醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1415号   白井一道

2020-05-20 06:01:07 | 随筆・小説



  徒然草第238段 御随身近友が自讃とて



原文
 御随身近友(みずゐじんちかとも)が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例(ためし)を思ひて、自讃の事七つあり 。
一、 人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。暫し見給へ」とて立ち止りたるに、また、馬を馳す。止むる所にて、馬を引き倒して、乗る人、泥土の中に転び入る。その詞の誤らざる事を人皆感ず。

現代語訳
 御随身近友(みずゐじんちかとも)が自慢話として七か条を書き留めたことがある。皆、馬術に関する事ばかりでたいしたことではない。その例を思い、私にも自慢したいことが七つある。
一、多くの人を連れて花見をしたときに、最勝光院の辺りで男が馬を走らせているのを見て、「今一度、馬を走らせようものなら馬は倒れて、乗り手は落ちるであろう。暫し見て置け」と立ち止まっていると、また馬を走らせる。馬を留める所で馬を引き倒してしまい、男は泥土の中に転びこんだ。私の言葉が間違っていなかったことに皆は感嘆じた。

原文
 一、当代(たうだい)未だ坊におはしましし比、万里小路殿御所(までのこうじどのごしょ)なりしに、堀川大納言殿伺候し給ひし御曹司(みざうし)へ用ありて参りたりしに、論語の四・五・六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪ふことを悪む』と云ふ文を御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参らせ給ひき。かほどの事は、児どもも常の事なれど、昔の人はいさゝかの事をもいみじく 自讃したるなり。後鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首の中に悪しかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄(ずすき)穂(ほ)に出でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当りて本歌を覚悟す。道の冥加なり、高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。
九条相国伊通公(くでうのしやうこくこれみちこう)の款状(くわじやう)にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自讃せられたり。

現代語訳
 今上天皇がまだ春宮坊(とうぐうぼう)におられた頃、万里小路殿邸(までのこうじどのてい)が御所であった頃、堀川大納言殿が参上しご機嫌を伺っておられた部屋、御曹司(みざうし)に用があり私が参った折、論語の四・五・六の巻を繰り広げられて「ただ今、御所で『紫が朱を奪う事を憎む』という文をご覧になりたい思っておられたことがあり、御本をご覧になられても、探し出すことができなかったようだ。『なおよく探してみよ』と仰せられて、求められた」とおっしゃられた折に「九の巻のそこそこにある」と申されたので、『とても嬉しい』と、持ってこさせた。このようなことは、子供には常の事ではあるが、昔の人は小さなことも大事にすることを自慢していた。後鳥羽院の和歌に「袖と袂とが一首の中にあるのは悪いことでしようか」と、藤原定家卿にお尋ねになられたところ、「『秋の野の草の袂か花薄(ずすき)穂(ほ)に出でて招く袖と見ゆらん』とあるので、何の差支えがありましょう」とおっしゃられた事も、「大事な時に巡り合い典拠となる歌を覚えていた。歌の神様のご加護であり、運に恵まれた」など大げさに記述されている。
 九条相国伊通公(くでうのしやうこくこれみちこう)の上申書に格別な事もない題目も書き載せて自慢している。

原文
一、 常在光院(じやうざいくわうゐん)の撞き鐘の銘は、在兼卿(ありがねのきやう)の草(さう)なり。行房朝臣清書(ゆきふさのあつそんせいじよ)して、鋳型(いかた)に模(うつ)さんとせしに、奉行(ぶぎやう)の入道(にふだう)、かの草を取り出(い)でて見せ侍りしに、「花の外(ほか)に夕を送れば、声(こゑ)百里に聞ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(やうたう)の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉(たてまつ)りける。己れが高名(かうみやう)なり」とて、筆者の許へ言ひ遣りたるに、「誤り侍りけり。数行(すかう)と直さるべし」と返事侍りき。数行(すかう)も如何なるべきにか。若(も)し数歩(すほ)の心か。おぼつかなし。数行なほ不審。数(す)は四五也。鐘四五歩不幾也(かねしごほいくばくならざるなり)。たヾ、遠く聞こゆる也。

現代語訳
 一、常在光院(じやうざいくわうゐん)の撞き鐘の銘文は在兼卿(ありがねのきやう)が書いたものだ。行房朝臣が清書し、鋳型(いかた)に模(うつ)そうとした折、奉行の入道がこの銘文を取り出して見せてくれ、「花の彼方で夕べを送り、鐘の音は百里遠くまでとどく」という句がある。「この銘文は陽唐(やうたう)の韻を踏んでいるように思うが、百里では間違いではないか」とおっしゃられたら、入道は「よくぞお見せ下さった。私の手柄だ」と、筆者のところに言いやったところ、「私の間違いでした。数行書き直して下さい」と返事がありました。数行もどうしたら良いものやら。もしいくつかの言葉だったら。はっきりしない。数行の意味が分からない。数とは四五ぐらいということか。鐘の音が四つ五つはっきりしない。ただ遠く聞こえるだけである。

