひとつとキノコを味わうにつれ、
シャルルのカサブタだらけの顔が喜びに満ちていきます。





 ジャマイカ・インでふたりがキノコ談義でもりあがっている同じころ、
ジロのスープ屋では、
店の前の川沿いのヤナギ並木にそって並べられたテーブルで、
カイサとナナがちょっと遅いお昼ごはんを食べ終わったところでした。
隣のテーブルには、モーデカイやフェイ、シンカもいます。

 きょうのジロのおすすめ―マボロシハマグリと海藻のスープを食べ終わると、
ナナはテーブルにひじをついて、ため息をつきました。
「ああ、きょうもこんなところでむなしく時間が過ぎていくのは、たまらないわ。
わたしにはやるべきことがあるというのに」

「ナナさん、そのやるべきことって、なんなのか、
よかったら話してみてはくれませんか?
もしかしたら、なにか役にたてることがあるかもしれないし」
樹液のシロップをたっぷりかけた
ふんわり焼きたてのパンケーキをテーブルに置きながら、
ジロがちょっと遠慮がちにいいました。

「そうね、どうせシャルルのあのばかばかしいかゆみが治るまで
ここで足止めだし、あなたたちが役にたつとはとうてい思えないけれど・・・・
話してみてもいいわ」
 それをきくと、隣のテーブルのモーデカイたちも
ナナのまわりに集まってきました。
なにしろ、みんなずっとナナの探検の目的がなんなのか、
興味津々だったものですから。



 ナナは集まってきたみんなの前で、
腰にさげた皮の袋から
小さなガラスのビンを取り出しました。
ビンは丸くて平べったくて、表面には細かい複雑な模様が彫られています。
ナナがフタをとると
そこから、いままでかいだことのない
不思議な匂いが漂いだしました。



 「これが私の国の繁栄の源、『一なる香油』よ。
またの名を<幸福の記憶>とも呼ばれている、貴重な香油なのよ」
ナナは誇らしげにそういうと、
芳香のなかでうっとりと目をとじているみんなの顔を、
ぐるっとみまわしました・・・・・・ジロの心には、毛糸の舟で憧れの冒険の旅に出た、
あの春まだ浅い朝のことが、鮮やかによみがえってきました。

 カイサはずっと見たいと思っていたカメノコテントウムシを見つけた瞬間を、
シンカは「あめふり図書館」で博物学大百科に読みふけっている幸せな時間を
思い出しました。

 モーデカイの心には、何日もかかってついに気に入った揺り椅子が完成したときの
あのうれしさが、そしてフェイは、ひとりで冒険の旅に出てしまった仲良しのジロが帰ってきたときの、
飛び上がるほどうれしかった気持ちを思い出しました。

 「『一なる香油』が、<幸福な記憶>と呼ばれる理由が
みんな、よくわかったようね。
この、世界にふたつとない不思議な力をもった香油をつくりだすことで、
私の国は繁栄を築いてきたわ。
香油の調合法は秘密にされていて、
選りすぐりの調香師たちが
数知れない花や香草の香りを取り出す特別な技を駆使して
つくりつづけてきたのよ」
そこまで一気にいったナナはちょっと肩を落として
こうつづけました。

 「でも、その調合の最後に加えるものとして、
リュウゼンコウというものが欠かせないのよ。
リュウゼンコウは、花や香草の芳香を、
香油のなかに永遠に失われることのない記憶としてつなぎとめるために、
なくてはならないものなのよ」

 「ああ、それでこのあいだ店にきたとき、
リュウゼンコウを知らないか、って、いってたのか」
フェイがいいました。
「話のこしを折らないでちょうだい!」
ナナに、にらみつけられて、
フェイは首をすくめました。

 「どこまで話したかしら・・・」
「リュウゼンコウのところまでだよ」カイサがいいました。
「そうだったわ。国には代々伝えられた
リュウゼンコウの大きな塊があったのだけれど
長年使いつづけるうち小さくなり、ついに数年前に
最後のひとかけを使い尽くしてしまったのよ。
リュウゼンコウがなくては、『一なる香油』はつくれないし、
香油なしでは、我が国はどんどん衰退してしまうわ」
 
「それでナナさんが、リュウゼンコウを探す旅にでたわけですね」
ジロが、すっかり冷めてしまったテーブルの上のパンケーキを見下ろしながらいいました。
「そのとおりよ。わたしがこんなところでぐずぐずしてはいられない理由が、
これでわかったでしょ」

「リュウゼンコウのことは、ずっと前に本で読んだことがあったなあ。
たしかクジラが体から出す排出物だと書いてあったと思うけど」
シンカがいいました。
「は、排泄物ですって!失礼なっ。
わたしの国の存亡を左右する貴重なものが魚の排出物だなんて、
もう一度いったら許さないわよ!」

「ナナちゃん、その探しているリュウゼンコウって
どんな大きさや形のものなの?」
興奮気味のナナの気持ちを落ち着かせるように
カイサがききました。

「リュウゼンコウは厳重に保管されていて、
ごく一部の者しか目にしたことがないのよ。
私が一度だけ見たときにはもうかなり小さくなっていて、
白っぽくて、灰色っぽくて、石のカケラのような・・・・・・」
「ふーん・・・・・白っぽくて灰色っぽい小さな石のようなものを探すって、
とんでもなく難しそうだなあ」
カイサがためいき交じりにいいました。

「あなたにいわれなくったって、それはわかっていてよ。
だから私はいてもたってもいられない気持ちなんじゃないの!
でも、ただの石ころとリュウゼンコウを見分ける方法がひとつだけ、あるのよ。
銀の針の先を赤くなるまで火で熱して突き刺したとき、
それが本物のリュウゼンコウならば、
針がそのなかに入っていく、といわれているわ」
ナナがそういったときでした。

 川の向こうから、手を大きく振りながら
誰かがこちらに向かってくるのが見えました。
「あっ、シャルルさんだ。
もうかゆいの治ったのかな?」
カイサが手を振りかえしました。
「ふん、あの役たたずのオタンコナスが。
国へ帰ったらようしゃしないから」
ナナがいいました。

 橋をわたって、息を切らせながらこちらへやってきたシャルルは
顔中がまだカサブタだらけでしたが、
ジャマイカ・インにかつぎこまれたときに比べると
ずいぶん元気を取りもどしたように見えます。

「シャルルさん、具合はどう?」
カイサがいいました。
「はい、みなさまのおかげで、
またきょうはコルネさんが大好物のキ・・・・
あわわ・・・・いえ、そのぅ・・・ですね、
滋養のあるお食事を用意してくださって、
体と心に力が湧いてきたら、
かゆみも耐えやすくなりまして、
もう1,2日で完治しそうです」
「この失態は、国へ帰ったらお父さまにさっそく報告しますからね」
 ナナが、シャルルにきびしい口調でいいました。

 「ねえ、シャルルさんもこんなに元気になったし、
もうすぐふたりも国に帰っちゃうし、
明日は、みんなで貝殻島へ行かない?」
カイサがいいました。
「うん、それはいいね!
明日はぼく、店を休もうとおもってたんだ」ジロもいいました。
「あ、ぼくも砂屋を休んじゃおうかな」フェイもいいました。
「明日はお使いの仕事もないしな」とモーデカイ。
「ぼくの予報では、お天気もよさそうだよ」とシンカもいいます。

「ちょっと、勝手に決めないでちょうだい。
その、なんとか島って、いったいなんなのよ」
ナナがみんなを遮っていいました。

「ジャマイカ・インの桟橋からボートで20分くらいの所にある
海底火山の噴火でできた小さな島でね」
モーデカイがいいました。
「貝殻島って呼んでいるんだけど、
まわりの海は温泉みたいにあったかいし
バニャーニャとは違う植物や生き物がいっぱいいて、
気分転換にはもってこいだと思うな」ジロがいいました。

「いいですねえ、ナナさま、ぜひ行ってごらんになっては。
わたくしもお供いたしますです」
シャルルがいいました。
「あなた!なんだかやけにウキウキしちゃって、
私たちは物見遊山でここにいるのではないのよ!」
ナナがシャルルをにらんで、ビシっといいました。
「でもまあ、明日も特にやることもないし、
気晴らしにはなるかもしれないわ。
ただし!あさってにはどんなことがあろうと、出立しますからね」



