2008年6月に入り原油相場は遂に市場最高値を記録した。(WTI)。また、穀物相場も世界的に高値を記録している。そして勤労者の賃金は、市場最安値を記録した。
日本の国の成り立ちは、どうも「棄民」に彩られてきた。海外に移民を排出しては自国民をだまして棄民したり、先の大戦では中国北部(旧満州)で自国民を残して高級軍人が開拓団を残して家族ともどもさっさと帰国した。
平和な時代になると自ら要求して憲法に生存権を謳いながら国内で高齢者と医療者を棄民した。
不思議なことに、経済が米国、ヨーロッパ型のグローバル経済だからといいながら日本経済には「消費者購買力」の視点がない。政府の経済指数はいつも企業業績と為替の話ばかりで、米国に見られるような「大学から消費者信頼感指数」の発表などなど聞いたことがない。それほど国内消費者購買力とは信用できないものなのか。それほど国内の購買力は取るに足りないもので経済の担い手ではないのか。
朝日新聞が大阪を紹介するとき必ず「今から300年前、世界に先駆けて先物取引のシステムを作り上げた堂島米会所」と枕詞を並べるに値しない国家となってしまったのか。
淀屋の時代、最大の懸案がこの飢餓と牢人(浪人)の問題だった事を忘れてはならない。
16世紀、全国で慢性的な飢餓が発生し(1500年代)季節的要因とともに天災が相次いだ。それは、各地の過去帳を見ればよく判る。特に、畿内では子供の数が激減する事態が発生し、村々では水争いが激化し、米の生産力は極度に疲弊した。村は、餓死する者で溢れた。これは、16世紀の戦国時代でも変わらなかった。しかし、飢餓を全て天災とするには無理がある。飢餓多くは、食料の流通の仕組と社会的制度に問題が多いことがこの時代の文書から判別できる。しかし、主要穀物である米はこの時代飛躍的に増加している。増加しているに関わらず飢餓が発生するのはどういうことなのか。
戦国時代は、各領主大名及び各宗派が争って領地拡張を行った。戦争の最大の戦利品は「略奪」である。人質は、借金の代わりに人を質に取ることから人質と呼ばれているがこの時代には物から人まで略奪された。いわゆる「奴隷」としてである。村は、これを防衛するため領主に「護民官」を要求するが、これが破られれば領主を変える事を要求する。一種の契約関係である。村は、戦国時代大分と中世からの様相を変化させてきた。村は、先行きが見えない混沌が支配する。
領主と百姓との関係では、貧しい百姓と厳しい年貢を取り立てる代官、奉行所という関係で書かれた歴史書が多いがそうではない。むしろ豊かな百姓と貧しい代官という構図が見て取れる。余剰米(納屋米)と蔵米(年貢米)が逆転するとき百姓は新たな新田と新たな職業を興すための資本を蓄積し始めた。この時代の急激な変化に淀屋は敏感に反応した。米の特権的独占販売が飢餓を誘発し、かつ百姓を疲弊させている事を。
(参考文献 百姓から見た戦国大名 黒田基樹 ちくま新書)