カゴ旅ブログ

主に北海道の鉄道写真などをアップしてます。写真撮影辞めて、自作スピーカーブログ始めました。

緊急搬送

2022年10月19日 | その他

久しぶりの更新。

R4/08/30に緊急搬送されました。

私は低体温症で寝起きの体温は35.2くらいで通常は35.5前後。

36.0超えるのは、激しい運動や仕事後くらいで、少し熱っぽいなと思って体温計ると36.8くらい。

一般的には正常値?

コロナ感染疑惑がある熱は、37.5以上らしい。

一般的な人が1.0以上高くなった状態。

自分は1.0高くなっても36.5くらいなので、お店などの入口にある体温測定機に引っかかる事はほとんどない。

新型コロナウイルスが流行り出した初期の頃に感染した経験ある為、どんな変化があるのかは、ある程度認識している。

ある期間でウイルスが抜けましたが、まだワクチンが出回っていなかった為、そこで学んだ感染予防対策を自らの体験で今も行っている。

 

外出先での手の消毒はほとんどやらない。しかしトイレなどではキチン洗う(冬は冷たいけど)

元々トイレが近い方なので、必ずキチン洗う。

マスクはウレタン製や布製は通気性が悪い為効き目が半減する(医師から)

混雑した場所には近寄らない。

どうしても地下鉄やバスなどの場合、降りたらトイレに行き手を洗う。

本当はうがいもしたいのですが。

 

そんな感じで感染対策は自分なりにやっている。

食材の買い出しは、24Hの深夜か早朝に行くようにしている。

理由は、インフルエンザワクチン接種でアレルギー反応が出て救急車で運ばれた経験がある為、コロナワクチンは打たない。(一度も)

その為、感染対策は常に考えている。

 

そして、ここからが本題。

37.0超えるのはほとんどないのが、7月上旬頃から37.5前後が10日以上続いていた。

持病のリウマチからの影響?

リウマチ治療に使うステロイド剤は緑内障の進行が早まる為、ステロイド剤は飲むのを辞めていた。その代わりの薬飲んでましたが、原因は他にもあるのかもしれないと思ってましたが、突然、正常値に戻る。

 

治ったのか?

そして、熱が高い為に行けなかったスーパーの買い出しや公共料金の支払いに行く。

そして、次の日に歩き疲て寝込むみ、朝起きようと思うと足が激痛で立ち上がることができない状態に。

湿布貼ってロキソニン飲んで、痛みが引けるまで安静にする、そして、歩けるようになればまた、不思議な高熱が出てくる。

それを8月中旬まで繰り返し

 

8月21日に朝起きたら、熱が確実に高いと思って体温計ると38.6。

明らかにコロナ感染ではないのはわかっていたが、念の為PCR検査キットを病院のウェブサイトから取り寄せて検査。

陰性でしたが、これは風邪なのだろうと思って、薬屋で風邪薬を飲んで安静に。

約1週間後に、オシッコの出が悪くなり、高熱のせいだろうと思い何もせずに寝る。

とにかく、なんぼ寝ても眠たいのは風邪のせいだろうと。

そして、28日の朝、オシッコが出なくなる。

尿意はあるのに、出ない。

その為、気持ち悪くなり何度も嘔吐を繰り返す。

薬屋で尿を強制的に出す漢方薬を買ってきて、一日3〜4回を2日分くらい飲んだ。

そして、次の日の朝トイレに行って出たのは血尿ではない、血液がたらりと出て来た。

これは、とても大変な病気だと確信し、何度も立ち上がろうとしても、高熱で立つ事すらできない状態。

 

そして、29日は、水飲んでも吐く状態で、どうしたらいいのか……

このまま死ぬんじゃないかと……

 

トイレに行くこともできない状態で、レジ袋に何度も胃液だけを吐く。

深夜0時から(8月30日午前0時)から、のたうち回り目の前が真っ暗になったり、吐いたりを何度も繰り返し、早朝の6時頃に携帯電話の充電が0だった為、無我夢中で充電器を探して充電する。

僅か10%充電できた状態で119に電話☎☏

そして、救急隊員から家の鍵開けられますかと言われて、鍵を解除した時点で気を失いました。

割と近くの病院に緊急搬送され、熱は41度超えていたらしい。

高熱で意識はもうろうとしている中、医師や看護師が懸命な処置を行い、とても危険な状態なので、大きな病院へと移送される事に。

その時点で、着ていた物は、パンツにズボンを履いただけで上は薄いインナー一枚だけが汗で絞れる程濡れて居た為、全裸にされて病院衣に着替えされていた。

外に出の時は既に陰茎には管が入れられていた。

最初に運ばれた病院から移送された時刻は午前11時を回っていた。

移送される病院には約15分かかり、着いた場所は集中治療室(ICU)

直ぐに首にある動脈にカテーテルが刺され、抜けてこないようにと縫合される。

両手首には、点滴が施され。自分は、意識もうろうとしている中、とても寒かった為、何度も叫ぶ。

手術予定時刻は、14時40分で運ばれて2時間後。

日中運ばれた為、外来で入院した患者さんの手術待ち。

13時半くらいから、自分が最後に寒い!手術まだか!と怒鳴る位に叫んだあと、気を失いました。

 

あとから聞いてわかったんだけども、予定していた外来患者さんの手術時間に自分が入ったみたいでした。

 

いつ、手術室に運ばれたのか?

そして、いつ全身麻酔されたのかも分からない。

 

手術が終わり、ICUに戻され気がついたのは、2日後の9月2日の夕方でした。

周りの人の話声が聞こえる状態で、目を開けることができない状態。

その時に、幻覚を何度も見る。○○さん○○さんって言っているのは看護師。

そして、○○くん○○くんって言っているのが亡霊だと思う。

それが一般病棟に移されたあとも数日続いた。

 

眼が開けられたのは、3日深夜。

身体はベッドに固定され、首には大量の薬が常に投入され、右腕に点滴と脈拍を計る計器がつけられて、肩から指の先までベルトのような物で固定されていた。

左腕にも点滴がされ、こっちは肩から手首までベルトで固定されていた。

足には何とか症候群予防として、女性ストッキングのような分厚い物が履かされ、常に筋肉とかを揉まれている状態で、こっちも固定されて動けない。身体全体と頭はベッドのマットレスの下に、身体を包むようにと大量の枕などで囲まれて居る為、頭も動かすことができない状態。

器官には人工呼吸器が入っており、息を吸うことはできない状態。

鼻には胃管が腸の近くまで入れていた。

そして、ICUには複数の医師が何度も出入りを繰り返し、常に看護師は、3〜4人体制で、2人の看護師さんは経過を常にパソコンで入力していた。

 

首に刺されたステントには最大8種類の薬が投入。

病名は敗血症ショック。

腎臓にある石が尿管に落ちた為、排出されるはずの尿が排出されず、体内に細菌が回ったとのこと。

脳に入ったら助からなかったかもしれない。

その為に、具にある動脈にステントを刺し模様。

手術は、陰茎から内視鏡を見ながら、尿管ステントを装置。

右側の腎臓から尿管にステント(カテーテル)を入れる処置が施された。

ステントは数ミリ?その管が隣りには石がレントゲンで確認できた。

今回はここまで。続きは未定。

 

理由は、微熱続きのため。