自燈明・法燈明の考察

人類の抜き差しならぬ業

 昨今の世界情勢を見てみると、やはり人類には抜き差しならぬ「業」ともいうべきものが存在する事を実感しています。この今の世界の流れのベースになっているのは、以前にこのブログでも少し書きましたが、以下の事に符合している部分が多い様に感じるのです。

 

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 人類史を見返してみると、そこかしこに戦争が起きています。ある意味で人類史とは戦争の歴史と言ってもいいほどだと思うのです。でも何故人類はこれだけ戦争の歴史と言われるぐらい、戦争が起こしてしまうのかという事ですが、これには様々な説があります。表向きの理由で言えば、お互いの利権がぶつかったためとか、民族や宗教、そして文化が異なるというためとか、そういった事が原因と言われています。
 確かに昔の戦争とはそういった事が要因で起きていたと思いますが、近年に至っては、実はその戦争の裏には資本が介在したり、場合によっては一部の思惑を持つ集団が、人々を支配する為の道具としての戦争を利用していると言われています。ただこの場合に於いても、その切っ掛けとして利用されるのが、表向きは民族や宗教、そして文化の違いを利用して、人々の感情を煽り戦争へと動かしていく事がある様です。

 この事を端的に顕している例として、ソマリア海賊の問題があります。

 ソマリアは現在でも内戦状態が続いており、国家としての体を成していません。その為にソマリア領海は周辺国の漁民に荒らされ放題になってしまいました。その為に漁民たちは本来の生業である漁業で生計を立てる事が出来ません。そこで漁民たちは海賊行為を行う様になったと言うのです。
 商船等を襲撃して人質を取る、そして身代金を請求して収入を得るという犯罪行為です。しかしそこに眼を付けたのがアメリカの資本家でした。ソマリアの人々が海賊するには船も必要だし兵器も必要、そこには資金が必要になります。その資金をアメリカの資本家がソマリア海賊に貸し付けます。ソマリア海賊はこの「犯罪ビジネス」で得た収入から利息を付けて借金を返しますが、これの利息率が高いので資本家からすれば「優良貸付先」になります。またソマリア海賊にしても資金が潤沢になれば、より効率よく犯罪行為を行う事が出来るし収益も上げられます。
 しかしこれが近年国際問題となり、各国で軍艦をソマリア近海に派遣して海賊を取り締まり、場合によっては殲滅する動きを取る様になりました。当然、その中にはソマリア海賊に資金を提供している資本家のいるアメリカがいます。つまるところソマリアの人達はアメリカの資本家から借金したお金で兵器を購入、犯罪行為をして、結果アメリカ海軍に殺害されているのです。

 このソマリアの場合、そもそもソマリアが国家として機能していれば、領海の漁場を守る事も出来たであろうし、漁場があればソマリアの漁民は海賊行為をしなくても生活する事が出来たのです。しかしその自分達の国が国家として機能していない事から、周辺国から漁場が荒らされてしまい、結果、生きるために海賊行為を行う様になってしまいました。

 今でも偶にニュースで話題となったり、以前にはトム・ハンクスが主演の映画のテーマとしても取り上げられたソマリアの海賊の問題にしても、こういった国際的な現実がある事を、どれだけの人が理解しているのでしょうか。

 またイスラエルとパレスチナの問題にしても、そこには根深い問題が存在します。

 そもそもユダヤの人達はパレスチナ方面に居住していました。紀元前720年頃、新アッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼしましたが、ある程度の期間、パレスチナ地域にはユダヤ人の自治州が存在していたと言います。西暦6年にはローマ帝国がこの地を占領しましたが、ユダヤ属州として残される事になりました。しかしユダヤ人が反乱を起こし、結果としてユダヤ人はこの地を追放されたと言います。その後、第一回十字軍遠征の後に、この地域はアラブの支配下となり近代まて至りました。
 このパレスチナは第一次世界大戦後、オスマン帝国から大英帝国に割譲され、1920年から1948年まで大英帝国の委任統治領となっていました。第二次世界大戦がはじまるとこの地域は戦渦に巻き込まれ、その際にユダヤ人は連合国側に従軍しました。1944年、イギリスは武器の供給とユダヤ人旅団の結成に同意しましたが、結果としてそれがユダヤ人とアラブ(パレスチナ人)の緊張を高める結果となり、簡単に言えばユダヤ人とパレスチナ人の両派をなだめるために、イギリスは二枚舌外交を行いました。それが今のパレスチナ地域の混乱の原因となっています。
 そればかりではありません。このパレスチナにあるエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地にもなっていますので、宗教的にとてもセンシティブな地域をも抱え込んでいるのです。

