:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 鶯と詩人 ホイヴェルス著 =時間の流れに=

2022-08-28 00:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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鶯と詩人

ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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鶯と詩人

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 私は五歳のとき、よく鶯の歌を歌いました。 

      Nachtigall, Nachtigall !

      Wie sangst du so schön 

      Vor allen Vögelein !

      「鶯よ うぐいすよ 

      なんと美しくうたったことよ 

      どの小鳥よりお上手に」 

 などと母からならって――けれども鶯の声を聞いたことがありませんでしたから、この不思議な鳥の声を始めて聞けるのはいつかしら、とあこがれていました。二、三年たってからいろいろな鳥の声を聞きました。中には、森の中に自分の名を呼んでいる郭公鳥の声もありました。鶯もそうしたらいいのに、と私は思いました。 

 ところがある五月の朝、森を通って行くと、突然中から、何かのラッパの音なのか笛の音なのか、大きな喜びの叫びや、また悲しいさえずりなどが響きましたので、私は息を押えました。確かに鶯です。すべての鳥よりも美しく歌うのです。 

 五月の朝のそうした出来事のあとで、私はいろいろな国を訪れました。新しい国にはいると、その国では五月になると鶯が歌うかしらと、すぐ気にかかりました。ずっとあとになって日本に来たときに、日本も鶯の国だと聞いて非常によろこびました。私が万葉集の和歌を研究したときには、春とともに必ず鶯の名もそこに出て来るので、鶯という言葉は、もう一番美しい感情にみたされた日本語となりました。日本の鶯の声が始めて耳に響き、深く心にはいるのはいつのことでしょうか。 

 私が来朝したのはちょうど八月のことでしたが、秋になり冬になりました。それから春――春のある朝八時頃、庭の中で短い笛の音がしました。 鶯かしら、と立ち聞きました。しかしやはり一つの短い歌でした。もっともっと聞きたい。庭の中へはいって、ひそかに歌声の方に近づいて行きました。やはり鶯です。鳥は枝にとまって速かにその歌を終わりました。それからあちこち飛んで虫を食べ景色を眺め、もういっぺん短く歌いました。鶯よ、そんなに短く歌うのにお前を Nachtigall といってよいのでしょうか。 

 ある若い詩人が、私に一人の有名な詩人の著した本を寄贈して下さいました。それは七百五十五首の和歌を納めたものでした。中には春と鶯についても、かなり詠んでありました。七百五十五の和歌、どういうわけでそんなに短いものにしたのでしょう。詩人もやはり鶯のように、その製作をあまりに早くまとめてしまい過ぎます。日本の鶯と詩人の気持はいつになったらわかるのでしょう。 

 しばらくたって若い詩人は七百五十五首の和歌を詠じた詩人のところに私をつれて行きました。一見その詩人は決して詩人のようには見えませんでした。都会の美術家や文芸作家などのように長い髪をしていません。またその目つきも普通です。ある若い美術家などは、サムソンの力が髪の毛にあると思っているかのように、非常に長い頭髪をたくわえ、その歩き方や目つきは、いつもダンテとともに地獄のどん底をめぐり、あるいはファウストとともに魔女の厨を訪ねるもののようです。この詩人には何もこうした怖しいところがありませんでした。 

 初め私たちは応接間の安楽椅子に腰をおろしましたが、なかなか話がうまく進みませんので、居間に案内され、そこに坐って、やがて楽しい会話となりました。詩人は心よく自分のほかの著作を見せましたが、それもおおかた三十一文字の和歌でみたされてありました。この詩人は自然のうちに潜みかくれ、静かにしていて、自然の息を感じると、柔かい手つきで捉え、三十一の珠玉の言葉の中に花束のように包み、読者に献げるのです。

 詩人の夫人は茶菓をすすめて静かに詩人の後に坐りました。あとから詩人の合図でレコードを出し、作曲されたいろいろの和歌をきかせました。中には有名な蝶々の和歌もありました。また蝉の声、蛙の和歌を聞かせました。それがすむと、夫人は紅茶と菓子を新たに運んで来ました。そこで私は勇気をふるい起こして、詩人に私の悩みを言い表わしました。

「二、三日前に始めて鶯を聞きました。正直に申しますと、私は失望したのです。あまり早く歌い終わってしまいますから。もちろん歌うところは美しく響きますが。けれども日入る国々の鶯の荒々しい熱情、底しれぬ淵のような嘆き、あこがれの歓喜の声などはどこにあるのでしょう。そうしてまた日本の詩人たちも、失礼ですけれども鶯のように、何か軽く詩人の仕事を行うのではないかと思いますが、日本の詩人たちは、自然に沈み、ある景色と花とか、その魂にまで触れ、それから浮世のはかなさにあわれを覚えるなど、その感興を三十一文字の和歌に吹きこみます。この三十一文字は私たちには歌の表題としか思われません。歌そのものは与えられておりません」

 などと私は言いました。 

 詩人は忍耐強く終わりまで私の言葉を聞いていました。私は、机の上に置かれた詩人の右手の指先が軽く机を叩くのを見て、その不賛成がそれも詩人の力強い返事としてわかってくるのでした。

「平和な自然のうちにありながら、何だって埃を立てたり、感情を鞭打っていらだたせたりするのでしょう。また山の上に山を置いたり、森を根絶やしにしたり! 自然においてはすべてはなれなければならぬ状態にあるのです。自然世界が移りかわって行くならば、その印象を受け、三十一字なり、十七字なりで表現したら十分ではないですか。自然に反抗したって何のためになるのでしょうか。花が咲き花が凋落する。それをあわれと思う人は、その感じる所を、決して反抗的な気持でではなく、優しい感情を紙に書き、涙ぐみながらその和歌を桜の木の枝に結びつけたらいいではないですか。と、こうわれわれ詩人たちは思うのですが――。今日知ったばかりですが、わが国の鶯もその通りするわけなんですがね」

 詩人の夫人はもう一つ主人の歌のレコードをかけて、この対話の波をやわらげました。私たちはいい気持で別れを告げました。詩人は、しばらく私たちとつれだって歩み、草原を越えました。そこで私は三十一文字の謎をといたのであります。それはこういうわけなのです。小さい蝶々が詩人の袖に飛んで来てとまりました。私は日入る国の者として、すぐこの蝶が人類に与える害を思い、打とうとして手を上げました。けれども詩人は、さながらアッジジの聖フランシスコのように、この小さな生物を見えない力で自分の方にひきよせました。蝶は保護されたと感じて逃げません。詩人は、蝶の上に手をかざしてかばい、なでいとしみ、しばらくそのままで、歩いて小さい弟の蝶のために安全な場所をさがすのでした。ようやく手頃な所を見つけて、土にかがみ、小さいものを草の中に滑らせました。蝶はまもなく見えなくなってしまいました。 

 それは、どんなに美しい和歌になることでありましょう。

 

