バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

バニャーニャ物語 その16 「カルロッタ、海に還る」

2012-05-15 15:01:57 | ものがたり


                   
               「バニャーニャ物語 その16 カルロッタ、海に還る





作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある


*はじめてお読みの方は、「その7」にあるバニャーニャ・ミニガイドを
 ご覧ください。
 




         




 オレンジ色の長ぐつに同じ色の傘をさしたカイサは、
雨のなかを、丘の上の石舞台に向かう山道を歩いていました。
道は草深く、雨が長ぐつの中にまで入ってきます。
道の両側の雑木林の木々は、たっぷりと葉をしげらせて、
あたりは緑と雨の匂いでいっぱいでした。




 夏がやってきたかと思えたバニャーニャですが、
シンカのようすがおかしくなった翌日は、
冷たい雨が降り出しました。
 空気は水気を含んで重く、肌寒いくらい。

 シンカのようすを見に行ってくる、というモーデカイと丘のふもとで別れたカイサは
 風邪をひいて元気がない、というバショーに、
きのうの晩つくった野菜スープをいれたいれものをピンク色の手提げにいれて、
届けに行くところです。

 
 白い花崗岩でできた石舞台にある、一本の大きなブナの古木。
バショーはもうずっと昔から、この大きなブナの樹を住処にしてきました。
この樹の根元あたりからは、斜面に沿って石の段々があり、
さらにその下に半円の形をした石の舞台があります。
舞台の後ろは絶壁。
その向こうには紺碧の海原が広がっています。

 「バショー、どこにいるの?おーい、野菜スープもってきたよー」
ブナの枝の下に入って傘をつぼめながら、カイサが大きな声でいいました。

「ふおーい、コホコホ・・・・・・」とバショーが口ごもりながら、
みっしりと葉の繁った枝の陰から顔をのぞかせました。
バショーは今ちょうど、おいしい青虫をほおばったところだったのです。
なので、口のなかのものをあわてて飲みこんでから、
カイサのいる樹の根元の方へ降りてきました。

 バショーは青虫やコガネムシなんかが好物でしたが、
虫が大好きなカイサの目の前では
遠慮して食べないようにしています。
もちろんカイサも、バショーが、虫が好物なのは知っています。
でもバショーの心遣いはうれしいといつも心の中で思っています。

 カイサは、まだちょっと目を白黒させているバショーのようすに、笑いをかみ殺しながら、
手提げから出した野菜のスープを、バショーに差し出しました。
「風邪ひいちゃったってきいたから、
きっとビタミン不足じゃないかと思ってさ」

 バショーはそのスープをありがたくもらいました。
青虫ほどは美味しくなかったけれど、
誰かがこうやって自分のことを気にかけてくれているなんて、
うれしいものです。
「あー、おかげで生き返ったようじゃ。
雨のなかを登ってきてくれて、ありがとう!」
とバショーはカイサにいいました。

 「ここ、雨にぬれなくていいね」
カイサが空になったビニールの手提げを、
樹の下に敷いて座りながらいいました。
「そうじゃよ、樹っていうのは、ありがたいもんじゃよ」
ふたりはしばし、誰もいない石舞台や、
その向こうに、白くくだける波が泡立っている海を見下ろしていました。

 「こんな日は、このロウィーナの石舞台で『テンペスト』が上演されたのを思い出すんじゃ、コホコホ」
とやがてバショーが、遠くをみるような目をしてつぶやきました。
「『テンペスト』って、嵐っていう意味だっけ?」とカイサ。
「ああ、シェークスピアじゃよ」
シェークスピア?
カイサの知らない名前でした。

 「『テンペスト』は偉大なる劇作家シェークスピアの傑作のひとつじゃ」
「ああ、お芝居の名前なのか。それがこの石舞台で演じられたの?」
「気が遠くなるほど昔のことじゃが」
カイサは今ではあちこちがくずれた石舞台に衣装をつけた俳優たちが立ち
苔の生えた石段に観客たちが座っている光景を思い浮かべようとしましたが
あんまりうまくいきませんでした。

 「バショー、さっき<ロウィーナの石舞台>っていったけど、
ロウィーナって、なんのこと?」
「ロウィーナちゅうのは、この石舞台のある野外劇場を
ひとりでつくりあげた女の人の名前じゃよ」
バショーがいいました。
「えっ、女の人が!ひとりでここをつくったの?!」
カイサはあまりの意外さにびっくりして息が止まりそうになりました。

