ジョアンコード

Joan Code  その時謎に満ちたコードが明かされる

ヒストリアの殉教と世界最初の二人

2010-03-07 14:44:52 | インポート

1280年 ハンザ商人ファンブルスがドイツ北部から移住して宿屋を経営した。一族は、家族が多く一軒の宿屋では部屋が不足した。1285年ブルス家の二代目ロバートは、現在のブルージュのマルクト広場に主家を移し、元の宿屋をギルドハウスとして貸していた。1423年四代目ヤコブは、商品取引から始めて小麦の価格を左右する、穀物市場を現在の宿屋の中で始めた。ブルージュに残る風車で、小麦を引くためのレンタルを始め、その権利を売買するようになった。世界最初の小麦引き証券と呼ばれる証券である。この証券を買うためジェノバ商人たちと地元のパン屋は、両替商に借金するようになり初めて「為替権利証券」が生まれた。ヤコブは、遠方のハンザ商人、フランス、ジェノバ商人と取引するようになり、公正な入札を実施した。これが、証券市場の最初の姿である。やがて、戦乱の足跡(ネーデルランド独立戦争)が聞こえてくると、彼らは一時、アントウェルペンに避難したが、やがては、ブリュージュに戻ってきた。ブルス家の名前は証券を表す語源となった。

一方、300年後、今度は、極東で商品先物市場の萌芽が見えてきた。慶長14年(1609)大阪に米座が開かれ、座人として江戸竹川町、淀屋甚兵衛らが名を連ねた。大阪の街に戦乱の暗雲が立ち込めた慶長19年(1614)大阪夏の陣で豊臣政権が瓦解して徳川の世になると元和2年(1616)京橋1丁目に青物市場を常安が再開し、中之島を開拓して近代大阪の礎を切り開いた。米座設立から、僅か15年の間に世界はめまぐるしく変わり、ブルスと常安、言当は、キリスト教という媒介に乗せて、世界最初を作り上げた。2010年世界資産でその謎が解き明かされる

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