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海馬之玄関推奨--素人でも読めるかもしれない社会を知るための10冊--

2014年02月28日 13時18分46秒 | 書評のコーナー



TOEICで日本の有権者の平均点が730点に達すれば朝日新聞は多分倒産する。少なくとも、朝日新聞的なもの、すなわち、<朝日新聞>は間違いなく崩壊する。そう私は確信しています。戦後民主主義を信奉する彼等リベラル派が喧伝してきた「世界の声」なり「世界の良識」なるものが、実は、かなり特殊なサンプルの紹介にすぎなかったことを多くの日本国民が自分自身で確認できるようになるから。

あるいは、遠山啓さんが、確か『数学入門』(岩波新書・上下;1959年11月-1960年10月)の中で、「微分方程式くらいまでが国民の常識になればこの社会はずいぶん良くなるだろう」という意味のことを書いていたと思うけれど。それは、例えば、重回帰分析--ある結果に対して複数の原因がある場合に、どの因子がどれくらい結果の惹起に貢献しており、かつ、諸因子間の関係はどうなっているかを調べ表現する数学の技術--を身に着けることが、実は、欧米のMBA留学の、少なくとも、文科系出身のMBAホルダーにとって死活的に重要である現実を見ても納得のいく発言だと思います。

少なくとも、統計学の基礎が日本国民の常識になれば、間違っても、「万葉集は韓国語で読める」とか「邪馬台国はなかった」とかの噴飯ものの主張が公共の言説空間で語られることはないか、あるいは、そのような主張がもし語られたとしても、早晩、雲散霧消することは確実でしょうから。

そして、多分、社会運動家の福田英子(1865-1927)がどこかで、マルクス主義に初めて接したときの感慨を述べていた。「ああ、貧乏であることはけっして恥ずかしいことではないのだ」とわかり心が安らかになった、と。蓋し、--マルクス主義、就中、マルクス経済学なるものが破綻していることは置いておくとしても--私には福田の感慨は理解できる。それは、間違っていたにしても、マルクス主義は20世紀の前半くらいまでは、間違いなく、社会の仕組みを説得力のあるロジックで説明する最有力の<世界観>の体系ではあったのでしょうから。


・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
 -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139986000.html

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html



ことほど左様に、情報入手の能力とスキル、情報処理のスピードと正確さ、そして、情報を全体的に、ある意味、空間的かつ整合的に把握する能力。この三者を私は--KABUの「フレミングの左手」の法則と呼んでますけれど(笑)--知的能力の三要素だと考えています。而して、本稿は、最後者の社会の仕組みを説明する<世界観>を獲得するための良書を何冊か紹介しようというもの。

けれども、社会の仕組みを説明する<世界観>というものは、本来、<宗教>の役割でしょう。そして、<宗教>はそれ自体が自己の体系を絶対的なものと称する建前ですから、相矛盾する諸アイデアの併存や協働を前提にした社会思想や社会理論とは別種目。よって、--あっ、だから、単なる社会思想や社会理論にすぎない自己の体系を絶対視していたマルクス主義は比喩ではなく<宗教>だったのだと思います--、<宗教>の選択は読者各自の「信教の自由」におまかせすることにして、本稿では、社会の仕組みを説明するために使えるプチアイデアを提供している書籍を挙げることにします。





選考基準は次の5個。すなわち、

①パラダイムが広がる
②便利な思考の<道具>が含まれている
③現在でも世界で通用する水準をキープしている
④論理的でわかりやすい
⑤新情報が得られて面白い


なにより、「素人でも読めるかもしれない社会を知るための10冊」ということで、専門書や洋書は割愛--洋書にしても、定評のある翻訳で読めるものに限定して--、また、おもしろいけれど、それから社会の仕組みを説明するために使えるプチアイデアを抽出するには読者側にかなりの力量が要求される<小説>の類も除きました。ただし、KABUが影響を受けた書籍を掲げた都合上、現在、絶版になっているかどうかは一切気にしないことにしました。ご了承ください。

また、海馬之玄関の表芸である「法学」に関しては
下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。


・新版☆法律学の<KABU>基本書披露
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ee4287957a2d1f2282268aced3858f14

・法哲学の入門書紹介 でも、少し古いよ(笑)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11147077543.html


実を言えば、社会の仕組みを説明するために使えるプチアイデアを手に入れるためにも、本当は<古典>を読むのが結局早道。けれど<古典>は敷居が高い。つまり、ほとんどの人は読み通せない。これはどんなに良い英語教材でも、継続できにくいものは単なる<資源ごみ>である経緯と同様。

実際、マルクスの『資本論』をリベラル派の中でさえ本当に3回程度通読した人がどれだけいるか、哲学専攻の大学院生を母集団にしたとしても、カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の3批判書を3回ばかし通読した割合はかなり低いと私は確信しています。ならば「TOEIC730点」や「微分方程式くらいまで」でいいのではないか、とりあえずは、と。そう思いました。

いずれにせよ、社会思想や社会理論というものは--例えば、「立憲主義」と「民主主義」の関係、「民主主義」と「保守主義」の関係、そして、「保守主義」と「ナショナリズム」の関係の理解においてそれが必須のように--、すべからく、(甲)ある思想群がどのような<相互討論>の経緯を経て現在に至ったのか、ならびに、(乙)現在の地平から見ればそれらの思想群はどう空間的かつ整合的に把握されるのかという、謂わば「両界曼荼羅」的な重層的な作業なのでしょう。而して、本稿で紹介する10冊はすべてこの「両界曼荼羅」を胎蔵しているのではないか。と、そう私は考えます。


