ジョアンコード

Joan Code  その時謎に満ちたコードが明かされる

「死に至る病は風が運ぶ」 と重当は詠む

2008-10-17 20:58:17 | インポート

 慶長14年(1637)オランダ商館から1通の手紙が箇斎の元に届いた。内容は、オランダ東印度会社の資本が欠損した内容だった。当時、オランダでチューリップバブルが破裂して、何人もの破産者が出た時期だった。無論、アムステルダム証券取引所上場会社東印度会社の株価も最高値500ギルダーが100分の1まで急降下してもはやヨーロッパ恐慌時代に突入した時期だった。

きっかけは、極めて単純な出来ごとだった。突然変異したチューリップの球根が高値で取引されていたのをアントワープの税関職員と徴税職員があまりよく思わず、病気だと思われたチューリップの球根を高値で売買することを禁止し、球根の値段に上限を設け、その球根を没収したのがきっかけだった。

翌日、その話がアントワープからアムステルダムに伝わると花屋の店先で高値で取引しようとした人々が一人も寄り付かず店頭の球根が暴落したのがきっかけだった。

奇しくも、1929年の暗黒の木曜日は、GMの株価が暴落したのがきっかけだったが、2008年10月の米国株の暴落もなんとGMの経営不信が原因で、住宅サブプライムローンが引き金となり150年も続いたCITYグループのリーマン・ブラザース証券(商業銀行)の破産が呼び水となった。次の悲劇の火曜日がいつになるか全米が注目している。

 既に、慶長14年ごろになると、大坂もバブルに酔いしれていた。それは、米バブルである。

有効な、決済手段を持たない商人たちは、こぞって淀屋に「米切手」を持ち込んだが、ほとんどが裏付けのない「空」であったため、箇斎は店先で断りの張り紙を出すほどであった。重当は、未だ幼かった。そして、それの真贋を確かめるべく、キリシタンたちの山師グループに情報収集を持ち込んだ。

 日経新聞2008年10月17日付け朝刊5面に面白い記事が掲載されている。「金融派生商品 清算機関設立を提言」この記事を読んだとき、淀屋講演会を広く報道していた日本経済新聞とは思えない記事だと感じた読者が多かったと聞く。まさに日経らしくない記事である。何度も繰り返すが、淀屋箇斎の最大の功績は、この先物取引と言われ始める前に「決済機関」の重要性に気づいていたことである。淀屋関係の講演会で、現代に生かそうなどの空文句を並べて立てててもこの業績が生かされないようでは、単なる歴史評論にすぎない。

 ここでも、先人の知恵は生かされなかった。