醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1500号   白井一道

2020-08-25 15:05:17 | 随筆・小説



   
 積極的平和主義とは



侘助 2020年8月15日、安倍総理は全国戦没者追悼式で次のような挨拶をした。
 「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。
  いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
  戦後75年、わが国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
  戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り開いてまいります」。
呑助 安倍総理の言う「積極的平和主義」とは、具体的にどのような事をしていこうということなのでしようね。
侘助 暴力には暴力で抑え込むしか方法がない考え、暴力によって秩序と安定を図ることが安倍総理の言う「積極的平和主義」と言うものなのではないかと思っている。
呑助 江戸時代の岡っ引きと同じようなものですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。江戸時代の刑罰は村や町といった共同体から犯罪者を追放し、共同体の平和と安定を取り戻していた。町や村といった公の共同体の外部に追放された無宿者、落伍者や犯罪者の共同体が形成され、その内部社会に通じた者を使わなければ捜査自体が困難だったようだ。だから博徒、エタ、的屋などのやくざ者、親分と呼ばれる地域の顔役が岡っ引になることが多く、両立しえない仕事の「二足のわらじ」を履いた。岡っ引きは奉行所の威光を笠に着て威張り、恐喝まがいの行為で金を強請る者も多かった。
呑助 軍隊という暴力で世界の秩序を守り、平和を築くということですか。
侘助 力で抑え込む。強い力が正義だという考えがあるのではないかと思う。世界最大の軍事強国はアメリカ合衆国だから、アメリカ政府の言う事を聞き、アメリカの指示によって日本の軍隊を派遣することが安倍総理の言う「積極的平和主義」と言うものじゃないかと考えている。
呑助 アメリカが世界の平和を乱すものとして考えているのはどこの国なのでしようかね。
侘助 東アジアでは朝鮮民主主義人民共和国がアメリカの支配する世界の平和を乱すものとして考えているのではないかと思う。
呑助 最近、アメリカのトランプ大統領は中国を名指して批判しているようですけど、アメリカにとって中国は世界の秩序を乱すものと思っているということですかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。中国の経済成長が著しく、軍事力が強大化していることに脅威を感じ始めているのかもしれない。
呑助 アメリカは中国と仲良く、経済発展をしていくということにはならないのですかね。
侘助 「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などが生む暴力を「構造的暴力」と言っている。この「構造的暴力」がない状態のことを「積極的平和」といい、「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くことが「積極的平和」ではない。この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士である。安倍総理が「積極的平和主義」を旗印に掲げていることをどう思うかとガルトゥング博士聞くと、私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆だと言ったという。
呑助 世界から戦争をなくすためには貧困、抑圧、差別などを世界からなくすことですか。
侘助 貧困は自己責任だろう。抑圧などは何もない。抑圧と感じるのであるなら、それは足るを自覚できないからじゃないのか。差別などどこにもありゃしない。それは被害者意識が強いからじゃないのか。戦争することが平和だと安倍総理は言う。

醸楽庵だより   1501号   白井一道

2020-08-25 15:05:17 | 随筆・小説


   
 日本は中国と朝鮮と向き合ってこなかった



侘助 小説家の梁石日(ヤンソギル)が「日本人的自我にとって他者とはずっとアメリカだけだった。アジアとは向き合ってこなかったから、アジアという鏡に日本人の姿がどう映っているか、いまだにわからない。ここが欠落しているために、『慰安婦』の存在も認めようともしないわけです」と述べている。
呑助 「日本人的自我にとって他者とはずっとアメリカだけだった」とは、どのような意味ですかね。
侘助 日本人が尊敬した外国人はアメリカ人だけだったということを梁石日(ヤンソギル)氏は言っているのだと思うけど。
呑助 戦後日本の子供たちは米兵に向かって「ギブミー、チョコ」と言ったと聞いていますけどね。
侘助 戦後日本の人たちはアメリカ文化を崇め奉ったようなところがあったよね。
呑助 そうですね。私の経験から言っても、そのようなことがありましたね。横浜の運動公園に遊びに来た米兵に群がり、サインを貰っている子供たちの光景が印象に残っていますね。
侘助 戦時中は鬼畜米英と蔑んだけれども戦争が終わり、アメリカ軍の支配下になるとそれが一変してしまい、今度はアメリカに憧れる時代が戦後だったような気がするね。
呑助 ハリウッド映画とジャズでしようかね。
侘助 アメリカ文化への憧れが戦後日本の文化だったようにも思うね。
呑助 中国や朝鮮の文化が顧みられることがなかったわけでしようかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。アメリカ文化への憧れが生れた日本の土壌には明治以来培われて日本の文化があったように思う。
呑助 それは何ですかね。
侘助 日本を代表する啓蒙思想家というと誰かな。
呑助 「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書き出されている『学問のすすめ』を書いた福沢諭吉でしようね。
侘助 福沢諭吉は明治十八年(1885)三月十六日付『時事新報』に社説を書いている。その社説が『脱亜論』と言われているものだ。その社説の中で福沢諭吉は次のような文章を書いている。「西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採とるべきを知り、漸次に活発の気風を催もようしたれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何(いかん)ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。 如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則(すなわち)文明を防(ふせ)ぎてその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
日支韓三国相対あいたいし、支と韓と相似るの状
は支韓の日に於おけるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非あらざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如し。
 されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬか)るべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
呑助 諭吉は日本人に中国や朝鮮と友だちになるようなことをしてはいけないと言っているのですね。
侘助 福沢諭吉は中国や朝鮮の文化には日本が見習うものは何もないと言っている。ただただ古い封建文化があるだけだ。西洋の文化を学ばなければならないと唱え英語学校を設立した。

