醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   44号   聖海

2014-12-29 10:36:02 | 随筆・小説

 短編小説
 
  居酒屋で聞き、見た三人の美魔女の話

 すみれは小学生だったころ、口を膨らませて思い切り息をガラスに吹き付けてはガラス窓を磨いた。放課後、大掃除の時の教室の窓拭きが楽しかった。毎日、掃除の時には窓拭きをすればいいのにと思ったものだ。ガラス拭きが鏡磨きに変わったが、鏡磨きをすると気持ちが若返る。磨かれた鏡に写る自分を見ているうちに物思いにしずんだ。家付き、カー付き、ばばぁーぬき、そんな男へのあこがれが山形の美容学校を卒業したときの仲間たちの合言葉だった。色白のすみれにとっての理想は三高だった。背が高い、学歴が高い、給料が高い、そんな男を彼氏にしたいと東京に出てきた。ゆりに声をかけてくる男には一人として三高の男はいなかった。楽しみといったら食べることだった。そのためかいつしか四十を超えるとコレステロール値が高い、血圧が高い、中性脂肪値が高い。この三高になった。
あーあー、いやなっちゃったな、と思う一方、少しでも顔が白く見えますようにと、祈りながら毎日鏡に息を吹きかけては鏡を磨くのを毎朝の日課にしているすみれがいた。顔が白く見えると心なしか喜ぶお客さんが多い。自惚れ鏡なんて云う人もいるが、美容院に来ては自惚れてほしい。綺麗に見えるようになれば、お客さんは私の腕だと錯覚する。お客さんが座る椅子に登り、鏡の前にある棚に膝をつき、おっかなびっくり鏡を磨くのだ。すみれが経営する美容室は窓が北向きに開かれている。一日中、日が射すことはない。そのかわり光が一日中変わることがない。美顔術を施すには打って付けの部屋だ。今日も三面ある鏡を一面ずつ磨き始めた。二面目の鏡に取り掛かった時だ、レジの脇に置き忘れた携帯電話が都はるみの歌のメロディーを奏でた。誰だろう、こんなに朝早く電話をかけて来るのはと思いながら、どっこいしょとひとりでに言葉が出た。足を伸ばし椅子を確かめ、ゆっくりゆっくり、自分に言い聞かせながら棚から降りた。
 携帯を取り上げ確認すると居酒屋をしているさくらだった。何だろう。
「おはよう、何」
「すみれちゃん、今日空いている時間ある」
「今から十時までだったら、空いてるわよ」
「あー、良かった。今からすぐ行くわ」
 そう言うなり、さくらからの電話は切れた。何事だろう。こんなに早く、今日は月曜日なのになぁー、と思った。さくらがすぐ来ると言ったので、鏡拭きは後回しにして、床掃除を始めた。ゴミを取っていると突然ガバッとドアが開いた。さくらはジーパンをはき、起きぬけの顔をして入ってきた。眼の回りの皺を弛ませたままこれ以上の笑顔はないような顔をして言った。
「髪をカットしてほしいのよ。それからゆるくパーマをかけて、セットしてほしいの」
「洗髪はするの」
「もちろんよ。白髪染めもしてほしいな」
「そんなに飾りたてて、なんなの」
「きのう、店を閉めようと思って片付けていたら、ガラッと戸が開くから、お仕舞いですよ、と言って振り返ったら、ナベが微笑んで立っているのよ。何なの、こんなに遅くと言ったのよ。そしたらね。黙って新幹線の切符を二枚差し出すの。だから何って言ったのよ」
「オカリナの演奏をするんだ」
「どこで」
「琵琶湖の畔にある酒蔵でオカリナの独奏をするんだ」
「へぇー、いつ」
「明後日」
「その演奏に行こうというの」
「うん、そうだよ。俺のオカリナ演奏を聞かせたいと思ってね。ホテルももう二人分予約しておいたよ」
「こういうわけなのよ」
すみれはニコニコしどうしだった。
「いつ行くの」