 「ロウィーナは劇作家のひとり娘でな。
20歳の時、この断崖に劇場をつくる、と決心したんじゃ。
ロウィーナは憑かれたように来る日も来る日も
花崗岩のガケをひとりで切り出し、
手押し車で石を運び、
ドリルで石の板を彫って・・・・
完成までに60年かかった」
カイサは驚きに目を見開いたまま、
バショーの話にききいりました。

 「ついに劇場が完成すると、
バニャーニャのものたちは、自分たちだけでここをつかうのはもったいないと、
国境の街や海の向こうからも俳優やお客さんを呼ぼうと計画してな。
ロウィーナはもちろん大喜びで、みんなで準備をすすめて。
そのころはまだ国境の街への森にナメナメクジはいなかったんじゃ。
だから大陸からけっこうたくさんの人が
バニャーニャにやってきたものじゃ」。
カイサは、ロウィーナという女の人に思いをはせました。
その狂気ともいえる決心の固さと執念を思うと、
彼女が運んだ石の重さまでが手に感じられるようでした。

 「この石舞台にそんな話があったなんて、知らなかったなあ・・・・・・。
ところでねバショー、きのうからシンカも具合がわるいんだよ」
カイサが顔をくもらせていいました。
「ほう、シンカが風邪をひくなんて、めずらしいな」
バショーがいいました。

 「ううん、風邪じゃなくて。
なんでも、海のなかでカルロッタっていうのに会ってから、
まるでたましいを抜かれたみたいにフニャってなっちゃったの」
カイサがそう口にしたとたん、
バショーは目をかっと見開き、
くちばしをわなわなと震わせながら叫びました。

 「なんじゃとっ! カ、カルロッタじゃと・・・・・
なんで、それを早くいわんのじゃ。
カルロッタという名を、
またきくことになるとは・・・・・・・」

 「バショー、カルロッタって、いったい誰なの?」
「カルロッタっていうのは、
そうさな、
わしらの力ではいかんともしがたい、
自然の力みたいなもので、
シンカが見たときはたぶん、ギル族の姿をしていたかもしれん。
カルロッタは、さまざまに姿をかえるんじゃ」

 「バショー、なんとかシンカをもとにもどす方法はないのかな?」
カイサが必死の顔つきで尋ねました。
「ふむ・・・・・・・
あれをふたたび取り出さねば掘りださねばならぬ時が来たのかもしれん。
しかし、こんどもうまくいくとは限らんが・・・・・・」
「ねえ、おしえて!うまくいくかどうかはわからなくても、
とにかくやれることをやってみようよ」。

「よし!わしはひとっぱしり、みんなを集めてこよう。
話のつづきは、それからだ」
バショーはそういうと、
風邪なんかふっとんだように、
ばっさばっさと翼をはためかせて
丘のふもと目指して飛んで行きました。

 ジロ、フェイ、コルネ、
そして手につるはしを持って石舞台に集まってきたモーデカイたちに、
カイサはさっきバショーからきいた話をしました。
「ひぇーっ、ここってそんな昔につくられたんだねえ」フェイがいいました。
「女の人がひとりでつくったなんて!」とジロ。
「ロエナってのは、スゲエな」とコルネ。

「もう、わしの他には誰も知らない、ずいぶんと昔のことじゃ。
 カルロッタは、そのころのバニャーニャにも現れたんじゃよ。

 劇場ができて、しばらくたったころのことじゃった。
今のシンカと全く同じような、ようすのおかしいものが
バニャーニャにどんどん増えていった。
まるで自分を失ったように、目はうつろ、
気を付けていないと食べることさえ忘れてしまうので、
どんどん体が弱っていったものもあった。
そして、かれらが口にしたのが、カルロッタという名前じゃった。

 そんな半島のみんなのようすに心を痛めたロエナは、
毎日この石舞台から海をみつめて、考えこんでおった。
そして生涯でただひとつの脚本を書いたんじゃ。
国境の街の向こうから有名な俳優たちを集めて、
その芝居―『カルロッタ、海に還る』が、この石舞台で上演されたんじゃよ」


みんなは、息をつめてバショーの話に聞き入りました。
「それで・・・・・・どうなったの?」
フェイが先をうながしました。
 「俳優が最後のセリフを言い終った時じゃった。
海に不思議な青緑色の光があらわれ、
魂を失っていたものたちは、みんな目が覚めたように、
自分をとりもどした。
妙なことに、国境の街との境にある森に、
大量のナメナメクジが姿をあらわしたのも、そのころだった。
いらい、カルロッタの名前をきくことは久しくなかったのだが」。

