黄先生 「これまでのお話をまとめると、教祖さまを信じたいのに、信じられないということから、悩み、苦しみが発生しているようですね。それならば、信仰に対して、もう少し、柔軟な考え方をすれば、悩み、苦しみは軽減できるのではありませんか」
信者A 「それはどういうことですか」
黄先生 「『教祖さまを信じたい』というのは願いであり、願望ですね。『教祖さまが信じられない』というのは現実でしょう。願望ばかりを追いかけようとせず、現実を認めたらどうかということです」
信者A 「それは、信仰を手放せということですか。そんなことは絶対に許されません。信仰を手放したら、落ちて行く先は、地獄です。信仰は絶対に手放してはならないものなのです」
黄先生 「でも、信仰を手放さないでいる今は、どのような状態にありますか」
信者A 「すごく悩んでいます。とても苦しいです」
黄先生 「それは、今まさに、地獄にいるということではありませんか」
信者A 「……そ、そうかもしれません」
黄先生 「では、思い切って、今、握りしめている信仰から手を放してごらんなさい。そうすれば、信仰だとばかり思って握りしめていたのは、実は信仰ではなく、悩み苦しみだったことが分かると思います」
信者A 「……」
黄先生 「どうです? 今、固く握りしめている手を開いてみませんか?」
信者A 「だめです。信仰は手放せません。今、苦しいのは試練のためかもしれません。信仰には試しがあるのです。この苦しみは、きっと、試しなんです。私はこの試しに耐えなければならないんです」
黄先生 「それが事実であれば、仮に、今回の試しを乗り越えても、またすぐに次の試しにあうのではありませんか。信仰を手放さない限りは、そういう試しが永遠に繰り返されるのではありませんか。それは試練地獄というようなものではありませんか」
信者A 「……」
黄先生 「この悩み、苦しみから抜け出すには、『信じなければならない』と自分で自分を縛り付けるのではなく、『信じられないことは、信じられない』と素直に認めることが必要なのではありませんか。幼子のように、自分の気持ちに正直になってはいかがですか。そしたらきっと楽になりますよ」
信者A 「……」
黄先生 「この苦しみの原因は、一見したところでは、信仰がぐらつき、信じられなくなったことにあるように見えるかもしれません。けれども、よくよく注意して見れば、その真の原因は、信じられないことではなく、信じられないという心を抑圧し、自分自身に嘘をつこうとすることにあるのがわかるでしょう。この苦境から脱するには、何よりもまず、自分の心に、素直に、正直になることが必要なのですよ」
(つづく)