醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 167号  聖海

2015-05-01 11:22:42 | 随筆・小説
 
 ブログ原稿167号
  芭蕉葉を柱に懸けん庵の月  元禄五年(1692) 芭蕉49歳
  ばしようはをはしらにかけんいおのつき

 門人たちが何もない庭に芭蕉を植えにやってきてくれた。門人たちにも私にも胸中、何もない。これこそが貴い。純粋な真心が至上のものだ。才能のあるものは智が働き、狡くなる。だから無能な者がいい。聡い者は人を見下す。だから無智な者がいい。自分の土地に自分の住いを持つ者は自分の土地と住いに強い執着を持つ。心が羽ばたかない。だから、どこにも住いが無い方がいい。何にも依存するものを持たない方がいい。何にも執着しない方がいい。こう思ってはみても、私のような軟弱な者にはこの厳しさに耐えることができるだろうか。こんな気持ちを持ったままぐずぐずしていると、突然つむじ風が吹き出すように漂泊の願いが湧き起こり陸奥(みちのく)、出羽へと旅立ってしまった。それから足かけ三年を経て、再び無事に江戸に戻ることができた。この間の旅を思い出しては幾度、泪を流したことだろう。
 江戸に戻ると既に杉風(さんぷう)さんや枳風(きふう)さんが住いを心がけてくれていた。住いは曾良さんや岱水(たいすい)さんの趣向で作られていた。北側は風を防ぐよう壁が作られ、南側は納涼できるように戸を開くことができる。池の周りには竹の手すりが拵えてある。名月を愛でることができるようにとの配慮である。初月の夕べから雨が降っても厭わず、雲に空が被われても、皿や鉢にいれた肴を届けてくれる。米櫃にはコメがこぼれるほどである。酒は徳利に満ちている。庭には竹が植えられ、竹垣のようになっている。その周りには木が植えられて、やや隠れ家のようである。猶、名月の装いにと芭蕉を5本植えてくれた。その葉は7尺もある。琴を隠してしまうほどの大きさだ。風は鳳凰の尾を動かすようだ。雨は青龍の耳に入っていくようだ。芭蕉の新しい葉は大きく伸びていく。懐素(かいそ)上人が筆を持って書き始めるをまっているかのように芭蕉の葉は開いていく。
私は特に何もせず、ただ芭蕉の蔭で風雨に壊されないよう安心して住まえることに喜びを感じている。
 芭蕉の葉を柱に懸けて、この庵で名月を愛でている。
 無一物の芭蕉はこんなにも門人たちから愛されていた。