 「それじゃあ、その芝居ってのをまたここでやれば、
シンカの魂がもどるかもしれないってことか」
コルネがつぶやきました。

「モーデカイ、舞台の真ん中の、この四角な石を、
つるはしで持ち上げてみてくれんか」
バショーがいいました。

モーデカイがつるはしで、ぶ厚い石の板をもちあげると、
その下から、鉛を貼った大きな箱があらわれました。
「ここにはロエナの書いた芝居の脚本と、
あのときに使った衣装がおさめられておる。
二度と使わないですむように、という祈りを込めて」。

「はあー、これはまたすっげえ豪華な衣装じゃないか」コルネがいいました。
「これが脚本だな」とジロ。
「でもさあ・・・・・・これを着てセリフをいう俳優がいないじゃない」とフェイ。
「今度は、バニャーニャのみんなが演じればいいんじゃ!」
バショーが力強くいいました。

 ジロが脚本をひらいて、みんなに読んできかせました―
それは・・・・・・
あるときのこと。
どうしたわけか、にわかに海のあちこちで凶暴化した生き物たちが増え、
手を焼いた竜王は、海の精カルロッタに、かれらを鎮めるように頼む。
竜王はほうびとして、海の財宝をカルロッタに贈る約束をするが、
海が鎮まっても、王は約束をたがえ、カルロッタを追放してしまう。
ひどく失望したカルロッタは、
ひとり海の深淵に消えていく・・・・・
という話でした。

「カルロッタはきっと、すべてのことに失望して、
その深い悲しみが、
みんなの魂をうばうことになったんじゃない?」
カイサが考え深げにいいました。

さて、お芝居をするには、まず役柄を決めなければなりません。
舞台監督は、かつて上演されたのを観ているバショーがつとめることになりました。
竜王は文句なく体の大きいモーデカイの役。
カイサがカルロッタ、
暴れん坊のサメはコルネ。
サメの家来のミズダコがフェイ。

「ぼく、やだなあ、タコってくねくねするんでしょう?
かっこ悪いよ」とフェイは文句をいいました。
「じゃあ、ぼくのウツボと代わる?」とジロ。
「ひゃー、この衣装のウツボの顔、こわすぎるよ。
しょうがない、タコでいいか・・・・・・」
フェイはしぶしぶミズダコの役を引き受けました。
 そして、乱暴者たちに苦しめられる小さな魚たちの役は
アザミさんやウル、ティキさんたちに頼むことになりました。

「シンカにも何かやってもらえないかな」、
さっきから、みんなから離れてぼーっとしているシンカをみて
カイサがいいました。
「このクラゲっちゅうのは、
セリフがないから、今のシンカでもできるんじゃないか?」
コルネがいいました。

「さあ、そうと決まったら、稽古じゃ、稽古じゃ」
バショーが舞台監督らしく、パンパンと手をたたいていいました。



 セリフを覚えたり、
通し稽古をやったりで、大忙しの一週間が過ぎました。
「本職の俳優たちのようにはいかんが、
シンカの他にも、ようすのおかしなものたちがバニャーニャに増えてきているそうじゃ。
もう一刻も猶予はできん。
上演は、あすの夜じゃ!」バショーが宣言しました。


 暑い夏の一日が終わり、
太陽が沈むころ、
石舞台に、バニャーニャじゅうのものたちが
ぞくぞくと集まってきました。
石を彫ってつくられた階段状の客席はまたたくまに満員になり、
座れないものは、そのまわりに立って観ることになりました。


 石舞台の左右には、大きな松明がたかれ、
刻々と夕闇に包まれていく石舞台を幻想的に見せています。
海が強く香り、
舞台の後ろのガケに打ち寄せる波の音が、
観客をいっきに、異世界に誘いこみます。

 ドラが鳴り、お芝居がはじまりました。
サメやミズダコやウツボなどが、
小さい魚たちを追い回して、大立ち回りを演じます。
タコ役をいやがっていたフェイですが、
舞台に立つと、体をくねらせて観客の大喝采を浴び、
すっかりタコになりきっています。



 モーデカイの竜王は、
「そなた、勇敢なる海の精カルロッタよ、
海の狼藉ものをこらしめてくれんか。
されば、ほうびをとらせようぞ」
というむずかしいセリフを言うときに
ちょっと声がかすれましたが、
なんとか間違わずに言い終えることができました。

 銀色の顔に、青と緑の目玉をつけたカイサ扮するカルロッタの
不気味で神秘的な雰囲気に
観客たちは息をのみました。



 カルロッタが、みごと乱暴者たちをやっつける場面では
みんなから拍手がおこりました。
そして、海の財宝をほうびにあげる約束を破った竜王には、
みんなから非難の声があがりました。

