▽安保法案「法的安定性確保」軽視発言の礒崎補佐官が大炎上
民主は解任要求、自民も不快感
礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案に関し、法的安定性確保を軽視していると受け取られる発言をしていたことが27日分かり、波紋を呼んでいる。礒崎氏は26日の大分市での講演で「法的安定性は関係ない。わが国を守るために(集団的自衛権行使が)必要かどうかが基準だ」と述べた。・・・
(産経新聞:2015.7.27 18:17更新 )
わたしは、
この発言はまったく問題ないと思うのです。
だってね、例えばですね。
それは、例えば、営業部長さんがご自分の営業スタッフに
>今が勝負の時や、そやからな、経理なんぞ相手にせんと、
>軽費なんぞ気にせんとがんがん接待かけたれ!
>軽費なんぞ気にせんとがんがん接待かけたれ!
とアドバイスしたとして。しかし、彼か彼女かのその営業部長さんが、決して会社の経理会計マニュアルを忘却していたり、または、「無視してもええねん!」とは思っていないだろうこと。
これと、「法的安定性発言」は似たようなものじゃないでしょうか。
あるいは、プロ野球の試合。
キャッチャーがピッチャーに「ここは高めのくそボールでええ、内角高目、いっそバッターの頭にあてたれ!」というのは--まして、九州地方ファン的には、ホークスの投手がファイターズの打者に投げるとかいうのなら--なんら問題はない(←実は、本場アメリカでは、このような発言は「冗談でした」「比喩でした」では通じないこともあるらしいです)。
なぜならば、彼等が野球の試合をしているつもりなら、本当に打者の頭部を投手が狙うことはないだろうから。難しく換言すれば、野球のルールが形成する野球のゲームに、この試合のこれからもこれからも彼等が参加するつもりなら、彼等がことばとは裏腹にルール違反を行う気は全くないというべきでしょうから。
要は、営業部長さんの発言もホークスバッテリーの発言も
・最低限のルールの例外のない絶対的厳守
・ルールを逸脱しないでよいぎりぎりまでそのルールに迫る
このことを意味していたにすぎない。
要は、あるゲーム、商業活動や野球やら法の改正やら、
それらがなりたたない次元のことは、意味されていない。
そういうこと。それを問題にするのはいいがかりといい、
それをいう人はやくざと世間ではいうのではないかしら。
と、そう私は思うのです。それは、私が保守派だから安倍政権支持だから政治的観点からそう思うのではないです。
政治的だけでなく法学的にもそうだ、と。というか、これ常識じゃないでしょうかね。
だから、この「法的安定性問題」の問題はもっと根っ子が深く、かつ、単純なものではないかしらん。と、そう私は考えます。つまり、民主党や朝日新聞等のリベラル派の論者は、本当に「法的安定性」という言葉の意味を知っているのか疑問というだけでなく、彼等は「法学」というか「法」というものに対する基本的素養が欠落している。と、そう感じました。
▼法的安定性
(ほうてきあんていせい)法秩序が明確で安定して適用され、どのような行為にどのような法的効果が結び付くか予見可能な状態を法的安定性legal certaintyという。それには、法律が朝令暮改でないこと、法の解釈適用が一義的で、裁判官や役所の窓口によってさまざまな解釈が行われることのないこと、などが条件としてあげられる。しかし、法的安定性だけが強調されると、個別的事情や具体的妥当性が無視される事態を招きやすい。ここに法的安定性と具体的妥当性の矛盾という法運用の問題があり、法領域によってそのいずれに重点を置くかが異なる。たとえば、取引の安全を重視する商取引法などは法的安定性を重視するが、親族法などでは具体的妥当性のほうが重視される。ジェローム・フランクなどは法的安定性の信仰を神話にすぎないとして批判した。
[日本大百科全書-長尾龍一]