Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

興津肝炎の真実とは?

2015年01月23日 09時45分26秒 | その他
B型肝炎訴訟の証人に立った当時広島大学の吉澤浩司は1996(平成8)年10月1日広島地裁で札幌のB型肝炎訴訟に被告国側証人として興津肝炎について次のように答えている。
被告代理人(大野)C型肝炎の調査をした際に、その感染経路が一般医療機関であると特定されたという事案があったというふうに証言されましたけれども、これはどのように特定されたんでしょうか。
「これは実に簡単なことなんです。これはある期間に限定してC型肝炎が一つの地域にありましてそして、そこに5つの医院がありまして、そして、そこに家族内で2人出た場合、1人出た場合、3人出た場合という家族があります。
その登録された患者さん1人1人に面接調査をします。そしていつの時点で肝炎になった、前に大体6ヶ月を目途にしてどこの医者にかかったか、どのような医療を受けたかということを聞きます。そうするとホームドクターというところで1つの収束をみせます。もう一つ大事な点はどこの医院で最初に診断を受けたかというふうにしていきますと、それは少しばらけますが、メインはそこに集積します。診断するためには採血をします。採血をすると言うことは注射器、シリンジに真っ赤な血液を一杯にするわけです。その注射器がまた医療に使われない保証がどこにもないわけです。
そのことからずーと収束させていきますと、80%くらいでしたかね、7割から8割は一つの医療機関に収束するわけです。」
その感染経路となった病院のどういう点がその感染の原因、経路となったというふうに考えられたのでしょうか。
これに対して吉澤浩司証人は「静脈注射です。これは具体的に接種を見たわけではなくて、あくまでも状況証拠でありますが、一番大きな特徴は、静脈注射が大変お好きな医師が、風邪を引いた方にも元気が出るぞと言って、ビタミン剤といろいろなものを混ぜた静脈注射をすると、そのことによって、田舎ですから、早く直るという評判になりまして、大抵そういうお医者さんは地元で極めて評判のいいお医者さんなのです。
患者の言うことをちゃんと聞くことから。」と答えている。
そうすると、その調査結果でディスポーザブルを使うようにお勧めになったのですか。
「これは私の上にいた教授がそのことを強硬に勧めて、その流行中にはディスポーザブルに変えさせたという背景がありまして、そして流行が収まった段階で、その当時の私がお仕えしていた教授に対して、流行が収まったから、デスポーザブルではなかなか経済的に成り立たんもんで、またガラスに戻してもよろしいかということを聞かれた。それが実情です。」と同じ被告代理人に回答しています。

写真は興津肝炎の原因となった医院



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