
法華経でいう禅定とは、それを志念する決意の長さのことだと思えます。
ところで、その禅定といえば、いわゆる禅の修行として特に日本の仏教シーンには欠かせない孤高で厳しい修行に対する代名詞にもなる、修行の醍醐味のように思えますね。
しかし、その有名な禅とて、一切の雑念を排除して、ただ素朴なまでに集中力を高める効果があるという程度しか知られていないようですし、実際はその禅の効果が佛教そのものに対してどのような位置づけにあるかや、禅で得ることになる修行者全般に共通的な精神知識やらが、その長い歴史の生んだ結果となるものを誰もが語って伝えてきていないように思えます。
そこで、禅定とは何かをとりあえず調べてみますと、「佛教で心身ともに動揺することがなくなった一定の状態のこと」を禅定というそうです。
ところで、一般には禅定といえば、単に禅のことだろうと思いがちと考えられますが、調べてみた結果は、特に日本の場合、単に禅と言う場合は一般には禅宗そのもののことを指すそうで、禅と禅定とは意味が明確に区分されているそうです。
(『禅-Wikipedia』参照)
そして、体のほうを一定の状態に動かないでいる座禅という形を組んで行なう修行形態そのものも特に禅宗を最もイメージ付けるものらしく、この座禅とは法華経にある正式な座し方である本来の結跏趺坐のことであると考えられますが、結跏趺坐をする行為がそのまま禅定のための特有の作法ではないようです。
このように座禅そのものを修行の基本形態とする禅、つまり禅宗は、その源流は大乗仏教の一派だったインドの達磨が中国へ伝えたのが始まりといわれているそうですが、それにより中国で禅宗が発生したらしく、文字による主だった経典を立てず、師資相承を重視し、そのための臨機応変な以心伝心の方便など、種々の特徴をもつ宗派であるそうで、日本にその禅宗が正式に伝えられたのは鎌倉時代だったとのことです。
尚、インドの達磨が伝え、後に中国で成立したこの禅宗は、禅定=座禅とする新しい定義解釈が与えられており、それは従前の佛教を真向から否定するような面を持つものだったらしく、派閥の大衝突を超えて唐代に隆盛を極めた禅宗は、宋代に栄西・道元らによって日本にもたらされたとのことです。
よって、日本に於て禅宗とは禅定を得るための方法論として、その当時の中国に習った幕府支配により多くの寺院が新たに発達しましたが、その同じ鎌倉時代に於ては浄土宗や浄土真宗による南無阿弥陀佛の念仏だけを繰り返し唱えることや、日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目だけを繰り返し唱える、いわゆる鎌倉新仏教といわれるものも新たに登場し、これらは中国の新たな思想とは分派されているとはいわれますが、経典の思考から離れて精神を集中させて禅定に至る行といわれているそうです。(『禅定-Wikipedia』参照)
そういうわけで、そろそろ本題の禅定のお話しに戻ろうと思うのですが、単に禅と省略せず、法華経では禅定と複合語で示すことが正式名ということです。
ところで、六道(地獄界~天上界)の世界のことを三界といって、その三界の一番上の世界が天上界といって天神の住む世界なのですが、その天上界こそが禅定の世界らしいのです。(『三界-Wikipedia』参照)
尚、その天神の住む天上界は佛教に於ては四禅天といって、四階層になった禅天があるわけですが、法華経以外の釈迦の教えの一説に、時の王に佛教の比丘の果報を問われた釈迦が、まず戒律の果報を説き、次に四禅の果報を説き、最後に六神通を説くといった形で、比丘の修行の三段階の二番目に四禅は位置付けられていたといわれているそうなのです。(『四禅-Wikipedia』参照)
この比丘の修行の戒律・四禅・六神通の三段階を考えますと、戒律が人間界、四禅が天上界、六神通が六道世界の更に上にある声聞界・縁覚界・菩薩界・佛界を意味すると思います。
よって、実際の声聞や菩薩などの地位はすでに禅定の天上界の領域を超えた六神通を具足した領域であることが理解できるようですね。
以上のようなことから、一気に今日の品の謎に戻って考えてみましょう。
そこで、禅定修行とは、そもそも声聞より下の人間界の比丘衆などが天上界の諸天神と共存する目的で三界、つまり六道のままに修行する領域であることが何と
なくわかってくると思うのです。
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今の日本では特に日蓮聖人を中心とした大規模な宗教団体が多く名を連ねていますが、それらの多くはただ南無妙法蓮華経とお題目さえ唱えればすべて救われると教えていると思いますが、今日の説法でわかることは、それはそれで天神さまと共存する宗教としては成立しているということだと思います。
そして、それら宗教団体の多くは、法華経の経典は一応用いていますが、その法華経の内容よりも、日蓮聖人自身が法華経から説かれた教えが何であるかが中心であるのはまだうなずけますが、現在の政治討論などの教えのほうが更にエスカレートして行って受け入れられていて、その会長や対照の政治家が居なければ何も分からないといった情けない状況だと思います。
これらは皆、鎌倉新仏教派の代表となる日蓮聖人、或いは親鸞聖人が大活躍した、当時中国から日本へもたらされてきた新たな禅に対しての対応策とも考えられ、その禅がもたらしたものは激しい佛教論争そのものだったとも考えられ、それを中国から譲り受けた形の当時の日本の幕府を交えた混乱合戦が今の今まで、止むことなく続いてきていると考えるしかありません。
皆さん、今こそこの法華経の文面を堂々読もうではありませんか!
そして、日本にとって混乱の始まりである鎌倉時代から千年の歳月を超えて、今こそこの日本で法華経をしっかり知り得ようではありませんか!
リンク=http://jouan167.jimdo.com/2015/01/17/第9-17日-諸-の禪定の際を盡くさんと-分別功徳品第十七-六十六行-七十二行/