 ホイヴェルス師はウグイスに託して、東西の文化の違い、こころの持ち方の違いをさり気なく書いています。

 私もホイヴェルス神父様の祖国ドイツのデュッセルドルフに4年ほど住んで、その半分は市の中心のホーフガルテン(宮廷庭園)の森のそばに住んでいたので、この短編を読むと、短い夏の夜、夜通しさえずるサヨナキドリ・ナイチンゲールの美しい声を楽しんだことを懐かしく思い出します。

 ヨーロッパのヨナキウグイスと日本の鶯と比べて、日本のウグイスの歌声が余り短くあっさりしていることに、師は正直に失望したと言います。

 名は同じ「ウグイス」でも、ドイツのそれはスズメ目ヒタキ科ウグイス属の鳥であり、日本の鶯はスズメ目スズメ・ウグイス科の鳥で、日本三大鳴鳥の一つに数えられますが、種類が明らかに違います。たまたま「ウグイス」の名が共通したのでしょう。

 YouTubeでドイツ語でNachtigallと引けば、ヨナキウグイスの音声動画が幾つもヒットします。懐かしい美しい、途切れなく長い変化に富んだ歌声です。日本の鶯のホーホケキョ、ケキョケキョ、もYouTubeで聞けます。

 あとは、ホイヴェルス神父様の文章そのものが全てを語っているので、野暮なコメントは必要ないでしょう。

 ただ、ナイチンゲールと言えば、19世紀クリミア戦争に従軍したフローレンス・ナイチンゲールが有名ですが、赤十字と繋がって近代看護師の基礎を築いた女性です。日本で、もし初めてでなければ、極めて初期のナイチンゲール章を授与された井深八重子さんという看護婦さんがいました。彼女は、良家のお嬢様育ちだでした。不幸にも癩病と診断され富士の裾野の神山福生病院に隔離され、1年後ぐらいに誤診と判明して、自由の身になったのですが、入院時の院内の生活の悲惨で絶望的状態が忘れられず、看護婦の資格を取って同病院に戻り、生涯そこで奉仕の生活を送られました。

 私は、ホイヴェルス神父様と出会った学生時代、日本のカトリックの黄金時代の偉大な先達の跡を慕って、あちこち足を運びましたが、富士の裾野の神山福生病院には故岩下壮一神父の遺徳を偲んで訪れ、そこでまだ存命中だった井深八重子さんご自身に院内を案内していただきました。当時はまだかなりの数の癩患者が収容されていました。

 岩下壮一神父と言えば、東大の哲学科の俊秀で、天皇から恩賜の銀時計を受けた人物ですが、カトリックの司祭になり、東京の初代の大司教・枢機卿の任命を受けたのに、それを断って、関西の岩下財閥の財力で神山福生病院を設立し、生涯を癩病の患者のために捧げた人です。彼は少年時代に足を怪我して、以来ビッコだったのですが、日本のカトリック教会の顔になるべき人間がチンバでは絵にならないだろうというのが辞退の理由でした。

 聖書の翻訳では「癩病」は差別用語として避けられ、「重い皮膚病」などと訳されていますが、岩下師を語る場合に「思い皮膚病」の病院ではどうにもなりません。歴史的にも重い意味の込められたこの病気の聖書言葉の訳に「癩」の字が使えないというのであれば、一層のこと「レプラ」とカナ表示にすればよかったのに、と思います。

 癩病院と言えば、私が高松教区の司祭として働き始めたころ、高松港から公営無料連絡ランチで30分ほどの小島の癩病院「青松園」に、二週に一度ミサをささげに行くのが大切な務めでした。数名のカトリック信者の患者さんがいて、ミサ後のお茶の時間は貴重なものでした。現在は、入園者が高齢化で皆他界し、閉園後はリゾート地か何かに変身するのではないかと風の便りにききました。80年以上も生きると、いろいろ世の移り変わりをみることになりますね。

 

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補足 (新米信徒)
2024-08-07 21:42:28
谷口神父さま

度々申し訳ございません。わたし(新米信徒)が上のコメントにわたしの不確かな記憶で書いたプロテスタント教会の信者の方のコメントは、「★ 急速にプロテスタント化するカトリック教会(その-4)2013-01-17 12:45:44 | ★ 神学的省察」です。わたしが書いたことはそれほど間違っていないように思いますが、改めて読むと、プロテスタント教会に対して厳しいことを書いておられるように思います。「紙の教皇」という言葉が印象的です。
返信する
semel et semper (新米信徒)
2024-08-07 02:27:48
谷口神父さま 

返信をありがとうございます。
いろいろな立場があるように感じるので、難しく感じます。

「ヨセフ・ラッツィンガー (Benedict XVI) 濱田 了(神父さま) 訳 典礼の精神 サン パウロ(2004)」の、第二部 典礼における時間と空間 第一章 典礼が持つ空間と時間との関係についての予備的考察、に、
「・・・。キリストの奉献は私のものとなる必要があり、それによって同時性が完成し、神にかたどられることが生じます。・・・。典礼は、パウロが上述の箇所で述べたように『わたしの体を』(つまり、体を持った私たちの地上における
実在を)、『生きたいけにえ』とすることの上に、キリストの「いけにえ」に一つとなることを目指しています(ローマ 12・1 参照)。・・・。なぜなら、キリストのいけにえは、とっくの昔に受け入れられているからです。しかし、代理としての役割は終わったわけではありません。その「一度限り」 (semel) は、「常に」 (semper) に達しようと目指します。このようないけにえは、アウグスティヌスが「神の国」において描いたように、世界が愛の場となるときに初めて完成します。・・・」 cf. p. 65.

上の「代理」が気になったので、"Joseph Cardinal Ratzinger
The Spirit of the Liturgy Ignatius (2000) を見ると、
"..., Christ's Sacrifice was accepted long ago. True, but in the form of representation it has not come to an end. The semel ("once for all") wants to attain its semper ("always")." cf. p. 58.

古語風におきかてみました。キリストのいけにへは遥かなる先に受けられたり。まことに、されど、そは徴(しるし)の態(なり)でいまだ続く。常(とこ)しかる一際(ひときは)はそが常(つね)なることに及ばむと欲す。

以前に、「毎日の読書 第 5 巻 年間 2 カトリック中央協議会 (1991)」の、イエスのみ心、の、第二朗読 聖ボナベントゥラ司教の著作 あなたのもとにいのちの泉はある、の冒頭の、「贖われた人よ、考えてみるがよい。あなたのために十字架にかかっておられる方はどのような方であろう。」を読みひっかかりを感じました。また、神父さまのこのブログのある記事(思い出せません。かなり前の記事だったと思います)に、プロテスタント教会のある派(具体的に書いておられました)の方がカトリック教会または正教会に転会することを考えているが(その理由も書いておられました)、キリストのいけにえをミサで繰り返すことだけは理解に苦しむという意味のことを書いておられたと思います。一度だけのことであるはずと。Benedict XVI の上記の本を読み、このコメントのことを思い出しました。わたしには、岩下神父さまの本にあることばとつながっているので、ここに書かせていただきました。
返信する
新米信徒さまへ (谷口幸紀)
2024-08-02 06:21:46
>新米信徒 さんへ
>療養所の日時計... への返信
私も毎朝決まりきった顔ぶれの6-7人の信者さんと教会の祈りを唱えながら、その訳についていくつかの違和感を抱くことがあります。
教会の祈りだけではありません。主の祈りの訳、ミサの典礼文の訳につても、これはどうか、と首をかしげたくなるものがいくつもあります。
返信する
療養所の日時計 (新米信徒)
2024-08-02 00:27:00
谷口神父さま 