 翌日はシンカがいったとおりのいいお天気でした。
ジャマイカ・インの前にある桟橋は
貝殻島へ行こうと集まってきたみんなでにぎわっていました。
きょうはお客さんがいないから、とコルネまでがいっしょに行くといい出しました。
「シャルルさん、貝殻島にはもしかして珍しい「アレ」があるかもしれませんぜ」
コルネがシャルルに耳打ちすると、シャルルは目を輝かせて
しーっと唇に指をあてました。

 何回かにわけてボートに乗り、全員が貝殻島につくと、
シャルルとコルネは、さっそく「アレ」をもとめて、
島のまんなかにある林のなかに入っていきました。

 シンカは去年タツノオトシゴを見つけてから、
ずっとその様子を見守っているので海のなかへ入っていきましたし、
モーデカイは、腰をかがめて浜辺に打ちあがっている海藻を拾いはじめました。
今夜のサラダにいれようかな、と思って。

 カイサは、砂浜にはえているハマボウフウの花にいる
サルガネハムシを見つけるのに没頭していますし、
フェイはなにか錬金術に使える生き物はいないかな、と
タイドプールのなかを熱心にのぞきこんでいます。

 ジロは、いっしょに連れてきたチクチクが
ママンゴーの木の下で、落ちている実に集まるハエをおいしそうに食べているのを
にこにこしながらながめています。

 こんなふうに、みんなが思い思いに好きなことをはじめたのですが、
ナナだけは、したいことが見つからず、
所在無げに海辺を歩きまわってときどき貝殻などを拾っては、
海に向かって投げていました。
やがて退屈したナナは、海辺に打ちあがった石の上に腰かけて、
おだやかにくりかえし寄せる春の海の波を、
ぼんやりと見つめていました。



 やがて島のまんなかあたりに生えていた
名前のわからない木の根元で珍しいキノコを見つけたシャルルが、
コルネといっしょに意気揚揚と、林のなかからできました。
キノコをもっていると、またナナに叱られそうなので
いそいでポケットにしまいながら、
海を見ているナナの後姿を見たシャルルの心のなかに、
とつぜん、ハッ!とひらめくものがありました。

「ナナさまぁー、ナナさまぁー」
シャルルは手を振りまわし、大声で叫びながら
ナナのほうに駆け寄りました。

「いったい、どうしたっていうのよ。
ひとが休んでいるというのに、
うるさい人ね」
カサブタだらけの顔を真っ赤にして、
息を切らせているシャルルを振り向いて、
ナナが眉をつりあげていいました。
 
「ナ、ナナさま、こ、こ、この石は、もしかして・・・・・」
「なんですって!」
ナナはそういうと腰かけていた大きな石から立ち上がり、
指先で石の表面に触りながら、しげしげと石を見ました。

「シャルル、あれを、早く!!!」
「ははっ、ただいま」
シャルルはそういうと、腰の物入れから
銀色に光る太い針とマッチをとりだし、
火で針先を赤くなるまで焼きました。
そして、震える指先で、
針先を石に突きたてました。



 すると―
石が針を受け入れるかのように、
ずずっと、なかに入っていき、
うっすらとケムリがたちはじめました。
シャルルが慎重に針を引き抜くと、
そこにはなにかねっとりしたものがまとわりついています。
ナナが祈るような面持ちで、
針先を鼻に近づけ、いいました。
「間違いないわ、調香師からきいたとおりよ、
シャルル、これはリュウゼンコウだわ!」

 「うう、ナナさま・・・・・・」
シャルルは砂にひざをついて、
感極まってうめくようにいいました。
「おおーい、みんなぁ、ナナさんとシャルルさんが
リュウゼンコウをみつけたぞー」
コルネが海岸のあちこちにちらばっていたみんなを大声で呼びました。

 みんなは、かわるがわるリュウゼンコウにさわってみました。
「ずいぶん長い間、海をただよってきたんじゃないかな。
干からびたエボシガイとか藻とかがこびりついてるし」
シンカがいいました。

 「リュウゼンコウは色が白いほど高品質だって、調香師がいっていたわ」
バニャーニャにきて以来、はじめて笑顔を見せたナナがいいました。
「これ、真っ白だもん、きっと最高級品だね」
カイサもそんなナナをみて、うれしそうにいいました。

 「これだけ大きなリュウゼンコウがあれば、
我が国はこれからもずっと
『一なる香油』をつくりつづけることができるでありましょう」
そういうシャルルの顔のカサブタの上を、
ひとすじの涙がつたって落ちました。

 翌朝。

 「こんなところで、1週間も時をムダにしてしまったかと思ったけれど、
ぶじにリュウゼンコウを見つけることができて、
これで私の国も繁栄をとりもどすことができるわ」
ボートに乗りこんだナナがいいました。

「みなさま、ほんとうにお世話になりました!
バニャーニャのことは決して忘れません」
コルネが丈夫な帆布で包んでくれたリュウゼンコウをしっかり押さえながら、
シャルルがいいました。
「じゃあ、そろそろ舟を出しますぜ」
国境の街の海岸まで、ふたりを送っていくことになったコルネが
ボートのもやい綱をほどきました。

 ナナとシャルルは、帰りは半島をぐるっとまわって、
海側から国境の街へ入ることにしたのでした。
シャルルは二度とナメナメクジンの森を通るのはごめんだといいますし、
リュウゼンコウは、背負っていくには大きすぎましたから、
国境の街で乗り物をやとうことにしたのです。

 「わたし・・・わたし、いつかまた、
バニャーニャに来ようと思うのよ」
ボートが桟橋を離れはじめたとき、
とつぜん、ナナが大きな声でいいました。
「カイサ・・・・・・あなたとまたバニャーニャをあちこち、歩き回りたいのよ」
「ナナちゃん、やっとあたしの名前おぼえてくれたねー。
またきっとおいでよ、待っているよ!」

 やがて3人をのせたボートが、
半島のカーブにそって見えなくなると、
ジロは空をみあげ、目を細めてつぶやきました。
「日差しが強くなってきたなあ」。
石舞台につづく丘の木々の緑も日ごとに勢いを増し、
春から夏へ、季節が移ろうとしていました。
 

 

 ***************************************

 もうずいぶん前のこと。
その日、わたしはいくつものトラブルが重なって、
ひどく落ち込んでいました。
そんなわたしを友人が、
近所に住む母親が丹精しているバラが満開だから、
と誘ってくれました。

 5月の庭には、赤、ピンク、オレンジ、黄色、白と、
色とりどりのバラが、咲いていました。
お茶をごちそうになって帰ろうとすると、
友人の母親が、
1本のオレンジ色のバラを切って、
私に手渡してくれました。
なんというバラだったのか、教えてもらった名前はもう忘れてしまいましたが、
いただいたバラを鼻に近づけた私は、びっくりしました。

 近頃のバラは、その姿形の華麗さを追求する改良を加えられて
美しい姿を得た代わりに、香りを失ってしまっている種類が多いのですが、
そのバラの香りの強かったこと!
摘まれたばかりの、新鮮な全草から立ちぼる青っぽい香りと、
ぱあっと広がる花がふりまく香りが混ざった、
みずみずしくも力づよい香り。
もう一度鼻に近づけて息を深く吸うと、
それまで自分の心の上に垂れ込めていた灰色の雲のかたまりのようなものが、
さあっと晴れていくのがわかりました。

 今でこそ、アロマテラピーが普及し、
香りが心(脳)や体に強い力を及ぼすことが知られてきましたが、
そのころ、まったくそんな知識もなかったわたしは、
ただただ、自分の感じた香りの力に驚くばかりでした。

 やがて植物のエッセンスを閉じ込めた精油が売られるようになると、
アロマテラピーの本を読み漁り、
いろいろな精油を買うようになりました。
精油は本に書いてある効用にとらわれず、
そのときの自分の体調や気持ちによって、
いちばんいい香りだと感じたものを買います。


