朝、ゴハンを食べたあと、ジュルはたいてい、
ガラス窓とレースの間にわざわざ入り込んで、
外をじっと眺めている。
外にいきたいの?
ここはマンションの中層階。柵から落ちればジュルの命を、あきらめざるをえない。
前の家では毎日、それも最低朝夕2回はベランダで遊ばせていた。
ノラだったのをイエネコにしたばかりだし、2階だったから。
真向かいの家の屋上にいるイヌや、飛んでくる虫や、下を通る酔っ払いの歌声。
においや季節を運んでくる風にあたって、いろいろな刺激がジュルにはあった。
ベランダにタイルを敷き詰めていた時、ちょっと開けていた隙間に、
鼻先を差し込んで、外のニオイを嗅いでいるジュルの姿。
クンクン。
この姿が、いま読んでいる本と重なった。
イヌ科ネコ科の研究者だった故・平岩米吉氏の長女であり、幼い頃からイヌやネコばかりか、
狼やハイエナや山猫などに囲まれて育った平岩由伎子さんの『猫になった山猫』。
(C)Pisco Delgaiso
『猫になった山猫』の表紙は、親を失った子ブタに乳を飲ませて育てる女性の写真。
ヒトが乳で動物を育てる。それが野生動物がヒトと絆をつくり家畜となった一歩だったという。
命と命の鼓動を伝えあう本来あるべき動物同士の関係。みつめていると胸が熱くなる。
わたしはジュルに、これだけの深い愛情を与えているだろうかと考えさせられる。
平岩さんは犬科生態研究所を主宰し、父・米吉氏が最後に望んでいた洋猫との混血のため
絶滅に瀕した日本猫の保存運動に励まれている。
保存運動だから、貴重な純血の日本猫を放し飼いにはできない。その平岩さんがこう語っている。
「猫を室内に囲い込んで飼えば、(中略)猫たちの自由を奪ってしまうことになる。
それが彼らにとって幸せなこととは私には思えない。(中略)
むしろ積極的にそうするのが飼い主の義務だと言う人もいる。(中略)
自分だったらどうだろう。一生囲われていて行動の自由が一切ない安全と、危険が
いっぱいの自由と、どっちをとるだろうと思ってしまう。(中略)
この安逸か自由かということに関して思うたびに、私の脳裏に浮かぶ鮮烈なシーンがある。
(中略)そこには彼らのもっている溢れるような命の輝きがある。(中略)
その彼らのほとばしる生きる幸せを奪っていいものだろうか。猫を閉じ込んで安全に飼うと
いうことは、危険を心配したくない私たち飼い主の側の虫のいい考えではないのだろうか。
(中略)これからも一生、室内で過ごすことになる命を自分の手でつくり出すことに、
これでいいのかという思いを捨てることはできないだろう。」
ネコの専門家が、こんなに悩むことなんだ。
でも、ジュルは玄関ドアが開くと、すぐに逃げ出す。ドアの向こうは知らない世界だから。
ジュルの世界はこの家の玄関まで。その外はやっぱり怖いんだ。
そこに、平岩さんはこう語りかけてくる。
「外へ出そうとすると、かえって怖がって嫌がるではないかいう人もいる。(中略)
その場合でも少しずつ馴らしてやれば、すぐに彼らは外の自由をほしがるようになるのだ。
(中略)一度でも知った自由をどんなに渇望することか。」
ジュルはノラだった。ベランダにも出していた。いまも外を眺めている。
ドアを引っ掻いたり、ニャア~と鳴いたりして、外に出してとせがむことはない。
でも、自由は知り過ぎるぐらいに知っているはずだし、ネコは記憶力がけっこうあることも最近知った。
自由を、太陽の輝きを、風のここちよさを、鳥のさえずりを、
飛ぶ虫を追いかける楽しみを、草木の香りを、土のぬくもりを、きっと覚えているだろう。
ノラの頃のジュルの写真は、ほとんどない。少ない中の1枚。
コレ、垂れてる鼻水をなめてます ガリガリだ…。
もし、ジュルが望むなら、安全に自由を満喫させてあげたい。リードに慣らしたり、
逃げ出さないように工夫やコツをつかむのは大変だろうけど、ジュルといっしょに
わたしも慣れていけばいい。
玄関。内廊下。エレベータ。エントランス。歩道。公園…。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。慣れていければいい。
いまの社会では室内飼いが当たり前、外に出しちゃいけないと思うあまり、外に出す
全てのことを捨ててしまうところだった。
ただひとつ、条件をつけよう。“ジュルの意志にしたがうこと。”
わたしが散歩したいとか、どこかに連れていきたいからとか、勝手な都合でけして連れ出さないこと。
怖がったり、戻りたがったら、すぐに戻してあげること。無理は絶対しないこと。
ちょっとずつ、やってみよう。ジュルといっしょに。
ガラス窓とレースの間にわざわざ入り込んで、
外をじっと眺めている。
外にいきたいの?