「岩下神父の生涯 小林珍雄(先生)著 伝記叢書 25 大空社(昭和六三年)」から、岩下神父さまは心の底を人にさらされず、それが故に、いま、誤解を受けているように感じ始ました。上記の本の、大司教のよび声、に、井上紫電先生あての手紙があり、「・・・。東京大司教なぞ素より真平御免蒙り度候、何故にカトリック教会は小生に知識的に働く余裕を与えぬものにやと、学問熱の再興せる今日この頃、愚かな不平を並べおり候・・・」、とあります。cf. p. 251. 井上先生は無教会派の塚本先生のところから岩下神父さまとのかかわりを経てカトリック教会に改宗された方だそうですが、脱会される際に塚本先生から受けたカトリック教会への激しい批判(罵倒)を込めたお叱りは、井上先生の「岩下師と私の改宗」にあります。例えば、このようなことを知った上で岩下神父さまの塚本先生の論文への完膚なき迄の論駁(井上先生のことば。「カトリックの信仰」に所収)を読むべきだと強く感じます。

その一方、「リデル女史の思い出 昭和七年四月七日・『感謝録』昭和十年十月」に、「・・・。療養所はバラックであってはならない。できるなら、そこではゼンマイで動く時計などは使いたくない。不幸な病のために社会と絶縁せねばならなくなった患者たちをして、その苦悩を忘れて、ほがらかに天日とともに生き、天日とともに眠らせたい。願わくば、彼らの生涯から、日時計の役に立たぬような、曇ったり雨が降ったりする暗い冷たい日をことごとく取り除きたい。温かい光に思う存分ぬくまった後に落日の栄光のうちに父なる神の懐にいこわせたい。これこそは女史の哀心の願いであり、また希望であったのである。・・・」、と書かれています(回春病院にリデル女史を訪れた際の回想)。また、上記の小林先生の本の、六代目院長として、に、「病者の心得」、「病気中、毎日くりかえすべき祈り」、等があります。それぞれかなり長く、今の日本のカトリック教会からはあまり聞かないようなことが多くあるように感じます。例えば、「時々自分を天主にささげ、病苦を忍び、これを聖化する恵みを祈れ。」cf. 上記の病者の心得。p. 286. このようなことばに触れると、「教会の祈り」(典礼聖歌集)の訳に対する違和感が強くなるように感じます。わたしのおろかさ故でしょうか。
返信する
ミサにおける聖霊と霊 (新米信徒)
2024-05-03 17:12:06
谷口神父さま

上のコメントで 07/01/2024に、1 Tim 3:16 の「霊」という訳について書かせていただきました。最近、ミサにおける聖霊と人の霊について次から教えられたように感じました。「カトリックの信仰 岩下壮一(神父さま)ちくま学芸文庫 筑摩書房 (2015)」の「第十四章 聖霊」の最後にある、カトリックの宗教体験観、に、
「・・・。日曜の祭式は、その原動力を供給する。だから牧師や長老の体験なぞを拝聴する必要はない。それは彼等のことで、わが事ではない。カトリックは『これからだぞ』と思って、日曜日に教会の門を出て浮世にかえる。彼の宗教生活は教会内に限られない。・・・。祭壇に立つ司祭は、日本人でも外国人でも、雄弁でも、訥弁(とつべん)でも、少しも差し支え
ない。彼がいかにその代表する大祭司キリストにふさわしくあるべきかは、彼自身の良心の問題である。信者は彼の良心にまで立ち入らない。要は彼が敬虔に聖祭を執行し、忠実なる神の奥義の分配者であればいいのである。人間的才能の有無は問題ではない。・・・。名は同じキリスト教でも、実質は彼我全然異なった宗教である。我等は主日の礼拝に際して、活けるキリストにきき、活けるキリストに物語るのである。」cf. pp 689-690. 「彼」はプロテスタント教会のことです。最後に、(マルタとマリアの話の)ルカ聖福音書第十章三八 ー 四二が引用されています。この「カトリックの宗教体験観」を読む限りでは聖霊の働きが中心にあるように感じます。このことばは、「アレクサンドル・シュメーマン(神父) [著](正教会司祭 ゲオルギイ)松島雄一 [訳]  ユーカリスト 神の国のサクラメント 新教出版社 (2008) 」の、第四章 「言葉」の機密、の次のことばと結びついて感じました。
「今日、説教には疑いなく一つの傾向、ないしは危機が認められる。・・・。説教の本質は教会の集いで読まれた福音との生きたつながりの中にある。・・・。説教は『福音についての』説教ではなく(について に傍点)、福音それ自体の宣言にほかならない(福音から宣言に 傍点)。説教の危機は、それが一種の『説教者の個人的表白』に堕してしまったことにある。例えば、人々はしばしば『彼(説教者)には語る才能がない』と言う。しかし語るため、福音を宣言するための真正な才能は、説教者に内在するものではなく、教会においてまた教会に向けて贈られる聖神(せいしん)のカリスマである。・・・。すなわち、教会の集いは真に聖神(せいしん)の内にあり、そこでは同じ一つの聖神が説教者の唇を開き福音を宣言させ、聞く者たちの精神をそこで宣言された福音へと開く。・・・」cf. pp. 106-107.
応答句 "Et cum spiritu tuo" を思い起こし、"spiritu" があることが岩下神父さまのことばと併せて自然に感じます。正教会では 「なんじの神(しん)にも」 と唱えられるようです。Lc 23:46 のイエス様のことばを「時課の典礼」の終課で唱えますが、はっきりと "spiritum meum" とあります。

日本正敎會翻譯 我主イイスス ハリストスノ新約 一千九百一年 東京 正敎會本會印行(オフセット再版 二〇一四年) ルカニ因ル聖福音 第二十三章 四六 のイエス様のことばは、
「父ヨ、我ガ神゜(シン)ヲ爾(ナンヂ)ノ手ニ託(ワタ)ス。」

最後に、「キコ・アルグエヨ(先生)著 ケリグマ IL KERIGMA 福音の告知 フリープレス(2013)」は、わたしにとっては、「受洗後」の信仰入門の手引き(具体的なことに基づいたカテケージス)だと感じます。実際、わたしは洗礼までの準備期間がそれほど長くなく、いろいろな境遇の人とかかわる機会が少ないと感じるので。大変長文をすみません。岩下神父さまが仰る、ミサの後の信仰生活については、神父さまから随分教えられました。ありがとうございます。
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ホイヴェルス神父様のドイツ語の詩とその日本語訳 (新米信徒)
2024-01-26 10:46:11
谷口神父様 