醸楽庵だより   1499号   白井一道

2020-08-24 15:21:53 | 随筆・小説


 安倍政権は新型コロナウイルス禍で政権を失う 
 

 
 自民党政権は経済活動と新型コロナウイルスパンデミック対策とを両立させることなしには社会を持続させることはできない。経済活動と感染症対策とを両立させることは机上のプランとして考えると簡単なことである。新型コロナウイルス感染者を確認し、無症状者の感染者を含めて隔離し、新型コロナウイルス陰性者は普段通りに経済活動をすれば、問題は解決する。このことが自民党政権ではできないのだ。
 第一に新型コロナウイルス感染者をすべて洗い出すことが自民党政権では不可能のようだ。大量なPCR検査をいつでも、どこでも、何回も無料で行うことが自民党政権ではできない。
 第二に感染症対策をするに当たって国民すべてを対等平等に取り扱うことなしには、感染症パンデミックを征圧することはできない。しかし国民の間には豊かな者もいれば貧しい者もいる。毎日働かなければ生きていけないのが貧しい人々である。自己責任において自粛や予防をすることができない貧しい人々が大勢いる以上、それらの人々の生活を保障することが自民党政権ではできない。自己責任として毎日働かなければならない人々を突き放す以上、感染症を征圧することはできない。
 第三に新型コロナウイルス感染症を征圧するには新しい法律の制定が求められているがこの新しい感染症に対する法案提出に反対する勢力が自民党の大勢のようだ。その結果が保健所の大幅削減となって表れている。
 自民党政権に代表される日本の国家意思とは、次のようなものである。夕刊フジ『zaqzaq』 より
日本政府は5日、新型コロナウイルスの感染が拡大している中国と韓国からの入国を減らすため発給済みの査証(ビザ)の効力を停止することを決めた。事実上の入国拒否といえる。韓国については「医療崩壊」が顕在化している。
 実は、PCR法という検査方式は、膨大な時間と検査技師の精力を費やすが、現状での検査精度は高くない。不安を覚えた国民が検査に殺到すると、検査能力がパンクする。
 日本の一般医院では、完全防護服なしに患者を診なければならない。検査希望者が医療機関に押し掛ければ医療従事者に感染し、病院の大量閉鎖を招きかねない。実際、中国・武漢市での感染爆発の原因は院内感染だったとの情報もある。
 日本政府の「軽症の場合は自宅待機して病院には行かず、検査も医師の必要とする場合に絞る」という方針は、医学的に極めて真っ当なのだ。
 ところが、である。日本のワイドショーや左派野党、さらに驚くべきことには医師の中にさえ、執拗(しつよう)に「希望者全員に検査させろ」と煽(あお)り続ける人々がいる。
 あるワイドショーの出演者は「PCR検査を希望者全員に適用せよ」と声高に主張し、韓国の検査体制を礼賛している。
 左派野党の議員は、PCR検査の拡充を訴え、「安倍内閣は内閣支持率や五輪を国民の命や健康より優先している」などと批判していた。
 医師の中にも、「民間企業には1日数十万件も検査できる能力がある」「疑わしい人や希望者全員の検査が必要だ」などと発信している者がいる。医師としてまったく信じ難い発言だ。
 韓国・中央日報(日本語版)は3日、文在寅(ムン・ジェイン)政権が希望者全員のPCR検査を進めていることを受け、「今のコロナ対策ではダメだ」という記事を掲載している。彼らは隣国の実態を知っているのか。
 新型コロナウイルスは指定感染症であり、検査の人員、場所、設備全てを完全防備化しなければならない。ましてや、検査能力の大半を新型コロナに回せば、従来の検査業務が完全にパンクするのは自明の理なのだ。
 ワイドショーの無責任な報道に煽られて、コロナウイルスについて保険適用となった後のPCR検査に国民が殺到すれば、日本の医療は完全に崩壊する。
 全員検査を扇動するこれら「医療テロリスト」たちから、日本の医療を守るための情報戦が、今切実に必要だ。
 このようにPCR検査をすることは医療崩壊への道であると宣伝しているのである。国民の自己責任において新型コロナウイルス感染症を撲滅するしかないというのが国家意思であり、自民党政権の意志である以上、新型コロナウイルス感染者を撲滅することはできない。このよう国家意思を国民は受け入れることができるのか、できるはずがない。自民党政権は崩壊するしかないであろう。