「今日、午後の新幹線で京都まで行くのよ」
「今日は京都で泊まるのね」
「そうなのよ。明日、酒蔵に行くの。京都から四・五十分ぐらいで行くらしいわ」
「さくらちゃん、いいわね、私も今頃の京都に行ってみたいわ」
「そうね、来年はゆりちゃんを誘って三人で行こうよ」
「ほんとうね、いつもさくらちゃんは口ばっかしで、遊びに行くのはいつもナベちゃんとばっかり」
「そんなことないわよ、網走までカニをゆりちゃんと三人で食べに行ったことあったじゃない」
「もう五年も前のことだわ。さくらちゃんにもゆりちゃんにも彼氏がいていいわね」
「すみれちゃんにもいたじゃない」
「もう十年もいないわ」
「そんなことないんじゃないの、板金屋のウーさん、すみれちゃんにご執心だったじゃない」
「あー、気持ち悪い、そんな話、やめてよ。まだ、さくらちゃんの店にもウーさん来ているの」
「うん、たまに来るわね。来るとき、電話してきて、すみれ来ているなんて言うときあるわよ」
「あのハゲ、けっこうしつこいのよね。私、奥さんのいる人って、いやだわ。ナベちゃんは独り者だから、さくらちゃんはいいじゃないの」
「でもずっと子どもさんに毎月仕送りを滞りなくしているのよ」
「でも奥さんがいないというのはいいじゃない」
「確かに気を使うことないわね」
「そろそろ一緒に住み始めたら」
「私もそう思うんだけど、ナベが別々の方がいいと言うのよ。ナベ、朝が早いでしょ、独身生活が二十年近くになるでしょ、一人の方がいいみたいだわ、心配じゃないの」
「全然、心配してないわ、だって、全然夜の方は弱いんだもの」
そんな話をしているうちにセットが終わると飛んでさくらは帰って行った。すみれはまたほとんど使うことの無い鏡を棚に上り、磨き始めた。鏡を磨いているとすみれの心は落ち着いてくる。残っていた鏡を二面磨き終わると十一時になった。今日は西村のおばぁちゃんを迎えにいく日だ。一人住まいの西村さんは月に一回、すみれ美容室に来るのを楽しみしていてくれる。七十代の後半になる西村さんの家は和風の趣のある一軒家に一人で住んでいる。門を入るとまるで茶室に向うようなアプローチである。三年ぐらい前までは一人で乳母車を押してすみれ美容室まで近所に住んでいるお姉さんと一緒にやってきたが、お姉さんが亡くなると国道四号線を渡るのが怖いと家に閉じこもるようになった。すみれは軽自動車に乗って西村さんを迎えに行った。
「西村さん、こんにちわ、すみれです」
「すみれさん、すみれさん、いつも迎えに来ていただいてすみませんね。待っていたんですよ」
「ありがとうございます。西村さんは私にとってはとても大事なお客さまですから」
「ありがたいですね、こうして迎えに来てもらえるんですから」と腰を曲げて挨拶してくれた。
すみれは西村さんの手を引き、御影石の飛び石をつ
たってゆっくりと門を出た。後ろの席に西村さんを乗せ、発車させるとすみれは西村さんに話しかけた。
「西村さん、今日は白髪染めとカットでしょうか」
「そうですね、洗髪もお願いしますよ、明日、句会がありますからね」
「そうでしたね、いつも句会の前でしたね、今回は何か、いい句ができましたか」
「いやいや、他人(ひと)にはなかなか伝わりませんから、どうでしようか」
「去年の寒くなってくる頃だったかしら、西村さんが詠まれた句を私、覚えていますよ。『石(つわ)蕗(ぶき)や終(つい)の栖(すみか)は四畳半』だったかしら。何か、私、胸に沁みるものがあったわ。私なんか、団地の狭い部屋に住んでいるので分かります。山形の田舎から出てきて三十年近くになるけれども、いつまでたっても、団地から抜け        出せません。まさに『終(つい)の栖(すみか)』は四畳半だわ、私にもこんな句ができるといいんだけど、西村さんはこんな立派な家に住んでいるんでしょう、四畳半ということにはならないわ」