わたし(新米信徒) が 21/12/2023 に「司祭(ホイヴェルス神父さまの詩)」というコメントを上に書かさせていただきました。「カトリックの信仰 岩下壮一(神父様)ちくま学芸文庫 (2015)」にある稲垣良典先生の解説に次がありました。

「I 岩下壮一神父 ー 司祭・哲学者 

この解説をひとつの詩の引用で始めることにしよう。
『春の庭の草花をわが子に教え、・・・
・・・ 
 司祭とはこのすべて それは君だった』(『司祭 ー 岩下壮一師の思い出に』)
 この詩は岩下を最もよく知る友人のひとりであったドイツ人宣教師・イエズス会神父ヘルマン・ホイヴェルス(一八九〇 ー 一九七七)の作で、岩下の死の翌年に発行された『カトリック研究・岩下壮一師追悼号』にドイツ語原文をつけて掲載された。ホイヴェルス神父は岩下がヨーロッパ留学から帰国する二年前に来日し、上智大学でドイツ語を教えながら、日本の精神的伝統を深く尊敬すると共に古典文学や芸能にも関心と造詣の深い卓越した霊的指導者として
大きな足跡を残すことになるが、岩下とは特に強い相互信頼・尊敬の絆で結ばれていた。それは学生時代、ほとんど毎週ホイヴェルス神父の「角(かど)部屋 (1)」に通って、指導を受けた私にもはっきりと感じられたことを付記しておきたい。・・・」

上の (1) については、神父様の記事「★ 時間の流れに
2022-08-25 00:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=」にあります。この訳は、最後を除いて、「人生の秋に (1996 新版)編 者 林 幹雄」と同じです。ホイヴェルス神父様のドイツ語の詩に対していくつかの日本語訳が公にされているようです。押田神父様が引用されていた「最上のわざ」の日本語訳も「人生の秋に」にある訳とは異なっていました(論理的には同等だと思いますが)。上記の「カトリック研究」の当該の号のドイツ語の原文を見ることができればよりはっきりすると思います。上記の稲垣先生の解説の最後は、「最後に本書で繰り返し行われるプロテスタンティズム批判、とくに無教会主義者との聖書学的論争に関しては、十六世紀宗教改革運動の歴史的研究、プロテスタント神学の多様な展開、実証的・批判的な方法で進められる聖書学の豊かな成果(聖書の歴史的・批判的な研究方法はもはや『高等批評』 Higher Criticism とは呼ばれない)などの現状にてらして、否定的な評価を下す読者が多いかもしれない。しかし私は岩下神学の出発点・根本原理である『キリスト信仰』 ー その中心はイエス・キリストは人類の救いのために真(まこと)の人となり給うた真(まこと)の神であるという『受肉の神秘』 ー を回避もしくは拒否して『ただの人イエス』の主張に傾く風潮は本書原本の出版当時と変ってはいないと思う。したがって本書で為されているような、必要であれば論争をも避けない真剣な対話は今日なお、というより今日こそ重要な意味を持つと言えるのではないだろうか。」

「一般財団法人森永エンゼル財団 運営 森永エンゼルカレッジ」に、「稲垣良典(先生)トマス・アクィナスに学ぶ」(全 14 回)があります。上記の site の講師一覧 -> ア行 -> 稲垣良典 として辿れます。2012 年に「神学大全」の日本語訳が稲垣先生を中心に完成し、そして 2013 年にカトリック福岡黙想の家(御受難修道会)で収録されたそうです。
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1 Tim 3:16 の「教会の祈り」の訳 (新米信徒)
2024-01-07 22:39:36
谷口神父様 

Liturgia Horarum. Die 6 ianuarii(1 月 6 日に)
IN EPIPHANIA DOMINI(主の御公現の祝日において)
SOLLEMNITAS I Vesperæ

の Canticum (Cf. 1 Tim 3, 16)
De mysterio et gloria Christi (キリストの神秘と栄光について) の「教会の祈り」の訳は、
「先 ・・・ アレルヤ。
キリストは、肉のうちに現われ、
聖霊によって聖なるものとされ、・・・」
とあり、大変驚かされました。
ラテン語規範版は、

"R. Laudáte Dóminum, omnes gentes.
Qui manifestátus est in carne, *
iustificátus est in spíritu. ..."

新共同訳聖書 (1987) の訳は、
「・・・、キリストは肉において現れ、
"霊" において義とされ、・・・」 。

ラゲ訳 (1910) は、
「・・・、即ち[キリストは]肉に於て顕(あら)はされ、霊によりて證(しょう)せられ、・・・」。

日本正敎會翻譯 我主イイスス ハリストスノ新約 一千九百一年 東京 正敎會本會印行 
(オフセット再版 二〇一四年) ティモフィ前書 第三章 十六の訳は、
「・・・、神(カミ)ハ肉軆(タイ)ニ顯(アラハ)レ、神゜(シン)ニ由(ヨ)リテ義トセラレ、・・・」。

「教会の祈り」の上の「聖霊」という訳は、「霊」が悪霊や霊魂を連想させる(例えばわたしのような疎か者に)ことへの深い配慮なのでしょうか? 

以前、神父様が「聖霊」について言いたいことがある、とお書きになったように記憶しています。わたしの記憶違いかもしれませんが。日本のカトリック教会の日本語訳ということで、03/01/2024 のわたし(新米信徒)のコメントにつながっているということゆえ、お許しください。
返信する
ホイヴェルス神父様と山中巌彦神父様 (新米信徒)
2024-01-06 10:16:14
谷口神父様 

能登半島の地震以来、能登の天気予報を見てきましたが、当初からの予報通り、この週末から暫く寒気が続くようです。1 月 1 日から暫くの間、気温が比較的高かったことは、幸いなことのようです。

昨日偶然、能登半島の珠洲岬(すずみさき)と島根半島の美保関(みほのせき)は、御穂須須美命(みほすすみのみこと)を通してつながりがあることを
知りました。美保神社のことは巫女舞のことで知っていました。出雲、丹後、北陸の日本海側にはつながりがあるようです。昨年の夏頃に、丹後の古墳群から多くの出土品があることを知りました。天の橋立が元伊勢であることの伝承は子供の頃から知っていました。天の橋立は父の故郷です。