醸楽庵だより   1498号   白井一道

2020-08-23 13:51:33 | 随筆・小説


   
   中国は覇権国になれるのか



侘助 18世紀の後半、少し生活に余裕のあるヨーロッパの人なら誰でもが欲しがった品物、商品と言うとノミちゃん、何だと思う。
呑助 当時のヨーロッパ人が憧れた商品なのでしょ。何でしようかね。
侘助 それは木綿の布地で仕立てられたシャツだった。当時、木綿のシャツは高級品だった。
呑助 昔の人の衣類の素材と言うと主に何だったのでしようね。
侘助 昔からの高級品というと言わず知れた物でしよう。中国で織られて古代ローマまで、運ばれた布地というと、-------
呑助 ラクダの背に乗せられ、シルクロードを通って運ばれた絹の布地でしよう。絹は古代から現代にいたるまで最高級品として崇められてきたようですね。
侘助 当時、中国から運ばれてきた絹一反の値段を現代の価格にすると2000万円ぐらいのものだったようだからね。王様が身に着けるものが絹の衣服だった。 
呑助 絹の外は何がありますか。
侘助 今では高級品だが、麻の衣服があった。日本では夏の着物に麻で仕立てたものがこのまれていた。
呑助 麻のシャツは涼しいですよね。麻のシャツを身に着けると背筋を伸ばして歩くような気分になりますね。絹にしても、麻にしてもヨーロッパでは手に入らない物なのじゃないですか。
侘助 ヨーロッパは寒い所だからな。麻はイラクサ目イラクサ科の多年生植物の繊維が原料になっている。日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されてきた。
呑助 日本の庶民が身に着けていた衣服の原料の大半は木綿でしようね。
侘助 木綿の原料は綿花でしよう。私の祖母が生れた時、畑の一部を割き、綿花を親が植えてくれたという話を聞いたことがある。綿を集めて布団を作り、着物を作る木綿の布地を作るため、糸を縒り機織りに出したという。
呑助 昔の農家は娘の嫁入りのために生まれた時から準備していたところがあったということですか。
侘助 アジアには絹も麻布も木綿もあった。ヨーロッパは寒い所だから絹も麻布も木綿もない。貧しいところだった。
呑助 ではヨーロッパ人が身に着けていた物は何から作ったのでしようかね。
侘助 それは羊毛だよ。ヨーロッパでは昔から羊の飼育がおこなわれていたからね。羊毛で織られた生地で仕立てた衣服は保温性に優れ、さろぃヨーロッパには適したものであった。
呑助 毛織物ですね。アジアにも毛織物はありますね。アジアには何でもあるということですか。
侘助 ヨーロッパ人にとって木綿の布地で仕立てたシャツは憧れのシャツになった。この木綿の布地を工場制機械工業で大量生産した出来事が産業革命であった。
呑助 綿布生産をイギリスで行ったのが産業革命でしたね。思い出しました。
侘助 二、三年年前のことだったけれど、ロシア国営放送のテレビを見ていたら、ロシアは武器輸出高が世界一になったと放送していた。現在はやはりアメリカが第一位のようだけれどね。
呑助 産業革命の成果、その製品がヨーロッパの若者の心を捉えたということですか。
侘助 そう、綿布で仕立てたシャツがイギリスの若者、いやヨーロッパの若者の心を捉え、綿のシャツは憧れの商品になった。そのような商品を作ったイギリスは世界の覇権国になった。
呑助 綿布のシャツがイギリスを世界の覇権国にしたということですか。
侘助 その通りだ。アメリカが第二次産業革命の成果として作り上げた商品が自動車だった。世界中の若者の心を捉えたものがフォードの自動車だった。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。世界中の若者がアメリカの生活に憧れた。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。

