「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

霊的人生観について

2013-01-01 | 感想 1

霊的人生観について思うところを書いてみたい。

 

   *

 

まず霊的人生観の長所を述べると、自助努力を促すところかもしれない。今世の努力は来世で役に立つと思えば、努力をする励みになるだろう。

一方、短所は何かといえば、霊に振り回されがちになるということだろうか。霊的人生観を信じている人は、憑依霊がどうした、高級霊がどうしたなどと霊的な影響を気にし過ぎて、主体的な人生を見失ってしまう場合も少なくないのではないだろうか。

 

   *

 

若い頃は、人は霊であり、生まれ変わりを繰り返しながら、永遠を生きているという思想は、福音と思えたものだった。

けれども近頃は、そのような思想に魅力を感じなくなってきている。むしろ、永遠の命をもって生まれ変わりを繰り返すというのは苦そのものであると感じはじめている。
 
聞くところによれば、自殺者の霊は、霊界で木になるという説もあるが、何度も、何度も、自殺を繰り返し続けるという説もある。これは悲劇だろう。

それならば、カルマを清算できない限り、何度も、何度も、生まれ変わるたびに同じことを繰り返す輪廻転生も悲劇だろう。

たとえ、救世主や高級霊であったとしても、何万回も、何億回も、救世活動をし続けなければならないのだとしたら、これも悲劇ではなかろうか。

 

僕は、同じことの繰り返しこそ地獄ではないかと思う。
(スティーヴン・キング「例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚」池田真紀子訳)

 

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幸福の科学を退会するときに、次のようなことを考えたのだった。

 

「自分は前世で、自分の良心をすてて、師の言いなりになるという間違いを犯したのかもしれない。そうだ。自分はアングリマーラみたいな奴だったのだ。

「それだから、今生も、自分の良心と師の言葉のどちらに従うべきか、正しい選択を迫られているのだ。それならば今度こそは、師の言葉に逆らうことの恐怖に打ち克ち、自分の良心に忠実になろう。カルマを清算しよう!」

 

現役の信者の中にも、上のような悩みを抱えている人がいたら、よく考えてみてほしいと思う。

 

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美しさという点から見れば、霊的人生観よりも、死んだら終わりという方が上かもしれない。

死んだら終わりであるからこそ、人生ははかなく、美しい。

死んだあと天国に還ってお花畑で昼寝してるというのでは、地上の人生は、ただの退屈しのぎの気晴らし、喜劇といった感じになってしまいそうだ。

ま、それも面白いかもしれないが。

 

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尊さという点から見ても、霊的人生観よりも、死んだら終わりという方が上かもしれない。

タイトルは失念したが、何かの本に「人の命がちっぽけであるほどに、人の命は尊いのだ」という趣旨の言葉があったのを覚えている。宇宙は広く、大きくて、その中に小さい小さい命が賢明に生きているからこそ、尊いのだということだったと思う。

「人は神の子であり、仏の子であるから尊い」という考え方もあるだろうし、それに共感する人がいてもいいと思う。

ただ今の自分は、人はちっぽけな存在で、罪を重ねてばかりいるが、それでも懸命に、健気に生きているから尊いという考え方により共感できる。

 

   *

 

慰めという点から見れば、霊的人生観は有意義なものとなりそうだ。

地上に残された人にとっては、故人は天国で幸せになっている、故人とはまた再会できる、などと思えたら、とても慰めになるにちがいない。

 

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以上、霊的人生観について、思いつくままに書いてみました。


 



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