「森 緑 編 ホイヴェルス神父を語る 中央出版社(昭和 52 年)」の冒頭の写真集の中に「新作能『復活のキリスト』上演当時 水道橋能楽堂にて(1957 年)」、と書いてある写真を見つけました。また、祈りの手ー慕う弟子たちー、に、「青い目の富士山 山中 巌彦(大阪教区司祭)」があります。山中神父様は三歳の幼児から丹後の宮津で大きくなったそうですが、ブラジル移民の父、ホイヴェルス神父、に、「私は昭和三年六月に、大阪玉造教会の助任から神戸下山手教会の助任を命ぜられた。・・・。私の神戸転任の直接の動機は当時、毎月毎月何千人という全国からのブラジル移民たちにカトリック教国であるブラジルに移住する前に、カトリックの信仰や習慣について渡伯前の一週間、神戸の移民収容所で(後に移住教養所と改名)常識的な知識を与えるためにローマ聖省からの命令で毎月、東京からおいでになっていたホイヴェルス神父を助けるためであったた。・・・」、とあります。生の声で聴くことができました。「細川ガラシア夫人」の劇作家、ホイヴェルス神父、に、「・・・、在任中の宮津時代にも、また舞鶴時代にも、たびたびホイヴェルス神父を天の橋立に招いて一緒に遊んだ楽しい思い出は、一生を通じて忘れえぬ。・・・。とにかく私がホイヴェルス神父をたびたび招待したのは、丹後の守(かみ)の細川ガラシア夫人伝を同師の手によって戯曲化していただきたいためであった。・・・」、と
あります。初めて知りました。

上の書の「まえがき ブルノー・ビッター(イエズス会司祭)」の最後に、「もう一人の八十五歳の我が友を述べたい。
神父はいつも満足して暮らしている。嘆いていない。幸・不幸に対してじっとしている。隣人に対して親切で、隣人のよいところだけをみる。・・・」、とあります。この後暫くしてホイヴェルス神父様は帰天されましたので、このまえがきはさらに続きます。

古語の「あり」、「ゐる」 、ラテン語であれば sum は大変重く感じます。口語の「ある」は変質してしまったように感じます。
返信する
訂正 (Ps 103:3) (新米信徒)
2024-01-04 11:30:51
谷口神父様

わたし(新米信徒)が上のコメントに新共同訳聖書の詩編 103 の 3 節を引用いたしましたが、間違いを含んでいました。申し訳ございませんでした。正しくは、

「主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し」

「聖書の讃美歌 詩編とその解説 (II) J・アブリ(神父様)エンデルレ書店 (1967)」には、「第一〇二編(一〇三)神は愛

神の慈しみに対する感謝の讃美歌である。(『慈しみ』は神のわれらに対するある具体的な助けを言い、『恵みは』神のわれらに対する『与える』働きを全体的に言う)

・・・。この詩編では、神の愛に対する賛美のことばが『ほめたたえるー祝福する』ということばで最も強く示されている。この場合、神の姿を、自分の生活におけるある大きな危機からいやしてくれる医師の働きにたとえている。これは出エジプト一五・二六にも示唆されており、キリスト教においては、イエズスがすべての病人をいやされた態度に示されている。これによって、神の人間に対する愛の働きは、何か、親しい母親のような感じを与える。・・・。この神の慈悲の働き、慈母としての愛は、罪の赦しにおいて最も強く啓示される。偉大なる神は改心する者に対しては、父のような形で自分の顔をみせ、人間のすべての貧しさを助けるためには母の愛をもってその慈悲を啓示される。・・・」、とあります。

ホイヴェルス神父様の「森の中で一人であることは楽しむことです。ですから、ワルト・アインザムカイトはいやな言葉ではありません。人が一人で森の中を散歩しますと、創り主の神までも覚えて、神の賛美までも歌ったりしています。・・・」の「楽しむこと」からラテン語の形容詞の bonus を、わたしはおもいます。上のことばは、「森 緑 編 ホイヴェルス神父を語る 中央出版社(昭和 52 年)」にある「神の国への近道ー蓼科の森からH神父さまのお便りー 森 緑・記」 のアインザムカイトー寂しい心とか孤独についての箇所から引用したものです(German: Einsamkeit,
Waldeinsamkeit)。少し補足すると、蓼科(たてしな?)の森で、二週間の黙想をなさってからのことばだそうです。

災害時の救援を専門とする自衛隊とは異なる部隊を創設することはできないのだろうかと思います。自衛隊員の方々の高齢化も進んでいるそうですから。
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日本の典礼における詩編 103 の訳 (新米信徒)
2024-01-03 10:07:01
谷口神父様 

昨日、多くの人の苦しみを見て、打ちひしがれていましたが、この地で唱えられている "Liturgia Horarum" の Ad Vesperas を唱えました。Ps 20, Ps 21:2-8,14, Ap 4:11,5:9,10,12 を唱えると、イエス様の姿を強く感じました。ところが、「(日本の)教会の祈り」では、Responsorium breve の代わりに、答唱があり、詩編 103・3a, 4b, 10a、とあります。Ps 103:3 の訳をみて大変驚かされました。詩編 103 自体は、「教会の祈り」の第四水曜日の読書課にありますが、その 3 節に相当する訳は、

「神は わたしの罪をゆるし、
痛みを いやされる。」

この訳は、「典礼聖歌」の 93 1. と 156 2. にそのまま用いられています。新共同訳聖書の訳は

「主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべてを癒し」

Nova Vulgata では "tuis", "tuas" とあります。大変疎かな者には、人が主体となるように書きかえられているように感じます。ホイヴェルス神父様の詩をどなたが書きかえられたか知りませんが、日本のカトリック教会がこのように訳するということへの深い配慮を全くくみ取ることができないわたしは馬鹿者なのでしょう。
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司祭(ホイヴェルス神父さまの詩) (新米信徒)
2023-12-21 22:09:39
谷口神父様

「森 緑 編 ホイヴェルス神父を語る 中央出版社(昭和 52 年)」の「追悼の言葉ーその 4  尾原 悟(イエズス会司祭)」に、岩下壮一神父さまへのホイヴェルス神父さまご自身の追悼の詩がありました。「ホイヴェルス随想選集 人生の秋に ヘルマン・ホイヴェルス 春秋社(1996)」にあるものとは全くの別物(論理の上ではほぼ同等かもしれませんが)で驚かされました。大変長くなりますが引用することをお許しください。

「花園で我子に花を指し、
子供の目を太陽の輝く蒼空に挙げさせて
天に在す聖父について語り
子供が彼の創主なる神に御挨拶し
そしてその生涯の終りの日迄
彼を信じる様にとその手を合させる母親、
司祭はその様な母親に似ている。
常に黙しつつ、
その子等が名誉を重んじ、
家名を尊び
祖先を誇とする様に期待する父親、
司祭はその父親の様である。
父親はその子等の気付かぬ時も
子供ら皆のため黙しつつ憂慮している。
悦ぶ者と共に悦び、悲しむ者と共に悲しみ、
若き人々の胸に純潔な生活と、
キリストの倣びに進もうとする崇高な気持ちを呼び起すすぐれた友、
司祭はその友の様である。
輝く星の下に人々の眠る時に
山に登って父なる神に祈を捧げ、
人々に悦ばしき福音(おとずれ)を齎し、
その子等を祝福し、手もて病を癒し、
罪人を慰め、自らの生命を棄て、
人々にそれを豊かに与え給うキリスト、
世の光、生命のパン、よき牧者なるキリスト、
司祭はそのキリストに似るものである。
良き者にも悪しき者の上にも陽を照らし
芽生える種を滅し給うことなく、
失われた息子を急ぎ迎え給う父なる神、
司祭はその父なる神に似るものである。
これらすべてのものが正に司祭であり、
君は実にそれであった。」 