醸楽庵だより   1497号   白井一道

2020-08-22 15:22:42 | 随筆・小説



   
  近ごろ聞かない「死の商人」とは



侘助 長崎の観光名所というと何かな。
呑助 いろいろありますね。まず何と言っても、平和公園に立っている平和祈念像でしようね。
侘助 神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は原爆の恐怖を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれる像かな。
呑助 像の高さは10メートル近くあるそうですよ。
侘助 大きな像だよね。長崎というと隠れキリシタンとかのイメージがあるね。
呑助 浦上天主堂ですね。キリスト教が日本に伝わって以来、カトリックの信者が多かったのではないですか。隠れキリシタンの摘発も行われたのではないですか。江戸時代は長崎のみ開港していたので、欧米人が長崎港の南の東山手・南山手に居住区を作り、その一角に大浦天主堂が造られたようですよ。
侘助 だから長崎には異国情緒が漂っているようなイメージがあるよね。 
呑助 オランダ坂、グラバー邸がありますね。グラバー邸は蝶々夫人所縁の家と言われていますよね。
侘助 グラバー邸の持ち主は何をしていた人なのか、ノミちゃん、知っている?
呑助 まさか蝶々夫人のご主人さんでは無いのでしようからね。多分貿易商だったのじゃないですか。
侘助 そう、貿易商だった。何を日本に売っていたのかというと、武器、人殺しの道具、鉄砲、大砲などを討幕派にも佐幕派にも売っていた。このような武器を売る商人を「死の商人」と言う。
呑助 グラバーは徳川幕府側にも、薩長土肥の討幕派にも鉄砲や大砲を売っていたのですか。
侘助 死の商人に愛国主義者はいない。鉄砲を買ってくれる人には誰にでも売る。それが商売と言うものだからね。
呑助 アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々では未だに内戦をしている国々がありますね。それらの国にあっては戦争をしている双方に武器を売っている商人がいるのですかね。
侘助 最近、死の商人という言葉を聞く機会がほとんどないということはそのような商人が存在する空間が無くなってきているのではないかと思っている。
呑助 発展途上国で内戦をしている国にあっては支持してくれている軍事大国から武器を購入しているということですか。
侘助 二、三年年前のことだったけれど、ロシア国営放送のテレビを見ていたら、ロシアは武器輸出高が世界一になったと放送していた。現在はやはりアメリカが第一位のようだけれどね。
呑助 発展途上国にあっては、アメリカから武器を買う側とロシアや中国から武器を買う側とが戦っているという事になりますか。
侘助 カラシニコフ銃というゲリラが装備している有名な銃があるでしょう。この銃は旧ソ連が開発した最も有名な銃のようだ。
呑助 ソ連で開発、造られた銃なのでしよう。
侘助 その通りだ。実戦の苛酷な使用環境や戦時下の劣悪な生産施設での生産可能性を考慮し、部品の寸法の許容範囲が大きく、性能が優れている。ここに卓越した信頼性と耐久性、および高い生産性を実現した銃のようだ。ミハイル・カラシニコフが設計し、1949年にソビエト連邦軍が正式採用した自動小銃かな。この特性から、本銃はソビエト連邦のみならず、全世界に普及した。基本設計から半世紀以上を経た今日においても、本銃とその派生型は、砂漠やジャングル、極地などあらゆる世界の地帯における軍隊や武装勢力の兵士にとって最も信頼される基本装備になり、『世界で最も多く使われた軍用銃』としてギネス世界記録に登録されている。
呑助 ロシアは今でもゲリラにこの銃を供給しているということですか。
侘助 アメリカは日本やサウジアラビア、オーストラリアなどに輸出し、ロシアはインド、中国、ベトナムに売っている。