 なかでも特別大好きなのが、
インド産のジャスミンの一種「ジャスミン・サンバック」。
甘すぎず、どこかに緑の香りを宿しているところが
ふつうのジャスミンとは違うところ。
インドのジャスミンというと、
濃い闇の中で重く甘く香るイメージですが、
私はこれを嗅ぐとなぜか、
子供のころ、まだ寒い春に満開になる「おばあちゃんの水仙畑」で、
大きく息をしたときのことがよみがえってきます。

 そして、もうひとつ、気持ちが落ちこんだり、
心身ともに疲れた時に愛用しているのが、
ブルガリア産の「ローズ・オットー」。
精油屋さんの店先で、この精油の香りをかいだときのことは、
今も忘れられません。
嗅いだ瞬間に、華やかで晴れやかな、
悩みなんか吹き飛んでしまうパワーに
うわーっと包まれた感じ。
その圧倒的な芳香に、理性も吹き飛んでしまったようで、
気がついたら、値段も確かめずに「これください」と
店員さんにいっていた。
わたしにとっては宝ものともいえるこのふたつの精油をそばにおいて、
『一なる香油』の話を書きました。


 そして、リュウゼンコウ。
漢字だと、龍涎香。

 横浜の磯子という海岸沿いの町に生まれたので
こどものころから遊びといえば、
海辺でカニを追いかけたり、アサリを掘ったり、
流れ着いたいろんなものを拾うことでした。
大人になってもこの「拾いグセ」は治らず、
貝殻を集めるようになりました。
そして「海辺の拾い人」の憧れといえば、リュウゼンコウです。

 いまでは、ビーチコーミングなどと呼ばれ、
貝殻だけでなく、陶片、外国のライター、流木、動物の骨や漂着した種などなど
いろいろな拾いものを楽しむ人が増えてきましたが、
金塊と同等の、あるいはそれ以上の価格で昔から取引されている、
ときには拾った人の人生を変えてしまうとまでいわれる漂着物です。

 そもそもリュウゼンコウとは?
シンカがいったように、マッコウクジラの排泄物。
深海にすむダイオウイカを食べたマッコウクジラの体内で
消化されないイカの「カラストンビ」(口の部分)が、
なにかの拍子でクジラの腸に突き刺さると、
特殊な脂肪が分泌されてカラストンビを包み込むように大きな塊を形成し、
それが肛門から排出された、つまり結石のようなもの、というのが通説。

 高価であるため、マッコウクジラを切り開いて、
直接体内から取り出すようなことも行われていたことがあるそうですが、
とりだされたばかりのリュウゼンコウはけっしてよい匂いとはいえず、
長期間海に漂い、太陽の紫外線にさらされ、
波にもまれ、酸化することでえも言われぬ香りが熟成されていくらしい。
 黒、茶色、灰色、白といろいろあって、
白いものが香料としては極上品なのだそう。

「浮かぶ金塊」の異名もあるリュウゼンコウは、
大昔から世界各地の海辺で発見されており、
なかでも琉球で見つかることが多かったようです。
大きさは小石くらいのものもあれば、
大人が抱えられないほどの大きさのものまでさまざま。
まわりは石そっくりのざらざらしたものもあるし、
ときにはプラスチックのボールのような質感のものもあるといいます。


 リュウゼンコウそのものの匂いは、
「強いフェロモン様の匂い」とか「ずっと嗅いでいたくなる匂い」とか
「麝香のような甘い土の芳香」とか、「湿った林のなかを思い出させる」
などといわれています。
クレオパトラや楊貴妃も使っていたという「香料のなかの至宝」と呼ばれるリュウゼンコウは、
香水産業のなかで、大昔からもっとも高値で取引されていたいっぽう、
薬用や料理にも使われていたそうです。

 沖縄の記録によると、石垣島のお百姓さんが見つけたものは約100キロ。
今の価格に換算すると、2億3千万円相当だったといいますから、
拾ったら人生が変わるというのもうなずけます。

 南太平洋の島に詳しい友人から、
ダイビングで有名なツアモツ諸島で見つかったことがあるときき、
貝を拾いに行ったついでに、リュウゼンコウはないかなあ、
と目を凝らしたこともありましたが
旅行者がそうやすやすと幸運に恵まれるものではなく。

 でも、でも!以前このブログで『南の島移住記』を紹介した、
ランギロア島の西村直子さんから去年、
「このあいだ村人が、リュウゼンコウを拾ったのだけれど
日本人は買わないか、と持ってきた」という話が。
リュウゼンコウは、香水会社が目の色をかえて探しているものではありますが、
普通の人が持っていても、置物にするくらいしか使用法がないと思われるので、
直子さんのご主人が「そんなもの買う人いないよ」といったら
すごくがっくりきていたそう。
拾ってもそう簡単にはお宝にはならないようです。

 一見、石のように見えるリュウゼンコウの見分け方は、
話のなかでシャルルがやったとおり、
火で焼いた針を使うそうです。

 えばりんぼうのナナと、
国の大事よりも自分の楽しみのほうが大事、という
マイペースのシャルルは案外いいコンビ。
みごとにリュウゼンコウを見つけました。
お騒がせな春の珍客が去ったあとのバニャーニャは、
またいつもののどかさを取りもどしたようです。

バニャーニャ物語 その12 アーモンドの花さくころ

2012-01-15 17:28:58 | ものがたり
バニャーニャ物語 その12 アーモンドの花さくころ

 






作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 




 
 お日さまがあたたかい光をなげかけている4月の草原のなかで、
カイサはさっきからずっとしゃがみこんでいます。
ヒナゲシやハルジオンが小さな花を咲かせ、
原っぱの向こうには薄紫色の花房をたくさんつけたライラックの木があって、
風にのって甘い香りが流れてきます。

 こうして草のなかにしゃがんでじっとしていると、
つぎつぎといろいろなことが起こります。
ハムシが葉の茎をよじ登っていったり、
アリがいそがしそうに種を運んでいったり、
ハナムグリがピンク色の花をむしゃむしゃ食べたり。
目の前では背中に赤い十字模様のある小さな白いクモが、網を張っています。
虫たちをおどろかせないように、じっと気配をころして、
こうやって草のなでこうしていると、カイサは時を忘れてしまいます。
「このクモは、きっと今年生まれたばっかりで、
この小さな網ははじめて作る網なんだろうな」
と思いながら、まめまめしく動きまわって、
一心不乱に網を張り巡らしているクモに見とれていました。



と、そのとき。
頭の上で、甲高い声がしました。
「そこのアナタ、ちょっと、聞こえないの?こっちを向きなさいよ」。

 クモの網がもうちょっとで完成するところだったので
カイサは体を動かさずに、顔だけを声のするほうにゆっくりと向けました。
そこにはひとりの女の子が、腰に手を当てて立っていました。
見たこともない恰好をしているので、カイサは目をぱちくりさせました。



「ん・・・・あれ、アナタだれ?」
「いきなり失礼ね!だれ?なんて。
 わたしはラ・トゥール・ドーヴェルニュ王国のナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルよ」
「ドーヴェル・・・・・んーと、ナナちゃんだね、あたしはカイサ」
「ナ、ナ、ナナちゃんですって!そんな軽々しくわたしの名前を呼ぶなんて、ゆるされないのよ!」
「だってー、長すぎて覚えられないよ」
「まったく、田舎の人ときたらモノを知らないんだから・・・・それより、
わたしのきくことに応えなさい」

白いクモは、巣を張り終ったところでしたので、
カイサは巣をこわさないように、そっと草のなかから立あがりました。
ナナ・ウリエ・シュヴァンクマイエルは
カイサと同じくらいの背丈の女の子でした。

「カイカ、ここはいったいどこなのか、教えなさい」
ナナはカイサをにらみつけるように命令しました。
「カイカじゃないよ、カイサだよ。ここはね、バニャーニャっていうんだよ。
 あれ、ナナちゃん、知らないで来たの?」
「知るもんですか!あのごみごみした国境の町から東のほうに歩いていたら
へんな虫のいる森に迷い込んじゃって、やっと抜けられたと思ったら
こんな辺鄙なところへ来たのよ」

「へぇー、すごーい、じゃあナメナメクジの森を通ってきたんだね!
 でも、ナナちゃん、どこもなめられていないみたいだけど」
カイサがナナを頭のてっぺんから足の先まで見ていいました。
「あなたって、まったく失礼ね。あんなヌメヌメした虫なんかに
わたしがなめられると思ったら大間違いよ・・・・でもいっしょに来た
シャルルはあの虫にたかられちゃって・・・・あっちでぶったおれているのよ」

