やはり、黒塗りは巫女でない。でした
略称はかくみでいいのだろう
今回のかくみはのっけから面白い
こういう、ハプニングモノのノリのシナリオは好きです
今回の第一話も、スーパーに異形のモノから身を守る為に籠城する構図が映画の「ミスト」を想起しました
スーパーから何組かに分かれて脱出する事により生存率を上げよう。という提案はM・ナイト・シャマラン監督の映画「ハプニング」で被るシーンがあった
謎の現象により人間に自殺衝動を引き起こし、世界規模で人類を集団自殺させていくという内容のハプニングという映画
世間からは駄作扱いされがちですが、個人的には好きです
人類淘汰の現象の理由は聖書の記述に基づいた人口削減が目的か、と考察されていますが
勇者であるシリーズで「なぜ天の神が人類を滅ぼそうとしたのか」という理由に通じる部分があるかもしれない
なお、ハプニングでは人間が集団自殺する理由について明確な理由は解明されておらず
「理由なんてそもそもないのでは?」という考察もありますが
勇者であるシリーズの天の神の行動原理はやはり不明ですが、一期終了直後の非公式の制作スタッフによる設定暴露によると
人類を増長する悪とみなして粛清した。というのがベースとしてありそう
そこにバベルの塔要素などを絡めるなど
さて、かくみ本編の感想だけども
烏丸久美子さんはうひみを見る限り、倫理破綻者なヤバげの先生かな?と思っていたら
かくみ1話ラストまでは「日常生活に刺激を求める冒険者なきらいはあるけれど、その中身は人命や倫理を尊重する人格者かな〜」と
思いかけたところ
ボクっこの茉莉ちゃんに「なんで笑ってるんですか?」と指摘されるラストを見て
あー、この人ヤバイ奴だ。ってなって安心しました
個人的にはこれくらい、ズレたり飛んだりヤバい人の方が好きです
禁忌は犯さないけど、自身に刺激を与える為なら「なんでもする」って感じの人が
これも叙述トリックの一種なんでしょうが
最後の一文の「私はこの状況が楽しいんだ」がぞくっとする感じで良かった
烏丸先生の「察しがいいなこの子」のシーンはハガレンのタッカーを思い出す
烏丸久美子のバックボーンは、ありふれた人生というモノに嫌気がさして人生に刺激や快楽を求める人間
わかりやすく喩えると、大ニ病が発展したような感じだろうか
だけど、たぶん倫理は破綻してるんだろうけど人間として超えてはならないラインの線引きはきっちりしているから
在り方としてはヤバい奴だけど、行動までヤバい事をしないって感じだろう
あー、人生退屈過ぎて死にそー
なんか面白いこと起きないかなー、人類滅亡とかしないかなー
えっ、嘘。本当に人類滅亡しそうなんだけど
やだなにこれ、ちょっと楽しいかも
みたいな
ボクっこ茉莉ちゃんはかくみ内で死亡説もあったけど、生き延びて四国内にいるようで安心
冒頭に高嶋友奈が戦死というワードの字面の重さで陰鬱になる、、、
小学生の高嶋友奈ちゃんという天使が見れるのはかくみだけ!
烏丸久美子さんはロリコン堕ちしてしまうのかどうか
次回以降の3人の関係に注目!
オスカー・ワイルドの幸福の王子
ざっくりとは知ってましたが、よく知らなかったので調べてみました
幸福の王子は高嶋友奈であり、ツバメは烏丸久美子なのでしょう
純粋培養された天使、高嶋さんに絆されて烏丸先生も影響されていくことを揶揄している?
ゆゆゆ一期、二期で多少浮き彫りになった
勇者の「生贄」としての側面がかくみでは深く描かれそう
勇者とは救世主であると同時に生贄でもある
とりわけ、神世紀300年近くの勇者とは生贄でしかなかった
西暦の時代では、人々の思想や環境の違いにより、救世主として描かれる側面を強く感じる
神世紀300年は一般人にとっては争いという概念が薄い為に、大多数の幸福を維持する為に少数を犠牲にしたのが勇者システム
逆に西暦では一般人の全てが危機にさらされている為に、それに対抗できる力をもった存在として救世主の側面が強くなる
三章のテーマは善悪の天秤ということなので
純真無垢な天使、高嶋友奈が外界の悪やケガレにどう接していくか。が物語のテーマとなるだろう
人々の剥き出しの欲望や敵意、害意が描かれると予想される
それこそ、ゾンビ映画で描かれるヒューマンドラマのようなものが
その外界からの悪意から天使、高嶋さんを守る為に機能するのが
幸福の王子でいうところのツバメの役割を持った烏丸先生
天使と外界と触れていくうちに、烏丸先生にも変化が訪れる
幸福の王子を切り込んで考察した場合
それは王子の善性の成り立ちを見ていかなければならない
王子の他人を慈しむ心というのは、若くして死ぬまで宮廷外に出ることなく死んだ
という、外界の悪性に触れなかったことによるいわば純粋培養された善性によるもの
悪を知らず、ケガレを知らないからこそその身は清くあれる
天使とは善性以外を知らないからこそ清らかなものである。という考え方もある
逆に、人間は清らかなモノを知っていればケガレも知っている
善悪、清濁合わせ飲んだ上で行われる善性にこそ価値があるという考え方もある
こういう、「ケガレを知らない。悪という概念に触れてこなかったからこそ天使である」という考え方は奈須きのこ作品に多い
名前を忘れましたが、DDDに登場する黒髪ロングのヒロイン(男)とか
善悪のベクトルは違いますが、無垢であるからこそ善悪で測ることができないイリヤなど
勇者であるシリーズは、ケガレなき少女たちが外界の悪意に晒されてどう乗り越えていくのか
というのも一つのテーマに個人的に感じているので
かくみでは、1番描くのに適している時系列でもあるので
西暦に生きた人々の人間の悪意が描かれていくのでは?と予想します
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