醸楽庵だより   1496号   白井一道

2020-08-21 12:04:22 | 随筆・小説



  失敗はどこにあったのか-----



侘助 藤井聡太棋聖18歳が木村一基王位47歳と戦い、4勝0敗で王位を奪った。80手と短手数で勝利した。このようなタイトル戦を戦った経験のある棋士の経験談を聞くとタイトルホルダーと将棋盤をはさんで対面するとその威圧感に打ちひしがれてしまいそうなほど圧力があると言っている。しかし藤井7段と対戦した経験から言うと彼にはそのような圧力というか、威圧感のようなものが何もないという。とても柔らかな自分の存在を受け入れてもらっているような安心感があるという。
呑助 戦いに立ち向かう男らしさのような恐ろしさがないということなのですか。
侘助 有名なタイトル7冠を制覇した羽生永世名人と対戦した棋士の話によるとその威圧感というか圧力に圧倒されるという。
呑助 棋士は盤上に命を賭けているということなのでしよう。
侘助 盤上に人生がある。しかしまだ18歳の藤井聡太氏にとって将棋はまだ遊びに過ぎないのかもしれない。遊びに過ぎない将棋に人生を賭けている46歳になる苦労人、千駄ヶ谷の受け氏の異名を持つ木村一基9段は人生を賭けて勝負に挑んだことであろう。 
呑助 どこか、しくじった箇所が木村一基王位にあったのではないですか。
侘助 いや、どこに敗因があったのか、私には皆目分からない。木村王位は藤井棋聖の飛車を捕獲した。素人は「王より飛車を可愛がり」なんて言われているくらいに飛車が捕獲されてしまったら、負けたような気持ちになるが、藤井棋聖は第一目が終わり、次の手を封じ、勝利への道を歩み始める。藤井棋聖が指した手は飛車と銀とを交換する手であった。誰がこのよう手を考え抜き、指すことができようか。解説をしていた8段の棋士もこのような手を想像だにしていなかったに違いない。
呑助 藤井少年の飛車は銀で捕獲されてしまったのですね。
侘助 木村一基王位は銀と飛車との交換によって、しめしめと思っていたのかもしれないが、これが運の尽きだった。それから何手も指すことなく、将棋は終わってしまった。
呑助 飛車の捕獲が勝利への道ではなく、敗者への道であったということですか。
侘助 将棋は逆転のゲームだという人がいる。勝利への道が敗者への道になる。相手に勝ちだと思わせて、敗者へと突き落とす。このようなゲームが将棋なのかもしれない。
呑助 この指し手は失敗なのだという認識がないと駄目だということですかね。
侘助 そう、間違った指し手をしたから負ける。正しい指し手をしているのなら負けるはずがない。失敗したから負ける。この失敗を失敗として認められるか、どうかと言う事が強いか、弱いかと言う事なのではないかと考えている。
呑助 強い人は正しい手を指す、弱い人は間違った手を指すということですか。
侘助 その盤面でどのような手が正しい手なのかを探すゲームが将棋なのかもしれない。
呑助 将棋は頭の格闘技なのですね、
侘助 そう、将棋は格闘技なのだ。戦いが終わると体重が何キロか減るような厳しい格闘なのかもしれない。絶えず正しい手を探し求めて行く孤独な道なのかもしれない。助けてくれる人は誰もいない。ただ独り自分の進む道を探し出す苦しみに耐える厳しい道なのかもしれない。
呑助 プロの将棋指しには将棋する楽しみと言うものは無いのかもしれませんね。
侘助 プロの歌手には歌を歌う楽しみはないという話を聞いたことがある。ある歌手が歌を歌い、楽しいなと感じた時、あー、私はプロを辞めようと思っているのかもしれないなと思ったという文章を読んだことがある。
呑助 芸能に生きる人にとって、芸そのものを自ら楽しむことないということなのですね。
侘助 きっと、そういう事だと思う。子供が好きで保母さんになった人は子供が好きなだけではやっていけないことを知っていることだろう。

