http://wired.jp/series/wired-audi-innovation-award/22_hideo-kojima/?utm_content=buffer6f893&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
注意 いつにも増して小島監督信者のブログ主が狂信者じゃないかこれ?というレベルで小島監督を持ち上げています
ああ、小島秀夫監督のゲームづくりに対するその姿勢、在りかた…一生小島監督のファンであり続けたいと思います
今の日本に果たしてここまでの思想を持ち、体現してきた作り手が果たして何人いるか
大望をもったクリエイター気質の作り手はたくさん存在します。しかしいずれも実績が伴わない方がほとんど
そういった方々のインタビューやそのほかユーザーへ向けた声を聴くにあたって、その言葉の持つ信頼性、説得力というものは嫌に薄く我々には届きにくいんですよね
未来を見据えた視野を持ち成功をし続ける、ビジョンを明確に持ちすべて形にしていく。成功しようと努力し本当に成功させてしまう。本当に小島監督は素晴らしい方だと思います
未来を見れないものには緩やかな死が訪れるのみ。今のコナミは現在と過去しか見れていません。いずれゲームメーカーとしてのコナミは死ぬことでしょう
今回はコナミに対するネガキャンは無しです。小島監督のインタビュー記事に対する感想のみを書きます
コナミ退社後、小島監督は一度ゲームづくりから離れることも考えたようですね
しかし世界はそれを望んでいなかった。小島監督に常に一番先を走り続けてほしかった。ブログ主も小島監督には生涯ゲームづくりに励み続けてほしいと考えています
小島監督がゲームをつくる意味合いは一種のファンに対しての義務のような側面も持ち合わせています
常に120%…よりよいものを作り続けてきた小島監督に止まってほしくない
小島監督はゲームを能動体験が可能な唯一のメディアと評しています
これは一般論でもよく言われますね、映画が受動に対してゲームは能動であると
自分自身の体験であるからこそその体験は映画にも勝りうると
過去の小島監督のインタビュー記事では彼は自分の創ったゲームをもうすこしあえて卑下して表現していました。MGS2~3発売時期あたりですね
ゲームというのは最終的には暇つぶしの域のものであると。そのうえで時間を無駄にするのではなく自分の創ったゲームをユーザーに体験してもらい「なにか」を感じ取ってほしいと
感じ取った何かを些細な事でもいい、これから先の自分の人生に活かせるような変化を少しでも自分の創ったゲームをプレイしたユーザーに与えたい。そういったニュアンスですね
PWあたりまででもそうです。含みのある言い回しではあったのですが自分のゲームを説教ゲーと下手に出て、ユーザーの心の何かを変えたい。そういった印象の表現をされていました
それがTPPからデスストランディングの時期には、ゲームというメディアは一流のメディアであるという意識をもって世間に表現してきている印象です
言うまでもなく小島監督はMGS1の頃からもっと言えばポリスノーツの頃から、自分のゲームは超一流で人の心を動かせて当たり前という意識をもってゲームづくりをしてきたことは言うまでもありません
それを最近になって大っぴらに豪語できるようになったのはこれまでの実績、コナミを退社したから、ゲームというジャンルが世界でも一流メディアとして評価されるべき地盤が整ったから、様々な理由が考えられますがPSVRの登場も大きな理由となるのでしょう
これまで夢物語でしかなかった仮想現実の実現。小島監督は早くもすでにVRが歩むべき未来とVRを使った表現でユーザーを楽しませるヴィジョンがもうすでに見えています
VRなら映画に勝てる。TVに勝てる。ゲームというメディアは新たな次元に立てる。そういった確信があるのでしょう
まだPSVRで現在発表されているゲームというのは本当にミニゲームレベルのモノばかりです