「そう、思う。本当はこの句、姉がK市に小さな家を建て引っ越したとき、姉が住むようになった部屋を見て私が詠んだ句のなのよ、姉の嫁いだ家は、県の重要文化財に指定されたような大きな民家だったのよ、庭には船も浮かべられるような大きな池があってね、家の周りには構え掘りが廻り、長屋門のある家だったのよ、けれども、農地解放があったでしょ、義兄さんは本当の旦那様だったから、全然農業の仕事をしない人だったのよ、だから姉は小作から田を取り返し、少しでもと土地を守ったのよ、だから今でも近所では、姉を悪く言う人がいるわよ、義兄さんはいつ行っても、ニコニコしてお茶をいれてくれて、本当にいい人だった、長男が高校の先生になってね、お嫁さんをもらって、一緒に暮し始めたんですけど、お嫁さんも同じ高校の養護の先生をしていたのよ、ある日、お嫁さんが家に帰ってこなくなっちゃったのよ、そしたら、長男までも家を出て行ってしまってね、義兄さんが亡くなって、長男に家に帰って来てくれるように頼んだんだけれども、それだったら、長男のお嫁さんが離婚すると言ったのよ、そんなに私が嫌ならと、姉さんは怒って、家の敷地を残して土地を実家の兄さんに買ってもらって、新しく便利なところに土地と家を買って、嫁いだ家を出てきたのよ、長男夫婦に家を継いでもらうために、姉は家を出たのよ、本当に辛くて、悔しかったと思うわよ、そんなことがあってね、新しい家の庭の隅に嫁家にあった石蕗を植えたのよね、その石蕗に黄色い花が咲いたのを見て、『これがまあ終の栖か雪五尺』という小林一茶の句があるでしょ、それを真似てね、詠んだ句が『石(つわ)蕗(ぶき)や終(つい)の栖(すみか)は四畳半』という句だったのよ、本当に姉の昔の家と比べたら、侘しい住いだったわ、この句には姉の哀しみが籠っているのよ」
「あー、そうだったんですか」
「そうなのよ、ここが『私の終の栖』になったわと姉が言った言葉を聞いて、私が詠んだ句のなのよ、今の句会に入る前に詠んだ句だけれどもね、昔の句帳を見ていたら、姉を思い出してね、それで投句してみようと思ったのよ」
「そうですか、高得点の句だったと聞いたような気がするわ」
「そうだったかしらね」
西村さんの長い話を聞いているうちに、すみれ美容室に到着した。白髪染めと洗髪をし、柔らかく首、肩、背中を揉み、マッサージをすると西村さんは生き返ったと言ってくれた。すみれは西村さんを自宅まで車で送って行った。帰りスーパーにより、昼食のおにぎりと胡瓜の糠漬けと夕食の弁当を買った。美容室に戻ると午後一時を過ぎていた。すみれはさっそく、胡瓜の糠漬けを洗い、まな板でトントンと切り、おにぎりで遅い昼食をとった。食べ終わると客用の椅子に腰掛け、休んでいるうちについウトウトしてしまった。気がついてみると二時を過ぎている。いけない、もうそろそろ花屋をしているゆりの来る時間だ。昼食の後片付けをしているとゆりがうつむきかげんに入ってきた。
「ゆりちゃん、どうしたの」
「どうしたも、こうしたもないわよ」
「何か、深刻な事態でも起こったの」
「和(なごみ)会館の支配人をしていた高ちゃんが奥さんと凄い喧嘩をしたみたいなのよ、それで私の処に転がり込んできてね、それに気づいた造園屋の鳶さんが怒りぬいてね、高ちゃんを殴ってしまったのよ、私が悪いんだけど、先週の土曜日、雨が降ったじゃない、それで鳶さんの仕事が無かったものだから、パチンコに行った帰りうちに寄ったのよ、一瞬ドキッとしたのよ、高ちゃんは仕事に行っていなかったんだけれどもね、男物の下着がベランダに干してあったのを見て、誰のなんだ、と問い詰められてしまったのよ、鳶さんも高ちゃんのこと知っているじゃない、それで、高ちゃんのよ、と言ったのよ、高ちゃん、奥さんに家を追い出されたというから、可哀想じゃない、それでしばらくうちに居ればと言ったのよ」
