醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1143号   白井一道

2019-08-02 12:47:18 | 随筆・小説


   秋近き心の寄りや四畳半   芭蕉  元禄7年



句郎 「秋近き心の寄りや四畳半」元禄7年。『蕉翁句集』。この句には前詞がある。「元禄七年六月二十一日、大津木節庵にて」。
華女 木節とは、何をしていた人なのかしら。
句郎 大津の医師のようだ。
華女 木節庵に何人か、集まり俳諧を楽しんだね。
句郎 芭蕉、木節・維然・支考が集まり、四吟歌仙を楽しんだ。
華女 歌仙の発句が芭蕉の「秋近き心の寄りや四畳半」だったのね。
句郎 この発句には異型の句が伝わっている。その句が「秋近き心の寄るや四畳半」だ。
華女 「心の寄り」と「心の寄る」の違いね。
句郎 華女さんはどちらの方がいいと思う?
華女 そうね。私だったら、そうだな、「心の寄り」かな。その理由は説明できないわ。句郎君はどちらがいいと思っているのかしら。
句郎 調べてみたんだ。校注者、中村俊定の岩波文庫『芭蕉俳句集』には「心の寄や」として「寄」に「よる」とルビがふってある。『赤冊子草稿』には「寄り」とあるようだ。
華女 「寄る」は動詞の終止形よね。「寄り」は連用形が名詞化したものね。
句郎 俳句は名詞の詩。短歌は動詞の詩というような話を聞いたことがある。
華女 芭蕉の句に名詞を並べただけで立派な俳句になっている句があるわね。
句郎 「奈良七重七堂伽藍八重ざくら」かな。見事に奈良の街が表現されている句だと思うな。
華女 そうよね。「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」。この句もほぼ名詞だけを並べただけの句に近いわね。
句郎 その句は人に知られた芭蕉名句の一つみたいだからね。
華女 「乾鮭も空也の痩も寒の中」。名句の誉れ高いこの句もほぼ名詞だけね。
句郎 言葉の持つ力を発揮しているのは名詞なのかもしれないな。
華女 語順とか、組み合わせによって力を発揮するということね。
句郎 「心の寄る」という言葉より「「心の寄り」という言葉の方に力があるように感じるな。
華女 そうなのよ。だから私は「心の寄るや」ではなく、「心の寄りや」の方が良いように感じたのかもしれないわ。
句郎 「四畳半」という言葉が表現する意味内容をこの句は十二分に言い表しているね。
華女 人は狭い所に集まると温もりと安心感のようなものが出てくるのよね。
句郎 立っていたのでは親近感のようなものは出てこない。膝を交えて座ると親近感が増してくるように感じるな。
華女 立食パーティーも増えてきているけれども宴会は和室よね。
句郎 四畳半の茶室で芭蕉を迎えて木節は俳諧の歌仙を巻いた。時間をかけて俳諧を詠みあったのだからもちろんお酒も出ていたように思うな。
華女 俳諧はお酒の肴でもあったということね。
句郎 俳諧は人々が寄り合う遊びだったからな。
華女 今、気づいたわ。「秋近き心の寄るや四畳半」と詠んだ場合は、「秋近き」と「心の寄るや」との間に半白の切れが出てくるように感じたわ。「秋近き心の寄りや」とした場合には「秋近き」と「心の寄りや」との間に切れがないように感じたわ。
句郎 なるほどね。「秋近き心の寄りや」は一塊の言葉になっているということかな。
華女 そうなのよ。この句は「秋近き心の寄りや」と「四畳半」との取り合わせの句なのよね。秋の気配を詠んでいるわね。
句郎 「秋近き心の寄るや」と詠んだ場合は「秋近き」と「心の寄るや」との間に半白の切れが生じ、三句切れの句になる危険性があるということかな。
華女 三句切れの句になると読者への説得性が欠けるから三句切れは避けられてきたのじゃないかしら。
句郎 何を詠んでいる句なのかが明確に読者に伝わらないから三句切れの句は避けられてきたということかな。
華女 私、確信が持てたわ。この句は「秋近き心の寄りや四畳半」に決まりよ。