国際淀屋文庫監修 顧問 新山 通江氏がTVに出演する。忠臣蔵の軍資金5000満両の行方についての解説を行う。
番組は、TV東京「歴史ミステリー」であるが放送日時は番組表を確認していただきたい。
もうひとつは、淀屋研究会のTV番組(NHK)関西で放送された豪商淀屋について「常安」についての話であるが、作道洋太郎氏は質問に答える形で「淀屋の屋敷が大阪城の京橋口のところにあり、作道氏が京橋には青物市場、あちらの側に渡ったところに魚市場があって、その市場をつくったのは淀屋个庵であるということになっている。しかし、それらの資料は後の時代に作られています。常安か个庵か」
これに答えて作道洋太郎氏は「新修大阪市史では、京橋に市場が出来たのは元和2年か3年だろうと考えています。そうするとまだ常安が存命中だから、市場づくりを取り仕切ったのは常安ではないかということになるわけです。」
なにわ大坂の歴史と経済 作道洋太郎 2002 ブレーンセンター
歴史作家新山氏も同様な見解であり、宮本又次氏もその著書の中で三代市場は「常安」によるものであると述べられている。
歴史は、後世の作家がつくるとは面白いが、どうせ記録を調べるならリアルタイムの記録を調べるべきだろう。
淀屋についての正確な記録がほとんど残されていない現代では新山氏のように自分で歩いて確認できた記録の断片をそのときの情勢と併せて考えなければ記録が生きてこない。記録が果たして本物なのかを検証する作業は続く。
11月22日~23日に倉吉淀屋サミットが開かれるが今回は、淀屋とは関係のないまちづくりがテーマらしい。倉吉淀屋の発見者は、新山氏であるが正式にコーディネーターとして招待はされていない。まちづくりの専門家が「牧田家」を利用について考えるらしいが、今更の感が強い。国際淀屋文庫は、ベルギーのアントワープ、ブルージュ、ゲントを昨年1月に訪問したが全ては世界遺産に登録されている。また、パンフレットには、童門冬二氏がどうも淀屋とアントワープ、シカゴとの関係を発見したようなことが書かれているがどの著作か書いていない。それでアントワープやシカゴの取引所の写真でも同所に展示されていたらどうやって説明するのだろう。ちょっと国際的な話を話題にすれば人が来ると思い込んでいるのだろうか。他の土地は、海外からの記録を日本の記録とともに大事にしているがどうも倉吉は淀屋を単にエピソードで終わらせるらしい。