すみれが心配そうにゆりを見つめているとゆりは
話し始めた。
「高はここに泊まっているのかと、鳶さんが言うから、高ちゃんは家に帰ったわと、言ったのよ。どうしてここに高の下着が干してあるんだと言うから、奥さんが高ちゃんのものを洗濯してくれないというから、私が洗濯してあげたのよと、言ったら、鳶さんは納得しなかったみたいで、私を引っ叩いたの。ごめんね、許して、私が悪かったわと、泣いて言ったら、鳶さんが出て行ったきり、もう一週間も来ないのよ。すみれちゃん、どうしたらいい」
ゆりは泣きながらすみれを見た。
「ゆりちゃん、高ちゃんと鳶さんのどっちが好きな
の」
「そんなの無理よ。どっちも好きよ。どっちとも別れられないわ」
「高ちゃんはイケメンだしね。鳶さんは気風がいいからね。でも鳶さんの方かしらね。懐が温かいのは。高ちゃんはゆりちゃんの他にも女がいるんじゃないの」
「私にも高ちゃんの他に鳶さんがいるんだから、高ちゃんが私の他に女がいてもいいわ。私を大事にしてくれているもの。それでいいのよ。私からお金を取るようなこと今まで一度もなかったわ。それでいいのよ。鳶さんが高を認めてくれればそれでいいのよ。だって、高は私に鳶さんがいてもいいと言ってくれているのよ。高は優しいと思わない。心が広いと思うのよ」
「私には男がいないのよ。ゆりには二人も男がいていいわね。羨ましいわ。高ちゃんは狡いのよ。ただ弱々しいだけだと思うわ」
「そうかしら、私は優しいんだと思うわ、そりゃ、私を独占したいと思う気持ちはあるとは思うわ、でも、私のわがままを許してくれているんだと思うのよ」
「そうかしら、男だったら、一人の女を独占したいと思うのが当然だと私は思うわ。鳶さんは男なのよ。高ちゃんはゆりを遊んでいるだけじゃないの。自分の女が他の男に抱かれて平気だというが私には分からないわ」
「すみれちゃんだって、昔、奥さんのいる人と付き合っていたじゃない。すみれちゃん、自分の男が他の女と寝ていて平気だったの。そうじゃないでしよ。年下の人だったわね」
「そう、だから別れたのよ。私は嫌だったの。お金は全部、奥さんに入れていたのよ。私が彼との生活費は全部出していたのよ。それが嫌になっちゃったのかしらね。高ちゃんはお金は出してくれいるの」
「高ちゃんは奥さんとの生活も大事にしたいと言って、給料は奥さんに渡しているのよ。私は高ちゃんのその気持ちは分かるのよ。だから私との付き合いを奥さんが認めてくれたらいいのよ、そう思わない」
「ゆりちゃん、甘いわ。鳶さんはお金を出してくれているのよね。鳶さんが怒るのは当然じゃない」
「高ちゃんは仕事をまわしてくれているわ。和会館の結婚式に飾る花はすべて私に注文してくれているのよ。だから実質的にはお金をくれていると変わらないわ」
すみれはゆりのわがままを断固として理解しなかった。ゆりは俯いたまますみれ美容室を出て行った。
数日後、すみれがさくらの居酒屋に行くとニコニコしたゆりがいた。高ちゃんと鳶さんに挟まれてゆりがいた。高ちゃんも鳶さんも仲良くおしゃべりをしている。焼酎のお湯割りを一口飲むと高ちゃんがマイクを握り、『赤いグラス』を歌いだした。鳶さんはゆりの手を取るとチークダンスを始めた。すみれは鳶さんとチークダンスをしているゆりを見て、あっけにとられていた。

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