「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

賢明な判断 (信者との付き合い方)

2013-01-01 | 感想 1

幸福の観測所 」では、

何故、同性愛者はスピリチュアルに走るのか 」のコメント欄で騒いでいる信者に対して、

ゆく年くる年 」で冷静な対応をしているようです。

上から目線のような言い方になってしまうかもしれませんが、

これは賢い対応だと思います。

 

   *

 

ちなみに、

わたしも信者との議論の経験がありますが、

それらは大体、次のような過程をたどっています。

 

一、HS批判をする。

二、信者から的外れな反論がある。

三、信者の誤読、曲解を指摘する。

四、信者からなおも的外れな反論がある。

五、三と四が幾度も繰り返される。

六、誤読、曲解についてトコトンやさしく、わかりやすく、ねばり強く説明し続ける。信者にもその意味が伝わったという感触がある。

七、急に、信者からの反論が途絶える。

八、新たなHS批判をする。

九、また、二~七が始まる。

 

今思い出しても、

上のような信者とのやりとりは、とても疲れるものでした。

的外れな反論をしてくるということは、

その人に、

知性が不足しているか、

知性は十分でも、その知性を失わせるほどの歪んだ信仰心があるということだろうし、

そういう相手と議論しようというのは、どだい無理なことなのでしょう。

的外れな反論をしてくる信者の相手をするときは、ほどほどにしておくのが吉みたいです。

 

   *

 

まあ、年の変わり目ですし、今後、どういうスタンスで書いていけばよいか、再考するいい切っ掛けになりました。もう少し、マイルドに、解り易く書くことを心掛けたいと思います。ゆく年くる年 )

 

これはよく分かるような気がします。

自分の見るところでは、

きっぱり、はっきり、正々堂々とHS批判をしていると、

無頼漢・罵倒系信者に狙われてしまうようです。

また、

「HS批判しているこの人は、……という人だ」という風な、

陰口をネチネチ書きつづける陰湿・粘着系信者が出てくることもあります。

こういう信者たちにからまれないようにするには、

HS批判をするときに、あまり直截的には書かず、

婉曲な表現をしておくのが賢明みたいです。



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