「シャルルって?」
「わたしの探検のお供をしてきた者よ。まったくだらしがないんだから」
「へえー、ナナちゃん、お供をつれて探検してるんだ!かっこいいね」
「かっこいいとか、そういう問題ではないのよ。
私は国の苦難を救うために・・・・ まあ、あなたにいっても仕方ないことだわ。
それより、シャルルをなんとかしなければならないのよ。
ぼやぼやしていないで、お医者のところへ、連れて行きなさいよ」
カイサとナナは、草原のはしにはえているライラックの木の根元で
体じゅうをかきむしっているシャルルのところへ歩いていきました。
 シャルルという若者は、草の上をあっちにごろごろ、こっちにごろごろと
のたうちまわっています。

 「ナナさま、まことに、もうしわけございません!
  しかし、このかゆさは、尋常ではなく・・・・(かゆいぃっー)」
ふたりを見るとシャルルは叫ぶようにそういって、また体をかきはじめました。
「シャルルさん、えらい目にあったね。
でも、ナメナメクジになめられたら、1週間かゆいのをがまんするしか
方法がないの。
ジャマイカ・インにいけば、コルネが冷やしてくれるよ。
少しは楽になるらしいし、コルネはホテルのお客さんがときどき
ナメナメクジにやられてくるから、なれているしね」

「ジャマイカ・インって、なんなのよ?」
ナナがききました。
「バニャーニャにあるたったひとつのホテルだよ。
 コルネがやってるんだ」
カイサはそういうと、シャルルをなんとか助け起こして
ジャマイカ・インに向かって歩きはじめました。

「やあ、カイサ!おやおや、お客さんをつれてきてくれたんかい?」
ジャマイカ・インにつくと、コルネが出迎えてくれました。
「あれま、お客さん、ナメナメクジにやられたね」
「そうなんだよ、シャルルさんっていうの。そいでこっちがナナちゃん」
カイサがふたりを紹介しました。
「ナナ・ウリエ・フォン・シュヴルツラングよ」ナナがいいました。
「まあ、ここがホテルだなんて・・・・・しょうがないわね、田舎っていうのは」
「でもね、コルネはお料理上手だし、とっても気持ちいいホテルなんだよ」カイサがいいました。

「シャルルさんのことは任せてください。すぐにお部屋へご案内しましょう、
なに冷やせばちっとは楽になりますから」
シャルルは口もきけずに、コルネに抱きかかえられながら、
2階への階段をのぼっていきました。

「シャルルなんて、ほんっとに役にたたないんだから。
しかたがないからカイカ、あなたバニャーニャとやらを案内しなさい」
ナナがいいました。
「カイカじゃなくってカイサだよ。いいよ、案内してあげる。
でもナナちゃん、おなかすかない?」
「そういえば、バニャーニャについてから、なんにも食べていないわ。
こんなところにわたしの口に合うようなものがあるとは思えないけれど、
でもなにも食べないというわけにはいかないわ」
「よっし、それじゃあ、ジロのところに行こう。
バニャーニャでいちばんおいしいスープが食べられるよ」。

 「スープ屋ジロ」では、
ちょうどお昼を食べに来たお客さんたちがひと段落ついたところでした。
ジロは調理場でお皿を洗っていました。
きょうのスープは朝、畑からもいで、
サヤから元気に飛び出してきた鮮やかな緑色をしたえんどう豆のスープと、
やわらかくて甘みのある新キャベツのざく切りと豚肉のスープ。
どちらもほぼ売り切れです。
夜のメニューはもう考えてありましたから、
この午後はデザートづくりに専念するつもりでした。
「今夜はポポタキスのコンポートにしようかな。
そうだ、丁子とかカルダモンとか、今までと違うスパイスで
大人っぽい風味をつけてみようかな」
ジロは鼻歌をうたいながらそう考えていました。

「ジロー、いる?」店の方で、カイサの声がしました。
「あれ、カイサ?きょうは遅かったねえ」
ジロが手をふきながら、店の方へ出てきました。
「ねえ、スープ、まだ残ってるかなあ?」
「あらかた売り切れちゃったけど、少しだったらあるよ。
ぼくもこれから食べるとこだから、いっしょに食べようよ。
あ、ともだちもいっしょ?」
カイサの後ろにいるナナに気がついてジロがききました。

「ともだち、ではないわよ。わたしはナナ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングよ」
ナナがいいました。
「ナナちゃんはね、バニャーニャにきたばっかりで、
 あちこち探検してるんだって。
ナメナメクジの森を通ってきたのに、なめられなかったんだよ。
モーデカイの他にも、ナメナメクジが寄ってこない人がいるんだね。
でも、いっしょにきたシャルルさんって人はなめられちゃって、
いまコルネのところでうなってる」

「すぐ用意するから、さあ、すわってすわって」
ジロが、入口からなかなか入ってこようとしないナナに声をかけました。
「まあ、せめてレストランかと思ったら、こんな大衆食堂みたいなとこ・・・・・」
ナナがつぶやきました。

 ジロがテーブルに用意したスープを前にして、ナナは気味わるそうに
匂いをかぎ、食べるのをちゅうちょしていましたが、
カイサがおいしそうに食べ始めたのをみて、
自分もしぶしぶスプーンを口にはこびました。
そしてひと口食べると、「ん?」。
見る間にスープ皿がからになる勢いで食べはじめました。
「ナナちゃん、気にいったみたいだね。
ジロのエンドウ豆のスープは濃くて美味しいもんね」
カイサがいいました。
「ふん、こういった探検の旅ではね、なんでも食べなければならないものなのよ」
「じゃあ、ナナさん、春キャベツのスープもいかがですか?」
あっという間に空っぽになったナナのお皿をみてジロがきくと
「そ、そうね、期待はできないけれど、ためしてみてもいいわ」

 ナナはキャベツのスープもすっかり食べ終わると、
ちょっと元気をとりもどして落ち着いたようにみえました。
おいしい食べ物は、ひとの気持を落ち着かせるのでしょう。
「スープの代金は、シャルルがよくなってから払いにこさせるわ。
さあカイカ、さっそくバニャーニャを案内してちょうだい」
というと、さっと立ち上がりました。

「カイカじゃなくて、カイサだけどね。
いいよ、バニャーニャのともだちを紹介しながら、半島のなかを歩いてみようか。
まずはブーランジェリー・アザミに寄って・・・・・ほら、いまスープといっしょに食べたおいしいパンを売ってる店。
それからマレー川のほとりにあるフェイの砂屋にも行こう」。

 歩いていくカイサとナナを、4月の午後のうららかなひざしがつつみます。
ときおり、風がふたりの髪をそよがせていきます。
ブーランジェリー・アザミの店は、
点々と咲き乱れるヒナゲシの白い花に囲まれていました。

 「あら、カイサ、いらっしゃい!こんな時間にめずらしいわね」
いつものように、ノリのきいた布で赤い髪をきっちり包み込んだアザミさんが
いいました。
「あ、わかった!イチゴ蜜を買いに来たのね」アザミさんが、
バターやハチミツを並べてある棚から
赤い液体のはいったビンをとりだしていいました。



「あ、今年もいちご蜜の季節がきたんだね。
売り切れないうちに、1ビンください。
でもね、きょうは、ナナちゃんを案内しているの。
ナナちゃん、美味しいパンをつくってくれるアザミさんだよ」

 「こんにちは!バニャーニャへはご旅行?」
「いいえ、そんなお気楽なものではないのよ。
わたしは探検の旅をしているのだから」
そういいながら、ナナの目はカイサの手の中のいちご蜜のビンに吸い寄せられていました。

 「これはイチゴからつくったものなのかしら?」ナナがききました
ナナは蜜という蜜が大好物なので、興味をひかれたのです。
「いいえ、これはいちご虫の出すまっかな蜜を、ミツバチが集めてきた蜜で
とっても濃厚なイチゴの香りがするのよ。
イチゴ蜜と呼ばれているバニャーニャの特産品でごく少量4月だけにとれる貴重な蜜なの」