原文
一、 人あまた伴ひて、三塔巡礼(さんたふじゆんれい)の事侍りしに、横川(よかわ)の常行堂(じやうぎやうだう)の中、龍華院〈りようげゐん〉と書ける、古き額あり。「佐理(さり)・行成(かうぜい)の間(あいだ)疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり」と、堂僧ことことしく申し侍りしを、「行成ならば、裏書あるべし。佐理ならば、裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は塵積り、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、行成位署(かうぜいゐじよ)・名字・年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に入る。

現代語訳
人をたくさん連れて、比叡山延暦寺の東塔・西塔・横川を巡り礼拝することがあった折、横川の横川(よかわ)の常行堂(じやうぎやうだう)の中に龍華院〈りようげゐん〉と書いてある古い額がある。「藤原佐理(ふじわらすけまさ)が書いたのか、藤原行成(ふじわらいくなり)が書いたのか、分からず、未だに決していないと申し伝えられている」と、お堂の僧侶がものものしく話していた時「行成ならば裏書があるはず、佐理ならば裏書があるはずがない」と言うと、裏は塵が積もって虫の巣になり汚れているのを良く掃きぬぐい、各々を見ると行成署名、官位、年号がはっきり見ることができたので人は皆、感じ入った。

原文
一、 那蘭陀寺(ならんだじ)にて、道眼聖(だうげんひじり)談義せしに、八災と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化(しよけ)皆覚えざりしに、局(つぼね)の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。

現代語訳
 一、 那蘭陀寺(ならんだじ)で道眼聖が経典の講義をした折、人の心を乱す八つの災いがあるということを忘れて「これらを覚えているか」と言った時、弟子たちが皆覚えていなかったのに、聴聞の別席から「これこれでは」と言い出すと道眼聖は感心していた。

原文
一、 賢助僧正(けんじよそうじよう)に伴ひて、加持香水を見侍りしに、未だ果てぬ程に、僧正帰り出で侍りしに、陳(ぢん)の外(と)まで僧都見えず。法師どもを帰して求めさするに、「同じ様(さま)なる大衆(だいしゆ)多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。
現代語訳
 賢助僧正(けんじよそうじよう)にお伴して加持香水の儀式を見に行った折、まだ儀式が終わらないうちに僧正が帰り出て行かれたので真言院の外陣にも僧都は見えない。随行してきた法師どもをかえして探させると「同じような僧侶が多くて探すことができません」と言ってとても長い間たってから出て来たので「あぁ、困ったことだ。あなたが探してきてください」と言われたので儀式の会場に戻り、やがて連れ出してきた。

原文
一、二月十五日、月明き夜、うち更けて、千本の寺に詣でて、後より入りて、独り顔深く隠して聴聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人より殊なるが、分け入りて、膝に居かゝれば、匂ひなども移るばかりなれば、便(びん)あしと思ひて、摩り退きたるに、なほ居寄りて、同じ様なれば、立ちぬ。その後、ある御所様の古き女房の、そゞろごと言はれしついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉る事なんありし。情なしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心得侍れね」と申して止みぬ。この事、後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局の内より、人の御覧じ知りて、候ふ女房を作り立てて出し給ひて、「便よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、謀り給ひけるとぞ。

現代語訳
 二月十五日、月の明るい夜更けに千本釈迦堂にお参りしていると、後から入って来て、独り顔を深く隠してお経の講釈を聞いてる女性の容姿や薫りが抜きんでて、人より特別な人が分け入りて、私の膝に触れるので匂いなどがうつる状況なので、具合が悪いと思い、擦り退いたところ、猶すり寄って来て、同じような状況になったので、立ち上がった。その後、ある御所様に仕えた古い女房がとりとめもないことを言われたついでに「あなたをひどく無粋な方でいらっしゃったわとお見下げ致したことがありましたわ。つれないとお恨み申し上げる人がいるのです」と言い出したので、「全然何のことなのかわかりません」と話してそのまままになった。この事を後に聞いたことによると、かの聴聞の夜、お局の中からある方が私のいることをお見知りになって、お側の女官を聴聞者のように仮装させてお出しになり、「いい折があったら言葉でも言いかけるようにせよ。その時の様子を帰って後に申し上げなさい。面白いことであろう」と云いつけられて、私をお試しになったのだそうだ。


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