因みにブログ主もソニーストアで体験会のあとにPSVRを予約しましたが
まだ現状PSVRというものが、仮想現実がどんなものかをさわりだけ体験できるようなものしかありませんね
小島監督はもうVRを使った人の心の動かし方がみえているかと思われます
例えば一人称視点が売りのFALLOUTシリーズが完全にVRに対応したならばそれはとても画期的で感動的な体験を味わうことになるでしょう
でも単純にリアリティ、没入感を増すだけのことならどんなクリエイターでもやってのけます
仮想現実をどう利用し遊び手の心を変えていくか
小島監督はなにもない真っ暗闇の中ユーザーを30分間またして結局なにも無かった、というような案を冗談めいて述べていますが
それもまたユーザーの心を動かしうる表現の一つ
ああ、久しぶりに自分の考えがまとまらなくなってきた。思っていることはたくさんあるのにそれをなかなか言葉にできない
話をいったん切り替えます
ゲームは能動。映画は受動とよく表現されます
小島監督作品の中で一番心に訴えかけられた能動表現の一つを上げるとするならば、それはMGS3オオアマナの花畑でザ・ボスの射殺をユーザーに委ねるシーン
ボスがスネーク(プレイヤー)に対して「殺して」と懇願するシーン
あそこのムービー中に射撃ボタンを押すことによって銃弾を発射でき、プレイヤーの意志でボスの命を奪うという能動体験をつくりだした小島監督は素晴らしすぎる
まず、当然のようにムービー中に射撃ボタンを押すことで銃弾を撃てますなんて説明はないんですよね。まあそんな説明があってもしらけるだけです
そしてムービーをただ眺めているだけだと一定時間経過後に自動で弾が発射されるという
あの場面のプレイヤーとスネークの重なりは言葉にできない
まずムービー中に射撃ボタンを押す事に気づくという発見、演出としてはプレイヤブルな場面に切り替わったよという効果音と描写があるから気づく人は気づくんですよねあれは
そして射撃したことによってボスを殺してしまったという罪悪感
二週目の同じシーン。プレイヤーはすでに射撃ボタンを押すことによってボスを自分の手で殺せるというのをすでに知っている
時間が来ればボスは自動で死ぬ。自分がボタンを押せばボスの死が少し早まる。それ以外にボタンを押すことのゲームの成果的意味合いはない
これ、押さざるをえないんですよね。あくまでも個人の印象ですが
あの時のユーザーはスネークです。何もしなくてもボスは死ぬ。ならせめて自分が引き金を引きボスの命を終わらせなければならない
それは義務であり、責務。ボスの命を自分の意志で奪うという十字架はプレイヤーが押さなければならない
この思いから自分は毎週ボスのシーンでは逡巡のあと自ら引き金を引いていました
もちろん、引き金を引かないというのも一つの選択です。ボタンを押せばボスが死ぬとわかった上で引けない人もいる
そしてそもそもムービー中に射撃できるという事を何週しても気づかない人もいる
それでいいんです
それがゲームにおける。ゲームだからこそなせる能動体験
その経験は受動よりも深く遊び手の心に根付き、おおげさに表現すればそのユーザーの思想、人生までをも変えうる
因みに自分はゲームというメディアは人の人生を変えうる素晴らしいメディアであると感じています
映画とゲーム、そこに優劣の差はなくどちらも等しく同じきメディアであると
因みにTPPではクワイエットのシーンでボスと同じように引き金を引ける演出があります
全く同演出で表現されているのがにくい
なおその時のシーン、ブログ主は絶対に引き金は引けません
何週しても同じ結果になるでしょう
ざっと表現すると、上記こそがゲームによりプレイヤーが誘導されている結果といえるでしょう
ゲームはプレイヤーを無意識に任意の方向へ誘導させ目標を達成させるメディアだと小島監督は同インタビューでも仰ってます
