醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1365号   白井一道

2020-03-29 11:39:56 | 随筆・小説



   
 徒然草第189段今日はその事をなさんと思へど



原文
 今日(けふ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛(まぎ)れ暮し、待つ人は障(さは)りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩(わずら)はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もしかなり。
予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふぢやう)と心得ぬるのみ、実にて違はず。

現代語訳
 今日はその事をしようと思っていたけれど、思いもしなかった急ぎの用事に紛れてしまい、日が暮れてしまった。待っていた人は事情があって来てもらえず、用事の頼めない人がやって来た。頼みにしていた事とは違って、思いもよらぬ事ばかリがかなう。煩わしく思っていたことは特に問題もなく、簡単な事と思っていた事が心苦しい。日々、月日の過ぎ行くさまは、かねて思っていた事のようではない。一年もまたこのようなものだ。人の一生もまた同じようなものだ。
 かねて思っていたことのあらましは皆違っているのかと思っていたが、間違いなく違わないこともあるということは、いよいよ物事いうものは定め難いものだ。定まったものはないという事を心得る事だけが真実のようだ。


 我が闘病記19  白井一道
 早朝歩き始めて行き交う人の数の多さに驚いた。2、30人ぐらいのものだろうと思っていたが、数え始めた。およそ一時間、7000歩のウォーキングで行き交う人の数が100人を超えたことにびっくりした。数えてみると人の数の多さに驚いていた。五月、この季節がこの人の数の多さだったのかもしれない。女性と男性、どちらが多いのだろうと注意しているとやや女性の数が多いことに気付いた。特に老齢の女性が多いことに気が付いた。中には腰の曲がった女性が杖をもつかずに歩いている。行き交ったとき、私は「お元気ですね」と声をかけた。「歩かないと、腰が痛くなるんですよ。歩かないと駄目ですよ。歩くことです」と話し始める。いつ終わるのかと私は心配になった。立ち止まって話しかけたことを私は後悔していた。いつまで続くのだろう。心配になった私は「そうですか。失礼します」と言うと足早に彼女から離れ、歩き始めた。腰の曲がった老女が歩いているのは彼女だけである。きっと厳しい農作業、寒い西風の吹く中、だだぴろい耕地の草取りを一日中、若かったころはしていたのかなと想像した。私が子供だった頃は腰の曲がった老人をよく見かけたものだが、最近はほとんど見かけることのない腰の曲がった老婦人が一人、誰の助けもなく歩いている姿に人間の生きる力のようなものを感じていた。歩いている歩数は一万歩をもしかしたら越えているのかもしれない。
私が歩き始めたころはおよそ7000歩ほどだった。徐々に歩く距離を少しずつ伸ばして私の歩く歩数は一万一千五百歩になった。これ以上歩こうと思ったこともないし、歩いたこともない。私は一万一千歩で満足していた。腰を曲げ、歩いている老夫人から元気を頂き、私は気持ちよく歩いていた。ある時偶然、一緒に歩いた人がいた。彼は一万歩歩くのは大変だと言っていた。なかなか一万歩は歩けないとも言っていた。暑くて暑くて歩けないとも言っていた。しかし継続することが大事なんだよねと、言っていた。一万歩歩けなくとも毎日飽きることなく、八〇〇〇歩ぐらいであっても歩いていることが大事なんだとも言っていた。彼のような人がいる一方、朝も夕方も歩いている。朝も夕方も一万歩以上、二万歩以上歩いていると豪語した人もいる。彼は長い髪の毛にパーマをかけ、色とりどりのシャツを着て歩いていた。私は彼らとの挨拶に元気をもらい、歩いていた。歩いている最中は自分が脳梗塞を患った病人であることを意識することはなかった。確かに視野欠損しているのかどうか、意識することもなかった。ただ右目の右隅が暗くなってはいるが日常生活に不便することはなかった。歩くと元気になるような気持ちになっていた。歩くことが生きることのような気持ちになっていた。歩きながら古利根川の川沿いに俳句の句碑が立っていることに気が付いた。どのような句が詠まれているか気になりだした。

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