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資料☆百地章ー教科書採択をめぐる誤謬を正す

2011年09月27日 13時07分04秒 | Weblog


教科書採択に関するこの社会の歪な状況を俎上に載せたエッセーを収録します。産経新聞に掲載された百地章さんの『正論』。私が所謂「自虐史観の教科書」に反対の立場に立っているというからではなく、法解釈の常道から見ても、また、民主主義という原理の内容から見てもこの立論は、正に、正論ではないかと思いました。

例えば、「八重山採択協が教科書無償措置法(無償措置法)にのっとって「協議」を行い、正式に育鵬社の公民教科書採用を決定したにもかかわらず、竹富町教委がそれに従わず、沖縄県教委が「正当な理由」なしに、「再協議」の場を設定してしまった」、その再協議について、朝日新聞は育鵬社の教科書反対派の主張をこう報道しています(2011年9月14日・朝刊)、

教育委員13人がそろっており、最も民主的な会合
一本化には多数決で決めるしかなかった


これこそ、民主主義と多数決の区別もつかない謬論でしょう。

蓋し、民主主義とは白黒はっきり言えば「多数の支配の正当化論理」
に他ならず、而して、その正当化の神通力の射程は、

・枢要な問題に関する、共約不可能なイデオロギー対立の不在
・言論を通しての、今日の少数派が明日の多数派になる可能性の存在


であり、そして、この神通力が満たされている条件下での、

・デュープロセス(適正手続き)を踏まえた意見の集約    


がなされることが、すなわち、近代国家、大衆社会の福祉国家における民主主義である。


ゲーム理論風に換言すれば、ある社会的紛争を解決するためのルールの定立を巡って(あたかも、青信号と赤信号の意味や道路の左側通行と右側通行の決定に必然性がなく、ただ、何かのルールが決まっていることに社会的な便益と意味があるのとパラレルに)、

他の多くの人が採用するようなルールを自分も採用したいとその社会のメンバーが各自思っているにもかかわらず、その「他の多くの人が採用するようなルール」が何か容易には判明しない問題状況。すなわち、所謂「調整問題状況:coordination problem」を解決する政治原理が民主主義に他なりません。

畢竟、イデオロギーの対立とは無縁ではあり得ない国民国家規模の社会における多くの政治問題とは、(よって、上に記した民主主義の神通力の効力条件から言って)枢要ではない問題に関する共約不可能なイデオロギー対立を孕む、所謂「恋人の喧嘩」タイプの、部分的調整問題なのでしょう。つまり、赤信号が「進め」なのか「止まれ」なのかが、社会のメンバーのほとんど全員にとってほぼニュートラルな事態であるのに対して、育鵬社の教科書の採否は「譲れぬ争点」ではある。

すなわち、教科書採択問題は部分的調整問題ではあろう。

例えば、彼が今度の日曜日には千葉の薔薇園に行ってその後イタ飯を二人で食べたいと思い、彼女は丹沢山系の大山に登山してその後麓のレストランで湯豆腐尽くしの和食をいただきたいと熱望していたとする。しかし、この場合の問題状況は、両者とも、自説を譲ったとしても、デートできないことに比べれば、本心渋々にせよそれがベターであるというタイプの(要は、調整によって紛争の全面的解決はできず、部分的解決しかできないタイプの)調整問題。畢竟、教科書採択もこのような問題であって初めて民主主義のルールに従った解決が可能と言える。

而して、多数決とは部分的調整問題解決の手法の一つであり、それは、デュープロセスの一斑に他なりません。要は、()その当該の問題を多数決に従い解決できる権限と権威とを正当に付与された会議体において、()意見の集約がどうしても必要な場合にのみ、()多数決は正当な<儀式>であると社会的に容認される。

ならば、デュープロセスを踏まえた八重山採択協の決定に従う意志のない、育鵬社の教科書反対派の行った、何の法的根拠も持たない臨時会議での<多数決>なるものはデュープロセスの蹂躙に他ならず、民主主義とは無縁のものである。加之、彼等や朝日新聞は、この問題を社会的かつ合理的に解決可能な調整問題としてではなく、単なる、裸のイデオロギーの対立と考えている点で、近代国家の政治原理としての民主主義を語る資格もないのではないか。と、そう私は考えています。

尚、民主主義、および、自虐史観自体への私の理解に関しては下記
拙稿をご参照いただければ嬉しいです。以下、百地さんのエッセー収録。

・民主主義とはなんじゃらほい(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/53753364.html

・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60588722.html

・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上) ~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60640144.html