醸楽庵だより   1495号   白井一道

2020-08-20 13:05:46 | 随筆・小説



  
  優生思想について



侘助 私の親族に心身に障害を持って生まれて来た女の子がいる。母親が妊娠初期に風疹に罹った。医者から注意を受けたが、心配はないと妊娠中の娘に母親は言い、母親の言葉を信じて女の子を出産した。生まれて来た女の子はどこにも異常のない元気な女の子であった。異常が現れて来たのは一歳を過ぎてからである。この話を聞いた私は思い悩んでしまった。私だったらどうしただろうか。私の妻が身籠り、風疹になったら医者の注意に思い悩み、堕胎させたのではないかと思う。
呑助 そのような子が親族にいるのですね。生まれつきの障害を負って生れてくる子供というのは確実に存在していますよね。
侘助 身体頑健、どこにも何の異常もない成人であってもすべての人が老齢になると障害を持つようになる。例えばプロ野球選手として名を成した長嶋茂雄氏も脳梗塞を患い、身体に障害を持つ身になり、リハビリに通っているという。
呑助 親族の女性の方は立派な方なのじゃないですか。障害を持って生まれて来る危険性があると注意を受けても、そのリスクを受け入れ、堕胎することをしなかった。立派な方だと思いますけどね。
侘助 子を持つということはリスクを受け入れ、覚悟するという面が確かにあるように思うよね。 
呑助 生を得て、この世に生まれて来たすべての子供は誰からも無条件で受け入れられなければならないと思いますね。
侘助 そうありたいと思うが現実はなかなか大変だ。障害を持って生まれて来た子を捨てる親がいるようだからね。
呑助 障害児を抱えることは大変なことだと思いますよ。この大変さに押しつぶされてしまう人がいるということなのでしよう。
侘助 誰でもが心身ともに優れた人でありたいと願い、優れた人を讃えるからね。アメリカ合衆国は民主的な国だと言われているが、人間を差別する国のようだ。アメリカは移民した人が作り上げた国でしょ。移民を受け入れるに当たって白人を優先していたようだからね。
呑助 オーストラリアも移民によって作り上げられた国ですね。昔はオーストラリアに移住するには厳しい制限があったのじゃないですか。
侘助 白豪主義かな。オーストラリアでは長く白人第一主義だった。先住民族のアボリジニやタスマニアへの迫害や隔離、移民制限法の制定によって白人以外の移入を厳しく制限していた。人種差別的な思想に基づく政策を取っていたからね。第二次世界大戦以後はかなり緩和されたが、それでも有色人種への偏見は根強いようだ。
呑助 選抜試験というのも一種の差別だと言えば言えるようにも思いますね。
侘助 社会の中にはいろいろな人間を選別する仕組みが出来上がっている。世界的にも有名な日本の物理学者が発言していた。教育というものは小中高大とすべて子供の能力を篩にかけ、選別し、有能な子供を選び出す仕組みだと言っていた。
呑助 確かに有能な子供を選び出すことができなければ日本の教育の水準を保つことができないという事なのですかね。
侘助 社会の貧しさが土台にあるからじゃないのかな。貧しい社会だから競争がある。人と人とが競い合うこと、その事自体に問題があるわけじゃない。そのことによって人間を差別することにあると思っているんだ。貧しい社会だから差別がある。差別しなければ分配ができないからだ。ナチスがユダヤ人を差別し、殺したのも貧しさ故だった。ユダヤ人に分配しなければ、ドイツ人は豊かになる。だからユダヤ人を殺した。今から三年半前、相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷される事件が起こった。この事件を起こした植松聖(さとし)は次のような発言をしていた。「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使えるようになり世界平和につながる」だから私は政府から褒めてもらえると考えていたとね。