以前から春秋社版の詩に違和感は感じていました。これはホイヴェルス神父さまのこと(言・事)であるとともに岩下神父様のことであるとも感じます。心も伝わってきます。一つだけ、春秋社版では、癒しの「手」がなくなっています。まさに「手」抜きの詩になってしまっています。

「若い魂がキリストに従いたいと願いながら、容易に解決できぬ家庭の問題に苦しんでいるとき、神父さまは『人のために犠牲を捧げて生きるより、最も親しいものの悲しみと犠牲の上に
自分の聖召が成り立っていると感ずることはもっとも大きな十字架です。自分がどれほど親しいものに苦しみを負うており、
直接に何一つ尽くすことのできぬ修道者であるかを痛いほど感じながら、親の犠牲という十字架を素直に感謝し、ただ修道生活に徹することによってだけ、神に親への恵みを願う全き委託を祈りなさい」と澄んだ目でお見つめになった。』」、とあります。長文をすみません。
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らい予防法と廃止 (新米信徒)
2023-08-05 14:06:46
神父様 

「人間の分際 神父 ー 岩下壮一 小坂井 澄 聖母の騎士社 (1996)」(らい予防法の廃止は、1996 年 4 月 1 日から)
によると、わたし(新米信徒)が上のコメントに引用した 「ある患者死」のある患者の方は、上記の本によると、若くして修道女を志し、その道がはばまれると、準修道女会に加わって、奉仕をされていたそうです。しかし、アメリカで発病して、神山復生病院に隔離され過ごされたそうです。岩下神父様の前任者のレゼー神父様が院長であったときに、井深八重さんは、復生病院でその方と出会い、その方から「『小さき花』。テレジア(テレーズ)」を手渡されたそうです。その後、八重さんは、らい病でなかったことがわかり、看護婦の勉強を終え、復生病院に看護婦としてもどり、看護婦の仕事をされたそうです。八重さんの心の底はだれにもわからないかもしれませんが、上記の本にはそのことについて少し書いてあるようです。

厚生労働省の site にある、
「財 団 法 人 日 弁 連 法 務 研 究 財 団ハンセン病問題に関する検証会議(2005 年 3 月 1日)」による『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』 の、「第十三 ハンセン病強制隔離政策に果たした 各界の
役割と責任(2)」は、例えば神山復生病院の隔離された生活と修道院での生活との関連に言及しています。cf. pp. 426-427, pp. 445-446. 全くの偶然かどうかわかりませんが、1931 (昭和 6)年 8 月 1 日に「癩予防法」が成立し、その年の 11 月に岩下神父様は神山復生病院の院長に就任されたそうです。上記の報告書の p. 433 三 隔離政策存続に
宗教が果たした役割、の p. 436 2)「皇室の役割」との相関、に、「『癩予防協会』は、1931 年 3 月に、絶対隔離政策を支持する世論作りのために、大正天皇の后、貞明皇太后節子が深く関わり設立されたものである。」、とあります。

上記の「人間の分際」の p. 443 に、「就任を前に、壮一はごく親しいある人に『父の罪ほろぼしのためだ』ともらした。」、とあります。また、「父清周の葬儀で『父に代わってその罪を
つぐないたい』と述べた言葉は、いつも壮一の胸にあり、いま、その実行のときが到来したということであろうか。」、とあります。岩下神父様もこの地でのかかわりの中で生きた人、だと感じます。

随分前、プロテスタント教会の礼拝にときどき与っている頃に、その教会のある信者の方から「らい予防法」の廃止の署名を勧められ、署名をしました。
わたしの無関心の故、ようやく僅かにハンセン病のことを知り、少しだけつながりました。1930 (昭和 5)年 10 月 1 日に「癩の根絶策」が発表され、1931 (昭和 6)年 8 月 1 日に「癩予防法」が成立したことを
今、ようやく知りました。その署名を勧めてくださった方は、その後、カトリック教会に転会されました。

カトリック正義と平和委員会(通称、カトリック正義と平和協議会)はどうだろうかと思い、調べてみると、「ハンセン病に関わる日本カトリック司教団の謝罪声明」 (17/07/2019)がありました。それを読み、カトリック教会の信者である感染者の「声」は、例えば、1996 年以降に日本の司教団に伝わらなかったということだろうかと思いました。また、上記の謝罪声明に、「現在、全国の療養所に入所されている方々も家族の方々も年を重ね、すでに高齢になられていることを踏まえますと、これ以上の謝罪の遅れは
許されません。」、とあります。この文から奇妙なことを感じます。表に出すことができない何かがあるのでしょうか。無知なものの感覚では、戦争の責任にもつながっているように感じます。おろかなものが書いたこと故、お許しください。
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御復活の祝日に際して(岩下神父様のことば) (新米信徒)
2023-08-05 00:01:35
谷口神父様 

先日、「キリストに倣いて 岩下壮一神父 永遠の面影 モニック・原山 編著 学宛社(1991) 」を手にすることができました。そして、遺稿篇として所収の「御復活の祝日に際して(昭和六年四月、『声』)」を読み始めて、その「二」を数行読んでから、ようやく、わたし(新米信徒)が、19/06/2023 に、上のコメントに引用した、
「ある患者の死」の文であることに気がつきました。岩波文庫の「信仰の遺産」は、岩下神父様の弟子の吉満義彦先生が編集されたものがもとだそうですが、そこには、「一九四八年十二月『キリストに倣ひて』中央出版社」、とあります。この度、ようやく、御復活の祝日に、その前に帰天されたある患者の死を回想した文であることがわかりました。おろかものの鈍さ故のことです。いくつかの改変にも気がつきました。最後の文は、

「併し沼津の海を遥かに見下ろすこの箱根山の麓の墓地から、
xx さんと共に眠る二百有余の患者の魂は天地に向かって叫んでいる。
『われはわが救い主の活き給うを信ず、かくて末の日に当りて
われ地より蘇り、わが肉体に於いてわが肉主なる神を仰ぎ奉らん。われ彼を仰ぎ奉らんとす。われ自らにして他の者にあらず、わが目こそ彼を仰ぎまつらめ!』と。」

前に読んだときと心への働き方が全く変わりました。復活への信仰に貫かれているように感じます。上記の「ある患者の死」では、最後の祈りの「わが肉主なる」は、「我が救主なる」になっています。肉主と書いてすくいぬしと読むのだろうかと
思いましたが、よくわかりません。漢字と読み方に対して工夫をすることは、ラゲ訳や文語訳ではよくあることのように思います。

医学の研究がこつこつと進められることを願います。わたしがカトリック教会のミサに行こうと思った頃に「日本 FEBC」で聴いていた番組の一つは、百瀬文晃神父様が担当されていました。聴取者からの質問に神父様が答える番組でしたが、病気を信仰で無理に直そうとしないでください。すぐに病院に行ってください、という意味のことを仰ったことを強く覚えています。信仰と理性の両方が大切だと、今は感じます。おろかものの感想です。
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上のコメントの補足 (新米信徒)
2023-06-25 16:27:43
谷口神父様

わたし(新米信徒)が上に書いたコメントの補足について書きます。

Douay-Rheims の The Prophecy of Malachias 4: 6 の訳は、

"And he shall turn the heart of the fathers to the children,
and the heart of the children to their fathers:
lest I come, and strike the earth with anathema."