【正論】教科書採択をめぐる誤謬を正す

 4年に一度行われる中学校教科書の採択で、日本人としての誇りを取り戻し、主権国家の国民たる自覚を養わせる「歴史」と「公民」の教科書が、飛躍的に増加したことは注目に値しよう。とりわけ育鵬社の歴史・公民教科書の普及は目覚ましく、横浜市、東京都大田区、愛媛県今治市などの全国409校の公立中学校がこれらの教科書を採用した。また、私立中学校でも21校が採用している(9月22日付産経新聞)。

 採択数が伸びた背景には、平成18年の教育基本法改正と、それを踏まえた平成20年の学習指導要領改定がある。このことは実際に教科書採択に当たった教育委員や教育長の発言からも明らかで、例えば、横浜市教育委員会では「改正教育基本法に照らして吟味した」とし、武蔵村山市教育長も「育鵬社の教科書が新学習指導要領の趣旨にもっとも合っていた」と発言している(村主真人「中学校教科書採択を振り返って」=『日本の息吹』平成23年10月号)。

 もう一つ、採択の際に従来は調査員という名の日教組教員らが事前に順位づけを行い、教育委員らはそれを基に教科書を採択するという安易な方法がまかり通っていたのに対して、今回は、教育委員自身が教育基本法や学習指導要領の趣旨に従って教科書の内容をよく調査し、採択を決定したことが大きいと思われる。

 尖閣諸島を行政区域に含む石垣市や与那国町、それに竹富町の3自治体で組織される沖縄県八重山採択地区協議会(八重山採択協)が育鵬社の公民教科書採択を決定したのも、同様の理由によるものであった。ところが、育鵬社の教科書採用を不満とする竹富町教委が反対し、沖縄県教委がこれを支持して不当介入したことから、いまだに混乱が収束せず、異常事態が続いている。

 混乱の第一の原因は、八重山採択協が教科書無償措置法(無償措置法)にのっとって「協議」を行い、正式に育鵬社の公民教科書採用を決定したにもかかわらず、竹富町教委がそれに従わず、沖縄県教委が「正当な理由」なしに、「再協議」の場を設定してしまったことにある。このような「再協議」は手続き的にも内容的にも違法・無効と解される。

 ≪無償措置法は地教行法に優先≫

 竹富町教委の暴走は明らかに無償措置法違反の行為であり、もしこれを認めてしまえば昭和40年以来続いてきた教科書の広域採択制度は崩壊する。また、八重山採択協が正式に育鵬社版公民教科書の採用を決定したにもかかわらず、沖縄県教委がこの「協議」を無効とし、新たに「再協議」の場を設定したことについては、そもそも「正当な理由」など存在しない。したがって、沖縄県教委が「再協議」の場を設定してしまったこと自体、違法である。

 さらに、同県教委による「再協議」の場の設定は、石垣市教委と与那国町教委の「同意」なしに行われたものであり、事前に意見聴取を行うよう定めた無償措置法12条2項の趣旨に違反しており、手続き的にも違法である。この点、「再協議」による育鵬社版教科書の不採択決定は両教委の同意なしに行われたもので、「無効」であるとした、文部科学省の判断は妥当である。

 混乱の第二の原因は、沖縄県教委が石垣・与那国・竹富の三教委による「再協議」を、地方教育行政法(地教行法)によって正当化しようとしたことにある。

 ≪文科相は混乱収束へ指導せよ≫

 確かに、同法23条6号は教科書の採択権を市町村教委に認めており、沖縄県教委の指導は正当のようにも思える。しかし、無償措置法は、採択地区内では同一の教科書を採択するよう定めており、各教委は八重山採択協の決定に基づき育鵬社版を採択しなければならない。このため、両法律は一見、「矛盾」するかのような印象を与え、それが今回の混乱の原因とする見解(9月16日付朝日新聞)もあるが、これは「一般法」たる地教行法と「特別法」に当たる無償措置法との関係を正しく理解していないがゆえの謬論(びゅうろん)である。「特別法は一般法に優先する」というのが法の基本原則であり、例えば、民法と商法は一般法と特別法の関係にあるから、事業者間の商取引では、民法に基づく一般の契約とは異なり、特別法たる商法が優先し、これに従うことになる。

 それゆえ教科書採択に当たっては、まず無償措置法に従って採択地区協議会が同一教科書の採用を決定し、この決定に基づいて、各市町村教委が教科書採択権を行使し教科書を採択するというのが、両法律の正しい解釈である。

 この点についても、文科省は「(市町村教委などの)採択権限は教科書無償措置法にのっとった条件付きのものだ」という正当な見解を示している。であれば、文科相は即刻、八重山採択協における混乱を収束させるべく、地方自治法(245条の4)や地教行法(48条)に基づいて、沖縄県と県教委に対し、断固たる「指導」「指示」を行うべきだろう。

(産経新聞:2011/09/27 02:28更新―日本大学教授・百地章)
    



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