河井寛次郎展に行きました。18年8月 2018年08月18日 | 日記 休んでいる特急りょうもう 走っている特急りょうもう(ネットから借用) パナソニック汐留ミュージアムで開催中の「河井寛次郎展」に行きました。 新橋は何度も来ていますが、汐留は初めてです。 宮崎駿デザインの日テレ大時計 « 昼ごはんは、カレーセット@... | TOP | 大衆居酒屋 よね屋に行きまし... »
2 Comments コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (茉那) 2018-08-19 20:11:09 ポスターの壺はなかなかユニークな形をした美しい色の焼きものですね。わたくしは絵画展はよく行きますが焼き物はまったく分からないのでほとんど行ったことがありません。瀬戸にある陶磁器会館と箱根美術館くらいのものです。ところが京都の河井寛次郎記念館へは京都国立博物館に行ったとき、少し足を延ばして豊国神社と寛次郎記念館に立ち寄りました。彼が設計し、過ごした住居で家具や調度品などもそのまま、窯もありました。普通の町家風で見過ごしてしまいそうなたたずまいのお宅でした。懐かしくなってコメントさせていただきました。 返信する 河井寛次郎 (タケホープ) 2018-08-20 18:38:45 最近は暑さは和らぎましたでしょうか。河井寛次郎展へ何故行ったか?それはタダ券をもらったからです。タケホープも、陶器はよく分かりません。じゃ絵画は分かるかといえばそうでもありませんが、陶器より分かる気がするだけです明治23(1890)年、島根県安来市に生まれた河井寛次郎は、松江中学を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学。卒業後は京都市立陶磁器試験場で技手として研さんを積み、大正9年、京都市五条坂の清水六兵衛の窯を譲り受け住居を構えました。本展では、京都の旧宅であった河井寛次郎記念館所蔵作品を中心に、本邦初公開となる山口大学所蔵作品などの陶芸や木彫、書、調度類などを紹介し、寛次郎の仕事の全貌と深い精神世界を辿ります。タケホープは、河井寛次郎は陶芸家というより哲学者のように感じました。河井寛次郎記念館では、彼が一番のお気に入り、庭の丸い石をご覧になられましたでしょうか。 返信する 規約違反等の連絡 post a comment goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
わたくしは絵画展はよく行きますが焼き物はまったく分からないのでほとんど行ったことがありません。
瀬戸にある陶磁器会館と箱根美術館くらいのものです。
ところが京都の河井寛次郎記念館へは京都国立博物館に行ったとき、少し足を延ばして豊国神社と寛次郎記念館に立ち寄りました。
彼が設計し、過ごした住居で家具や調度品などもそのまま、窯もありました。
普通の町家風で見過ごしてしまいそうなたたずまいのお宅でした。
懐かしくなってコメントさせていただきました。
河井寛次郎展へ何故行ったか?
それはタダ券をもらったからです。
タケホープも、陶器はよく分かりません。
じゃ絵画は分かるかといえばそうでもありませんが、陶器より分かる気がするだけです
明治23(1890)年、島根県安来市に生まれた河井寛次郎は、松江中学を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学。
卒業後は京都市立陶磁器試験場で技手として研さんを積み、大正9年、京都市五条坂の清水六兵衛の窯を譲り受け住居を構えました。
本展では、京都の旧宅であった河井寛次郎記念館所蔵作品を中心に、本邦初公開となる山口大学所蔵作品などの陶芸や木彫、書、調度類などを紹介し、寛次郎の仕事の全貌と深い精神世界を辿ります。
タケホープは、河井寛次郎は陶芸家というより哲学者のように感じました。
河井寛次郎記念館では、彼が一番のお気に入り、庭の丸い石をご覧になられましたでしょうか。