ここはマンションの中層階。柵から落ちればジュルの命を、あきらめざるをえない。
前の家では毎日、それも最低朝夕2回はベランダで遊ばせていた。
ノラだったのをイエネコにしたばかりだし、2階だったから。
真向かいの家の屋上にいるイヌや、飛んでくる虫や、下を通る酔っ払いの歌声。
においや季節を運んでくる風にあたって、いろいろな刺激がジュルにはあった。
ベランダにタイルを敷き詰めていた時、ちょっと開けていた隙間に、
鼻先を差し込んで、外のニオイを嗅いでいるジュルの姿。
クンクン。
この姿が、いま読んでいる本と重なった。
イヌ科ネコ科の研究者だった故・平岩米吉氏の長女であり、幼い頃からイヌやネコばかりか、
狼やハイエナや山猫などに囲まれて育った平岩由伎子さんの『猫になった山猫』。
(C)Pisco Delgaiso
『猫になった山猫』の表紙は、親を失った子ブタに乳を飲ませて育てる女性の写真。
ヒトが乳で動物を育てる。それが野生動物がヒトと絆をつくり家畜となった一歩だったという。
命と命の鼓動を伝えあう本来あるべき動物同士の関係。みつめていると胸が熱くなる。
わたしはジュルに、これだけの深い愛情を与えているだろうかと考えさせられる。
平岩さんは犬科生態研究所を主宰し、父・米吉氏が最後に望んでいた洋猫との混血のため
絶滅に瀕した日本猫の保存運動に励まれている。
保存運動だから、貴重な純血の日本猫を放し飼いにはできない。その平岩さんがこう語っている。
「猫を室内に囲い込んで飼えば、(中略)猫たちの自由を奪ってしまうことになる。
それが彼らにとって幸せなこととは私には思えない。(中略)
むしろ積極的にそうするのが飼い主の義務だと言う人もいる。(中略)
自分だったらどうだろう。一生囲われていて行動の自由が一切ない安全と、危険が
いっぱいの自由と、どっちをとるだろうと思ってしまう。(中略)
この安逸か自由かということに関して思うたびに、私の脳裏に浮かぶ鮮烈なシーンがある。
(中略)そこには彼らのもっている溢れるような命の輝きがある。(中略)
その彼らのほとばしる生きる幸せを奪っていいものだろうか。猫を閉じ込んで安全に飼うと
いうことは、危険を心配したくない私たち飼い主の側の虫のいい考えではないのだろうか。
(中略)これからも一生、室内で過ごすことになる命を自分の手でつくり出すことに、
これでいいのかという思いを捨てることはできないだろう。」
ネコの専門家が、こんなに悩むことなんだ。
でも、ジュルは玄関ドアが開くと、すぐに逃げ出す。ドアの向こうは知らない世界だから。
ジュルの世界はこの家の玄関まで。その外はやっぱり怖いんだ。
そこに、平岩さんはこう語りかけてくる。
「外へ出そうとすると、かえって怖がって嫌がるではないかいう人もいる。(中略)
その場合でも少しずつ馴らしてやれば、すぐに彼らは外の自由をほしがるようになるのだ。
(中略)一度でも知った自由をどんなに渇望することか。」
ジュルはノラだった。ベランダにも出していた。いまも外を眺めている。
ドアを引っ掻いたり、ニャア~と鳴いたりして、外に出してとせがむことはない。
でも、自由は知り過ぎるぐらいに知っているはずだし、ネコは記憶力がけっこうあることも最近知った。
自由を、太陽の輝きを、風のここちよさを、鳥のさえずりを、
飛ぶ虫を追いかける楽しみを、草木の香りを、土のぬくもりを、きっと覚えているだろう。
ノラの頃のジュルの写真は、ほとんどない。少ない中の1枚。
コレ、垂れてる鼻水をなめてます ガリガリだ…。
もし、ジュルが望むなら、安全に自由を満喫させてあげたい。リードに慣らしたり、
逃げ出さないように工夫やコツをつかむのは大変だろうけど、ジュルといっしょに
わたしも慣れていけばいい。
玄関。内廊下。エレベータ。エントランス。歩道。公園…。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。慣れていければいい。
いまの社会では室内飼いが当たり前、外に出しちゃいけないと思うあまり、外に出す
全てのことを捨ててしまうところだった。
ただひとつ、条件をつけよう。“ジュルの意志にしたがうこと。”
わたしが散歩したいとか、どこかに連れていきたいからとか、勝手な都合でけして連れ出さないこと。
怖がったり、戻りたがったら、すぐに戻してあげること。無理は絶対しないこと。
ちょっとずつ、やってみよう。ジュルといっしょに。