個人的には真の能動体験とはゲームにプレイヤーの行動が無意識に誘導され、しかしその誘導に抗いプレイヤーがはっきりとした個人の意思でまったく逆の行動をとってプレイするところであると思います
自分の意志で自分の無意識とは真逆の事を実行に移す。その瞬間に仮想世界は現実へと反転し、自己のアイデンティティまで動きうるのではないのでしょうか
ゲーム製作者がプレイヤーに仕掛けてくるS3計画。それに打ち勝つ瞬間に動的なパワーが生まれる
そしてそれは今までのゲームなら不可能であったが、PSVRならできる。その明確な未来が小島監督にはすでに見えている
今回のインタビューではそのような印象を持ちました
しかしPSVRと同時に発売されるようなミニゲーム集ではそれは敵わず、サマーレッスンでも、今の表現レベルのFALLOUTがVR対応になってもそれは叶わないんですよね
今の技術力レベルのFALLOUTがVR対応となれば、それだけで既存のゲームはどれもVRFALLOUTに敵わないような次元のレベルになるでしょう
しかし単純な没入間ではない
没入間の一歩先にあるユーザーの心の奥までも侵しうる表現力の可能性
今の小島監督が目指しているVRはそれです
以上、いつにもましてまとまらない文章ですがインタビューを呼んで思ったことは終わりです
以下、つらつらと書きます
小島監督は常に上しか見ていない。そのために物理的に障害にぶち当たってその理想に及ばなくとも、凡人が目指す最高峰レベルの域には気づいた時にはもう達している
SEの効果音一つとっても満足がいくまで何百と取り直す
そして小島監督色のゲームができるのは自分がすべてに関わるからだという。監督というのはゲーム業界では小島監督以外存在しないし、そもそも存在できない
分業ではなく、トップダウンでもなく。すべての要素に自分を偏在させる
それが為せるからこそここまで異才で鬼才な作品が完成し、ユーザーの心を変えるゲームが生み出せる
ここまでの人物は日本には小島監督しかいない
自分の意見を全体に通すコミュニケーション能力の高さ、指揮力、先を見据えるヴィジョン、何よりもセンス
実は小島監督自身にはこれぞ小島監督というべき独特のオリジナリティはそこまで色濃い物はもってはいないと思われる(個人の意見です)
今まで観てきた映画、読んできた書物、人生経験、日本に限らない世界レベルの知識。それらを持ち合わせているからこそ、その引き出しの多さ。その出せる色の組み合わせでいかにユーザーの心に色を塗るか。そういったところで勝負をかけてきている人に思えます
ある作曲家で、最近の作曲家には完全に新しいオリジナルの曲を生み出せるものはもう存在できないと語る人がいます
何故なら長い音楽史の中ですべてのオリジナルはすでにもう出尽くしているために新しいものをつくろうにも作れないと
それならば既存のモノを掛け合わせてそれをどのように今の受け手に響くように作るか
そこが作曲家の本分であると述べています
あらゆる創作においてもうオリジナルは出尽くしています。例えば文学作品で言うと平安時代あたりですでにもうネタは出尽くしている節もあります
平安時代ですでにタイムスリップネタだの、腐女子なんて存在や男の娘なんてものまで出来上がっていますからね
人が生み出せるオリジナルは人である限りある程度は限界が限られている
仮に人の枠をはみ出た鬼才が全くのオリジナルを生み出したとしても、その質は常人が理解できる範疇を越えているために理解も評価もされず朽ちていくのみ
小島監督作品にも演出それ単体でまったくこれが長い人類史初出だというものはおそらくはないかと思われます
小島監督は常人であるが常人の枠をはみ出さないレベルで、或は常人にも響きうるレベルで鬼才・天才なために我々にもメッセージが明確に届きうるのだろうと思います
ああ、なんだか書きたいことはあるのだけどそれが上手く文章にできない
この感覚は久しぶりです
長くなりましたのでまとめると
小島監督最高です!これからもゲームづくりをよろしくお願いします!!
一生ファンであり続けます!!!!!!