結果発表。

(ⅰ)歴史とは何か
(ⅱ)素朴と文明
(ⅲ)中世の窓から
(ⅳ)日本文明と近代西洋
(ⅴ)国家と革命
(ⅵ)日本の国家デザイン
(ⅶ)物語日本史
(ⅷ)女性解放思想の歩み
(ⅸ)史的システムとしての資本主義
(ⅹ)コーランを読む






日本ではいまだに読者というか信者が少なくないらしい、例えば、西田幾多郎、廣松渉、ユング、そして、丸山眞男や網野善彦などは<紛い物>といえる。けれども、ここに掲げた10冊は間違いなく<本物>。なぜそういえるのか。簡単です。それは、上記の①~⑤の基準を前者は満たしていないのに対して、後者は満たしているから。

例えば、レーニン『国家と革命』の認識は破綻している。それは間違いない。けれども、『国家と革命』は今でも社会の仕組みを説明するために使える--あるいは、社会を見る見方を獲得するために使える--プチアイデアの宝庫と言える。それに比べて、西田幾多郎の著作など、正直、誰にも理解不可能な<裸の王様の衣装>にすぎない。と、私はそう考えています。


(ⅰ)歴史とは何か
・・・E.H.カー(岩波新書・1962年3月)
価値相対主義から歴史認識を基礎づけた名著。

(ⅱ)素朴と文明
・・・川喜田二郎(講談社学術文庫・1989年4月)
川喜田先生はKJ法の唱道者でもありますが、同門の梅棹忠夫『文明の生態史観』が謂わば「一発芸」的な作品であるのに対して、本書は今でも読者が自分の社会科学方法論を構築するTipsを提供していると思います。ただ、後半の「日本史」は、まー、読まんでもよか、鴨です(笑)

(ⅲ)中世の窓から
・・・阿部謹也(朝日新聞社出版局・1981年1月)
なんといっても読んでいて楽しい。そして、本書は、『ハーメルンの笛吹き男』とともに阿部歴史学方法論が初めて具象化された--それらに先んじて出版された『刑吏の社会史』は些か専門的ですから--作品。実際、良知力『青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年』(1985年11月)と併せて、その頃、新カント派の微睡にひたっていた私にとって阿部さんの一連の著作は衝撃的でした。

(ⅳ)日本文明と近代西洋
・・・川勝平太(日本放送出版協会・1991年6月)
静岡県知事にもなった川勝さんの出世作。すなわち、使用価値の体系である文化は交換価値に内在する論理たる資本主義に対してそれなりの独自性を保っている、と。これを読んでもまだマルクス主義を唱える人にとって、マルクス主義というのは間違いなく<宗教>なのだと思います。それでも足りなきゃ、カール・ポパー『歴史主義の貧困』(←2013年に新訳が出版されました)でも読みなさい!

(ⅴ)国家と革命
・・・レーニン(岩波文庫・1957年11月)
敵ながら天晴の一書。社会主義の不可能性が人類史において確認された(1989-1991)現在においても、社会を見る見方のサンプルとして大変参考になると思います。そして、マルクス主義などは<寓話>の壮大な体系だったこともまた本書が逆照射してくれる、鴨。





(ⅵ)日本の国家デザイン
・・・上山春平(日本放送出版協会・1992年3月)
当時放送されていたNHK人間大学の講座テキスト。後に上山先生の著作集第10巻に収録されました。KABUの種本の一つです。薄いけれど内容は濃い。なんせ、プラトンとアリストテレスの国家論の本質的な違い、そして、日本における「律令システム」と支那のそれとの違いなど良質な情報が満載。同じ、<京都学派>でも梅原猛などの<紛い物>とは大違いですよ。

(ⅶ)物語日本史
・・・平泉澄(講談社学術文庫・1979年2月)
三冊本。確か1973年に『少年日本史』(時事通信社)として出版されたものの文庫版です。実は、父がその『少年日本史』を私に買い与えてくれた。そのとき以来、文庫版も含め何回読んだことか。えっ、国粋主義の著者の作品だからって。あのー、平泉澄先生は国粋主義の雄であると同時に、戦前から社会史的の視点を歴史認識に導入した先駆者として、実は、左翼側の研究者の中にもその功績を高く評価する向きも少なくない方なんですけど。そう、例えば、本書は、現在でもマルクス主義の側から書かれた記念碑的名著とも言うべき、石母田正『中世的世界の形成』(岩波文庫)の、実は、<反転画像>なの、鴨ですから。

(ⅷ)女性解放思想の歩み
・・・水田珠枝(岩波新書・1973年9月)
あの上野千鶴子女史がその出世作『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』の中で--ブルジョア側からの女性解放思想にすぎないと--激しく批判した水田珠枝先生の一書。私は、その『家父長制と資本制』も大好きな(?)のですが、上の梅棹さんの『文明の生態史観』と同様に同書は「一発芸」的な作品と思い、今読んでも瑞々しい本書を挙げることにしました。

(ⅸ)史的システムとしての資本主義
・・・ウォーラーステイン(岩波書店・1985年3月)
コメントは『国家と革命』と同様。

(ⅹ)コーランを読む
・・・井筒俊彦(岩波書店・1983年6月)
日本が世界に誇った顕学が素人向けに書いた驚異的な出来栄えの一書。
はい、K点越えで紹介不可能。←手抜きではありません。



昔、橋爪大三郎さんから、「日本の事柄に関する情報を世界に持っていく、日本で構築した<認識枠組み>を世界に適用するようにならなければ、日本の社会科学はいつまでたっても、欧米の学界や言論界の<輸入総代理店>のような人物が牛耳る途上国のままですよ」というお話を聞いたように思います。

而して、上にご紹介した<両界曼荼羅群>は、そんな日本のシャビーな状況を改める、少なくとも、最初の一歩にはなるのではないか。これらの1冊でも、読者の皆さんにとってのそんな契機になることを願っています。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。









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