醸楽庵だより   1494号   白井一道

2020-08-19 10:30:37 | 随筆・小説


   
  国家にも意思がある



侘助 「戦争責任者の問題」と言うエッセイを伊丹万作が『映画春秋』創刊号に昭和二十一年八月に書いている。伊丹万作は「日本のルネ・クレールと呼ばれた知性派の映画監督で伊丹十三の父親である。このエッセイを『青空文庫』で読んだ。この中に次のような文章がある。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」。日本国民がすべてだまされて戦争に協力させられたと自分は犠牲者だと言っている。
呑助 分かるように気がしますね。今も毎日、今日の新型コロナウイルス感染者は過去最高の300人を越えましたとテレビ放送で聞いていると何をどうしたらいいのか、分からなくなりますよね。
侘助 そう、だからマスクもせずに出歩く人を見つけると注意をしたくなったりする。
呑助 これといった自粛もせずに旅行に行っている人を見ると非難したくなるのじゃないですかね。
侘助 新型コロナウイルス感染症の対策について、言うならPCR検査を徹底的に行い、陽性者を隔離し、治療し、陰性者は普段の日常業務をする。この簡単なことをすれば、何もパンデミックだなどと恐れることは何もないにもかかわらず、このようなことはしない。安倍首相は5月25日、緊急事態宣言解除の記者会見の冒頭、次のような発言をした。「日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います」とね。「日本モデルの力」などというものを世界の誰一人認めている人はいないにもかかわらず、このような発言をした。 
呑助 その後、二ヶ月もすると新型コロナウイルスの感染は爆発していますからね。
侘助 PCR検査を拡大すると何回も安倍総理は発言しているがいっこうにPCR検査は増えていかない。なぜPCR検査をしないのかと国会で野党議員が追求しても厚生労働大臣は増やすよう指導していますと答弁しているがPCR検査は増えていかない。二〇二〇年二月七日、東北大学の押谷仁教授は「無症状感染者が普通に外出しているので、ここから感染が広がってしまう」と警鐘を鳴らしている。だから多くの人は無症状感染者を放置できないと考える。その一方で「なぜ国民はムダなPCR検査の大合唱をするのか、わかっていない」と一部の専門家たちは各所で狼煙を上げ続けている。確率が低すぎる。偽陽性が出る。お金がかかる。意味がない。中国や韓国と、日本は違うと。五月に入ってもその声はおさまらなかった。「必要なのは検査ではなく自宅隔離と外出制限だ」とある臨床医は主張する。「国民全員ないしは流行地域では無症状者や軽症患者にも広くPCR検査を行うべきとする主張の趣旨」を一つ一つ科学的に反証していくことに力を注いでいる。さらに五月十二日には「『PCR検査せよ』と叫ぶ人に知って欲しい問題」という仙台医療センターの西村秀一氏の記事が出た(東洋経済新報社)。刺激を受けたSNSでは「PCRを進めれば陽性者が増えて困る」「PCRを要求しているのは左翼」「PCRが必要は非科学的」といったツイートもまたたくまに広まる。一方、中国でのPCR検査は凄まじい。まるでウイルスの「種」は一粒たりとも残さないという意気込みのようだ。
呑助 第二次世界大戦に日本国民は自主的に協力した。その結果、敗戦後日本国民は皆、私はだまされていたと言う。だから私がだましたという人はいない。新型コロナウイルスパンデミックとどこか共通するようなものがあるように感じますね。
侘助 国家意思のようなものがあるように感じる。第二次世界大戦では戦争することが日本国の意志であった。国民は皆、協力し、この国家意思が実現することを願った。新型コロナウイルスパンデミックにおける国家意思はPCR検査ではなく、自宅隔離と外出制限のようだ。だから外出する人を咎める人がいる。










 

醸楽庵だより   1493号   白井一道

2020-08-18 14:42:47 | 随筆・小説



   戦争責任について



侘助 何年か前の事だった。将棋の終局の場面から羽生名人とアマチュア将棋の有段者が対戦するテレビ番組があった。アマチュア将棋有段者は悉く勝負の付いた盤面から将棋をしても羽生名人に勝つことができなかった。
呑助 分かりますね。確かに負けましたと頭を下げた盤面からどうしたら勝つことができるのか、素人には分からない状態でプロの棋士たちは自分の負を認めていますからね。
侘助 自分の負を認めるにはそれなりの棋力が必要だと言う事のように思う。
呑助 素人の将棋は最後の最後まで戦い、打ち負かされて王様の上に金が打ち付けられて、「畜生」なんて言って持ち駒を将棋盤の上に投げ捨てたりしますね。悔しさに耐えられない。そんな気持ちですかね。
侘助 それと同じようなことが日本の敗戦にもあったように思っている。日本が第二次世界大戦に敗戦したのはいつの事であったのか、覚えているかな。
呑助 学校で教わった記憶がありますよ。1945年8月15日のことだと記憶していますよ。
侘助 連合軍はポツダム宣言を1945年7月26日にアメリカ大統領、イギリス首相、中華民国主席の名で日本に対して降伏を要求した。
  このポツダム宣言を日本が止むを得ず受け入れたのがいつだったのかと言うとそれはいつだったのかな。
呑助 それは明確に覚えていますよ。1945年8月15日、天皇陛下の玉音放送があり、日本は連合国に無条件でポツダム宣言を受け入れたわけですよね。
侘助 ポツダム宣言が出された1945年7月26日から8月15日までのおよそ二十日間にどのようなことがあったか、覚えているかな。
呑助 最大の出来事は広島に8月6日、長崎に8月9日、原子爆弾が投下されたということですか。その余りの惨状に日本は参ってしまったのだと思いますね。
侘助 ポツダム宣言が日本に伝わったのは時差の関係もあり、翌日の27日だった。外務大臣東郷茂徳はまだ交渉の余地はあると考えていた。陸海軍の反発は厳しいものであった。国民に伝わった時は断固抵抗する旨発表するべきだと主張した。
呑助 まだ交渉の余地はあるというのはどういうことですか。
侘助 日本政府はソ連を仲介者として連合国との和平工作を行っており、ポツダム会談直前の7月13日には昭和天皇の特使として元内閣総理大臣の近衛文麿をモスクワに派遣して和平の仲介をソ連の首脳に依頼することを決定し、その日のうちに佐藤大使からモロトフ外務大臣の留守を預かるソロモン・ロゾフスキー外務人民委員代理に伝達した。従って、日本としてはソ連側から特使受入れの可否の回答が来るのを待っている状態であり、東郷茂徳外務大臣はポツダム宣言が出された時にこれを受諾すべきとしつつも、ソ連が宣言に加わっていない以上、特使派遣に関する回答を待つべきと考えていたが実際はポツダム会談の中でソ連のスターリン首相とアメリカのトルーマン大統領らの間で特使問題も協議され、アメリカ側は日本側の話を聞く意味はないとソ連側に伝えていた。日本政府がソ連の対日宣戦を知ったのは8月9日午前4時(日本時間)である。
呑助 日本はソ連を通じて連合国との和平を工作していたということですか。
侘助 日ソ中立条約を日本はソ連と結んでいたからね。
呑助 頼りにしていたソ連から対日参戦を言い渡された時のショックはいかほどのものだったでしょうね。
侘助 腰を抜かすような出来事だった。有能な政治家だったら、ポツダム宣言が出された時に受け入れることができれば、ソ連の参戦を防ぐことができた。負けを受け入れることができなかった。少しでも有利に停戦できないものかと、負けの受け入れが潔くなかった。原子爆弾を落とされ、ソ連から対日宣戦布告を受け、万策尽き、無条件降伏という最悪の結果を招いてしまった。