ということです
追記
そうか
PSVRならソシャゲーに勝てる
今の停滞気味なコンシューマー業界に一石を投じ、初めてプレイステーションがゲーム機として登場し業界に革命を起こした時のように
その可能性を小島監督は見ているんでしょう
ソシャゲーなんて糞は早く淘汰されて欲しいですね
過去の記事でもさんざん書いてますがブログ主はソシャゲーは嫌いです
あれはビデオゲームファンが楽しめるべきゲームではないと思います
ソシャゲーはVRの次元にはついていけませんからね
そのうちAR対応ソシャゲーのようにVR対応のソシャゲーも出てくるとは思います
しかしVRはVRにするだけじゃダメ
その更に先に行くためにはケータイ電話じゃマシンスペックが圧倒的に足りないですからね
注意 いつにも増して小島監督信者のブログ主が狂信者じゃないかこれ?というレベルで小島監督を持ち上げています
ああ、小島秀夫監督のゲームづくりに対するその姿勢、在りかた…一生小島監督のファンであり続けたいと思います
今の日本に果たしてここまでの思想を持ち、体現してきた作り手が果たして何人いるか
大望をもったクリエイター気質の作り手はたくさん存在します。しかしいずれも実績が伴わない方がほとんど
そういった方々のインタビューやそのほかユーザーへ向けた声を聴くにあたって、その言葉の持つ信頼性、説得力というものは嫌に薄く我々には届きにくいんですよね
未来を見据えた視野を持ち成功をし続ける、ビジョンを明確に持ちすべて形にしていく。成功しようと努力し本当に成功させてしまう。本当に小島監督は素晴らしい方だと思います
未来を見れないものには緩やかな死が訪れるのみ。今のコナミは現在と過去しか見れていません。いずれゲームメーカーとしてのコナミは死ぬことでしょう
今回はコナミに対するネガキャンは無しです。小島監督のインタビュー記事に対する感想のみを書きます
コナミ退社後、小島監督は一度ゲームづくりから離れることも考えたようですね
しかし世界はそれを望んでいなかった。小島監督に常に一番先を走り続けてほしかった。ブログ主も小島監督には生涯ゲームづくりに励み続けてほしいと考えています
小島監督がゲームをつくる意味合いは一種のファンに対しての義務のような側面も持ち合わせています
常に120%…よりよいものを作り続けてきた小島監督に止まってほしくない
小島監督はゲームを能動体験が可能な唯一のメディアと評しています
これは一般論でもよく言われますね、映画が受動に対してゲームは能動であると
自分自身の体験であるからこそその体験は映画にも勝りうると
過去の小島監督のインタビュー記事では彼は自分の創ったゲームをもうすこしあえて卑下して表現していました。MGS2~3発売時期あたりですね
ゲームというのは最終的には暇つぶしの域のものであると。そのうえで時間を無駄にするのではなく自分の創ったゲームをユーザーに体験してもらい「なにか」を感じ取ってほしいと
感じ取った何かを些細な事でもいい、これから先の自分の人生に活かせるような変化を少しでも自分の創ったゲームをプレイしたユーザーに与えたい。そういったニュアンスですね
PWあたりまででもそうです。含みのある言い回しではあったのですが自分のゲームを説教ゲーと下手に出て、ユーザーの心の何かを変えたい。そういった印象の表現をされていました
それがTPPからデスストランディングの時期には、ゲームというメディアは一流のメディアであるという意識をもって世間に表現してきている印象です
言うまでもなく小島監督はMGS1の頃からもっと言えばポリスノーツの頃から、自分のゲームは超一流で人の心を動かせて当たり前という意識をもってゲームづくりをしてきたことは言うまでもありません
それを最近になって大っぴらに豪語できるようになったのはこれまでの実績、コナミを退社したから、ゲームというジャンルが世界でも一流メディアとして評価されるべき地盤が整ったから、様々な理由が考えられますがPSVRの登場も大きな理由となるのでしょう
これまで夢物語でしかなかった仮想現実の実現。小島監督は早くもすでにVRが歩むべき未来とVRを使った表現でユーザーを楽しませるヴィジョンがもうすでに見えています
VRなら映画に勝てる。TVに勝てる。ゲームというメディアは新たな次元に立てる。そういった確信があるのでしょう
まだPSVRで現在発表されているゲームというのは本当にミニゲームレベルのモノばかりです
