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Pコンペ地区予選終了

Pコンペに参加した。今回は初の入賞。運がよかったんでしょうねぇ~。参加されてる方はみんなピアノが大好きで努力されてるもの。私が入ったのはたまたまだと思う。(あとで録音聞いたら「ハッチャー!」というところがいくつもあった。)今日はハンガリアンのラッサンの前の速い所でコサックダンスのおじさんが脳裏にうかんできたので一緒に踊るように弾いた。やっぱりハンガリー人じゃないからどんな踊りを踊ってるかわからない。とりあえず似ているもので代用~(やっぱり邪道…)でも普段からイメージをもって弾くことにより本番でもサーッとそれが浮かんでくるのだとつくづく思った。
講評を読んで思ったがやはり個人レッスンは必要ということ。とても参考にはなるものの漠然としていて何をどうするというのが分かりにくい…。
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没頭し過ぎない

今他の人が弾いている姿を見て学んでいる。お手本はよく音楽を聞いているもの。私は性格的に没頭するのは苦手ではないが客観的に弾くのは難しいタイプ。心を沈め耳をすまして聞くというのは難しい。あの表情豊かなランランも耳をすまして聞いている表情をしている。それは「となりの部屋でなにやらヒソヒソ話、いったい何を話ているのか…?」というのを壁に耳を近付けて聞いているような表情である。(そして話が分かった時「ああそうか、そういうことか」という表情をする。)まあランランほどはっきりやらなくても弾く役割と聞いてコントロールする役割はクールに分けとかんといかんと思う~('◇')ゞ
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演奏を曇らせるもの

最近思うことがある。精神状態も演奏であると。適度な緊張感はいいが自己顕示欲とかナルシストだとかそういうものも全部反映されるので、せっかくうまく弾けていても感動的な良い演奏から遠ざかってしまう。強弱にしても書いてあるからそうしてるだけというのが分ってしまう。自称音楽が分る人のダンナにそういうと「何を今さらいってるんだ。音楽はその人全部が現われるのは当たり前の話だ。だから一時期のテクニックに走りすぎていた日本人のピアノは外国で評価されなかったのだ。」
でもね、弾く者からいうと、書いてあるのを全部弾くのはそれだけでとてもたいへんな事なんですよ~(ΘoΘ;)でもそれはまだ曇りのない演奏への遠い道の真ん中って事よね~。
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つっかえ棒が要る 2

あと音楽と一致していない腕の動き。こういうのを腕の呼吸ができていないと言うのかしら。音楽が終わるまで動くなよ、心に焦りがあるのチョンバレ!とか思ってしまった。ああやだやだ、こんな不細工な弾き方。なんてかっこ悪い!心に傷を負ったわ。(エエ、それは真実を知っただけ)やはり姿勢の確認ということで映像のチェックも大事だったと分かった。この心の痛み、全治2日ぐらいかしら…。(たぶんそれ以降は雑用に追われて忘れてしまう~)(-"-;)
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つっかえ棒が要る 1

先日のジョイントコンサートのDVDを見てみた。私はめったに自分の演奏している姿の録画は見ない。それは映像に惑わされて音のチェックが甘くなると思うからだ。以前あるコンサートに出演した時も、フーガでぶっ飛ばしてひどい音の演奏だったにもかかわらず弾く姿は一生懸命で頑張っている風で、普段私のピアノを決して褒めないダンナ(ピアノは弾けないが自称音楽が分かるヒト)でさえ「ようあれだけ指が動くなあ!」(私はせっかちなので手は回るほうである)とはじめて褒めてくれたので映像の力というのを痛感したのだが、それは実は半分ごまかしやろうと思っていたからだ。さて見てみて、なんとまあひどい前傾!こんなに倒れてたら見てる方が息苦しくなるよ。倒れないようにつっかえ棒がいるよ!つっかえ棒というと、その昔前の会社のO支店長がすごく偉そうに振舞う自信満々の人でいつものけぞっていたので倒れないように「つっかえ棒がいる」とまわりにいわれていたのだが、その棒を借りて来てピアノを弾く私も逆方向に支えた方がいいんちゃう?と思った。前はここまでひどくなかったぞ。多分椅子を高くした分鍵盤に倒れこむようになったのだ…。(なかなか理想に行き着けんなあ。)(T_T)
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演奏を振り返る

