英語版Wikiの[Nanjing massacre]のレイプの被害者数は、[2万人]と[8万人]という数字が掲載されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nanjing_Massacre
この2万と8万という数字が、どのように割り出されたかについての私の意見を述べたい。
前者の[2万人]は、東京裁判(IMTFE:The International Military Tribunal for the Far East)で、法廷で国際安全委員会のメンバーだったベイツ:Miner Searle Batesが証言した内容の中で安全区のリーダーだったラーベ:John Heinrich Detlef Rabeが見積もった数字だと述べている。日本兵は6週間で割ると1日平均470のレイプ事件を惹き起こしたこととなる。更には1938年1月14日付のSiemens社社長へのラーベからの手紙の中に2万人という数字を書いている。
2つの数字は、おそらく彼らの同僚であるLewis Strong Casey Smytheが作成した報告書(『War Damage in the Nanking area Dec. 1937 to Mar. 1938』WDNA)の中にあるデータが推測の根拠となっている。
彼は1938年に行ったされる全家族は47,450中の13530家族への調査で、その内16歳〜50歳までの女性全体の[8%]のレイプ被害があったと報告書の中で主張している。この[8%]という数字が、2つの数字([2万]and[8万])を理解する上で重要な手がかりとなる。
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938 (WDNA#Page_7)
スマイス報告に依れば、南京の人口は1937年8月の上海バトルが始まる以前は約100万人だった。後者の[8万人]は、その人口の8%として割り出した数字を単純に強姦被害者としたと考えられる。(WDNA#Page_7)
しかし、スマイス報告に従うならば、1938年3月の調査当時の人口は、221,150人だ。その南京の人口の男女の構成比率を男49:女51としていた。例えば人口が100万だとしても、被害者を女性の比率から計算すると約51万人でその8%は約4万人になる。レイプ被害者の8万人という数字は、成立しない。意味の無い極端な数字だと判る。日本兵が見境なく男性までレイプしていたのなら別だ。12月28日迄に日本軍のほとんどが他の戦地に移動して、南京には4千人程度しか残っていなかった。これを考えると現実的な数字ではない。
さらに、スマイスの統計からの15歳〜64歳までの比率は51.8%で、女性の対象年齢の人口は約26万人になる。その8%は約2万と成る。これはラーベが主張した数値に近い。だがそれは矛盾している。南京を去った後ドイツに戻ったラーベがヒトラー宛の上申書に難民は25万人と書いているからだ。25万人が全て女性ならば、8%で2万人となる。そのような事あり得ないので、彼の数字は矛盾した数字になっている。
スマイス報告書による当時の人口を約20万人という数値を使えば、20万人のうち対象年齢を計算すると約10万人なる。その8%は約8千人と激減する。ただしベイツの主張には合致してるので彼はスマイス報告のデータから導き出したものだと言えるだろう。
http://imtfe.law.virginia.edu/collections/sutton/7/31/ips-doc-no-2247 (WDNA#Page_7)
つまり、[8%]という数値から全て割り出された数字になっている。
最後に、私は約8千人という莫大な数値のレイプの被害者が居たと証明した訳ではない。
そもそも、スマイス報告書にある[8%]という数値自体に蓋然性の信用性は殆ど無いに等しい。
スマイスは、13,530世帯からの調査で[強姦被害を<訴えた>数値]から算定した。
重要な事は性犯罪での医学的な知見や警察・司法などの捜査の上で事実であると認定された強姦被害結果から算出した数字ではないということだ。又、日本人と中国人のハーフがその後多数生まれたという歴史記録もない。
結論として蓋然性のとても低い数値から導き出された被害者数は、事実として考えることは不可能だろう。
今回は、2万〜8万という数字がどのような方法で作成されたかを考えたが、その数字には蓋然性がかなり低い、限りなく無意味な数字だと判断出来る。
Wikipediaの数値情報は、デマだと考える。