 「イチゴ虫ですって?!虫の出した蜜を食べるなんて、おおいやだ、非衛生的だわ!」
「でもね、いちど食べたら忘れられない、とってもいい香りの蜜だよ。
色もほら、こんなにきれいだし。ジロがこれでつくるイチゴ蜜ジェリーは最高においしいんだから」
透明に赤く輝くイチゴ蜜のビンを陽にかざしながら、カイサがうっとりといいました。
「それにね、ナナちゃん、ハチミツをつくるハチだって、虫だよ」カイサがクスリと笑いながら言いました。
「そ、それはそうだけれど。でもそれとこれとは・・・・」

 「バニャーニャの探検、楽しんでくださいね」
アザミさんがにっこり微笑んでナナにいいました。

 ブーランジェリー・アザミを出ると、
カイサとナナは、マレー川のほとりを目指して、
つやつやした青い芽をふいている木々がしげる森のなかの小道を歩いていきました。

 森を出て川辺の道にでると、さらさらと流れていく軽やかな水の音がきこえ、
その水音にあわせるように、
一羽のミソサザイが澄み切った高い声をふるわせて鳴きはじめました。

 「バニャーニャって、おそろしくひなびたところなのね」ナナがいいました。
「うん、わたしはここしか知らないからわからないけど。
ナナちゃんの国は、ちがうの?」カイサがききました。
「あなたには想像もつかないわよ。
石畳の広い大通りにそって、美しくディスプレイされたいろいろな店が並んでいて、
着飾った人々が道を行きかって、そりゃあにぎやかで。
こことは別の世界だわね」


 「フェイー?いないの?」
カイサがフェイの砂屋のドアを開けると店はからっぽで、
フェイの姿がありません。
「ここは、いったいなんの店なのよ」
ナナが店のなかをみまわしてききました。
「フェイはね、世界中から砂を集めて、
それを調合して薬をつくったり、砂絵を描いたりしているんだよ。
ほら、このすてきな砂漠の絵も砂で描かれているの」
カイサが壁の絵をさしていいました。
それは、なめらかに盛り上がる砂丘を
血のように赤い夕陽がそめている幻想的な光景を
砂で描いた絵でした。

 「このおかしな臭いはなんなの?」
ナナが鼻と口を手でおおって顔をしかめながらいいました。
そのとき、店の奥の戸が開いて、フェイが顔をのぞかせました。
「やあカイサ、気がつかなくてごめん。いま裏で釜をかきまわしていたもんだから」
「フェイ、このひとナナちゃんっていうの。ずっと遠くの国から探検に来たんだって」
「やあ、はじめまして、フェイです」
「フェイはね、このあいだから錬金術をはじめたんだよ」カイサがいいました。
「いやあ、まだはじめたばっかりでさ、
レフロンとかポーションとか、
かんたんな薬はつくれるようになったんだけどね。
なにしろ、材料を集めるのがたいへんなんだよな」
「あなた、もしかして、リュウゼンコウのことをきいたことがないかしら?」
ナナが急にまじめな顔になっていいました。

 「リュウゼンコウ?そういえば『錬金術大全』にでていたな。
たしか、めったに手に入らない高価で貴重な香料とか・・・
でも、そんな珍しいもの、バニャーニャにはないんだよなー」
「そうね、きくだけ無駄だったわね」
ナナはそういうと、「カイカ、さあ次へいきましょう」
とさっさと、外へ出て行ってしまいました。

 「ねえ、あのひとカイサのともだち?
やけにいばってるじゃない?」フェイがカイサにささやきました。
「うーん、けさ会ったばかりだからね、ともだちってわけでもないけど、
いっしょに来た人がナメナメクジにやられちゃって、
ほんとうは心細くて困ってるんじゃない?」。

 ふたりが行ってしまうと、フェイはお湯を沸かして
お茶をいれることにしました。
なんだか気持ちがむしゃくしゃしたものですから、
すりおろしたジンジャーをたっぷりいれた濃いお茶を飲みたくなったのです。

 マレー川のほとりからはなれ、東側の低い丘を越え、
カイサとナナは、半島のあちこちを歩き回りました。
4月の午後は、あちこちに花の精気が満ち、
なんだか、眠くなるような気持ちよさでした。

 やがて日差しはオレンジ色をおびたバラ色になり、
あたりはこの季節ならではの美しさに満たされました。
「あー、いい気持」カイサが道端のニオイスミレを一輪おって香りをかぎました。
「ま、まあね。ところでカイカ、あなたって、どうしてそんなに歩くのが遅いのかしら」
「えっ?そうかな、おそいかな。いままで考えてもみなかったなあ。
あたしの名前はカイカじゃなくてカイサだけどね」
「そうやって、道草ばっかりしているからよ。もうちょっとさっさと歩けないのかしら」
「だって、道にはいろんなおもしろいものがあるんだもん。そんなに早く歩いたら
もったいないよ」

 「でもナナちゃん、ちょっとつかれた?
きょうは朝からいろんなことがあったもんね」
「そんなことはないわ。でも・・・・・・そうね、シャルルのことも気にかかるし」
「じゃ、きょうのバニャーニャめぐりはこのくらいにして、
ジャマイカ・インまで送っていくよ」

 ナナをジャマイカ・インに送りとどけけると、
カイサの足は、しぜんとジロ店のほうに向かいました。
「これから夕ごはん自分で作るの、めんどくさいしな」

 ジロのスープ屋には、仕事を終えたアザミさんやモーデカイ、
フェイとシンカにバショーまでが顔をそろえていました。
カイサがはいっていくと、みんなはいっせいに、カイサに質問をあびせました。



 「ねえねえ、カイサ、あれからどうした?」
フェイがききました。
「バニャーニャのあちこちをいっしょに歩いたよ」
「あいつ、ずぅっとあんなふうにいばりくさってたの?」
「まあね」

「たいへんだったわねえ」アザミさんもいいました。
「ナメナメクジになめられなかったなんて、オレも会ってみたいもんだよ」
モーデカイがいいました。
「やめといたほうがいいとおもうよー、いっしょにいると、なんだか腹がたってくるから」
フェイが鼻にしわを寄せていいました。

「カイサに頼りきっとるというのが、ちと気になるがの」バショーがいいました。
「アハハ、だいじょうぶだよ。
ナナちゃんは、なんだか悩みがあるみたいなんだよね・・・・・。
それよりジロ、今夜のスープはなに?
いっぱい歩いておなかすいちゃった」
「ムラサキニンジンとジャガイモとミドリタマネギの
春野菜スープだよ」

 そのころ、ホテル・ジャマイカ・インでは、
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルがひとり、
自分の部屋のバルコニーで物思いにふけっていました。

 バルコニーはアーモンドの果樹園に面していて、
ちょうど満開になったアーモンドの花が、
夜のなかでぼーっと白く見えます。
そのかすかな香りをふくんだやさしい4月の夜風が、
もの思わし気なナナのほほをそっとなぜて通り過ぎていきました。








****************************************

 暑くもなく寒くもなく、一年じゅうでいちばん気持ちのいい4月だというのに、
バニャーニャにはとんでもないお客さんが迷い込んできたものですね。
ナナ・ウリエ・フォン・シュヴァンクマイエルの探検には何か目的がありそうですが・・・・・・
その話は、次回で。

 果物には、おいしいだけでなく、愛らしい見かけのものがたくさんありますが、
そのなかでも、イチゴは特に愛らしい。
雫のような形状、少し透明感のある赤い色、プチプチとついている種・・・・・
どれをとっても文句のつけようのない愛らしさです。
ジャムのなかでも、断トツあきないのがイチゴジャム。
旬の季節には自分でもつくるのですが、
イチゴをざっと刻んで、それにグラニュー糖をかけて、しばらくおいておくと
まっかなルビーのような果汁が染み出てきて、
その透明な赤さのうつくしさと香りは、いつみても幸福感をさそいます。

 こんなきれいで香りのいい蜜を出す虫がいたら、いいなあ、と
イチゴ虫を考えました。
以前、この連載のあとがきで、カシの樹に集まるアリマキの出す蜜をミツバチが集めた樹木蜜というのを紹介しましたが、
イチゴ蜜は、ハムシのようなイチゴ虫が出す蜜を、ハチが集めてできます。
2種類の虫の体のなかを通ってできた貴重な蜜です。

