ある女性が、某宗教(HSではない)を信じるようになってから、人が変わってしまったという話を聞いたことがある。
その女性は、某宗教を信じる前は、不幸な人を見ると、同情のこもった眼差しで、「かわいそうに。何かしてあげられないかな」と言う人だった。
それが某宗教を信じてからは、不幸な人を見ると、「信心が足りないからだ」と容赦なく決めつけるようになってしまったという。
当時、自分は、この話を他人事のように聞いていたのだったが、今になって考えてみると、自分も同じ轍を踏んでいたようである。
まず自分は、HSを知らないころには、病気の人をみると、「具合が悪そうだな。大丈夫? 早く治ればいいね」と思ったものだった。
けれども、HS本をたくさん読んだあとは、病気の人をみると、労わりより先に、「この人の病気の原因は、前世のカルマか、心の間違いか、悪霊憑依か……」などと考えるようになってしまった。
結局、自分も、上の宗教を信じて人が変わってしまった女性とさほど変わらなかったらしい。
こうして見てみると、宗教を信じ、教義を学ぶことは、必ずしも、人間性を向上させることにはつながらないと言えそうである。もちろん宗教を信じ、教義を学ぶことで、人間性が高まった人はいるだろうが、その反対の結果になる人も少なくないのではないかということである。
知に偏りすぎると情を失うことがあるように、教義に染まりすぎると情を失うこともあるのだろう。