Vulgate の Prophetia Malachiæ
4:6 の訳は、

"Et convertet cor patrum ad filios, et cor filiorum ad patres eorum:
ne forte veniam, et percutiam terram anathemate."

一応、コロンの後を古語におきかえてみました。: おのづから来ざるため、また禍事(まがこと)から地を打たざるため。"forte" は、ど素人には難解ですが、Vulgate の訳を参考に、"veniam" は、subjunctive の動詞、"forte" は、副詞と考えました。

Nova Vulgata の PROPHETIA MALACHIAE 3:24 の訳は、

"et convertet cor patrum ad filios
et cor filiorum ad patres eorum,
ne veniam et percutiam
terram anathemate ”."

このようなことを神父様のブログに書いたことは、これまでに何度か Nova Vulgata の訳と Vulgate の訳が異なる箇所で、上のコメントに書いたことと同じようなおもいを感じたからです。

以前、職場で、プロテスタント教会の信者の方に、行いについて話しましたが、無理、無理と言われました。そのときはそのまま引き下がりましたが、今は、神様の御手によだねて、信仰をもって行おうとするしかないように感じます。この地にあるカトリック教会の信者に「救われている」は、ないはずです。1 Pet 5:6 に、"potenti manu Dei" :バルバロ神父様による訳 (1980) 「神の力ある御手(おんて)」があることを知りました。機会があれば、その相手の方の話をまた聴いてみようと思います。愚か者がいつも偉そうなことを書いてすみません。
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上のコメントへの補足と此の日 (新米信徒)
2023-06-24 13:37:46
谷口神父様 

わたし(新米信徒)が上のコメント (22/06/2023) に書いた、Liber Exodus 20:8 ですが、「舊新約聖書 日本聖書協会 (1887)」の手持ちの一九八二(新組版)の出エジプト記 20:8 の訳は「安息日(あんそくにち)を憶えてこれを聖潔(きよく)すべし」。

また、今日(祭日)の Liturgia Horarum の朝の短い読書は、Mal 3:23-24 ですが、Mal は、Nova Vulgata と Vulgate では章の分け方が異なり、手持ちの「教会の祈り」(2012 年 第 20 版)は、Vulgate に従っているようです。念のため、Nova Vulgata と Vulgate をみると、Vulgate の Mal 4:6 のコロンの後は ":ne forte veniam, et " で、Nova Vulgata の Mal 3:24 では、",ne veniam et" です。ど素人の感想でが、"forte" があることと無いことは大きいことのように感じ、"forte" から恐ろしいことを感じます。来週 7/1 (土) の Liturgia Horarum の朝の短い読書は、2 Pet 3:13-14 だと思いますが、神の日を待ち望みながら、この日を信仰をもって生きる、ということで、今日の短い読書につながっているように感じます。このことは、ミサから、新約聖書からそして聖伝からも一貫して感じます。

2 Pet 3:14 の最後の "in pace" は、「平和に」と訳されると思いますが、大変重いことばだと思います。自分のことを棚に上げて書きました。
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主の日についての対話 (新米信徒)
2023-06-22 23:54:04
谷口神父様 

プロテスタント教会との関りの流れにあることと思いますので、以下のことをここに書くことをお許しください。

三か月ほど前のある主の日に、わたしの家にある二人の方が来ました。初対面の相手です。相手にカトリック教会の信徒であることを伝えましたが、暫くの間話しました。プロテスタント教会との関りがあったために、相手と話す気持ちになったのかもしれません。話し終わった後に、家に入って、相手が言ったことで引っかかることについて少し考えました。それは、主日のミサや礼拝に与ることに対して、相手が言った「そのような考えもありますが。」、ということです。そこで、聖書のことばを思い出そうとしましたが、はっきりと思い出せませんでした。カテキズムによると、聖伝に行きつくようです。カテキズムの「第 3 編 キリストと一致して生きる」の「第二部 神の十戒」の、 2178 は、98) を引用し、2179 は、101) を引用しています。このとき初めて「聖伝」の重さを感じました。新米信徒故のことです。また、念のため、

Nova Vulgata の Liber Exodus 20:8 をみると、

"Memento, ut diem sabbati sanctifices. "

Vulgate には、"," は無いようです。以前に気がついたことですが、日本語の口語の訳では、ラテン語訳の命令法と接続法の区別がつきにくいように感じます。間違いがあると思いますが、一応、日本語におきかえてみました。おもへ、而して安息の日を聖別すべし。「おもふ」は、このブログの「哲学者 ホイヴェルス著 =時間の流れに= 08/08/2022 」の "Vom liben Gott(懐かしい神についての)" につながっているように感じたので、古語も用いておきかえました。上の Nova Vulgata の訳の動詞の法だけを書くと、memento は命令法で、sanctifices は接続法ではないかと思います。カテキズムの訳は、「『安息日を心にとどめ、これを聖別せよ。・・・』」cf. p. 637 「第 3 項 第三のおきて」の冒頭。訪問者と話したことは、結果的には良かったように感じます。また、わたしが主日にミサに与ることができることは、主日に多くの人が働いているおかげである、ということにようやく思い至りました。
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先のコメントの訂正 (新米信徒)
2023-06-21 08:15:40
谷口神父様

先に、わたし(新米信徒)が書いたコメントにおける、

「ラ・コロンビエール神父」を
「聖クロード・ラ・コロンビエール神父」に訂正します。

少し補足すると、先に引用した本「み心の信心のすすめ」の冒頭に、川村信三神父様(イエズス会)による「信仰の工夫ー現代版『み心の信心』のすすめ」ー」があります。ここに、「信心」について簡潔に詳しく説明されています。

先のコメントに「互いに誤解している・・・」と書いたことは、わたしがプロテスタント教会の相手によかれとおもってしたこと(相手の信仰のありかたを考えずに)が、相手の信仰のありかたによくないことをもたらしたようであるからです。

神父様が交わりをもたれた牧師先生そして教団の信者の方々の心は、カトリック教会に開かれているようで、すばらしいこととである思います。わたしの職場に、プロテスタント教会の信者の方がいますが、その方はカトリック教会に理解があり、カトリック教会の聖職者の知り合いの方もいて、お互いに普通に信仰について話をしてきました。しかしながら、そのことは、まだ普通のことではなく、有り難いことだったのかもしれません。

いずれにしても、キリストの教会の歴史を、独善に陥らないように気をつけて、ある程度知ることは大切なことのように思います。わたしには大変難しいことですが。
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ミサと信心業 (新米信徒)
2023-06-20 23:33:26
谷口神父様 

