Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

4.B型肝炎の差別

2014年11月20日 19時56分23秒 | 回顧
B型肝炎の感染様式が中途半端に伝わると、まず病院内からの差別が始まりました。B型肝炎患者が入院すると食器を他の患者と区別され、産院では病衣がかえられ、産後の授乳部屋も分離されました。
病院でさえこのような状態でしたから、一般社会では、B型肝炎ウイルスキャリアは昔の結核患者のような扱いを受けるようになり、保育園の入園を拒否され、主婦の場合キャリアであると解った時から、家族に遠慮し、風呂は一番後に入り、洗濯物は自分と家族の分を分けて、洗濯するようにした人もいました。
また患者の治療法といえば、昔の結核の治療法と大差はなく、とにかく安静第一主義でした。
急性肝炎で入院すれば絶対安静ということで、ベット上での排泄を強制され、患者に取ってこんな苦痛なことはありませんでした。慢性肝炎で入院しても、安静が強いられましたが、B型肝炎は一度発症すると大きなシューブ(急性憎悪)を繰り返し、安静にするかどうかに関わらず何度も何度も入院をする結果になりました。その結果仕事を失い、生活保護を受けざるを得なくなった患者もいます。
当然肝硬変に進行し、肝がんになった人もいましたが、病気の進行は安静とは関係がありませんでした。
特にB型肝炎は性交渉で感染することがあるため、結婚にあたってはいつも障害になりました。
食事も高蛋白高カロリーという指導がなされ、急性肝炎の治りが悪いということで、肝生検をしてみると脂肪肝ということもありました。
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3.急性肝炎と劇症肝炎の違い

2014年11月20日 19時54分11秒 | 回顧
またこのころにはB型肝炎ウイルスキャリアで、e抗原陽性の時は感染力の高いこと、e抗体陽性の場合は感染力が低いことが判明していました。
母子間感染のことを垂直感染、それ以外の感染のことを水平感染といいます。水平感染には集団予防接種、輸血、性交渉などがあります。
水平感染の場合、急性肝炎で終わり治ってしまうことが多いのですが、時には劇症肝炎(肝細胞が広範囲死滅し、死に至る病気)になることもあります。
劇症肝炎はなぜおきるかということは、1994(平成6)年当時の日大医学部助教授内田俊一(札幌医大、1970年卒)との共同研究で明らかになりました。
当時B型肝炎ウイルスには野生株(e抗原陽性)と変異株(e抗体陽性で感染力の強いもの)が明らかになっていました。e抗原はB型肝炎ウイルスによって作られるが、e抗体の中にはB型肝炎ウイルスが突然変異を起こし、e抗原を作れないものも含まれていました。 
私たちは遺伝子解析を行い、劇症肝炎10例中8例は変異株で、急性肝炎の7例はすべて野生株であったことを証明しました。
したがってセックス感染でも、母子間感染でも劇症肝炎になったものは、この変異株のB型肝炎ウイルスが原因でありました。
若者は野生株が多く若者同士のセックスでは急性肝炎で終わり、中年では変異株になることが多いので中年が絡むと劇症肝炎になりやすいと言えます。

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2.来札後は専門を決めかねた。

2014年11月20日 19時53分28秒 | 回顧
札幌に帰った時には岡山大学小坂教室帰りの関谷千尋(北大、1968年卒)が、私たち若手の医者を集め、肝臓病の勉強会(抄読会)を開いていたので、私も参加しました。
彼の担当する腹腔鏡検査と腹腔鏡下肝生検に入れてもらい、そのうちに肝臓を専門にしたいと思うようになりました。私は不器用だったので、なかなか一人前になれませんでした。
しかし若い医師たちとの話し合いがもたれ、私が肝臓を担当することになりました。
1975(昭和50)年4月を迎え、勉強会の仲間に新人の看護婦たちも加わり、一気ににぎやかな会になりました。
当時の話題は、B型肝炎ウイルスに家族集積があるということでしたので、とにかくB型肝炎を徹底的に追ってみることにしました。
対象者は腹腔鏡検査台帳から探し出しました。壁には家系図を張って、それを元に、電話で家族と連絡を取り、看護婦の勤務内容に合わせて、採血の日程を決め、 私が行動部隊の中心となって全道隈なく採血に走りまわりました。
4月から翌年の4月までの1年間、毎日毎日採血に歩きました。観光で函館山に車で登った時には楽しかったのですが、暗い坂道を降りる時にはものすごい恐怖心に襲われたことを今でも思い出します。
また小樽に行った時には、居眠り運転のため、高速道路を逆走してしまったこともあります。当然パトカーに捕まり、そこには若い看護婦2人が乗っており、準夜(夜勤)に遅れてしまい婦長には大目玉をくらったというエピソードもありました。
 全力をあげたおかげで、58家系、297人から採血することができ、 結果58家系中母子間感染が証明されたのは29家系、50%でありました。
ただこのときの発端者は0歳から60歳と幅広く、20から30歳代にピークがありましたが、20から30歳代に絞れば、母子間感染はもっと少なかったと思われます。
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1.診療所の生活

2014年11月20日 19時52分29秒 | 回顧
北海道勤労者医療協会、歌志内の診療所に赴任したのは医者になって2年目(昭和47年)で、2年間お世話になりました。ここには私の1年前にこの診療所に赴任した、40歳過ぎの糖尿病マニアと言われていた看護婦がいました。
診療所には代々内科の医者はいませんでしたので、彼女が赴任するや否や、糖尿病の患者会をつくりました。会では個別指導や集団指導も行い、試食会やレクリエーションなどもしていました。
インシュリンの自己注射の保険適応(1981年6月)を求めて全市民的な取組も視野に入れたものでした。
私は一応内科医でしたが、糖尿病については無知で仕方なく勉強をしました。
実践的な方法は知りませんので、医学書を読んで患者会の勉強会の演者になり、何か新しいアイディアをだそうと努力を重ねました。
いろいろな職種の人が役割を持され、同病の患者会をつくり、その患者会が目的に沿って、社会的に発展すれば、大きな力になることを学んだようなきがします。
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