 絶望したカルロッタが、
海にひとりさびしく消えていく最後の場面。
カイサが舞台の後ろの崖にさっと消えると、
みんなから「あっー!」という驚きの声があがりました。
舞台後ろの崖には、足をかける仕掛けがあるので、
もちろん、カイサはほんとうに海に落ちることはありませんでしたけれど。

 カイサの演じるカルロッタの姿が、
ガケの向こうに消えると同時に、
出演者全員が声をかぎりに、歌います。
『おお、カルロッタ
その瞳は青く、
その瞳は緑
千尋の海にすまう
海の精よ
孤立無援のたましいよ』

 すると・・・・・、
「あ、あれを見ろ!」
「海が、海が!」
観客が立ち上がって、舞台の後ろの海を指さしながら、
口々に声をあげはじめました。

 その様子に、演じていたジロやモーデカイたちも、
びっくりして振り返りました。
海が一面、冷たい燐光を放つ青緑色の絹の布で覆われたようにゆらめいています。



 そのとき、
「あれ・・・ねえ、みんな何してるの?」という声がして、
ジロがそっちを見ると、
シンカが、頭にかぶっていたクラゲの衣装を手に持って不思議そうにながめながら、
目をぱちくりさせています。

 「シンカ!もとにもどったんだね!」
ジロがそう叫ぶと、たちまちみんながシンカを取り囲みました。
「やったぁー!シンカがもとにもどったぞ」フェイが叫びました。
その声に、ガケの後ろに姿をかくしていたカイサも
舞台に上がってきて、シンカに駆け寄りました。
「わあい、いつものシンカがもどってきた。よかった、よかった」
「えらく心配しちまったぜ」コルネもいいます。
「シンカ、何もおぼえていないのか?」モーデカイがききました。

 「うん、ぼくどうしちゃったの?
なんだかずうっと夢をみていたみたいでさ・・・・・
えーっと海底美術館に行ってから???」

 「よかったワイ、よかったワイ、こんどもまた
ロエナの芝居が、カルロッタを鎮めてくれたのじゃろう」
バショーが感激のあまり、
つばさで涙をぬぐいながらいいました。

 「あれ、海が青緑色に光ってる。
あれは海ホタルだな」
そういうシンカの目は、
すっかりいつもの博学なシンカの目でした。
青緑色のサテンをしきつめたように波打ちながら、
光は沖へ沖へと遠ざかっていきます。

 カイサが、シンカの肩に手を置いていいました。
「ううんシンカ、あれは海ホタルじゃなくて、
海に還って行く、カルロッタなんだよ」
 バニャーニャのものたちは、
はるか沖の地平線の向こうに
青緑色の光が消えて見えなくなるまで、
カルロッタを見送りました。

 みんなが帰ってしまったあとの石舞台では、
バショーがひとり、いつまでも海を見つめていました。









**************************************

 前回途中までだった、ベルギーの小さな谷の町―デルビュイでの
ちょっとこわかった体験のつづき。

 夕食をパスして、ひとり宿に残った私でしたが、
なんとしても今夜こそは家族に電話をかけたいと思い、
7時半になると、一階にある管理人室に向かいました。
国際電話をかけるには、管理人につないでもらわないといけないのです。

 さて、この宿。
その昔、デルビュイの貴族が、3人の娘と住んでいたという、
3階建ての、複雑な間取りの大きなお屋敷。
バスルームなどは、空色のタイルを敷き詰めて、
とても快適にリノベーションされていたのですが、
なにしろ屋敷自体は古いので、
歩くとあちこちで床がギシギシ。

3階の部屋を出ると、廊下は真の闇。
人が歩くのを感知して、黄色い小さい灯りがつくのですが、
それが遅いので、廊下に出てしばらくは、闇のなか。
(閉所恐怖症の私は、闇がかなり苦手。黒い空間が迫ってきて
押しつぶされるような気がする)

 なんとか1階まで降りて、管理人のいる部屋のドアについている、
恐ろしく武骨で重いノッカーをたたいてみました。
ところで、このドア。
西洋の時代劇に出てくるような代物で、
とにかく厚い硬い木でつくられていて、
前に立つと、取りつく島がない、という感じ。
なんどもノッカーをたたいたのに、誰も出てこない。
横着な管理人が居留守をつかっているのでしょうか。
ドアに耳をつけてみました。
ドアがあまりに厚いせいか、ひとの気配は感じられませんが、
かすかに、テレビのような音がする。
「いるくせに!まだ7時半なのに、どうして出てこないのよ!!!」
しかし、いくらノッカーをたたきつづけても、
ドアは開かれず。
なんだか、気持ちがすごく追い込まれてしまい、
さっきより胃の痛みも増して途方にくれましたが、
「ここは世界に名だたる美食の町。もしかしたら夕食時間には
管理人は何があってもドアを開けないことにしているのかもしれない。
もうすこし、あとで来てみよう」と
いったん部屋へ帰ることにしました。

