ジョアンコード

Joan Code  その時謎に満ちたコードが明かされる

偽装する商人、裏切武士、困窮する庶民(Ⅱ)

2008-06-22 17:39:13 | 社会・経済

 歴史をぶつ切りにする歴史学者と称する人達には、宗教が見えてこないらしい。キリスト教の歴史が社会・経済・文化に及ぼした影響を無視する。それは日本の宗教に対する考え方にある一定の方向性を持たせたいという意図が感じられる。

 グローバル社会の中で宗教はいとも簡単に国境や民族を越える。そもそも現在の国境は19世紀~20世紀に人為的に作られたものであり、今でも宗教に国境はない。経済もこの事を無視してグローバル化を言葉に出せば何か国際派を名乗れると思い込んでいる。しかし、イスラム金融やキリスト教金融など現在でも無視できない宗教の影はあらゆるところに存在する。

 日本の学者は、後世に書かれた文献を全て真実と思い込んでいるためこれに登場しない庶民の生活や産業、文化が見えない。リアルタイムの記録を残さないのが日本式なのだ。そして何より今を基準に歴史を見ようとするために起こる混乱の正体が何か理解できない。

 ジョアンは、一人ではない。数多くの闇に閉ざされたジョアンが存在する。

結城ジョアン   ジョアン(河内岡山)

内藤飛騨守 忠俊 ジョアン(丹後亀山)

有馬 晴信  プロクシオ ジョアン(有馬)

京極 高知  ジョアン(宮津)

津軽 信枚  ジョアン(津軽)

池田 数正  メシオン(八尾 河内)

後藤 寿庵  ジョアン(水沢 奥州)

 畿内のキリシタン大名が洗礼を受けたのが永禄6年(1563)~永禄7年(1564)に集中している。

永禄5年(1562)松平家康が織田信長と盟約を締結して美濃、伊勢、近江を平定。家康も三河、遠江、駿河を平定しつかの間の平和の時代を迎えた。

永禄7年(1564)三河の一向一揆が家康に降伏して武装解除が始った。

永禄8年(1565)足利義輝が三好三人衆に殺され、義昭も近江に追放されるというクーデターが発生。同時にルイスフロイスが京都から追放された。

永禄11年(1568)信長は、諸国の「関所」を廃止し摂津・和泉に失銭(軍資金)を導入。本願寺3000貫を支払う。同時に京都に南蛮寺を建てた。比叡山などの仏教寺院が関所廃止に猛反発して重武装を開始。岡本氏及び小林氏が大和に逃れる。