ひねもすぐうたら

心の目で見る

梅の花

2019年02月26日 15時56分42秒 | 日記
「梅は咲いたか桜はまだかいな」 ことわざで

はなく端唄の「梅は咲いたか」の一節です。





二月二十六日の昼頃 「なばなの里」の梅苑を見て

来ました。約三百三十本のしだれ梅は三分咲きで

見頃はも少し後のようです。







梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳なよなよ

風次第 山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな~


 




梅にしようか 桜にしよかいな 

色も緑の松ヶ枝(まつがえ)に

梅と桜を 咲かせたい しょんがいな~







昨日 北風 今日は南風 明日は浮名の 

たつみ風 恋の風なら 色ばっかり 

しょんがいな~







柳橋から 小舟で急がせ 船はゆらゆら 波次第

船から上がって土手八丁 吉原へご案内

しょんがいな~







桜さくらと 浮かれているわいな 弥生三月 

花見月 あなたは花より 酒ばっかり 

しょんがいな~







アサリ取れたか ハマグリまだかいな 

アワビくよくよ片思い サザエは悋気(りんき)

で 角ばっかり しょんがいな~







銀座八丁 行こうじゃないかいな 山の狐が 

七化けて 黒い眉引く 袖を引く 

しょんがいな~







恋の浅草 二人で行こかいな 

何を言問(こととい)都鳥 末は千鳥で泪橋

しょんがいな~









キューケンホフ公園(オランダ)

2019年02月19日 20時58分09秒 | 日記
KeuKenhofとは「台所公園」

           「キッチンガーデン」


オランダと言えば「世界一美しい春の公園」と

評されるキューケンホフ公園です。

毎年3月末~5月末の2ヶ月間のみ開園してい

る春限定のフラワーパークです。



中部国際空港からフランクフルト乗り継ぎ

ルフトハンザ航空でアムステルダムへ。





ヨーロッパツアーを夫婦で。年に一度の祭典、

春の訪れを告げるチューリップを楽しみに。





キューケンホフ公園には、800種類以上もの

チューリップをはじめ、スイセンやヒヤシンス

などの球根植物が咲き誇る、春の訪れを体いっ

ぱい感じるためです。





















キューケンホフ公園の32ヘクタール

(東京ドームが7個収まる)の敷地内には

なだらかな丘陵地や池、2500本以上の木立

が広がり美しい。自然景観の中で全長15km

に及ぶ遊歩道があります。

















風車からはキューケンホフ公園の周辺に広がる

鮮やかなチューリップ畑を眺めることが出来ま

す。








旅行は4月中旬でしたが、キューケンホフ公園

では花盛りを予想していましたが、あいにく

この年は例年よりチューリップの開花が

2週間程遅れているとのこと。

それでも各パビリオンでは手入れのいきとどい 

た花々が咲きほこっていました。












キューケンホフ公園(オランダ)



アムステルダム ダイアモンド工場観光(オランダ)

2019年02月15日 21時01分40秒 | 日記
昼食後アムステルダムでダイヤモンド工場を

観光しました。

ダイヤモンドについて説明を受け研磨の様子を

間近で見学しましたが、写真も動画もありません。

なぜ記録がないのか、皆目見当がつきません。

とりあえず、カッティング工程を終えた

ダイヤモンドを幾つか、商品説明を受けたました。

その分だけです。



アムステルダム中央駅





ダイヤモンド 

カラット  5.01 

価  格  86,646.ユーロ

為替レート 125.24円(TTS)

商品価格  10,851,545円

  (も少し、円高の時がいいですね)





展示品






アムステルダム ダイアモンド工場観光

ブルージュの運河クルーズ(ベルギー)

2019年02月14日 20時06分43秒 | 日記
ブルージュとは「橋」の意味で、町を縦横に流

れる運河に50以上の橋が架かる水の都です。

運河、石畳の道、中世時代の建物が特徴的な街

です。13~14世紀にハンザ同盟の主要都市

として栄えたが、15世紀に入って運河の枕泥

で商船の出入りができなくなり、町の発展が止

まった。そのおかげで中世の景観をそのままに

とどめ、現在に至っています。



ボート乗り場

ボート乗り場は複数あります。




鐘楼

47鐘からなるカリヨン(組み鐘)と366段

のすり減った石のらせん階段を上がると

ブルージュの街並が一望できます。





メー橋

14世紀に造られた最も古い橋です。

メーは植物のメークラップから付けられました。

実をつぶすと、黄色い色素がでます。

これで糸を染めました。









ブルージュの運河クルーズ

ブルージュのベギン会修道院(ベルギー)

2019年02月13日 20時24分51秒 | 日記




12~13世紀ヨーロッパの封建社会では、

女性が独身のまま生活をする為の働き口はほと

んど無く、結婚するか修道女になるか生きてい

く術はありませんでした。





もし結婚で生活の安定ができても、男性が十字軍

の遠征や病気等で亡くなった場合、残された女性

は修道院に入る以外の道はほとんどなかったので

す。





修道院に入るには、これまでの生活や築き上げた

財産を全て放棄し、完全に俗世の人生をリタイア

しなければなりませんでした。





このような中世の封建社会の中で、自分の才能や

技術で生活していきたいと思っていた女性もいま

した。





そこで12世紀のベルギーで、女性の自立支援の

ために女性だけで組織された共同体がベギン会で

した。





彼女たちは修道女としてではなく俗世と接しなが

ら半聖半俗の、共同体生活を送る新しい生き方を

実践しました。





なかでも1245年にフランドル伯爵夫人により

創設された、ブルージュのベギン会修道院は豊か

な自然の中に有りました。





木々の茂る中庭に白壁が映え、外界から隔絶され

た別天地を形成して、都会のオアシスとなってい

ました。





ベギン会修道院の一日はミサに始まり、その後

レース編みなどしたり、街に出て家事労働や

家庭教師などをすることも許され、夜は再び

修道院での共同生活に戻りました。





自立して生きていくために働いて収入を得ること、

また退会して結婚する自由も認められ女性が自分

の意思で、生き方を選択できた。当時としては

唯一とも言える存在でした。





ブルージュのベギン会修道院は

フランドル伯爵夫人の意志のもと1928年まで

連綿とした伝統を紡いてきました。





女性の社会進出とともにベギン会修道院は衰退し





現在ではベギン会修道女はおらず、1927年に

確立されたベネディクト会の修道女によって買い

取られて、規律に従っている修道女が暮らしてい

ます。彼女たちの服装は、ベギン会修道女が元来

着用していたものに類似しています。




順路:愛の湖 ⇒レストラン(ヴィヴァルディ)

   ⇒ ベギン会修道院 ⇒ 中世の小径

   ⇒ 聖母教会



ブルージュのベギン会修道院