 1階から2階へ上がった時、
階段の脇に、さらに数段の階段があり
そこに部屋があるみたいで、ドアが開いており、
灯りがもれていました。
灯りに誘われるように、私はその数段の階段をのぼりました。
部屋の入口には小さなテーブルが置かれていて
その上に、キャンディのカゴがあります。
そして、明るい部屋をそっとのぞいてみると・・・・・
向こう向きにイスに座った20人ほどの人がいっせいに振り向き、
こちらを見ました。

その顔の白かったこと!(白人だから?)
いちように無表情だったこと!
何かの会合の最中で、
邪魔したことを咎められるんじゃないか、と
私は急いで、自分の部屋にもどりました。

部屋で悶々としていると、なんだか胃だけでなく、
下痢もはじまったみたいです。
何度かバスルームに通い、
なんとか治まったところで、
もう一度、管理人のところへ向かいました。

ああ、家族の声がききたい!!!
一言でもいいから、家族とつながりたい。
気持ちは追い詰められるばかりです。

しかし、再度試みてみたものの、
厚いドアは、開きませんでした。
ドアの前で、もうひざが折れそう。
今夜もだめか―明日はまた移動だから
電話は無理そうだし・・・・・・ああ。

仕方なく部屋に向かう途中、
さっき灯りのもれていた部屋を見ると、
ドアは閉まり、あたりは暗闇に包まれていました。

部屋にもどると、外はまた雪が降り始めたようで、
窓のあたりが雪明りでほの明るく見えます。
ツインの部屋だったので、ベッドがふたつ。
私は壁側のベッドで横になろうとしました。
そのとき・・・・・・・・

隣のもう一台のベッドに
向こう向きに、誰かが座っている!
暗いシルエットなのに、
なぜかそれは女性だ、と感じました。

これは娘?
あまりの家族恋しさに、娘の幻をみているのでしょうか?
でも次の瞬間、私の心にはっきり浮かんできたのは、
コレは、私の打ちひしがれたさびしい気持ちにつけこんできた
ナニカだ、ということ。

 あの夜、どうやって眠ることができたのか、
覚えていません。
翌日他のスタッフにきくと、
『いのしし亭』のディナーが終わったのは
真夜中過ぎだったそうです。





 さて、石舞台の話をしましょう。
バニャーニャという世界を最初に思い描いたとき、
まず考えたのは、ここにロウィーナの石舞台をつくりたい、ということでした。

 バショーが語った石舞台の来歴は、ほとんど実話で、
バニャーニャの石舞台は、イギリスはコーンウォール半島の南西端にある
ランズ・エンド(世界の果て)から少し行ったところにある
ミナック劇場がモデルです。


(井村君江著『コーンウォール』より転載させていただきました)

 ミナック劇場は、花崗岩を掘りだして作られた野外劇場で、
今でも毎年5月から9月の4か月間オープンしています。
イギリスでもっとも独創的で美しい野外劇場と形容されるこの劇場ですが、
この劇場はとんでもなく重く深い来歴を秘めているのです。
 この劇場は、ロウィーナ・ケイド(1893年生まれ)
というひとりの女性によってつくられたのです。

バショーが語ったように、
ロウィーナ・ケイドは20歳のとき、ここに劇場をつくることを決心し、
なんと完成までに60年!!!かかったといいます。
毎日毎日、女性の身で岩を削り、石を運び、
という気の遠くなるような作業をつづけ、
1932年に初演。演目はシェークスピアの『テンペスト』でした。
初演後すぐに亡くなってしまった、というロウィーナの生涯に思いをはせると、
その執念というか、石の重さというか・・・・
言葉を失ってしまうような鬼気迫るものがあります。

石を運ぶ手押し車に座る晩年のロウィーナ・ケイド。
(『井村君江著 コーンウォール』より転載させていただきました)

一年でたった4か月しかオープンしていないので
なかなかチャンスがありませんが、
いつかここで『テンペスト』を観たい、と思いつづけています。


カルロッタ騒動もおさまったバニャーニャには、
暑い暑い夏がやってきたようです。



<お知らせ>です!

 今年10月初旬に、原宿にある「絵本の読める喫茶店」シーモアグラスさんで
バニャーニャ展を開かせていただくことになりました。
『バニャーニャ物語』をどんなふうな展覧会にするか、
いろいろ考慮中。
詳細が決まりましたら、またお知らせしていきます。

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