 赤い色と虫といえば、
メキシコのサボテンにつくカイガラムシの一種コチニールが知られています。
口紅、リキュール、カマボコなどなど、さまざまなものに赤い色をつける
天然着色料。
メキシコと日本で活躍するアーティストの荒木珠奈さんから、
以前、このコチニールを乾燥したものをお土産に頂いたことがありました。



日本ではめったに手に入れることのできない乾燥されたカイガラムシ。
教えていただいたように、さっそくミルクパンにいれ、
水を加えて煮だしてみました。

でたでた、赤い色。

あまりに美しい赤い液体。

お砂糖と香料をいれて、
ゼリーにしてみました
・・・・・・・・・・・・というのはウソです。

 ネットなどで見ると、このコチニールという虫由来の天然着色料に
思った以上の忌避反応があふれています。
虫を食料品に添加するなんて、問答無料でダメ!!!!
絶対ナシでしょ、という人は
私の予想より多いようで、
食品や化粧品、酒類などにコチニールが添加されていることに、
みんな激しく怒っています。

 生きていく上で、世の中には知らなくていいこと、
というのがずいぶんあるとわたしは思います。

 お気に入りのシャネルの赤い口紅の色が、虫が出した色だと知って
唇に塗るのが嫌になった、という人、
ピンクに色付けされたカマボコを買わなくなった人もいます。
知らなければ、どうってことなかったのに。

 虫由来の赤い液体に興味津々のわたしですが、
虫好きのわたしにも、煮られてぶよぶよになったカイガラムシの死体が
しずんでいる液体でゼリーをつくるのには、抵抗がありました。
 だからナナが虫の出した蜜を食べるなんてアリエナイ!
と思った気持ちもわかるけれど、
わたしだったら、イチゴそっくりの体をしたイチゴ虫の出した蜜は
食べてみたいなあ。

  アーモンドの花というのを見たことがありますか?
サクラにそっくりなんです。
アーモンドの実をしぼって抽出した液を使ってつくる
ブラマンジュはふるふると繊細で、優雅なお菓子。
調べてみると、フランスのモンペリエという町の
修道女がつくるブラマンジュが最高なのだとか。
モンペリエの春は、咲き乱れるアーモンドの花で白くかすんでみえるそう。
東京では、神代植物公園で4月にみることができます。





バニャーニャ物語 その11 フェイの錬金術

2011-12-14 20:19:42 | ものがたり



作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 



  ①


 3月になりました。
ジロはカレンダーをめくりながら、
「うーん、なんか春だー、って感じられるような
みんながウキウキするようなメニューを考えたいなあ」
とつぶやきました。

 春、といってもまだ風は冷たく、日影にはところどころ溶けかかった雪が残っています。
でも、日差しははっきり冬とは違ってきましたし、
土の中で何かが、外に出ようとしているのが、感じられます。
そして何よりも、自分のなかで気持ちが弾んでくるのを、
なんとかスープにこめたいなあ、とジロは思うのでした。

 ところで、この冬、バニャーニャでいちばん春を待ち焦がれていたのは
フェイだったかもしれません。
冬の間、フェイはずっと、
あめふり図書館で見つけた『錬金術大全 全7巻』という本に夢中でよみふけっていました。
それは、不可思議な図や、怪しげな記号や呪文などが、ぎっしりと書きこまれた本でした。
マジックグラス、震える石、夜の貴婦人、フウセン魚、といった
きいたこともない不思議な生物、鉱物、植物などの名前もでていて、
いたく心惹く分厚い本でした。



 フェイは世界中のいろいろな場所の砂を集めて
砂薬をつくったりする砂屋をやっているので
いろいろな材料を混ぜて、
薬をつくるのはお手のものです。
でも、このところ、砂だけではちょっと物足りないなあ、
という気持ちになっていたのです。

 そんなとき、出会ったのがこの本でした。
自然界のいろいろな素材を集めて、それらを
組み合わせて調合すると・・・・・思いがけないものが生み出せる―
という錬金術は、もともと「集めて」「調合する」ということが
しょうに合っているフェイを夢中にさせました。

 まずは本に出ている初歩的な調合から試してみたくてたまらないのですが、
地面のほとんどが雪に覆われていた冬の間は、なかなか外に出て材料を集めるというわけにはいきません。
ああそれに、まず錬金術にとりくむのに、絶対必要な錬金釜がありません。

 フェイはモーデカイに頼んで
国境の街でさがしてもらいましたが、
金物屋でも骨董屋でも売り切れで、
次はいつ入るかわからない、といわれてしまいました。

 「うーん、釜がほしいよう~」
フェイがうめくように毎日いうのをきいて、
ジロが
「これでためしてみる?」と
店でいちばん大きな釜をかしてくれたのですが、
どうも本に出ているような錬金術の釜とうい雰囲気ではありません。

 「とりあえず、外を歩き回ってみようかな」
破裂すんぜんの風船のように、
心の中が期待でふくれあがったフェイは、
葡萄のツルで編んだカゴをさげて出かけました。

 森のほうへいくと、
日当たりのいい地面に、
あ、気の早いツクシが一本だけ顔を出しています。
「うーん、ツクシが錬金術に役に立つかどうかわからないけど
とりあえず採っておこう。
錬金術に使えなくてもツクシなら油いためにするとおいしいから
無駄にはならないよな」
 
 「万年ゴケ」とか「ふるえる石」とか「泣き叫ぶ貝殻」とか・・・・
もっと錬金術にふさわしい素材がないかなあ、と
地面にはいつくばるようにしてさがしているフェイの頭の上で
「まいどぉっ!」と声がしました。

 顔をあげると、あの、いつかフェイに「幸運のオニギリ石」を売った
行商人が立っていました。
行商人は、きょうも背中に大きな大きな荷物をしょっています。

 「だんな、きょうも掘りだしもんがたんとありますぜ。
見るだけは、タダ!」
そういって、手早く風呂敷や籠を開けて
地面にいろいろなものを並べ始めました。

 「あのさあ、錬金術の釜って、ない?」
フェイは今いちばん欲しいものがないか、聞いてみました。
「だんなぁ、だんなは運がいいですぜ。
由緒正しい掘りだしものの、錬金術の釜、あります」
行商人はもったいぶってそういうと、
背中にしょっていた大きなかごの底のほうから
不思議な記号模様と、装飾的すぎて読めない文字のようなものが彫りこまれた
黒ずんだ釜を、よいしょ、と取り出してフェイの前に置きました。

 それは、『錬金術大全』に出ていた古びた釜ととてもよく似た雰囲気をもっていたのですから、
フェイはのどから手が出そうになりました。
 「こ、こ、これだよ!ぼくが欲しかったのは」と叫びたい気持ちを抑えて
フェイは「これ、いくら?」ときいてみました。

 釜をみたフェイの目の色が変わったのを盗み見ながら、行商人はいいました。
「これは16世紀に、ツェコという国の王様が
錬金術師を集めて、錬金術を行わしたという歴史ある館から出たもんでしてね、
ちょっとやそっとでは、手に入らないものでござんす」
「この前のオニギリ石は、たしか腕に生えた紫色のキノコと交換してくれたよね」
フェイが興奮をおさえていいました。
もうどうしても、この釜が欲しくてたまりません。
  
 「ああ、あのキノコはけっこうなモノでやんした。
でもきょうは、だんなの腕にキノコはないようで。
うちはお金で商売はやっておりやせんから、
そうですねえ・・・・」
行商人はそういいながら、
フェイのことを頭から足の先までじろじろ眺めまわしました。

「だんな、そのなんだかうっとりするようないい匂いのするカゴの中身は
なんでやんしょう?」
「これ?ぼくのおべんとう。
ブーランジェリー・アザミの発酵バターをたっぷりぬった
特製のサンドイッチだよ」

 「ようがす!この前はいい商いさせてもらいましたしね、
きょうは大まけにまけて、その特製サンドイッチと、
このとっておきの錬金釜を交換いたしましょう!
(このクソ重くて、こきたない釜を早く売っちまいたいからな)」

