自燈明・法燈明の考察

在家の折伏

 今年も間もなく終了ですね。今年は皆さんにとってどんな一年だったのでしょうか。私は年頭に退院してから、母が鬼籍に入ったりと、改めて自分の人生について深く考えさせられる一年でした。若い時の一年と、五十代も半ばを過ぎてからの一年は、感じる長さが全く異なります。その中でも思案する事が様々ありましたので、とても足早な一年であったと思います。

 さて、今年の11月に池田氏が亡くなって、マスコミでは「すわ創価学会の危機」と報じていて、様々な情報が溢れています。しかしながら創価学会の中にいる活動家や幹部の中には、さしたる動揺は無いと思います。
 池田氏亡き後の組織について、これは信濃町界隈の人達が入念に準備し、異端分子的な人達は既に排除されている事にも拠ると思います。現に私の周囲の壮年部でも、所謂「組織に従順ならざる人」「組織に物申す人」は創価学会の組織から離れて、脱会している人達も多くいます。

 そういった人達が居なくなった分だけ、今回の池田氏の死に際しても、組織内に動揺が走ることは少なくなっているという事でしょうし、いま創価学会に残っている人達の多くは、池田氏が亡くなったことで、よりこれからの創価学会という宗教団体を守っていこうという想いが強まっているでしょう。

 何しろ池田大作という人物は、彼らにとっては歴史上稀有な大指導者であり、その大指導者に出会えた事を無上の喜びや誇りと感じていますからね。

 以前の第二次宗門問題当時、創価学会と日蓮正宗との間では教義論争を盛んに行っていました。創価学会では創価班の広宣部、法華講では主に妙観講が盛んに行っていました。またそれに乗じて顕正会なんかもやってました。
 そしてこの教義論争を互いに「折伏だ!」「再折伏だ!」なんて、今で言えば論破王のひろゆき氏よろしく対論をバンバンやっていましたよね。

 この「折伏」ですが、社会的に広めたのは、創価学会第二代会長の戸田城聖氏の頃でした。当時の日本社会には、社会的な混乱に併せて雨後の筍の様に様々な新興宗教が勃興し、創価学会もその中の一つでした。当時の創価学会では社会の混乱、人の不幸の原因は「間違った教えにある!」と言い、創価学会(当時は日蓮正宗の教義)を元に、バンバン人を論破して、強引とも言える勧誘方法で会員拡大をしていました。そもそも市井に生きる人達は、仏教の事なんて知らなかったので、創価学会では「折伏教典」なんて出版して、会員にその論破の口上を、教団や宗派別に教えていました。

 もともと「折伏」という言葉は、天台大師智顗の「法華折伏・破権門理」という言葉と、鎌倉時代の僧、日蓮が「摂受折伏時によるべし」と言い、末法は「折伏が時に適った修行法だ」と言っていた頃から、この言葉が使われていました。この「折伏」ですが、これは教えを広める手法の事で、端的に言えば、絶対的な正義の教えを以て、相手の教えや考えを否定し、論理的に組み伏せる事を言います。

 まるで全員、論破王のひろゆき氏よろしく、議論のマウントを取って組み伏せる事を「折伏」と呼ぶのです。そういう意味では、ひろゆき氏は「折伏王」と呼んでも良いかもしれません。(笑)

 でも考えてみたら、これはある意味で出家者同士であれば、ある一定の弘教の意味(相手を改宗させ門下にする)があると思いますが、在家信徒にはどれだけ意味がある弘教の手法なんでしょうね。出家者ならば指導する側の立場でもありますし、「少欲知足(欲少なく知足りる)」という立場でもあるので、それなりに意味も有るでしょう。もともと出家者では対論という事も学んでますからね。
 しかし在家信徒の場合、教えを乞う立場でもあり、もともと仏教を信じたとしても、それは「お縋り信心」であったり「ご利益信心」であったり、そもそも形として信徒ではあるけれど、宗教そのものに対して無知な場合がほとんどです。それに対して「絶対的に正しい教えを元に、相手の考えを破折する」とやった処で、そこに残るのは、多くの場合、そこには遺恨しか残りません。

 信徒と言われる人の多くは、信仰体験に基づく確信と、それに基づく個人の中に出来る拘りしかないのです。そこに論理的な教義を語っても「理由わからない理屈屋だ」という事しか残らないのが大半でしょう。中には論理的な議論が出来る人もいますが、それでもその相手には大抵、信仰体験という経験に囚われてしまい、論理的な思考を働かせる事は困難です。

 「毒鼓の縁」という話もあります。これは相手を徹底して破折すれば、相手に仏罰が起きてきて、それにより相手が覚醒するというやつです。しかしこの場合、相手の心の中に一抹の「不安要素」を残すような話が出来た場合、それをキッカケとして相手が勝手に不運な出来事を仏罰と感じるだけであり、多くの場合、人生には常に幸運と不運がつきまとうわけで、そんな事に気づきもしないでしょう。現に創価学会で「日顕に仏罰を!」なんて祈祷しても、当の日顕師はそんな事、屁にも考えてませんでしたから、結果として仏罰なんて受けてないわけです。

 何故、私がこんな事を考えたのか。実は先日、昔から付き合いのある活動家と話をした際、そもそも教義的な議論が成り立たず、そこにあったのは浪花節的な池田大作氏との師弟感、そして今まで生きてきた経験則に基づく組織擁護の話だけで、そこに一切の教義的な話題に至ることが無かったからなんです。
 その人は未だに末法の御本仏を信じ、世界に日蓮仏法を広めた池田氏の功績を称え、人々を絶対的幸福境涯に導いた創価学会は間違いないんだという話で終始してしまいました。

「いやいや、そもそも久遠実成はあっても、久遠元初なんて無いし」
「創価学会が世界に日蓮仏法を広めたというけど、世界に広めた教えは日本の会員が知ってるものでもない」
「池田大作氏が世界に賞賛されているのは、別のモノで評価されているだろう」

 こういう事を、詳らかに説明しようとしても、論点が全く持って噛み合わないのです。「理証・文証・現証」の三証を示したところで、それは一切受け付けません。前提条件すら簡単に覆されてしまいますから、常に堂々巡りの議論になってしまいます。

 これらを見ていて感じたのは、やはり教義的な一貫性とか、文献や論理的な組み立て以前に、個人の中に長年に渡り作られてきた「信仰体験」に基づく「信仰観」しかないのだなあ。そんな事を感じてしまいました。

 まあそれならそれでも構わないんですけどね。何故なら確かに「正しい教え」なんて、人生にはあまり必要でもないし、必要なのは教えに基づく自己の内面、心に対する理解と認識なので、宗教の教えを切っ掛けとして、そこに個人が肉薄できるのであれば、それで良いわけですから。そして高等な宗教があるとしたら、より多くの人のその切っ掛けを与えられる教義を有しているか、いないのか。そこだけだと思います。

 だから「折伏」なんて事は、仏教でいう「在家」という立場には、あまり関係ない事だと思いますよ。


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