醸楽庵だより   1492号   白井一道

2020-08-17 14:14:57 | 随筆・小説


 
 靖国神社とは



侘助 何年か前の事だったが、毎朝、靖国神社にやって来るお婆さんがいるとワイドショウ番組が放送していた。
呑助 何をしにお婆さんは靖国神社に行っていたのですかね。
侘助 「岸壁の母」だよ。息子の帰りを待っているとワイドショウ番組の司会者が紹介していた。
呑助 「岸壁の母」とは、二葉百合子の歌ですよね。私の若かったころ、飲み会があるとこの歌を歌った女性がいたね。情感一杯に歌った。泪を流す年配の女性がいましたね。
侘助 「母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
(セリフ)
又引き揚げ船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない。
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか。
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ。
帰れないなら大きな声で
お願い せめて、せめて一言 
呼んで下さい おがみます
ああ おっ母さんよく来たと
海山千里と言うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に
(セリフ)
あれから十年  あの子はどうしているじゃろう。
雪と風のシベリアは寒いじゃろう
つらかったじゃろうと命の限り抱きしめて
この肌で温めてやりたい
その日が来るまで死にはせん
いつまでも待っている
  (歌)
悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ
(セリフ)
ああ風よ、心あらば伝えてよ
愛し子待ちて今日も又、
怒濤砕くる岸壁に立つ母の姿を」
泪を流しこの歌を歌い、聞く人がいたようだ。
呑助 戦争が終わって三十年以上になるのに戦争に行った息子の帰りを待つ母親が靖国神社にはいたという話なんですか。
侘助 そのとおりだ。靖国神社とは、国のために戦い亡くなった戦士を祀る神社なのだ。だから靖国神社に行くと戦死した者の御霊の宿った樹木として木斛(もっこく)や槙(まき)、桜などの樹木を献木している戦友会があることがわかる。
呑助 そうした英霊を讃える神社なのですね。
侘助 この神社には戦争で亡くなった方々の哀しみが宿っていることは間違いない。しかしすべての戦没者の御霊が祀られているわけではない。千鳥ヶ淵戦没者墓苑というところがある。ここにはあらゆる戦没者の御霊が祀られている。差別がない。この墓苑は「戦没者崇敬思想の普及」を目的に運営されている。
呑助 靖国神社は戦没者を差別しているのですか。
侘助 そのようだ。もともと靖国神社は明治維新の際、官軍で戦った戦士を讃える神社であった。明治天皇は明治2年6月、国家のために亡くなられた人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段の地に「招魂社」を創建されたのが靖國神社の前身で、明治12年(1879)に「靖國神社」と改められ別格官幣社に列せられた。明治天皇が命名された「靖國」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」という意味のようだ。だから徳川幕府側に立って戦った者の御霊は祀られていない。天皇制明治国家体制を守る神社が靖国神社のようだ。
呑助 国家主義というか、1931年柳条湖事件から始めた戦争を肯定する神社ですか。