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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編(四)

2009年09月30日 06時26分40秒 | 徒然日記


「脇道散策=玉川大学訪問」は終了。「現在地点」は、玉川大学から尾根道を引き返し、本線の順路に戻った所。岡上西町の「8番坂」から岡上の尾根道に上がり、南東方向に4-5分歩いた、例の「V字三叉路」です(再度画像をあげておきます)。



ここから本線の順路に従い尾根を下ります。まず目指すは、ベートーベンの交響曲の如く豊潤で壮麗な「岡上営農団地」の風光、そして、岡上地区の氏神様、その名も「岡上神社」の風情。適宜<地図画像>を参照いただければわかりやすいと思います。ということで、いざ、出発!



【地図画像】
・岡上地区包囲Map

 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap13a.jpg








上は尾根を下りきった地点です。画面中央の道路右手はすべて横浜市青葉区。この辺りは、青葉区奈良町、玉川学園台団地と緑山地区の境です。そして、道路の左手は、もちろん、我等が岡上地区。就中、「岡上営農団地」の南端です。

この市境の道路をしばらく前進して岡上営農団地の中心部にアクセスする道に出たら左折します。その左折地点から岡上の尾根道を振り返った画像が下。目印の赤いお家の上方に玉川大学の教室棟が覗いて見えますね。そう、あの建物あたりが麻生区の最南端なのですよぉー。



そして、下の画像は左折した我々の目に飛び込んでくる岡上営農団地の「野にして粗だが、金輪際、卑なんかじゃなぁーい!」風光。1枚目の画像、画面中央の最奥に小田急鶴川駅付近のビル群が写っている。要は、鶴川駅と「現在地点」ではそれくらいの高低差があるのです。それにしても、すっと立って凛と咲いている「岡上っ子」の向日葵が素敵でした。この記事のTop画像はもちろんこの向日葵の「ポートレート」です。








そして、

向日葵の「肖像」を撮り終えて、最後に青葉区奈良町の方を振り返った時、
我々が目にしたものはぁー! 

はい。

<8・30>の総選挙で、落選必至、立候補することに損はあっても得は全くないことを熟知しつつ、「裏切り者=山内康一」が逃げ出した神奈川9区の自民党不戦敗だけは阻止するべく、己を空しうして断然立候補に及んだ、そう、我等が中山展宏氏のポスターでした。




б(≧◇≦)ノ ・・・よく立候補した、中山展宏候補!

б(≧◇≦)ノ ・・・家族・親族ぐるみでよく戦った、中山展宏候補!

б(≧◇≦)ノ ・・・打倒、民主党!

б(≧◇≦)ノ ・・・「麻生総理」断乎支持! 頑張りましょう。







と、心の中で大声で叫び、すっきりした所で前進再開。それでなくとも、岡上営農団地には、農園の魅力が満載。人間を元気にさせる農業のエッセンスが上下左右そして対角線上に溢れている。





アリストテーレースは人間を「ポリス的動物:政治的-社会的な動物」と規定し、ホイジンガーは「ホモルーデンス」、すなわち、「遊ぶ存在」と、また、ベルグソンは「ホモファーベル」、すなわち、「工作する存在」と人間を規定しました。

今村仁司さんのホモ・コムニカンス論、つまり、「人間=交易する存在」の規定は筋悪としても、例えば、マルクスは結局の所、人間をどう捉えていたのか。「生産する存在」と捉えていたのか、それとも「類的存在:相互行為の中での人格形成に価値を感じる存在」と捉えていたのか、あるいは、全く別の何かだったのか。

とにかく、左右に関わらず「社会的な人間の規定性」に関しては、喧々諤々、現在の社会思想でも定説・通説の類は存在しないと思います。けれど、この岡上の営農団地を散策する限り、少なくとも、日本人なら、「人間とは農業を心底好ましいと感じる存在」であることは間違いないのではないか。そう私は確信しました。と、これ以上、知ったかぶりのコメントは不要でしょう。息抜きに、Youtubeで音楽でもどうぞ。どうせお互いタダだし(笑)


人間は農業を好ましいと考える存在である















と、読者を「田園」に耽溺させておいて、こちらはどんどん進みます。ここは、営農団地の中央部「団地の対角線の交点」くらいの所。上の画像は、そこで見かけた「営農団地の見取り図」。青葉区が緑区から分区したのは1994年のことなので、この地図の横浜市がまだ「緑区」のままになっているのは「バグ」なのか「深い意味」があるのか私にはわかりませんでした(笑)。

更に、前進、営農団地の北辺、岡上小学校に続くあの谷戸に今度は南から臨みます。くどいけれど、この景色は日本人の琴線に触れること夥しいと思いませんか。









営農団地に後ろ髪を引かれる思いを残しつつ岡上地区から離れる時が近づいてきました。而して、町田市と岡上地区を東西に分かつ道路に出ます。そう、あの岡上駐在所交差点から「南北」に続く道路です(老婆心ながら一言。例えば、「東経135度」と言うように、「東西に隔てる線」は南北に走っているのですよぉー!)。その南北の道路すぐ横に鎮座ましますのが、岡上地区全体の氏神様、岡上神社。下の画像です。3枚目の画像は岡上神社の境内から岡上地区の<高天原=心の故郷>、岡上小学校のグラウンドを覗いたもの。

尚、岡上神社と柿生の氏神様、月読神社は「提携関係」にあるとか。やはり、柿生と岡上は仲良しなのだぁー! ということで、狭義の岡上地区とはここでお別れです。でも、プライベートでは週に1回は来るけんね。まっとってね(涙)








・岡上神社
 http://www.city.kawasaki.jp/73/73tisin/kankou/okagamijinja.html

・【月読神社】ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:
 あざみ野~浄慶寺~柿生編(上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58193170.html



さて、岡上神社に見送られながら、目指すは、「壱」で「完全包囲」という作戦目的のためにあえて「おいでおいで」の誘いを断った、あの広葉樹の辺りです。そう、三輪町の高蔵寺。南北朝時代の康安2年(1362年)の創建とされる真言宗の古刹。而して、その前に、これから(回廊としてではなく)本格的に足を踏み入れる三輪町の氏神様にご挨拶しておかねばなりませぬ。熊野神社。岡上神社から僅か徒歩6分程。下の画像です。









次も熊野神社で撮影したもの。









熊野神社から高蔵寺に至る道は、徒歩150メートル余り(スキップしても競歩でも150メートル余り)。下の1枚目の画像が高蔵寺に至る道、ここを右折します。而して、2枚目の画像は、右折せずに8歩ほど進んで熊野神社方面を振り返ったもの。画面、右手奥に写っているのが熊野神社の鎮守の林です。





而して、最後の画像が、高蔵寺への取り付け道路を右折せず、68歩ほど進んだ先の風情。高蔵寺の駐車場なのだから、満更、記事の理路と無関係というわけでもないのですが、違和感のある画像ですよね。「鶴川高校」のサブリミナル効果を狙ったのか? 実は、残暑の正午前、この画像に写っている日陰全体を作ってくれているのが例の1本の広葉樹なのです。実物を撮影するよりその大きさと優しさが伝わりませんか。








というところで、適度な長さなので次回に続きます(;・ω・;)。



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