ゆるふわ日常系の物語で終わるシリーズかと思いきや、どうやらそれで終わらなさそうな匂いが立ち込めてきた3話
少し物語が動こうとしているのか、はたまた勘ぐりすぎなのか
リリ奈のエレン系女子加減が急上昇
壁の外に出たい欲求は、壁内に止まろうとする今の四国民に対する憎悪にも由来する
1番の原動力は母親なんだろうけども
おそらく、母親は四国外から来た異物として変化を望まない人々から排斥された
それが直接母親が亡くなる原因になったわけではないにしても遠因となった
ゆえに変化を求めない四国民を憎んでいる節すら見受けられる
これ、今の段階だとまだ可能性があるだけだけども
下手したらバーテックス教の先駆けとなる組織をリリ奈ちゃんは作ってしまうのでは?という不安が
最後の挿絵のリリ奈の表情がおよそヒロインのそれではない駆逐系女子特有のうちに秘めたモノを感じました
今回判明した新要素としては、リリ奈ちゃんの病弱。というか病持ち設定
たぶん母親が難病か奇病により没したために、娘のリリ奈もその疑いがあるのでは?ということで定期検診受けている感じか
創作モノの常として、こういう「前フリ」をしているシナリオは99%なんらかの病が発症してしまうというのが常です
「何もない」ならわざわざそんな描写を入れる必要がないですからね
リリ奈の本心は柚奈でさえわからない
もしかしたらリリ奈はそんなに長く生きられないかもしれない
リリ奈の想いを受け継いで柚奈がバーテックス教を立ち上げるのかもしれない
赤嶺組の時代には、大赦に歯向かう組織というのが存在した
だけど神世紀30年あたりのリリ奈柚奈の時代には、そういった「大赦に歯向かう組織」は影も形もない
30年〜70年あたりまでにそういった組織が自然発生した
と設定するよりかは
何らかの理由、流れによりそういった組織が出来上がるに至ったと設定する方が自然なのではないだろうか
その為に芙蓉友奈は勇者でない、は大赦に反発する組織が出来上がるまでを描くのではなかろうか?
ここにきて思い至る今作のタイトル
芙蓉友奈は「勇者でない」について
単純に、勇者に変身して戦うわけではないんだよ。という意味で
可愛い女の子がキャッキャウフフの百合百合するだけの話だよーという意味での、勇者でない
ではなく
その言葉の持つ意味
勇者とは正反対の存在になるが故に、「勇者でない」というタイトルが使われたのではないか?
柚奈の方へ視点を変えます
自分の友奈という名前に対する過大評価が辛かった
虎の威を借る狐でしかなかった自分に嫌気が差した
親や兄、妹の偉業に対し自分は何も持っていない事に対する劣等感
肉親の比較対象がそのまま友奈へスライドした、と
歴史書を読み過去の勇者が自分の身を犠牲にして世界を救ったことに対して
どんな高潔な精神を持っていればそんな事ができるんだ
そんな事ができるから勇者なのか?
とつぶやきます
ここにきて、すごく勇者たちの勇者らしさが浮き彫りになります
曰く、このシリーズの登場人物は勇者ではない「普通の人々」だそうです
「普通の人々」の視点を通して、勇者たちを見ることで勇者の本質が浮き彫りになります
別に西暦の時代の勇者たちは、自分の身を犠牲にして世界を救おうだの。勇者になる為に勇者になろうとしたのではない
大切な友達を守る為に、自分たちの住んでいる場所を守る為に戦った結果が後から勇者として評価されるに至った感じで
世界を守ることと大切な人を守ることは実はイコールではない
大切な人を守ることの中に世界を守ることが含まれていただけの話
そういった部分に、このシリーズの尊さを感じているんだなぁと思いました
そういった意味では楠芽吹は勇者に最終的になれたのだなと
鷲尾須美のイラストノベルによると
勇者とは猛き者を指すのではなく、大切なモノを守る為に強大な敵に立ち向かう勇ましい心を持つ者(かなりうろ覚え)
強いから勇者、なのではなく
怖いけど立ち向かえる者が勇者なのだと
一期1話の「怖い、痛い、、、でも大丈夫!」
友奈の震える心を奮い立たして敵に立ち向かう姿こそが勇者なんだろうな、と
リリ奈ちゃんの闇堕ちフラグ、そして柚奈がその志を受け継いでバーテックス教を設立するフラグが垣間見えた3話でした
スターウォーズでダースベイダーが誕生するまでを描くみたいな感じで
ただ、杞憂に終わりそうな感じもあるのでまだなんとも
そういえば今回登場した琴弾公演は観光ポスターで東郷さんが紹介していた場所でもあります
カップルのデートスポットとして有名らしい
つまりリリ奈ちゃんと柚奈はもはやカップルであると言って差し支えないのだろう(暴論
冷静に考えると、女の子二人。友達同士でデートみたいな事をしまくっているのでもはやカップ(ry
柚奈はリリ奈にバブみを感じる系の(ry