 「ええーっ!?」
フェイはあまりの思いがけない行商人の言葉に、いっしゅんあっけにとられましたが、
お昼ごはんをがまんすれば、
ずっと欲しかった錬金釜が手に入るというのですから、
文句はありません。
行商人の気が変わらないうちに、と
フェイはいそいで籠からサンドイッチの包みを
行商人に渡しました。
行商人はサンドイッチを受け取ると、
「まいど!」といいながら、あっという間に荷物をまとめて
森のなかへ消えていきました。

 憧れの錬金釜をついに手に入れたフェイは、
うんしょ、うんしょ、と掛け声をかけながら、顔を真っ赤にして
重い釜を運んで家に向かいました。



 ② 
 そのころ―
ホテル ジャマイカインでは、
コルネが春いちばんのお客さんを迎える準備におおわらわでした。
毎年、雪が降り始めるころ、
コルネはホテルをお休みにします。
そして春いちばんの風が吹くころ、
その年最初のお客さんがやってきます。


 ホテル・ジャマイカインには7つの部屋があります。
どの部屋にも、小さなバルコニーがついていて、
1号室から5号室までは海が、
6号室と7号室からは、いちめんに広がるアーモンドの果樹園が見渡せます。



 窓という窓を開け放ち、
まだ冷たく感じられる澄み切った外気をいれて、
壁に掛けた絵が曲がっているのをなおして、
シーツをパシっと敷いて
羽根枕をぱんぱんたたいてふくらませ
最後にのりのきいた白いカバーをかけた羽根布団をふたつにたたんで
ようやくベッドメーキングが終わりました。
きょうはお天気がいいので、
部屋にあるタンスの引き出しやクローゼットの扉もあけて風を通しましょう。

 「ひえー、くたびれたー」
朝とったばかりの、紅コンブをおみやげ(コルネは紅コンブのサラダが大好物)に
お茶を飲みに寄ったシンカにコルネがいいました。
「これでもういつお客さんがきていもいいし、
午後はちょっと骨やすめするかな」

 「じゃ、貝殻島に行こうよ。
バニャーニャの海はまだ冷たいけど
貝殻島の周りの海は、あったかくて
海に浮かんでると温泉気分で骨休めにはもってこいだよ」
「ほんとか?
よおし、これから行ってみようじゃないか」

 というわけで、コルネとシンカは
ホテルの前の桟橋からボートで
貝殻島へ向かいました。

 なるほど、島に近づくにつれて、
バニャーニャの海岸ではまだ身を切られるような冷たさだった海水が
あたたかくなってきました。

 島に着いて、ボートを砂浜に引き上げると
ふたりは、のんびりと春の海に横たわって浮かび、
しばし空を見上げました。
「うーん、極楽だぁー」コルネはあたたかい海水に身をまかせながら
思いっきりのびをしました。
たまった疲れが海に溶けだしていくようないい心持です。

 体があたたまってきたので
シンカは海からでると、
浜辺を見渡しました。
その時、砂浜で何かが、ぴちぴちと跳ねているのに気がつきました。

 「なんだろう?」
そばに寄ってよく見ると、
それは、骨ばった体をして
突き出た長い鼻をもった
馬のような顔をした・・・
見たことのない生きものでした。

 「きっとこれは海のなかの生きものなんだろう。
波でここまで押し上げられて、水に帰れなくなって困っているに違いない」
シンカはそっと手に載せて、
コルネのところにいきました。

 「ねえ、コルネ、これなんだと思う?」
「ん?」
いい気持で居眠りしていたコルネはめんどうくさそうに首をまげて
シンカの手のなかの生き物を見るといいました。
「あ、これは海馬(かいば)ってもんだよ。
ずっと前に、南のほうへ航海したときに
見たことがあったっけ」

 「海馬?そういえば、ほんとに馬そっくりの顔をしてるなあ。
貝殻島のまわりはあたたかいから、
きっと南の島の生き物が住みつくようになったんだな」
シンカはこのはじめてみる生き物をもっと見ていたい気持ちでしたが、
ぐったりしているので、
そっと水のなかにいれてやりました。

 しかし海馬は、水のなかでも苦しそうに身をくねらせて
あえいでいます。
「どうしちゃったんだろう、怪我してるのかな」
シンカがいいました。
「怪我してるんだったら、このまま海に帰すのは心配だな」
シンカは、いそいでポポタキスのジュースをいれてきた
広口ビンを海で洗って、海水で満たすと
近くに浮かんでいたホンダワラやコンブなんかの海藻を浮かべ
そのなかに海馬をそっと入れました






 ③ 
 夕暮れ時、シンカとコルネは貝殻島からもどると
ジロのスープ屋に向かいました。
シンカはジロたちに、きょう見つけためずらしい生き物を見せたくてたまりません。

 店には早い夕食をとろうとやってきた
モーデカイやカイサがいました。
「わっ、なにそれ?」
カイサが、
シンカがささげるように持っているビンをみていいました。
 
「さっきね、貝殻島で見つけたんだぁ!」
シンカはちょっと得意そうにいい、
ビンをテーブルの上おきました。
みんなはさっそく寄ってきて、
ビンのなかのものを、興味津々で見つめました。


 
 「海馬っていうんだって、コルネが教えてくれたんだ。
南の方の生きものらしいよ」
「顔がまるで馬だね」
とカイサが目を丸くしていいました。
「骨ばってて、骸骨みたいだ」とモーデカイ。
「これ、おサカナなの?」ジロがコルネにききました。
「うん?たぶんそうなんじゃないかな。
世界の海には、魚とはとても見えないような変なやつがたくさんいるからな」
コルネがいいました。

 「でもこの海馬、なんだか苦しそうだよ」
ジロがいいました。
「そうなんだよ、水にいれてやっても、さっきから
こんな調子なんだ」とシンカが
海藻にしっぽをくるりと巻きつけて
身をよじっている海馬を見ていいました。

 「きゃー、みてみて!
なんかふくらんだおなかから、ちっちゃいものが
噴き出してきたよ!」カイサがいいました。
「もしかして、これいま子どもを産んでるんじゃないの?」
ジロがいいました。
海馬が体をくねらせるたびに、おなかの袋のような部分から
小さい小さい、でもちゃんと親と同じかたちの
海馬の赤んぼが、次々と出てきました。
「わーい、すごいぞすごいぞ」シンカは目を輝かせています。
「かっわいい~」
「小さいのにもうちゃんと海藻に尻尾を巻きつけようとしてるぜ」
みんながビンのまわりで、口々にそんな風にいっていると、
「ねえねえ、きいてー、ぼく、ついに錬金術をはじめたんだよ!」
と大きな声でいいながらフェイが元気よくはいってきました。

 「あれ、みんな集まって、なにみてんの?」フェイは自分の大ニュースに
みんながぜんぜん反応してくれないのをものたりなく思いながら、
シンカの後ろから、テーブルの上のビンをのぞきこみました。

 「これって、なに?」
「海馬っていう魚みたいなものなんだ。
さっき貝殻島で見つけて
今見てたら
子どもを産んだんだよ!」シンカがいいました。

 「海馬だって!」フェイが叫びました。
「あのさ、そのちっこいのでいいから、ぼくに1匹くれない?」
フェイがシンカにいいました。
「錬金術の本に出ていたんだ、海馬を干して
粉にして素材にしてつくる「レフロン」っていう薬のレシピが。
滋養強壮の特効薬なんだぜ。
ほしいなあ、それ」
 
 「干してって・・・・・ダメ、ダメ、ダメェ!」
シンカが断固とした調子でいいました。
「これは大事に育てて、
貝殻島のまわりの海に、海馬がたくさん住むようにするんだから。
干しちゃうなんて、とんでもないよ」
そういうシンカの後ろから、フェイはなおも、じいっと
ビンのなかで、ついついと立ち泳ぎをしている
海馬の赤ちゃんたちを
モノ欲しそうに見つめました。

 「おっと、スープが吹きこぼれちゃうぞ」
ジロは急いで調理場へ行き、
カイサに手伝ってもらって
いい匂いで湯気をあげている
白いスープを運んできました。

 「いいねえ、チャウダーじゃないか」
コルネが鼻をうごめかせていいました。
「うん、きょうはいいカキがたくさん採れたんで
濃厚な味のチャウダーにしたんだ。春先のカキは格別だからね」
そういうと、ジロは、さっきからしょんぼりしているフェイにもいいました。
「欲しがってた釜が手に入って、よかったね」。

