淀川は、古く飛鳥時代から国際河川であり、交通、運輸そして文化、宗教を伝えてきた重要な物流河川である。
中世末期荘園瓦解の時期、多くの重要物資は九州、四国に荘園をもつ寺社や貴族達の経済基盤を支えた。その中継地が「淀」である。淀には、物流の中継地として市場が成立していた。「淀屋」を最初に名乗った人物は誰か。山城六人百姓に木村与二郎高信という人物がいる。常安は、この木村氏の子供を養子として長女の「きい」の夫とした。しかも、この養子のために常安町家の二代目として四代目「善右衛門」を襲名している。
木村与二郎高信の弟新次郎は、淀魚市場で東坊城家の塩公事徴収代官を務めており、この人物が「淀屋」を名乗った最初の人物である。新次郎が屋号を名乗ったことは当時の「土倉」の有力者であったことが分かる。「塩」は当時の有力な戦略物資であり、多くは瀬戸内で生産され、瀬戸内から畿内へは水路が使われ、淀津は重要な取引所兼艀でもあった。
淀屋が中世荘園構造の崩壊時期にあったころ、ヨーロッパは、十字軍の負債処理に追われていた。イタリア商人の力が増大した時期と、十字軍の負債処理はバチカン財政にとって最大の課題となった。いずれも14世紀から16世紀に起こった出来事である。
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