過去を振り返らないのは演奏中。演奏後は同じミスを繰り返さないように何がいけなかったのか反省しないといけない。まず舟歌。引っ掛かったのはやはり弱い4の指。123で内声を弾き345でメロディーを弾く中間部。長い音を4でとってキープしとかないといけない所が緩んでリズムが乱れたのだ。目立つミスをしたことで動揺し自信が揺らいだ。それでもう2つ目立つミス。2つめからは不安から生じたミス。以前舟歌はゆっくりの曲だからテクニック的にむずかしくてもなんとか弾けるかもと思っていたが、実はゆっくりだからごまかしようがなくて実はすごく弾きにくい曲だったと今頃気が付いた。とりあえずメロディーは何があっても外さない事。これは止まらない事と同じくらい大事。超絶は多分私の今の限界。もうこれくらいにしておこう。ハンガリアンはもっと弾きこんで経験を積むこと。舟歌では指と心を鍛える事、ハンガリアンは体を鍛える事である。今回つくづく思ったのは和声が複雑でデリケートな舟歌の方がハンガリアンより弾きにくいということ。ハンガリアンはバーンと主要三和音に乗って押していけばいいから暗譜が楽やし崩れにくい。でも舟歌は心の琴線に触れていくような微妙さを3度や6度をしっかり採りながらたぐっていかないといけない。すごく神経を使う曲だと改めて思った。
(; ̄_ ̄)=3
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人前演奏の私の傾向と対策 2

対策は丁寧さを心掛ける事。普段よりこけやすくなっているから速く弾きたい罠にはまらぬように。息つく暇を持つこと。客観力を磨く事。超絶2に関してはアラウの演奏を聞くのは禁止。できもしないくせにまねしてテンポ上げてしまう。あれはもし映像があったら子供に仮面ライダーの真似をしないように警告するようにテロップで「転倒崩壊する恐れがあるので真似をしないでください。」と流さんといかん危険なしろものなのだ。かわりにゆっくり弾いたステップの自分の演奏を聞くこと。もったりしているが分相応なのだ、仕方あるまい。そこから少しずつ進歩するのを目指さないとね。普段から心を静めて音を聞き入る練習をする事。手や指の動きに気をとられて聞くことがおろそかになっていたようだ。あおられた演奏では何も表現できない事を自覚すること。品質管理の責任は自分にある。役者が大声で怒鳴るだけでは大根なのと一緒。自分の大根奏者ぶり(大根に悪いが)を自覚するためこの前のひどい録音を時々聞く事。(オェ~、後でリパッティの素晴らしい演奏を聞いて口直しならぬ耳直ししないと!)結構なお仕置だが自分を甘やかしていては上達しない。「緊張してもやることはやろう」(当たり前って?)
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人前演奏の私の傾向と対策 1

傾向と対策なんてなんだか受験勉強みたいだが、上達のために冷静に自分の演奏を振り返るのは価値ある事だ。人前演奏での私の傾向、それは全て非音楽的なアジタートになってしまう事だ。緊張のドキドキで舞い上がっているのがでてしまう。思いっきり弾くことに重きをおいているので、それが情熱的に弾くことだ、よく弾けているのだと勘違いしている。自分の音が聞えてない。曲が崩れていても気にせず、自己陶酔と自己満足。でも実際は音はひらべったくて膨らみがなく一本調子。聞いている人にどう聞えたか考えずKY(空気読めない)で一方的。弾いた後自分では「やったぁ」などと思うけど、あとで録音を聞いたらそれはそれは荒っぽくて音も悪くこんなひどい演奏を人様にてお聞かせしていただなんて「穴があったら入りたい」と猛反省するのだ。緊張するのは仕方ないにしても非音楽的アジタートにならないようにコントロールできないといかん。舞い上がらずにコントロール、速くても安定してないと美しくないし、音楽になっていないのだ。
対策は次回考えてみる(∋_∈)
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