ジョアンコード

Joan Code  その時謎に満ちたコードが明かされる

復活の日に常安は再来する

2011-02-20 21:02:24 | 社会・経済

家康が、慶長13年(1608)伏見銀座を京都に移し京都銀座を設立して、年寄り役に淀屋太左衛門、淀屋道雲、源吉が就任した。その1年後の慶長14年(1609)大阪コメ座を設立し、座人として江戸竹川町の淀屋甚兵衛が就任した。その後慶長17年(1612)駿府銀座を江戸に移すと、その町割奉行に淀屋次郎右衛門が仕切り役となり拝領した屋敷の所有者に淀屋常安の名前が記された。

淀屋は、米市場の設立以前に銀座との関係が深い。特に、泉州堺の両替商兼灰吹吹屋湯浅作左衛門は、慶長3年(1598)家康に召しだされ御銀改役を命ぜられ大黒の姓を拝領した。更に慶長6年(1601)摂津国住吉郡平野郷末吉利方、吉康、平野藤次郎、平野九右衛門らが京都伏見の両替町に伏見銀座を設立し、頭取に次郎右衛門らも参加していた。湯浅家のその後ををみると、2代続けて堺の今井家から娘や入り婿が入り、また日比谷家からも人が入っている。何より大黒屋はその名前に「常」を使用している。これは、常是の「常」をとったものとの説と淀屋の創始者「常安」(橋本家と姻戚関係 橋本家が金座の後藤庄三郎一族)に因んだものだとの説もあるが、明治21年復活の日「湯浅常安」として再来した。

寛永大坂図                     大坂銀座跡碑

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