因みにブログ主もソニーストアで体験会のあとにPSVRを予約しましたが
まだ現状PSVRというものが、仮想現実がどんなものかをさわりだけ体験できるようなものしかありませんね
小島監督はもうVRを使った人の心の動かし方がみえているかと思われます
例えば一人称視点が売りのFALLOUTシリーズが完全にVRに対応したならばそれはとても画期的で感動的な体験を味わうことになるでしょう
でも単純にリアリティ、没入感を増すだけのことならどんなクリエイターでもやってのけます
仮想現実をどう利用し遊び手の心を変えていくか
小島監督はなにもない真っ暗闇の中ユーザーを30分間またして結局なにも無かった、というような案を冗談めいて述べていますが
それもまたユーザーの心を動かしうる表現の一つ
ああ、久しぶりに自分の考えがまとまらなくなってきた。思っていることはたくさんあるのにそれをなかなか言葉にできない
話をいったん切り替えます
ゲームは能動。映画は受動とよく表現されます
小島監督作品の中で一番心に訴えかけられた能動表現の一つを上げるとするならば、それはMGS3オオアマナの花畑でザ・ボスの射殺をユーザーに委ねるシーン
ボスがスネーク(プレイヤー)に対して「殺して」と懇願するシーン
あそこのムービー中に射撃ボタンを押すことによって銃弾を発射でき、プレイヤーの意志でボスの命を奪うという能動体験をつくりだした小島監督は素晴らしすぎる
まず、当然のようにムービー中に射撃ボタンを押すことで銃弾を撃てますなんて説明はないんですよね。まあそんな説明があってもしらけるだけです
そしてムービーをただ眺めているだけだと一定時間経過後に自動で弾が発射されるという
あの場面のプレイヤーとスネークの重なりは言葉にできない
まずムービー中に射撃ボタンを押す事に気づくという発見、演出としてはプレイヤブルな場面に切り替わったよという効果音と描写があるから気づく人は気づくんですよねあれは
そして射撃したことによってボスを殺してしまったという罪悪感
二週目の同じシーン。プレイヤーはすでに射撃ボタンを押すことによってボスを自分の手で殺せるというのをすでに知っている
時間が来ればボスは自動で死ぬ。自分がボタンを押せばボスの死が少し早まる。それ以外にボタンを押すことのゲームの成果的意味合いはない
これ、押さざるをえないんですよね。あくまでも個人の印象ですが
あの時のユーザーはスネークです。何もしなくてもボスは死ぬ。ならせめて自分が引き金を引きボスの命を終わらせなければならない
それは義務であり、責務。ボスの命を自分の意志で奪うという十字架はプレイヤーが押さなければならない
この思いから自分は毎週ボスのシーンでは逡巡のあと自ら引き金を引いていました
もちろん、引き金を引かないというのも一つの選択です。ボタンを押せばボスが死ぬとわかった上で引けない人もいる
そしてそもそもムービー中に射撃できるという事を何週しても気づかない人もいる
それでいいんです
それがゲームにおける。ゲームだからこそなせる能動体験
その経験は受動よりも深く遊び手の心に根付き、おおげさに表現すればそのユーザーの思想、人生までをも変えうる
因みに自分はゲームというメディアは人の人生を変えうる素晴らしいメディアであると感じています
映画とゲーム、そこに優劣の差はなくどちらも等しく同じきメディアであると
因みにTPPではクワイエットのシーンでボスと同じように引き金を引ける演出があります
全く同演出で表現されているのがにくい
なおその時のシーン、ブログ主は絶対に引き金は引けません
何週しても同じ結果になるでしょう
ざっと表現すると、上記こそがゲームによりプレイヤーが誘導されている結果といえるでしょう
ゲームはプレイヤーを無意識に任意の方向へ誘導させ目標を達成させるメディアだと小島監督は同インタビューでも仰ってます
個人的には真の能動体験とはゲームにプレイヤーの行動が無意識に誘導され、しかしその誘導に抗いプレイヤーがはっきりとした個人の意思でまったく逆の行動をとってプレイするところであると思います
自分の意志で自分の無意識とは真逆の事を実行に移す。その瞬間に仮想世界は現実へと反転し、自己のアイデンティティまで動きうるのではないのでしょうか
ゲーム製作者がプレイヤーに仕掛けてくるS3計画。それに打ち勝つ瞬間に動的なパワーが生まれる
