11月1日(土)放送大学 公開シンポジウム
「歴史に学ぶ先進医療(1)」「佐賀アバンセホール」13:00ー16:00
このシンポジウムの基調講演は「なぜ佐賀では肝がんが多いのか?(2)」と題して国立国際医療研究センターの
溝上雅史氏が行った。
彼はいつものように、分子時計(ウイルスの塩基配列の置換や欠失がほぼ一定であることを利用して生物学的進化上で分岐した年代を推定すること)の話からはじめた。分子時計によれば日本にC型肝炎ウイルスが入ってきたのはシーボルトが来日し(1823)、西洋医学を広めた時期に一致しているとしていた。
また1920年(3)になって、
日本住血吸虫症の患者に対してスチブナール(静脈注射)が一本の注射器で針も注射器も換えないで何人にも行われた(4)の為にC型肝炎は日本住血吸虫症の流行地で流行したことを話した。
私の感想としては、分子時計といえどもいくらかのずれはあるはずで、全てが正確ではないと思われた。
彼は話さなかったが、宮川米次がスチブナールを発見したのは1922(大正11)年でその年から甲府(山梨県)の三上三郎が治験を始めている。
つまり治験の時から注射器具は使い回されていたのである。
更に1961(昭和6)年からは(法律第56号)寄生虫病予防法でスチブナールの強制集団接種が行われた。
この為、流行地の医者は静脈注射をするときに使いまわしにするのが普通になり、佐賀・福岡などの日本住血吸虫症の流行地が、肝がん多発地帯となったのです。
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