 かなり端折った説明ですが、今のパレスチナ紛争の背景には、こういった問題が根本にある事を、日本人はどれだけ理解しているのでしょうか。これは単に表面の事象だけを見て、二元論的に善悪を論じれるものではありません。私が子供の時に「アンネの日記」「アウシュビッツのホロコースト」を教えられ、国家無きユダヤ人は悲劇の民族であるかの様に教えられて来ましたが、最近のパレスチナ紛争では若いユダヤの女性が「私は〇〇人パレスチナ人を殺害した」とか「パレスチナ人を殺害して何が悪いの?」という発言をしているSNS動画を見た時に、この闇の根深さに戦慄を覚えました。
 長きに亘りユダヤ人は「国家なき民族」として世界を流浪し、近年になって自分達の国家を持つ事が叶いました。先の若いユダヤ人女性の発言の裏には、このやっと手に入れた自分達の国家を、何があっても守り抜くというユダヤ人の民族としての想いがあるのかもしれません。

 日本に関しても思う事があります。

 日本は明治期になり近代国家を急ぎ目指しましたが、そこには西欧列強に並ぶ事で、自分達の自主独立を守ろうという思いがありました。その為に必死に近代国家としての形作りを急ぎましたが、そこで起きたのが日清戦争であり、日露戦争でした。日露戦争に至っては、明治の元勲達は、薄氷を踏むようにして「勝利」の形を作りあげる事が出来ました。そしてその結果、幕末に締結した多くの不平等条約を解消する事も叶ったのです。
 日露戦争の勝利は有色人種が初めて白色人種(欧米列強)に勝利したもので、世界史でも大きな出来事でした。しかし内実はけして「勝利」と呼べるものでは無かったのです。だから当時のロシア帝国からの戦時賠償を得る事もままならず、日比谷焼き討ち事件の様な民衆暴動まで起きてしまいました。当時の国民は勝利を信じ、重い重税にも耐えてきたのですから、満足な賠償が得られないというのであれば、それは当たり前の事でした。
 しかし一方で、日本人社会は欧米列強に並んだ事で自信を付け、その後の第一次世界大戦でも勝利国側に着く事が出来たので、日本人社会もそうですが、日本帝国陸海軍も「常勝不敗の帝国陸海軍」と驕り高ぶる様になってしまったのです。日本帝国の陸海軍は、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した東郷元帥が「連合艦隊解散の辞」で残した以下の言葉をどの様に思っていたのでしょうか。

「神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。」

 結局はこの「常勝」という驕りを日本人は持ってしまった事から、太平洋戦争で亡国の憂き目にあったのではないでしょうか。

 太平洋戦争後の日本は、「戦争放棄」を謳った日本国憲法の下で、七十年以上に渡り戦争という災禍に直接巻き込まれずに来る事が出来ました。
 しかしこれには「東西冷戦」という国際情勢の中、アメリカ軍の傘の下で、ひたすら経済活動だけを行ってこれたという現実があります。では今の日本人の中で、この人類史の過去の歴史の中、戦争は如何なる事で起きて来たのかという事を、真剣に考えた人はどれだけいるのでしょう。何か自分達が戦う事を放棄すれば、戦争という災禍に遭う事は絶対無い、現に戦後七十年、平和を守り続けてこれたではないか。そんな誤解が国民の中に根強く染み込んでしまっている様に思うのは私だけなのでしょうか。

 21世紀の時代となり、経済的には国境は存在せず、経済の動きは国家統制を離れたレベルで動いています。そしてこの世界には巨大資本が存在し、ある説によれば人類の2%が98%の富みを独占しているとも言われています。
 しかし一方で戦争という愚かな行為は国家の外交問題の先に存在し、人類は民族や宗教で国家という分断された国家という単位で漸く緩い連合体をなしているという状態です。国際社会ではいまだ戦争という行為を国家が行う事を是認していますが、これをわかりやすく言えば、盗賊や異常者がウヨウヨと動き回る世界で、その背後には巨大な資本がいて、それら盗賊や異常者を煽ったりしている社会と同じです。私はこの世界の姿を見るにつけ、人類の持つ「抜き差しならぬ業の深さ」を感じてしまいます。

 この中を生き抜くには、人類が過去の歴史の中から教訓を学ぶという事を始めなければ、この「抜き差しならぬ業」というのは理解出来ません。しかしこれを理解しなければ、人類はこれからどうなってしまうのでしょうか。そんな事を考えているのです。これは単にデモ活動を行ったり、ネットでごちゃごちゃ細かい言葉の揚げ足取りをしている場合ではありません。ましてや宗教の力に頼って解決できる問題でもないのです。

 私は最近、こんな事を考えたりしているのです。


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