 「う、うん。さっそくね、有り合わせの素材を調合して、釜で煮てるんだよ。
錬金術っていうのはね、とにかく材料を混ぜて、かきまわして、
何日も火にかけながら、えらく長い時間がかかるもんなんだよ」
ジロが興味を示してくれたので
フェイが元気をとりもどしていいました。

 「あ、そうだ、海馬はあげられないけど
かわりにこれあげる。錬金術に役立つかもしれないよ」
チャウダーをたいらげたシンカが、
腰につけたポケットから、丸い形のものを取り出して
フェイに差し出しました。

 「これ、なに?」フェイがききました。
「ダイオウウニの殻だよ。ウニはトゲがとれると、
なかにこういうものがはいってるんだ。
こわれやすいから気をつけてね」
それは、押しつぶされたおまんじゅうみたいな形をしていて、
よく見ると、表面にはトゲがついていたあとらしい
穴が無数にあいていています。



 「うわー、ありがとう!」
フェイはすっかりご機嫌をなおして、
「これ、神秘的で、いかにも錬金術にぴったりだねえ」と
両手で包むようにもって、しげしげと眺めています。

 「デザートが欲しい人は?」
ジロがきくと、一人残らずみんなが手をあげました。
「今年はじめての三月イチゴのクリームがけだよ」というと、
歓声があがりました。


 春のおぼろ月がうかぶ空の下、
おなかがいっぱいになったみんなは
散歩しながらそれぞれの家に向かいました。

 そのころ、フェイの家の錬金釜のなかでは、
なにかがケムリをあげながら、
怪しく、ぐつぐつと煮え立っていました。





***************************************

 旅の宿は、ホテルが好きです。
部屋の中に布団の上げ下ろしで人がはいってくるとか、
夕食が多すぎるとか、
雰囲気は好きだけれど旅館はちょっと苦手。

 コルネがやっているホテル・ジャマイカ・イン。
私がぜひ泊まってみたい、
いままで泊まったいろいろなホテルの印象に残った部分を
全部集めたようなホテルです。

 こじんまりしていて、さりげなくサービスが行き届いていて、
センスのある調度、美味しくてバラエティに富んだ朝食ブッフェ、
バルコニーからの眺めがすてきで・・・・・・。

 たとえば、バルコニーから見える風景はこんな風であってほしい。

 チェコの温泉地カルロヴィヴァリのホテル・プップのバルコニーからは、
川に沿って色とりどりの建物が並ぶ風景が見渡せる。

 
 そんなわけで、ホテルが大好きだけれど、
これだけはイヤ、と思っているのが
欧米風のベッド・メイキング。
これでもか、というほどきっちりと敷かれたシーツとか、
上下2枚のシーツの間で寝る、という考え方とか、
どのくらいの頻度でクリーニングされているのかわからない
不気味な清潔度のベッドカバーとか・・・・。

 だからドイツではじめて、ベッドの足の方に、
二つ折りになった羽根布団がふわりと置いてあるホテルに泊まったときは、
「これだよねー!!!」と感激しました。
ベッドカヴァーなしで、掛布団をふわっと置いてあるこの方式、
デュベ・スタイルというのだそうです。
日本でも徐々にこのスタイルを取り入れるホテルが増えているのがうれしい。
ジャマイカインのベッドも、もちろんこのスタイルです。

 そして、もうひとつ、ホテル選びの決め手になるのが、
そこに物語があるかどうか、ということ。
 
『チェコA to Z』という本をつくった時、
ぜひチェコならではの物語のあるホテルに泊まりたいと、
いろいろ調べてみて、これだ!と決めたのが、
プラハにあるウ・ズラテ・ストドニェというホテルでした。

 歴史ある建物が目白押しのプラハでは、
古い建物をホテルとして再生するリノベーションが盛んにおこなわれていて、
(といってもリニューアルに10年くらいかけたりするのがチェコらしい)
ここも、そういったホテルのひとつ。
でも選ぶ決め手となったのは、狂王ルートヴィヒ2世と錬金術。

 
 

ウ・ズラテ・ストドニェの入り口は、秘密めいた小道の奥にある。

 16世紀、国政を顧みず、国のお金を湯水のように使い、
城のなかに幻想的な洞窟をつくったり、自分ひとりのためにオペラを上演させたり・・・といった奇行で、
「狂王」と呼ばれた美貌のバイエルン王ルートヴィ日2世。
最後は精神病者と宣告され、湖で謎の死をとげた・・・・。

 そんなルートヴィヒ2世が凝ったことのひとつが錬金術で、
各国から呼んだ著名な錬金術師を集めて日夜錬金術の研究が行われた館が、
このホテルの建物たったのだそうです。

 そんな過去の物語を秘めたこのホテル。
窓外にプラハの美しい赤屋根の建物を見わたしながらの美味しい朝食、




 雰囲気を残しながらも現代的にリノベーションされた快適なバスルーム、


 部屋の調度は骨董品級

ふっと振り返るとそこに時空を乗り越えた錬金術師が立っていそう。

 美青年を愛した狂王にちなんででしょうか、
滞在中に見た女性スタッフはひとりだけでした。
他は男性ばかりで、しかもかなりのイケメン度。
忘れられないホテルでした。



 春は貝類の季節。
カキは生より火を通したものが好きです。
特にカキの旨味がたっぷり染みだしているグラタンとかチャウダーとか。
今月のジロのメニューはカキのチャウダーと
ジロが裏庭の畑でだいじに育てているバニャーニャ特産の「三月イチゴ」。
小粒で色は真っ赤。これもクリームとの相性が抜群の3月限定のメニューです。




 生き物のなかで何がいちばん好き?というと、タツノオトシゴ。

名刺にもタツノオトシゴのマークを入れている。

最近はすっかり虫さがしに夢中で、陸上派になったけれど、
その前はずっと海の生きものを見に潜ったりしていました。

 今年は秋ごろからやけにタツノオトシゴをモチーフにしたものを見かけるなあと思ったら、
来年の干支がタツなんですね。

 タツノオトシゴの何が好きかっていうと、
まず骨の彫り物のような優美な形態、
エラを細かく動かして、水中をヒョイヒョイと移動するような動き方、
そして、オスが出産する!こと。

 タツノオトシゴはヨウジウオという魚の仲間で、海藻などが繁る場所で
オキアミなどの微小なエビのようなものを食べて生きています。
視力がすごくいいそうで、水族館では生きているオキアミ(タツノオトシゴは、
エサをやるとすぐに飛びつかないで、
まずエサの目をみて生きているかどうか判断してから食べるらしい)
じゃないと食べないので、苦労するとか。


アメリカで見つけた貝殻でつくられたタツノオトシゴの額を中心に
我が家のタツノオトシゴコーナー。

 
ほんとうは飼育したいけど、
東京の夏には冷却装置が必要だと分かりあきらめた。
グッズ集めでガマン。


 タツノオトシゴは、オスの腹部に袋状のものがあって、
メスから渡されたタマゴは
このオスのオナカ袋の中で育ち、孵化し、
オスが体を思いっきり反らせて(見ていると苦しそう)
プっ、プっ、という感じで出産する。
出産シーンをみていると、ほんとにたいへんそうで、
私はこのことをちょうど自分が妊娠中に知ったので、
オスが出産する生きものなんて、うらやましいなあ、と、
ますますタツノオトシゴのファンになったのでした。

 バニャーニャにも、いつかタツノオトシゴを出現させたい、とずっと考えていたので
来年の干支にちなんで、このタイミングで登場してもらいました。
書いていたら、ひさしぶりにタツノオトシゴがヒョイ、ヒョイと泳ぐ海に
また潜ってみたくなりました。



2011年2月からはじめた『バニャーニャ物語』。
月1回の更新はたいへんだけれど、
バニャーニャという世界が、
少しずつできあがっていくのが
楽しくて。

 今年はもうこれで最後。
ご愛読、ほんとうにありがとうございました。
次回は、来年1月15日にお会いしましょう!