そしてそれは今までのゲームなら不可能であったが、PSVRならできる。その明確な未来が小島監督にはすでに見えている
今回のインタビューではそのような印象を持ちました
しかしPSVRと同時に発売されるようなミニゲーム集ではそれは敵わず、サマーレッスンでも、今の表現レベルのFALLOUTがVR対応になってもそれは叶わないんですよね
今の技術力レベルのFALLOUTがVR対応となれば、それだけで既存のゲームはどれもVRFALLOUTに敵わないような次元のレベルになるでしょう
しかし単純な没入間ではない
没入間の一歩先にあるユーザーの心の奥までも侵しうる表現力の可能性
今の小島監督が目指しているVRはそれです
以上、いつにもましてまとまらない文章ですがインタビューを呼んで思ったことは終わりです
以下、つらつらと書きます
小島監督は常に上しか見ていない。そのために物理的に障害にぶち当たってその理想に及ばなくとも、凡人が目指す最高峰レベルの域には気づいた時にはもう達している
SEの効果音一つとっても満足がいくまで何百と取り直す
そして小島監督色のゲームができるのは自分がすべてに関わるからだという。監督というのはゲーム業界では小島監督以外存在しないし、そもそも存在できない
分業ではなく、トップダウンでもなく。すべての要素に自分を偏在させる
それが為せるからこそここまで異才で鬼才な作品が完成し、ユーザーの心を変えるゲームが生み出せる
ここまでの人物は日本には小島監督しかいない
自分の意見を全体に通すコミュニケーション能力の高さ、指揮力、先を見据えるヴィジョン、何よりもセンス
実は小島監督自身にはこれぞ小島監督というべき独特のオリジナリティはそこまで色濃い物はもってはいないと思われる(個人の意見です)
今まで観てきた映画、読んできた書物、人生経験、日本に限らない世界レベルの知識。それらを持ち合わせているからこそ、その引き出しの多さ。その出せる色の組み合わせでいかにユーザーの心に色を塗るか。そういったところで勝負をかけてきている人に思えます
ある作曲家で、最近の作曲家には完全に新しいオリジナルの曲を生み出せるものはもう存在できないと語る人がいます
何故なら長い音楽史の中ですべてのオリジナルはすでにもう出尽くしているために新しいものをつくろうにも作れないと
それならば既存のモノを掛け合わせてそれをどのように今の受け手に響くように作るか
そこが作曲家の本分であると述べています
あらゆる創作においてもうオリジナルは出尽くしています。例えば文学作品で言うと平安時代あたりですでにもうネタは出尽くしている節もあります
平安時代ですでにタイムスリップネタだの、腐女子なんて存在や男の娘なんてものまで出来上がっていますからね
人が生み出せるオリジナルは人である限りある程度は限界が限られている
仮に人の枠をはみ出た鬼才が全くのオリジナルを生み出したとしても、その質は常人が理解できる範疇を越えているために理解も評価もされず朽ちていくのみ
小島監督作品にも演出それ単体でまったくこれが長い人類史初出だというものはおそらくはないかと思われます
小島監督は常人であるが常人の枠をはみ出さないレベルで、或は常人にも響きうるレベルで鬼才・天才なために我々にもメッセージが明確に届きうるのだろうと思います
ああ、なんだか書きたいことはあるのだけどそれが上手く文章にできない
この感覚は久しぶりです
長くなりましたのでまとめると
小島監督最高です!これからもゲームづくりをよろしくお願いします!!
一生ファンであり続けます!!!!!!
ということです
追記
そうか
PSVRならソシャゲーに勝てる
今の停滞気味なコンシューマー業界に一石を投じ、初めてプレイステーションがゲーム機として登場し業界に革命を起こした時のように
その可能性を小島監督は見ているんでしょう
ソシャゲーなんて糞は早く淘汰されて欲しいですね
過去の記事でもさんざん書いてますがブログ主はソシャゲーは嫌いです
あれはビデオゲームファンが楽しめるべきゲームではないと思います
ソシャゲーはVRの次元にはついていけませんからね
そのうちAR対応ソシャゲーのようにVR対応のソシャゲーも出てくるとは思います
しかしVRはVRにするだけじゃダメ
その更に先に行くためにはケータイ電話じゃマシンスペックが圧倒的に足りないですからね
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