返信をありがとうございます。もしかすると、お互いに誤解をしている部分もあるかもしれないと思います。カルヴァンも初めから予定説を信仰のありかたに含めていなかったようですし。

わたしがカトリック教会で洗礼を受けた後に、初めに買った聖人についての本は「み心の信心のすすめ ベルナール・デクルー/クリスチャン・ゴー著 椿 歌子 編訳 ドン・ボスコ社 (2009)」です。当時は、本を手にしても、どうせわからないだろうと思っていましたが、この本は違うように感じました。ただし、わたしの心に響いたことは、聖マルグリット・マリー・アラコックが啓示を受けた後、修道院内で迫害を受けたこと、ラ・コロンビエール神父の霊的指導を受けたことでした。啓示自体も心に響きましたが。わたしは自分のことを祈ることがだめなようです。わたしは傲慢ですから。洗礼を受けてから数年後に「教会の祈り」を書店のシスターから勧められましたが、わたしには無理だろうと思って本を買う事をためらっていました。しかし、しばらくして、買いました。初めは、でたらめに朗読していましたが、少しづつ自然に唱え方がある程度わかってきました。総則も自己流ですが、一部分を読みました。そして、"Liturgia Horarum" は、個人の祈りではない、ということを自然に自覚しました。ある神父様からも「決して自分の祈りにならないように気をつけてください」、という意味のことばをいただきました。そして、昨年だった思いますが、"Liturgia Horarum" の「イエズスの聖心」を唱えた後に、「み心の信心のすすめ」のことを久しぶりに思い出しました。しかしながら、「信心」とあることに気がつきました。そしてごく最近、典礼の歴史についてのある論文とある本を読み、一般の信徒とミサとの乖離、信心業が盛んになっていた長い時期があることを知りました。わたしにとって、イエス様の聖心は、Io 19:34-37 であり、あるいは「聖ボナベントㇻ司教の著作 あなたのもとにいのちの泉はある」にある旧約聖書とのつながりです。大部前から自分のことを祈ることは止めましたが、3 年程前から、あることがあり、人をおもって「ロザリオの祈り」を祈るようになりました。人をおもって祈ると、逆にわたしが何か(息吹?)を受け取るように強く感じます。そのような意味では自分のために祈っていることになります。プロテスタント教会の信者の方からカトリック教会の信徒の信心業は誤解を受けているかもしれないと思います。今では、信徒もミサに積極的に参加していること、またそのことの大切さが相手に知られているのだろうかと思います。わたしは無知ですから、多くの勘違いをしていると思いますが、ミサの歴史を学ぶことは大切なことのように思います。また愚かな者が偉そうなことを書いて、すみません。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-06-20 11:14:30
今アジサイがきれいですね。
昨日、エキュメニカルな葬儀にあずかりました。
親友は昔カトリック新聞の外信部に勤め、その奥さんになった人は日本基督教団の本部スタッフでした。
カトリック学連がまだ盛んな時代て、素敵なエキュメニカル結婚として話題をさらいました。
その畏友がなくなり、昨日奥さんの教会の教団大泉教会で告別式が行られ、そこの牧師さんが司式、斎場での式は私が司式しました。
初対面の牧師さんとも親しく話し合う機会があって、エキュメニカルな葬儀となりました。
皆が交わった集会室には、畏友の家の庭から夫人が切ってきたアジサイの花が美しく彩りを添えていました。
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上のコメントの訂正 (新米信徒)
2023-06-20 05:43:02
谷口神父様 

上のコメント「岩下壮一神父様 (谷口神父様)」を、下記のように訂正します。

コメントの書き手は「新米信徒」であり、タイトルは「岩下壮一神父様」です。そして、本文は「谷口神父様」から始まります。すみませんでした。

わたしが生活しているところでは、今年は、何処でも紫陽花が大変綺麗に咲いていますが、春が例年より早く始まり、立葵 の花がかなり上まで咲いてきています。急激な温度上昇により、体調を崩す人が多くでませんように。最近、救急車とよく出会います。立ち止まって、救急車をよく見て、早く病院に着くことを願うことしかできません。
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岩下壮一神父様 (谷口神父様)
2023-06-19 21:45:49
谷口神父様 

「信仰の遺産 岩下壮一著 岩波書店 (2015、岩波文庫) 」の、「ある患者の死」を初めて読みました。この文の冒頭と「二」の一部を少し長くなりますが、引用します。

「『キリスト復活し給いし事なくば汝らの信仰は空し』(コリント前書一五ノ一七)」

「癩病の撲滅一日も速かなれかしと祈る社会は、そんな騒ぎしてまで患者を十年も余計に活かしておいて何になる、と云うかもしれない。しかし議論や理屈は別として「子を持って知る親の恩」である。患者から「おやじ」と云われれば、親心を持たずにはおられない。親となってみれば、子供らの苦痛を少しでも軽減してやりたいと冀(ねが)うのは、当然である。天国へ送り届ける前に、できるだけ現世の楽もさせてやりたい。就中(なかんずく)病苦を慰めてやりたい。併し如何に天に叫び人に訴えても、宗教の与える超自然的手段を除いては、私にはx x さんを見殺しにするより外はない。癩菌は用捨なくあの聖い霊を宿す肉体を蚕食してゆく。『顔でもさすって慰める外に仕方ありません』と物慣れた看護婦は悟り顔に云った。そしてそれが最も現実に即した真理であった。

私はその晩、プラトンもアリストテレスもカントもヘーゲルも皆、ストーブの中へ叩き込んで焼いていしまいたかった。考えてみるがいい、原罪なくして癩病が説明できるか。また霊の救ばかりでなく、肉体の復活なくして、この現実が解決できるのか。・・・」

上でホイヴェルス神父様が言及されているアシジの聖フランシスコは、ハンセン病と深く関わっていることを映画 "Francesco, Giullare di Dio(直訳 フランチェスコ、神の道化師)" で初めて知りました。監督は Roberto Rossellini です。高熱が出て、三日程寝込んだ後に観ましたが、そのとき初めて、当時は、ハンセン病の患者は鈴をつけていなければいけないことを知りました。実際には、映画を観た暫く後に、あるミサの説教で神父様がそのことを話され、ようやく映画のことと結びつきました。医学の研究は尊いことと思います。また、ことと離れていない神学は大切だと思います。次は、「信仰について ドン・ボスコ社 (1993)」のラッツィンガー枢機卿のことばです。「・・・! わがバエルンのカトリシズムは、祈りにも祝祭にも、苦業にも、愉快なことにも、人間的なものすべてを大事にしていた。喜びにあふれ、生彩があり、人間味に満ちたキリスト教であったた。・・・」cf. p. 220. カトリック教会に出会えたことは、有り難き事です。

実は、ナイチンゲールさんとも間接的に出会っていたようです、十九世紀のドイツのプロテスタントの復古運動を通して。この記事との出会いも含めて、出会いが交錯しているようです。長文をいつもすみません。
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