:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 福島と東京の温度差

2016-02-19 22:54:24 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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福島東京温度差

「キコのコンサート」ニュース

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私は福島に何度足を運んだことか。もうかれこれ10回を下らないのではないか。「福島第一原発は二町にまたがるが、その一方の大熊町役場は会津若松に疎開していた。もう一方の双葉町は役場をいわき市に疎開していた。浪江町は二本松市に、葛尾村は三春町に、富岡町は郡山市に、飯館村は飯野町に、といった具合に、たいていは2階建てのプレハブ役場を建てて不便な疎開生活をしていた。町民や村民も役場のかたわらやあちこちの仮設住宅にひっそりと分散して、冬の寒さと不自由な生活にひたすら耐えていた。

雪の中の 富岡町 郡山事務所

1月、2月、降りしきる雪を衝いて、でこぼこの雪道を1日300キロも走った日もあった。伊達市にも、広野町にも、川内村にも、川俣町にも足を運んで、キコのシンフォニーに被災者の皆様をご招待するために挨拶に歩いた。何しろ、北海道と岩手県に次いで日本で3番目に広い県のことだ。半端な行脚ではなかった。

役場と共に疎開してきた町民の仮設住宅 買い物も 医療も何もかも不便な中で じっと耐えるしかないのか?雪が降る。

東京を出る時は暖かでも、雪模様の福島や郡山に降りると、底冷えがした。風評被害だけ残して、都会の人の心の中ではすっかり風化し忘れ去られようとしているが、福島の人々の苦しみはまだ現在進行形なのだ。

夜、気温が下がると凍って危ない山中の道

しかし、気候とは裏腹に、福島の人々の心は温かだった。キコが200人余りの音楽家を連れて、数千万円をかけて、福島の地までやってきて、「天災」の上に放射能の「人災」を被った人々と連帯し、音楽を通して「再生と復活」の希望のメッセージを伝えに来てくれるのを、ただ座して眺めているだけでいいものだろうか、という問いが自然に人々の心に生まれた。自分たちも何かしないではいられない思いが湧いてきたのだろう。

道はでこぼこ 視界も悪い

福島県も福島県教育委員会も、福島県市長会も、町村会も、福島市も難なく「後援」申請を許可してくれた。地方新聞・テレビ局も、全県レベルの各種団体も約50件の後援が取れた。すべて、福島の有力者の協力と口利きによるものだ。

飯館村の菅野村長はコンサートの初めに「福島の現状」について話して下さる。福島県合唱連盟や、お母さんコーラスや、3つの高等学校のグリークラブが、コンサートの最後に歌う「花は咲く」の合唱をサポートするために多数参加することも決まった。県内それぞれ1000軒以上ある美容院や床屋さんにもコンサートのポスターは張り巡らされる。この分で行けば福島の会場は間違いなくいっぱいになるだろう。福島の下からの盛り上がりで現地事務局も生まれた。福島の雪の冷たさとは裏腹に、人々の心は今熱く燃えている。

こんなに美しい会津磐梯山を私はかつて見たことがない

一方東京はどうだろう。サントリーホールという超一流の会場は取れた。しかし、東京都を始め、後援を依頼した先々の反応は冷たかった。そんな中で福島第一原発のある大熊町と双葉町の「後援」は実にありがたいものだった。

協力を期待した人々は、素人の私たちのお手並み拝見とばかりに遠巻きに見守るだけで、手弁当で手伝いに駆けつけてくれる人はまずいない。大東京の都会の砂漠の中で、わずかな無名の理解者たちの協力を得て、闇の中を手探りで孤独に奮闘するほかはないのだろうか。公演当日が近づくにつれ、私は危機感を募らせている。

しかし、海外からは強力なサポートがある。バチカンからははるばるコルデス枢機卿の列席が決まった。同枢機卿は聖教皇ヨハネパウロ2世の時代、教皇の特命を受けてキコの運動の保護と指導に当たった人物だ。フランシスコ教皇の時代に、彼の出席は今回のコンサートに対するバチカンの認知と支持を意味するものだろう。昨年5月のイスラエル公演の前例から察するに、今回も福島・東京の2会場で教皇フランシスコの3.11被災者に宛てたメッセージが読み上げられる可能性は高い。隣国ソウルの枢機卿を始め100~150人以上も、中国や台湾、フィリッピン、グアムなど、アジア各地からも参加が噂されている。日本の司教様たちの間にも2-3人以上の来臨が内定している。

東京のコンサートに来ることが決まったローマのコルデス枢機卿

しかし、東京の一般市民の手応えはまだほとんど感じられない。当日、舞台は整って、定刻に明るい照明がオーケストラとコーラスを照らし出したが、客席は暗く誰も座っていなかった、という悪夢を見る。人は、他愛ない楽観主義から、「きっと大丈夫だよ」と慰めてくれるが、私の胸騒ぎは静まらない。

福島は熱く燃え、東京は冷たく凍てている。この違いは何処から来るのだろうか。わずか5年の時の流れの中で、福島は70年前の広島・長崎並みに、東京人にとって、もう歴史的過去に葬り去られてしまったのだろうか。人々の目は過去の福島ではなく、未来の東京オリンピックに向いているように思えてならない。

2011年3月、イタリアの新聞の1面上半分を飾った福島第一原発の爆発の写真(私は核爆発だっと信じている。左端は天皇の写真。

赤い字の見出しは「目に見えない破局の震源地」と読める。

福島第一原発は東京電力が建設したものだ。その電力は福島のためではなく首都圏の住民を潤すためのものではなかったか。際限を知らぬ消費生活の奢り高ぶりの罪のつけを背負わされたのが、福島の人々ではなかっただろうか。この福島の「罪のない人々の苦しみ」に寄り添うことこそ、まさにキコのシンフォ二-の普遍的テーマなのだ。

 

アウシュヴィッツの強制収容所の正門に向かう一本のレールとユダヤ人を運んだ貨車のイメージ

首都圏にお住いの被災者の皆様は無料でご招待いたします。

(以上)

 

 

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