(記事の目次)
▷「道具」は使わないと“不具合”が生じる
▷体は「心を表現する道具」
▷心に生じる“不具合”
▷ これまでの「心のあり様」の積み重ねが今の「自分の心」になっている
▷「表面的な心」と「潜在的な心」
記事ほどの事はしていませんが、感謝は口に出すようにしています。
以前はそんな事を口にしなくてもいいくらいに思っていたのですが、勘違いな慣例が鼻についたので反対に自分も感謝を口にしてそれは意味がないと思わせたくなりました。
丁寧に話す事で理解して貰えると勘違いして教育するとおかしな事になるようです。
本当に必要な事をしていれば後は揉めようと解決するのは解決します。
ところが丁寧さを増しても普段から気遣いや勤勉さがなければ魂の入っていない仏像になります。
ただ、これ本当に難しいのです。
だって見るからに岸田首相はこれが出来ない人なんです。
多くの被害者で認知されない人との話でも理想は語るがおそらく事務方は認めるのか難しい話なので、期待させて後で裏切られたと言うような事になるのは人として嘘をついているのに近いのですがそれを平然と熟してしまいます。
水俣や原爆での認定されていないで裁判になっていました。
それを懇談会の形で話し合うのですが、パフォーマンスになるのか、それとも実際に認定されるのか難しい話です。
とりあえずは認定されて来なかったのですから。
心のあり様を管理したくてもおそらく日常は残念ながら周囲の人もそれぞれそんなものなのです。
その中でやろうとするのは素晴らしいです。
たとえ、出来なくても仲間内だけでもそう見られる事で生活で心のあり様が華やぐなら。